第二話 嵐の前の静けさ(9)
一年生四人で夕食を終え、それぞれの寮棟前でソラとレイの二人と別れたところで、クリスは別行動を取ると言った。
「何か用事でもあるの? 付き合うわよ」
そう言ってくれるエラは、本当にいい子だと思いながらも、クリスは今回の件に関しては、ひとりで行こうと決めていた。
「ううん。ひとりで大丈夫だから。先に寝てて」
その言葉の意味を理解してくれたのか、エラは少しだけ考えるようなそぶりを見せ、クリスへと視線を向けてきた。
心配そうに見つめるエラに、クリスは微笑んで見せた。
「分かったわ。でも、寝ないで待ってるから」
その言葉の意味――危ないこともない。
しない。
ただ、本当に少し用事を済ませてくるだけなのだと、そう約束するための言葉。
「分かった。夜更かしは身体に悪いから、なるべく早く帰るね」
「ええ、いってらっしゃい」
そう言って、エラは寮棟へと入っていった。
一ヶ月前を機に、クリスはエラと常に行動を共にするようになっていた。
そこにソラとレイも加わり、四人でいる時間は楽しく、過去の辛かったことも少しずつ記憶から薄れていき、誰かが隣にいることが当たり前となっていた。
だけど、今はひとりだ。
しかし、孤独ではない。
(でも、風子さんは……)
クリスは、目をつむり、全神経を集中させ、体内に集めた地のエレメントを一気に大地へと放出したのだった。
※
悪寒とも違う、得体の知れないかすかな気配を感じた風子は、だが周辺に異変はなく、気のせいだろうと結論づけた。
熾した焚き火で暖を取り、木の幹に背中を預ける。
愛刀を抱きしめるように、すがるように……。
夏前で夜もそこまで冷え込むことはないはずなのに、今日はやたらと寒く感じる。
その原因は、フィリスの親切とカームの拒絶だ。
生まれてから十八年。
それまでずっと、母の椛と二人きりの生活だった。
町に行くこともあったが、それは生活に必要なものを買いに行くだけで、個人的な付き合いをする相手などひとりとしていなかった。
だから、自分に味方するものなどいないと思っていた。
ここに来てすぐカームとクリスと敵対してしまったときも、それが理由だ。
クリスは許してくれたが、カームは今でも自分のことを警戒している。
だが、フィリスは違った。
初対面の自分を、しかも自害しようとしていると勘違いし、自らの体を張って止めてくれた。
驚きで思考がうまく回らず、フィリスの勘違いと気づいたときのテレを隠すような笑い顔に、風子は初めて知ったのだ。
自分に対して、親身になってくれる人がいるということを。
だから、フィリスの好意につい甘えてしまった。
その結果が、自分を嫌っているカームを怒らせ、それが原因でフィリスとカームの関係も悪くしてしまった。
溜息が漏れ、気が付くと焚き火が小さくなっていた。
消してしまわぬように、集めておいた乾いた枝を放り投げようとしたそのとき、
「見つけました」
その声に、風子は一瞬で片膝立ちから抜刀の構えを取った。
「こんなところにいたんですね」
暗闇から現れ、焚き火の明かりによって照らされたのは、
「クリス殿……」
「はい」
呼ばれて返事をしたクリスは笑顔で、そして両手で大きな土鍋を掴んでいた。
「焚き火をしていたんですね。ちょうどよかったです」
そう言って、クリスが対面に腰を下ろす。
ここに来た理由も何も言わず、クリスはただせっせと何かをし始めていた。
クリスの体から、ほんのわずかだが微弱な黄のオーラが出ると、焚き火の周りから三つの砂が小さな柱となって盛り上がった。
そして、クリスが手に持っていた土鍋を焚き火の真上へと移動させると、砂の柱がそれを支えるように、土鍋の底へとぴたりとくっついたのだ。
「これでよし」
クリスが手を離しても、砂の柱に支えられた土鍋はそのままで、真下の焚き火によって温められていた。
「それで、クリス殿はどうしてここへ? いや、それ以前にどうして私の場所が分かったのですか」
この場所は誰にも教えていない。
フィリスは知っているが、例え教えられたとしても、こんな夜の森林地帯を歩いて正確な場所など把握できるはずもない。
「私は地使いだから。大地に訊いたの」
「きく?」
「うん」
思い切り眉を寄せる風子に、クリスは笑みで返した。
「ほら、風使いの人も、よく嫌な風が吹くとか、風が教えてくれるとか、そういう風に感じることができるって聞いたことがある。それと同じこと、かな?」
「なるほど……」
そう言われてみれば、風子が楓の居場所を突き止めたのも、島国を出て旅をし、ある場所で楓を感じたからだ。
その風が吹く方へ歩き、雪を頂く山々を越え、そして辿り着いたのだ。
それと同じことを目の前のクリスがしたというのなら、それは相当な実力の持ち主だ。
「それで、ここに来た目的は……そろそろかな……これです」
クリスが土鍋の蓋を掴み、そっと開ける。
途端に湯気がぶわっと吹き出し、二人の視界を白く染めた。
「いい感じです」
土鍋を覗き込むクリスが、思わずといった風に笑顔になる。
それに釣られ、風子も土鍋を覗き込むと、そこに入っていたのは、
「雑炊か?」
「そう、それ。ゾースイ……って言うですよね。島国の料理って聞いて……」
「うむ」
「はい、これも預かってきたから」
