第三話 長い夜の決闘(1)
風子がイリダータに来てから数日が経ち、決闘の前日を迎えた。
その日は、朝から曇り空で、雲の流れも速く、どこか生徒たちの気持ちを暗鬱とさせていた。
風子は目を覚まし、人工湖の湖岸へ出ると、そこにはいつもと変わらない風景――水面の上に立つフィリスの姿があった。
人工湖は広大で、その中央に立つフィリスもまた小さく見える。
そんなフィリスの姿を眺めていると、彼女を中心に水面から水龍が飛び出し、上昇していった。
その数は、六。
フィリスは今、そこで壁にぶつかっていると本人から聞いた。
六頭の水龍は、まるでじゃれ合うように、フィリスを中心に縦横無尽に動き回っていた。
風のエレメント――さらには抜刀術のみを極めんとする風子には、六つ同時にエレメントを用いて自在に動かすという感覚を理解できないが、難しいのだろうということは何となく分かる。
ぶつかりあうことなく動き回る水龍だが、唐突に一頭の動きが鈍り、他の水龍の胴体に位置する部分にぶつかると、そこからは総崩れだった。
やおら、フィリス自身が諦めたのか、水龍が一斉に形を崩し、湖へと落ちる。
盛大に水飛沫を上げ、その塊がフィリスへとかかる。
それを、フィリスは避ける素振りを見せることなく、むしろ甘んじているように受けていた。
波立つ水面が次第におさまり、凪いでいく。
その間、フィリスは俯いたまま、動こうとはしなかった。
彼女が動いたのは、水面が完全に凪いでからで、振り返って風子を見やるなり、陰っていた表情を切り替え、微笑んで見せた。
「風子」
「フィリス殿」
岸に上がったフィリスが、濡れた髪をかき上げ、後ろへと流す。
「今日も行水?」
「うむ。一日の終わりに心を清め、一日の始まりに体を清めるのだ」
「誰か来ないか、見張っててあげるわ」
「お心遣い、感謝する」
そう言って、半襦袢のまま風子は湖に入り、体を沈めた。
「ねぇ、風子」
背中越しに、フィリスが座り込む音が聞こえた。
だが、声は遠い。
背中を向けているのだろう。
その意味をくみ取った風子は、振り返らずにそのままでいた。
「才能って何だと思う?」
「才能……?」
「ええ」
「う~む……一を聞いて一を知る人たちに比べて、二も三も理解してしまう人、ということだろうか……」
「飲み込みが早いってこと?」
「もしくは、一を知るだけで満足せず、自ら二も三も理解しようとする人のこと。つまり……」
「……向上心?」
「うむ。それだ」
「……確かに、そうなのかもね」
どこか自嘲めいたフィリスの声に、風子は少し不安を感じた。
「フィリス殿」
「……なに?」
「なにか悩んでることや、他の人には言いにくいことがあれば、私でよければ訊くぞ」
「……でも」
「私は、この一週間、ここにいるだけの身だ。後を引きずることもない。聞くだけ聞いて、それだけだ」
「……そうね。もし、話したくなったら、その時はお願いするわ」
「うむ」
風子は行水を終えると、いつものように着替えと洗濯に取りかかったのだった。
※
ついに、前日になってしまった。
草木のない荒野に佇むカームは、右手を前に、手のひらに小さな火を灯していた。
これは、自主練のひとつで、心を安定させるためだ。
この火は、エレメントによって生み出されたもので、つまり、カームの心の揺れにも反応するのだ。
感情が高ぶったときに強大な炎を生み出すことができるのも、エレメントと人とが共生している証拠であり、それを利用して行っているのが、この自主練だ。
人は、心を無にし続けることができない。
常に何らかの思考を、意識的、もしくは無意識に行っており、それにこの火は鋭く反応を示す。
エレメントの制御は、心の制御でもあり、心の在り様でエレメントの強さもまた変動する。
迷いは力を弱め、確固たる意志にはエレメントも応えてくれる。
そして、この自主練をするようになって、これまでずっと火を揺らすことのなかったカームの火が、ここ数日、揺れに揺れていた。
その原因は分かっている。
今日までの数日間、カームはソラと会話らしい会話をすることができなかった。
朝練は自分ひとりで、朝食はひとり離れた席で、昼食はフィリスと二人で、午後もひとりで自主練をし、放課後にはクリスから地のエレメントを学んだ。
「はぁ……」
我ながら、情けない
朝練では、エレメントではなく、肉体を鍛えている。
走ったり、筋トレしたり、柔軟運動をしたり、と。
すべてひとりでできるものだが、それを教えてくれたのは、ソラだ。
(ソラ……やっぱり、キミがいないと、私は……)
うまく言葉にすることはできないが、今のカームには、もうソラが隣にいることが当たり前になっており、ぽっかりと空いた隣が、空しく感じてしまう。
(でも……)
と思ってしまうのだ。
こうやって今日までずっと堂々巡りを繰り返していた。
謝りたい。
ちゃんと理由を説明して、ソラと話せるようになりたい。
それなのに、そうしようと決意した途端、もうひとりの自分が意固地になってしまうのだ。
ソラは、自分を避けようとなんてしていない。
避けているのは自分だ。
だから、壊してしまった関係を戻すのも、自分からでなければ駄目なのだ。
(よしっ!)
