57.神器持ち逃げ作戦
私が気付いたことに、男が気付くのは時間を必要としなかった。
にっこり笑顔で短剣を突きつけてくる男に、私は溜息と共に降参を示す。
実際、こんな神秘的なまでに美しかろうと、剣一本。
おまけに本来の力を引き出し、使いこなせるのは真の意味では夜の神のみ。
実用的な刃の輝きを見るに、十分使える品なんだろうけれど…
戦闘訓練を受けた訳でもなく、剣技の資質もない私には、到底扱えないモノで。
むしろ、振ったら反動で私の身体まで引き摺られて、よろよろするだけ。
それが分かるほど、大きくて立派な剣。
そんなものを持っていたところで、抵抗などできるはずもなく。
むしろ、重いし嵩張るし目立つしで、逃亡するにしても足枷にしかならない。
しかし、それが魔族にとって最重要に必要な品。
手放すことができない故に、敢えて枷を身に抱える不毛さ。
また機会を狙って取り戻せばいいと、そうは割り切れない私。
特に今まで、この神器を得る為に苦労して無駄にした時間をよく知っているだけに。
そんな訳で、私は男の求めに応じるまま、どことも知れない建物の一室に通された。
ちなみに神器は抱えたまま。
取り上げられるモノと思っていた私は拍子抜けだし、男も忌々しげな顔をしていた。
だけど実際に、これに触れるのは現時点、此処では私だけ。
私が手を離せば、移動さえさせられない。
おまけに私は神器のお陰で自由意思の片鱗を取り戻している。
手放す訳がない。
男も私が剣を振り回す技量など持たないことを承知しているらしく、最終的には渋々私が件を持ち歩くことを認めていた。むしろその方が神秘的に見えて有効か…と、呟いていた言葉に不穏な響きを感じるが、現状で追求しても何にもならない。無視しておこう。
「それで、これから一体どうするつもりなんですか」
険しい顔で、私は男を睨み付ける。
男は私の剣呑な視線に、くすりと小さく笑った。
「そうですね。貴女も御自分の今後は気になるでしょう」
「…それよりも、自分がどんな思惑に巻き込まれようとしているのか」
「ああ、確かにそれは気になるでしょうね。でも、教えてあげる気はありませんよ?」
『人間』に富を、豊穣をもたらすはずの神器。
それを安置されていた場所から奪いさる行為。
神器によって豊穣を約束され、豊かな穀倉地となっている此処から神器を引き離せば、これまで通りの収穫は見込めなくなるだろう。きっと、格段に収穫量が落ちてしまう筈。
以前調べた資料が確かなら、この地の収穫は『人間』に大きな影響を持つ。
この地の収穫が落ちることは、『人間』にとっては死活問題だ。
元より奪還しようとしている私達の言葉ではないが、『人間』には大きな不利益だろう。
それを成すことに、一体どんな思惑があるのか…
この男は『人間』の筈なのに、何がしたいのだろう?
既に『人間』とは思えないが、装っているからには、そう行動するものではないだろうか。
不気味すぎる男の思惑が読めなくて、私は自分の取るべき行動も定められない。
「神器をどうするつもりか、知りませんが。悪用させる気はありません」
「その気がなくても、貴女は私に逆らえないでしょう」
「…業腹ですが」
「ふふ。その忌まわしげな顔、とても愉快です」
「同族に対して不利益となることも、平気なんですね」
「同族への、不利益? 何のことです」
本気で分からないのか、男が首を傾げている。
この男は、頭が悪いと言うこともないだろうに…そんなことも、思い至らないと?
「神器を移動させる為に、私が必要だったんですよね?」
「ええ。その通りですが?」
「それは…この地から、という訳じゃ」
「ええ、それはその通り。貴女方『解放軍』の勢いも此方に迫る勢いですからね…早晩、此処も落とされるだろうと踏んでいますよ? だからこそ、貴女が必要になったんです」
え?
その為…に?
え。此処が私達に奪還される前に…神器、持ち逃げ作戦?
私の顔が、盛大に引きつった。




