第三話 長い夜の決闘(3)
休息日。
イリダータ・アカデミーでは、生徒たちが外出自由ともあり、アルコイリスへ遊びに次々と出かけていく。
原則として、勉強や実技なども禁止されており、解放されているのは、東屋周辺の憩いの場のみ。
アルコイリスに出かけない生徒は、寮部屋でくつろいでいるか、一部開放されている図書館やカフェテラスなどを利用している。
そのため、エレメンタル・トーナメントの開催場所である円形闘技場とその周辺に生徒が来ることはまずない。
その闘技場へと向かう、ソラとカーム。
「それが、決闘の際の正装か何かなの?」
「決まっているわけじゃないんですが、あっちで暮らしてた頃は、この服で過ごしてたので、刀を使うときは、こっちの方が落ち着くというか、しっくりくるんです」
「そう」
ソラの服装は、制服ではなく、風子と同じ道着に袴姿だった。
濃紺の道着に、白の袴。
黒い帯には、二振りの刀が差し込まれており、宝刀に比べ、練習用は若干短めに造られていた。
「その姿も似合ってるわよ」
「ありがとうございます」
「そういえば、エラとレイとクリスは? てっきり応援に来ると思っていたのだけれど……」
「レイはボクと一緒に行くつもりだったんですけど、寮を出たところでエラが待っていて、用意しなきゃいけないものがあるからってレイを連れて行ってしまいました」
「そう……エラは気が利くのね」
「え?」
「なんでもないわよ」
カームの笑顔に、どこかごまかされている感が否めないソラだったが、何となく察したのか、気にしないようにした。
「で、クリスは?」
「クリスは、フィリスさんと一緒に風子さんを道案内するって言ってました」
「へぇ……道案内、ねぇ」
どこか意味ありげに呟くカームに、やはりソラは聞きたいけど聞けない気持ちになったのだった。
※
正座をしながら、すべての持ち物を風呂敷に包み終えた風子は、それを木の洞に収め、刀を手に取って立ち上がると、それを帯に差し込んだ。
すべての準備は終わった。
あとは、決闘の場である闘技場に向かうのみ。
だが、困ったことに、闘技場の場所を聞いておらず、そのことに気づいたのが、朝になってからという始末。
さて、どうしたものかと思い、とりあえず森林地帯を人工湖とは逆の方へ抜けた。
「やっと来たわね」
「準備は万端ですか?」
そこに、フィリスとクリスが待ち構えるようにして立っていた。
「どうしてここに?」
純粋な疑問だった。
二人は、ソラの味方のはず。
それなのに、どうして……。
「私は、道案内が必要だと思っただけよ。決闘の場に遅れて来るなんて、恥以外のなにものでもないわ」
「私は、ソラとカームさんの邪魔になると思ったので……でも、風子さんを応援したい気持ちもあります。どっちも頑張れです」
「フィリス殿、クリス殿……」
二人の表情を見れば分かる。
その言葉に、嘘偽りなどないことなど。
朝の始まりをフィリスと過ごし、夜の終わりをクリスと過ごした。
いつの間にか、風子はひとりではなくなっていた。
もちろん、決闘は一対一。
何者も介入は許されず、二人だけの純粋な戦いの場である。
だけど、今この胸に感じる気持ちは、きっと力になるだろう。
「ありがとう、二人とも。では、案内をお願いしたい」
「ええ」
フィリスが踵を返し、先頭を歩く。
「気分はどうですか?」
クリスが、隣に寄り添う。
「ああ」
空は昨日と同じ曇り空だったが、
「最高なのだ」
風子の心は、かつてないほどに晴れ渡っていた。
※
闘技場の西側控室についたソラとカーム。
「じゃあ、私はここまでね。上の観覧席で見守ってるわ」
「はい」
そのまま、まるで名残惜しむように、二人は見つめ合っていた。
だが、いつまでもそうしているわけにもいかず、カームが踵を返そうとしたところで、「カームさん」とソラが呼び止めた。
そして、カームに差し出したのだ。
「これを、預かっていてもらえませんか?」
「これって……」
ソラが帯から引き抜いたのは、練習用のソラの愛刀だった。
「お願いします」
言いたいことは色々あったが、そのすべてが無駄なことで、必要のないことだと思った。
だって、答えはひとつしかないのだから。
「分かったわ」
両手で刀を受け取り、ソラが手を離すと、思っていた以上の重みに驚いた。
「重い……」
だが、この重みは、純粋に刀の重量だけではない。
ソラが託してくれた、その想い。
それがそのまま、刀の重みとして感じているのだ。
「肌身離さないわ」
そう言って、刀を抱きしめるようにして持つと、ソラが笑んでくれた。
「お願いします」
そして、カームは控室を出て、観覧席へと向かったのだった。
※
闘技場を挟んだ向かい側にある、東側控室。
「ここまで来れば、もう迷わないわね」
「かたじけない」
「もう着いちゃったんですね」
「名残惜しいがな」
控室に入った風子は振り返り、出入口の前に立つフィリスとクリスを見やった。
「二人には本当に感謝している。こんな得体の知れない私によくしてくれて……ここは本当にいい場所なのだ」
「この決闘が終わったら、イリダータを去るのよね?」
フィリスの問いに、風子がどこか遠くを見つめるような視線をし、そして頷いた。「勝てば、私は当主の身となる。東雲の復興は、私の悲願なのだ。だから、二人ともお別れとなる」
「やっと仲良くなれたと思ったのに……こんなこと言うべきじゃないけど、もし負けた場合、また次の決闘を挑むためにここに残っていてくれたらって、思っちゃいます」