決意とともに、手のひらで灯していた火を握って消すのだった。
そんな決意もどこへ行ったのか、食堂でソラたちを見かけたカームは、無意識に足を違う方向へ向け、離れたテーブル席に座った。
(何やってるのよ、カーマイン・ロードナイト!)
自分自身を心のなかで叱咤するも、一度おろした腰を上げることができなかった。
※
「カームさん……」
そんなカームの姿を見ていたソラが、悲しげに名前を呼ぶ。
あの元気が取り柄のソラから笑顔を消えてから数日、一緒にいたレイやエラ、クリスもまた、それに引きずられるように会話や笑顔が少なくなっていた。
「そういえば、ソラ。いよいよ明日ね。元気が出るように、これも食べるといいわ」
「それはお前が嫌いな野菜だろ! 前にソラにちゃんと食べるように言われただろ」
「はぁ? 勘違いしないでよ。私は食べられるわよ」
「じゃあ、ほら、食べてみ?」
「えっ、ちょっと、なんであんたが差し出してくるのよ。それじゃあ、まるで……」
「ほら、ほら、どうした?」
「ちょっと、そんなに近づけ、むぐっ」
「やっと食べたか。で、感想は?」
「た、大変、おいしゅう、ございまし、た……」
「お前も難儀な性格してるよな」
レイとエラが何とか会話を盛り上げようとしているなか、それでもソラは食事になかなか手を付けず、遠くに座るカームの小さな背中を見つめているのだった。
※
決闘前日は、ミュールに頼んで自由にさせてもらうことにしていた。
早朝の行水と洗濯を終え、フィリスと別れた風子は、軽い気持ちで様子を見ようと校舎に向かい、愕然とした。
(なんだ、あの少年の不甲斐なさは……)
まるで心ここに在らず。
ぼーっとしているようで、食事も進んでいない。
それでも、視線は一定方向へずっと向けられている。
その視線の先には、カームの背中があった。
(まだ喧嘩中なのか……まったく、これでは――)
決闘どころではない。
いや、決闘はできるかもしれないが、あんな腑抜けた少年では相手にならないし、相手にしたくない。
あんな相手から宝刀と当主の座を受け継いでも、嬉しくもなんともない。
この数日、朝はフィリスが、夜はクリスが訪ねてきてくれていた。
その際、食事も持ってきてくれて、風子は思った以上の体調維持ができていた。
二人からすれば、自分は敵――とまではいかなくとも、ソラの味方であるはずで、相手に塩を送るなど言語道断。
だが、そんな相手にすら塩を送り、正々堂々の決闘を望む二人に、素直に感謝している。
だが、風子が万全でも、肝心のソラがあれでは、どうにもならない。
二人が何で喧嘩しているのかは分からないが、仲直りできない理由は分かる。
よく母に言われた。
意思疎通で大事なのは会話だと。
人は話すことで相手を知り、自分を知ってもらうのだ。
話してもいないのに自分のことを理解してもらおうなどと思うのはおこがましく、話しかけられないからと言って相手のせいにするのもまた、見当違いというもの。
とにかく、会話が必要なのだ。
そこで結論を出すことは絶対ではなく、会話すること自体に意味がある。
だから、どうにかして避け合う二人を無理やりにでもそういう状況にもっていかなければならない。
ここはひとつ、フィリスとクリスに協力を仰ごう。
やることを決めた風子は、そうして機を待つのだった。
※
午前の座学が始まる前。
トイレに行くと言ってソラたちと別れたクリスは、廊下でフィリスと鉢合わせした。
