第三話 長い夜の決闘(2)
カームは、予定していた時間よりも少し早めに屋上へと来ていた。
まだ何人か残っていたが、すぐに予鈴がなって、校舎内に戻るだろう。
適当に歩き、ふと空を見上げる。
昨日までずっと晴れていたのに、今日は曇天だ。
天気と同じだ。
ソラの、裏表のない性格。
だから、相手が自分であろうと、言いたいことや思ったことは隠さず言う。
ずっと、ソラは青空のように晴れ渡っている存在だと思っていた。
だけど、青空だってたまには曇るし、雨だって降る。
自分は、そんな今まで見たことのないソラの一面を、受け入れきれずにいたんだ。
でも、それでは駄目で、これからも関係を続けていくのなら、もっと色んなソラを知らなければならない。
いや、知りたいのだ。
ソラのことが、もっと。
そうすれば、この曇天だって、ソラの一部なんだって思える。
カームは空を仰ぎ、右手を伸ばした。
相手のことを知りたければ、求めなければならない。
だから、届かないかもしれないと思っていても、手を伸ばし続ける。
「カームさん?」
その声に、本当なら驚かなければならないはずなのに、カームは動じることなく、ゆっくりと手を下ろした。
予鈴が鳴り、生徒たちが校舎へと戻っていく。
そして、屋上に誰も残っていないことを確認してから、カームは振り返った。
「ソラ……」
振り返った先に立つのは、ずっと求めていた、背の小さい黒髪の少年。
「あ、あの、カームさん、ボク……ボク……」
何かを言わなければ、だけど、何を言っていいのか分からない。
そんな少年の心情が、手に取るように分かる。
だから、ここは事の発端である自分から言わなければならないと思い、
「ソラ」
と戸惑う少年の名を呼び、自分へと意識を向けさせると、一歩前に出て、近づいた。
「ごめんなさい、ソラ」
「カームさん……」
「私は、私の一方的な理由でキミを遠ざけてしまった。大人げなくて、心が狭くて、今日までずっと、自己嫌悪な毎日だったわ。本当に、ごめんなさいね」
「カームさんのせいじゃありません! ボクが……カームさんのことを考えずにいたから……」
「ありがとう、ソラ。キミは本当にいい子よ。でもね――」
手を伸ばす。その手が、少年の頬にそっと触れる。
「キミが信じたいなら、私のことなど遠慮せずに、信じなければ駄目よ」
「カームさん……」
ソラの顔が、少しだけ泣きそうに歪む。
そんな顔をしてほしいわけじゃないのに……この子は本当に純粋だ。
「私はまだ、東雲風子を信じ切れない。だけど、キミは信じている。悪い人じゃない。いい人なんだって。私も信じたい。だから、私はキミを信じる」
「……ボクを?」
「ええ。東雲風子を信じるソラという少年を、私は信じてる」
カームは片膝をつくと、ソラの肩に両手を乗せ、正面から見据えた。
「私は、明日の決闘で、キミが勝つと信じてる。すぐ近くで見守っているわ」
「カームさん……ありがとうございます。ボク、嬉しいです。絶対に勝って見せます。カームさんが見守ってくれるなら……ボクは……ボクは……」
ソラが堪え切れずといった様子で泣いてしまった。
「こらこら、男の子が泣かないの」
「だって、やっとカームさんとこうして話すことができたから。それが嬉しくて……」
「もう、そんなにおだてても、何も出ないわよ」
「ボク、カームさんが傍にいてくれるだけで、すごく楽しんです。カームさんは、炎のように強くて、でも、陽だまりのように暖かくて、ボクにとっての太陽なんです」
「ちょ、ちょっと、ソラ……どうしたのよ」
まるで心を吐露するように恥じる様子もなくまくしたてるソラに、今度はカームが動揺してしまった。
「カームさんは太陽のような人で……でも、今日みたいに曇り空だと見えなくて、そんな一面もあるんだって、カームさんに無視されたとき、初めて気づいたんです。ずっと一緒にいて、それが当たり前になってしまっていて、それがどんなに大切なものだったのか……」
「フフッ――」
カームは思わず笑ってしまった。
ソラが来るまでの間、カームが考え、そして辿り着いた結論とまったく同じだったからだ。
「カームさん、どうし――」
ソラが顔を覗き込もうとしたから、カームは思わずソラを抱きしめてしまった。
「カーム……さん」
ソラは嫌がることもなく、受け入れてくれた。
今の顔を、見られたくない。
恥ずかしすぎて、顔が真っ赤になっているに違いない。
涙も流しているかもしれない。
さっきから視界がやけにぼやけて見えるのは、そのせいか。
「これからも、意見が食い違ったり、お互いの気に食わない部分があったりするかもしれない。だけど、今度は無視したりしない。ちゃんと話すようにするわ」
「はい、ボクもそうします」
午後の実技が始まる本鈴が鳴る。
その間、カームとソラは抱き合い、お互いの存在をかみしめていた。
「もう、キミと離れたくない」
「ボクもです」
その言葉だけは、誰に聞かれることもなく、鐘の音に紛れていった。
※
屋上に通じるドアの閉まる音がすると同時に、塔屋の裏に隠れていたフィリス、クリス、そして風子の三人は、まさしく三者三様の表情をしていた。
「き、聞きましたか、さっきの……」
「ええ、まさか二人があそこまで急接近するなんて……」
「雨降って地固まる、というやつだな」
うんうんと頷く風子を挟んで、クリスとフィリスが興奮冷めやらぬ様子で語り合う。
「カームさん、大人過ぎます。エラじゃないけど、私、惚れちゃいそうでした」
もしここにエラがいたなら、クリスを叱るよりも、一緒に頬を赤らめていただろう。
「ソラもソラよ。あんなこと言われたら、年下が好みなんて言われても否定できないわね」
あの噂を聞いたときにはどうしたものかと思っていたが、ソラは年上の女性を無意識に殺しにかかってくる癖があるようだ。
それはもしかして、十四年間を楓とアビー、そして幼少期にはミュールを含めた大変魅力的な三人と共に過ごしていたからだろうか。
ずっと大人の女性を相手にしてきたのだから、自然と会話の仕方も身についたのだろう。
だとすれば、自分も危ないのでは、とフィリスは思うのだった。
「さて、二人ともずいぶんと長い時間、物思いに耽っているようだが、私は一足先に帰らせてもらうぞ」
風子はひとり校舎内に戻り、階段を降りると、そこにはカームとソラの後ろ姿があった。
さすがに人目を憚ってか、手を繋いだりなんてことはしていないようだ。
あのとき、本鈴の鐘に紛れて風子の耳に《《は》》届いた二人の言葉。
並んで歩く二人の間に風子は、何か繋がっているようなものを感じたのだった。
ちなみに、遅刻覚悟で二人を見守る役目(盗み聞きなどでは決してない)に徹していたフィリスとクリスは、話に花を開かせすぎ、少しどころか盛大に実技をすっぽかしてしまい、実技担当の教師にこっぴどく怒られたのだった。
そしてその日の夜、クリスから屋上での出来事の話を聞いたエラは、次は絶対に自分も呼ぶようクリスに再三言い聞かせたのだった。
誰もが楽しく過ごす中、ひとり森の中で夜を過ごす風子だけは、神妙な面で、まるで隙を見せれば襲い掛かってくるのではないか、そんな気概で、じっと焚き火の向こうの闇を見据え続けていた。
そして、夜が更け、休息日となり、決闘の日が訪れたのだった。