クリスの正直な気持ちに、風子は嬉しさと、そしてそんな未来は絶対にこないという確信を抱いていた。
二人になら、言ってもいいだろうか。
この決闘の敗者の末路を。
「勝っても負けても、私はここにはもういない」
その言葉の意味に、フィリスとクリスが「え?」と顔を向ける。
「この当主の座を争う決闘において……敗者は――」
その言葉に、二人は息をのみ、決闘を止めようとするかのように、クリスが手を伸ばす。
駄目、そんなのってないよ、絶対に駄目だよ――クリスが何度も叫ぶ。
それをフィリスが後ろから二の腕を掴んで止めてくれていた。
それでも、フィリスの表情はやりきれない、そんな風だった。
風子は、そんな二人に、今まで見せたことのない穏やかな笑みを浮かべて見せた。
フィリスが目を見開き、クリスが諦めるように伸ばした手を垂らし、だけどやっぱり諦めきれないとばかりに膝をついて泣く。
こんな出会ったばかりの自分のために泣いてくれるなど、本当に優しい人だ。
風子は、それ以上、二人の悲しい顔を見ていることができず、踵を返した。
背中越しに、フィリスがクリスを立たせ、控室を去る気配を感じる。
そうしてひとりになった風子は、始まるまでの間、瞼を閉じてただ待つのだった。
その間、瞼の裏に浮かんでいたのは、これまでの楽しい出来事だった。
※
二ヶ月前に起きた、【深淵】の目覚めによる闇の使徒との戦いで半壊した円形闘技場。
その修繕が完了してから初めて使用されるのが、この非公開の決闘だった。
その名の通り、円形の闘技場は大地が剥き出しになっており、その縁に設けられた水路には、水が流れている。
その闘技場の中央に立つのは、今回の決闘の立会人でもあるイリダータ・アカデミーの学長――ミュール・ミラーだった。
観客席には、ソラ、風子、ミュールの三人に認められた者のみが座っている。
カーム、フィリス、クリス、エラ、そしてレイの五人。
最前列にはカームがひとり。
その後ろにはフィリス、クリス、エラの三人。
そして、その後ろの席にレイが座っている。
誰もが、開始時刻になるまで黙り込み、じっと見守っている。
そして、定刻を迎えた。
「両者、前へ」
決まった形式はないが、ミュールがそつなくこなしていく。
ミュールの合図に、西側控室からソラが、東側控室から風子が姿を現した。
お互いに道着に袴という姿で、腰に差すのはひと振りの刀。
ミュールを中心に、二人が前へ進み、対面する。
「これより、東雲当主の座を賭けた決闘を行います」
ミュールが、ソラと風子の顔をゆっくりと見据える。
「私は、単なる立会人に過ぎません。諸々の条件は、二人で話してあるのね?」
「はい。もとより、敗者には死を……それが全てです」
「……ソラも……それで納得しているのね?」
表情を変えないように、だけど、その声音から痛いほどに伝わるミュールの思い。
ソラは声には出さず、ただ、安心させるように、ほのかに笑んで見せた。
「では、始めなさい」
そう言って、ミュールは後ずさるようにして、水路の前まで後退した。
だだっ広い闘技場に立つ、二人の刀使い。
向かい合い、お互いの表情を見つめながら佇む。
誰もが声を上げずに二人の動向を見守るなか、風子が口を開いた。
「少年、二つ聞きたい」
「いいですよ」
「キミは死ぬ覚悟を持ってそこに立っているのか?」
「……いえ」
一見すれば穏やかな、ともすれば、まるで達観したかのようなソラの表情に、風子は眉を寄せた。
「では、敗者は死ぬということを、カーム殿には伝えたのか?」
「伝えてません」
「……なぜだ?」
風子は、控室でクリスとフィリスに伝えた。
それは、二人に配慮してのことだ。
もし知らずに、目の前でどちらかが死ぬ場面を見ては、心の傷を残す。
だが、あらかじめ伝えておけば、そういったものなのだと、割り切ってくれる。
そう、風子は思ったのだ。
だから、目の前の少年の真意が、風子にはまったく分からなかった。
風子の問いに、ソラはにこっと笑み、
「それは三つ目の質問になりますよ、風子さん」
と言ったのだ。
その態度、言葉に、風子は少し強い口調で問うた。
「キミは、この決闘の意味を理解しているのか?」
「はい」
「だったら、なぜ――」
「それは、ボクが勝ったら教えてあげますよ」
「……いいだろう」
ソラの皮肉に、皮肉で返す風子。
勝ったら教える?
それは不可能だ。
もしソラが勝ったのなら、自分は殺されている。
それとも、死に体に話しけるとでもいうのか?
少年のことが、ここにきて分からなくなる。
何を考えている?
何を思ってこの決闘に挑んでいる?
(いや、もういい。考えるな)
そう自分に言い聞かせ、風子は小さく頭を振った。
もういい。
これ以上の詮索は不要だ。
どうせ、終わるのだから。
「始めよう」
「はい」
そう言って、二人はその場で踵を返して背中を向け、遠ざかるように歩いた。
そして、お互いにまるで合わせたように同じタイミングで立ち止まり、再び踵を返して向き合う。
「いざ、尋常に……勝負!」
風子が声を上げると同時、抜刀の構えを取る。
観客席の五人とミュールが固唾を飲んで見守るなか、ソラの行動に誰もが唖然とした。
「どういうつもりだ?」
さすがの風子も、それには苛立ちを隠せなかった。
なぜなら――
「どこからでもかかってきてください!」
声を張り上げるソラは、刀の柄すら掴まず、その場で立っているだけだった。