「フィリスさん、おはようございます」
「あら、クリスじゃない。おはよう」
「フィリス殿、クリス殿、実は相談が」
挨拶を交わす二人の間に、いつの間にか紛れ込んでいた風子を前に、フィリスとクリスは少しの間、理解が追い付かずに思考が止まり、やおら――
「ふ、風子?!」
「い、いったいどこから?!」
驚き、一歩後ずさる二人。
「ちょうどお二人に用事があったのだ。こうして二人同時に話せるならむしろ好都合」
「何の話?」
訝しむフィリスに、クリスが首を傾げて見せる。
「実は、お二人に相談したいことがあるのだ」
その真剣な眼差しに、フィリスとクリスはお互いに見合い、頷き、そして風子に事情を説明してもらうのだった。
※
午前の授業が終わり、教室を出ようとしたカームを、フィリスは呼び止めた。
「カーム、実は折り入って話があるの」
「なに?」
真剣な表情(に見せるために作っている)をするフィリスに、カームもまた向かい合う。
「ここでは話しづらい。昼食が終わって、午後の予鈴が鳴ったら、屋上に来てくれないかしら?」
屋上もまた昼食をとったり休憩するための場所として開放されているため、その時間の真っただ中にいっても生徒が大勢いる。
だが、予鈴が鳴れば生徒たちは午後の実技のために屋上を後にする。そうすれば、あとは誰もいなくなる。
「ソラに関することよ」
「――ッ!」
「相談に乗ってあげるから、まずは話しましょう」
「……分かったわ」
「それじゃあね」
立ち去ろうとすると、「フィリス」とカームに声をかけられた。
肩越しに振り返るフィリスに、
「ありがとう」
とカームはどこか控え目に呟くのだった。
「いいのよ」
まるで母性を感じさせる寛大な笑みを返し、教室を出るフィリス。
その表情は打って変わって、ちょっとした悪戯に成功したような意地悪な笑みになっているのだった。
※
昼食の買い出しの担当になったエラとレイ。
その間に、クリスはソラと一緒に東屋にいた。
外は曇天だが、雨は降っていない。
もう何度目、どころか回数にすれば二桁になっているソラの溜息に、クリスは今だ、と意気込んだ。
「ソラ」
「……なに? クリス」
「話したいことがあるの」
「話? 話ってなに?」
「こ、ここじゃ駄目。とっても……とっても大事な話なの。だから……」
わざと言いよどんで見せると、案の定、ソラは折れてくれた。
「分かったよ。それじゃあ、どこで話そうか」
内心で(ごめんなさい)と謝りながらも、クリスは話を進めた。
「えっとね、午後の実技が始まったら、屋上に来てほしいの」
「クリスは、実技どうするの?」
「え? あ、あのね、わ、私、今日は少し熱っぽくて、午後は休もうかなって」
「じゃあ、ボクとの話もやめた方が――」
「それは駄目。話自体はすぐ終わるから。終わったら、すぐに寮に戻るから。だから、お願い」
自分でも言ってることが無茶苦茶だと思った。
両手を合わせて、拝み倒すクリス。
これは風子に教えてもらったことだ。楓に育てられたソラならば、意味も分かるはずだと。
「わかったよ、クリス。そこまで言うなら、本当に大事なことだろうし」
「うん、ありがとう」
お互いに笑顔を向ける。
「でも、本当に手短にね。これが原因でクリスが倒れちゃったら、ボク、悲しくなっちゃうから」
そんなソラの言葉に、クリスは心のなかで何度も何度もソラに頭を下げて謝るのだった。