そう言ってクリスが手渡してきたのは、土鍋と同じ焼き物のレンゲだった。
「スプーンとも違うけど、面白い形ですね」
「これはレンゲと言って、スプーンと違って、こう言った雑炊や焼き飯などと言った米料理や、スープに入った具を一緒に取るためのものだ」
「そっかぁ、確かにスプーンだと小さくて浅いですからね。さっ、遠慮せずに食べてください。風子さんのための夕食ですから」
「む、そうなのか?」
「うん。だって、まともな食事をとってないんですよね。それじゃあ、ソラとの決闘に支障が出てしまいます。どんなに強くても、体が弱っては力が出せません。だから、遠慮なく食べてください」
それでも風子は手が出せなかった。
どうしてこんなことをしてくれるのかが分からないからだ。
クリスから敵意は感じない。
それでも、得体の知れない何かを感じてしまう。
「これ、食堂の人に無理を言って作ってもらったんです」
クリスが風子からレンゲを取ると、雑炊に突っ込み、少しぎこちない手つきで掬い上げる。
そして、「ふーふー」と息を吹きかけ、自分の口に入れるのかと思いきや、
「はい、どうぞ」
風子に向けて差し出してきたのだ。
「いや、そんな風にしていただかなくとも自分で……」
「はい、あ~ん」
膝立ちして、口の前まで近づけてくるクリスに、風子はさすがにこれ以上の抵抗は無駄だと判断し、口を開けた。
レンゲに口に含むと、クリスがゆっくりとレンゲを抜いていく。
残った雑炊が口の中に広がり、その味を体全体に染み渡らせた。
「んっ……うまい」
「本当ですか? よかったです。遠慮せずに全部食べてくださいね」
自分のことのように喜ぶクリス。
レンゲを返された風子もいつの間にか表情を和らげていた。
「うむ、ありがとう。では、お言葉に甘えて」
今度は自分で雑炊を掬い、口に含む。
美味しくて、温かくて、でも、それ以上に誰かが傍にいてくれることが……堪らなく嬉しかった。
そう思ってクリスを見やると、彼女はレンゲの動きを目で追っていた。
そして、本人は無意識なのだろうが、とても物欲しそうにしていた。
だから、風子はお礼も兼ねて、「ふーふー」をした後、クリスへとレンゲを伸ばしたのだ。
「え、私はいいですよ。夕食も食べましたし」
「はい、あーん、なのだ」
意趣返しのつもりではないが、自分がやったことをやられる恥ずかしさに、クリスは顔を赤くしながらも、やはり食べてみたかったのか、口を小さく開けて、レンゲを迎え入れた。
あまりに小さく開けるものだから、少しこじ開ける必要があったが……。
「どうだ?」
「うん、すごく美味しい。こんな料理もあるんだね。今度、みんなで食べようか」
「そうですね」
クリスのその笑顔と言葉がほほえましく、風子は笑んだ。
そうして土鍋を空にすると、風子は「乾いてしまうと汚れがとれなくなってしまいますので、湖で洗ってきます」と言って土鍋を手に取ると、「私も行くよ」とクリスも立ち上がった。
そうして二人で湖に向かい、水辺で土鍋を水につけ、水気があって柔らかいうちに、土鍋の内側を手でこそぎ落とした。
「どうして私なんかに食事を持ってきてくれたのだ?」
「え……っとね、食事に不自由してると思ったのもある。だけど、本当は、風子さんが寂しそうに見えたから、かな」
「私が……寂しい……」
土鍋を水につけたまま、その手が止まる。
「勘違いだったらごめんね。余計なお世話で」
「そうですね。あなたもフィリス殿も、お節介です。お人好しです」
「うっ」
クリスが、どこか大げさに自分の胸に手を当てる素振りをする。
「だが――」
クリスの方へ顔を向けると、彼女もまた顔を向け、お互いに向かい合った。
「嬉しかったのだ」
「――っ! うん!」
その後、クリスには自分の寮部屋に来るように誘われたが、そこまでは甘えられないと、風子は断った。
それでも、と粘るクリスに、夜はいつも外で修行を行っていたため、どちらにしても野営をしていた方が何かと都合がいいのだと、半分嘘を織り交ぜて。
それで納得はいかないながらも、風子のやることを理解してくれたクリスが、明日も持ってきますね、と言って、夜の森へと消えていった。
迷わないか心配だったが、その気遣いは、地使いには不要らしい。
ひとりになった風子は、焚き火を前に正座をし、刀を膝頭の前に置いた。
そして、焚き火の向こう――まるで底なしを思わせる、闇。
その闇をじっと見やり、心を平坦に、波のない海――凪のように、心を落ち着かせる。
今日一日のことを思い出し、それらすべてを踏まえたうえで、心を静めるのだ。
そうして、一日の終わりとする。
それは、悪い気持ちを明日に引きずらないようにするためと、心を負を抱えたままでは良質な睡眠がとれず、次の日に疲れを残してしまうから。
(……ん?)
風子は、その闇に何かを感じた。
琴線に触れたように、何かが伝わってきたのだ。
だが、今は心を凪いでいるため、『静』に徹する。
そうしているうちに、その気配は消え、何かがいるような、それでいて見られているような感覚も消えた。
それすらも、明日にはもっていかないように、風子は心から追い出し、瞑想を終えた風子は、焚き火に枝を投げ入れ、それから旅で使っていたボロボロの外套をまとい、体を丸くして眠るのだった。




