58.巫子に非ず
呆然と男を見つめる私。
そんな私の前で、男は悠然と足を組んで笑んでいる。
悪びれたところは一切無く、ゆるりとお茶を飲む。
その余裕ぶった顔が、何だかイラッとくる。
「まあ、貴女に教える義理はありませんが…ほんの少し、触り程度は教えてあげましょう」
男がそう言って、意味ありげな視線で神器を凝視している。
「此処を奪還されても、その剣さえあれば確かな収穫が見込めます。そう、別にこの場所に拘る必要などないのですよ。他の土地でも、その剣を持ち込めば…忌まわしいことですが、穀物神様の加護の光が、勝手に引き寄せられてくることでしょう。本当に、忌まわしいことですが」
二回も繰り返して忌まわしいと告げる声には、本気の苛立ちが潜んでいる。
「この場所は、確固たる実績として豊穣の地と認められていますが、本国とは遠く隔てられた飛び地の様な場所です。所詮は、植民地。この様な場所に、重要な道具を放置していて良いことはありません。防備の面でも、考えずとも分かりますよね。もっと万全な備えを有する場に移すべきだと」
そんなことをされたら、私達魔族としては堪ったモノではないのですが。
私の顔が更に引きつり、男は嬉しそうに笑む。
「ああ、その顔。とても好いです。遙か天の高みにいる、あの夜の神も貴女と同じ表情をしているのではないかと思うと…ふふふ。背中がぞくぞくする程の歓喜が」
「へ、変態…!」
「私は変態じゃありません!!」
恍惚とした顔で夜の神への嫌悪を語る男の顔に、私は本気で戦慄していた。
物凄く変態っぽいと評したのは、感じた恐怖を誤魔化す為。
私に直接向けられた訳ではない、夜の神への憎悪。
男に買い取られてから度々感じるソレに、私は並々ならぬモノを…
妄執とも思える執念と、おぞましいまでの殺意を感じとっていた。
直接、夜の神に何かされたのではないかと、思わせる程の。
「私は、夜の神への嫌がらせに余念がないだけです!」
「胸を張って言われても、創造主への悪感情にどう反応すべきか分からないんだけど…」
ああ、この男の憎悪は本物だ。
見られるだけで、身の危険を感じる程に。
「何の為に、神器を移動させようと言うの…」
発言内容を吟味すれば、確かに意味合いの上では『人間』の為に神器を保護しようとしている様に感じる。だけど片鱗だけでも言動の節々に滲んでしまう、夜の神への憎悪。彼の感情を読み取るままに感じるのは、彼の本来の目的は…夜の神への憎悪に寄るのではないかということ。
私には夜の神への嫌がらせの為だけに、魔族から神器を隔てようとしている風に見える。
男の真意は、一体どちらにあるのだろうか。
そして仄かにうっすらと感じる、穀物神への敬慕。
神々が地上を離れ、天上の国へと去ってから、既に千年以上の時が流れ過ぎている。
そんな時代に、直接接したことがあると思わなければ納得のできない程の、神への憎悪。
それに反して、惜しみない敬慕を捧げる、穀物神。
「貴方は…」
私の中に、一つの推測が芽を出し始めていた。
有り得ないとは思うけれど、絶対に無いとも言えない、そんな答え。
「貴方は、もしや穀物神の巫子じゃ…?」
「違いますよ?」
言葉にした私の疑問は、間髪入れずに速攻で否定された。
え、違うの?
てっきりそうだと思ったのに…当てが、外れてしまった。
「巫子ね…。物知らずな子供であれば、その勘違いも微笑ましいですが。巫女、あるいは巫子。そう呼ばれる者達が消えてから、どれ程の時間が経つか知っていますか?」
「827年」
問いかけに、頭に浮かんだ答えを即座に答えてしまう。
反射的に返してしまい、言った私と言われた男が黙り込んだ。
「「………」」
「…知ってるんじゃないですか」
「知って、いまたしたが。何か…?」
「知っている癖に、物知らずな素振りなど見せないでほしいものです。腹立たしい」
私は別に知らないとは言っていないのに、理不尽だ。
これでも此方は神器を取り戻そうと、必死になっていた側。
少しでも情報を得る為、神話関係やそれに類する情報資料を収集するのは当然だろう。
私だって、勉強嫌いなアイツが文献の調査を丸投げするから、代わりに沢山勉強した。
後で私が勉強する必要はなかったと気付いたが、その時にはうっかり詳しくなっていた。
1327年前、神々は創り上げた大陸を、自分達の民に任せて天へと帰った。
その後、意向を伝える為に巫子を置いていたが、それも500年後まで。
後は手を離しても大丈夫だろうと、神々は自分達の民を信じて自立を促した。
…その途端に、これなんだけど。
神々の意思を伝える巫子の介入が消えた途端に、強欲な『人間』達が突っ走り始めた。
結果として大陸は大いに乱れ、騒乱の種は撒き散らされ、現状として争っている。
こんな未熟としか言い様のない醜態を、晒してしまった訳なのだけど…
神々が矮小な民を信じて手を離すのは、やっぱり大分早すぎたのではないだろうか。
大陸のこの有様を見るに、私にはそう思えて仕方がない。
だからこそ、私達の無様さを見かねた神々が巫子を復活させても仕方ない。
むしろ、有り得ると思っていたのだけど…
男の反応を見るに、私の予想は大いに外れていたらしい。
予想を外して落胆する私に、男は苦笑気味だ。
その瞳に滲む嘲りさえ無ければ、案じる様な仕草にも見える。
「考え方としては、分からないでもないですよ。むしろ、答えには遠いのですが…拾い括りとして見るのならば、近いと言えないこともない様な…」
「どっちですか」
「どちらと言うまでもなく、私は巫子ではありませんよ。そもそも、性別から違いますし」
「ああ、確かに。巫子は、主たる神とは逆の性別から選ばれるんでしたか」
穀物神は、男の神だ。
その巫子だというのなら、確かにそれは『巫女』。
穀物神に使える巫子であれば、女の筈だけど…目の前にいるのは、男以外の何でもない。
「まあ、どちらにしても。私は違いますけどね」
でも、それじゃ一体、この男は何だというのか。
てっきりそうだと思ったどころか、それ以外の可能性も浮かばない。
それくらい、この男はあからさまに只の『ヒト』ではないのに。
男の正体が知れないからこそ、その思惑を計るのは難しい。
私の頭はぐるぐると思い悩み、深みにはまる。
その奧の奧で、光明を探そうと。
私の意識の奥底に、答えなどある筈もないというのに。
だけど深い深い、意識の底で。
私の頭のぼやけた所で。
心の奥の、光閉ざされたところで。
声が、聞こえた。
私の疑問に答えを告げる、微かな声。
幼げで、儚げな。
実体を持たない微かな響き。
それは音の響きを持たない声。
実際の音としての形を持たない、幻の様な。
実体として聞くことができない。
実体として見ることができない。
そんな、朧気で掴むことのできないモノ。
柔らかな暖かさ。
幼気で、高い響きをしていると思う。
だけど実際の声ではない。
ただ、頭の中に響くだけ。
意識の奥底で私に共鳴し、響くモノがある。
その響き合い、折り重なって声となる輝きが。
私の心の奥底で、『声』となって形を成した。
それはずっと、私と共にある小さな存在が成した声だった。
--『ねえ、聞こえる?』
私以外に聞くことのできない声と共に、温かさを感じる。
仄かな熱は、私の右手首から来た。
私が秘かにあるモノを隠す、右の手首から。
「え…」
思わず視線をやった先には、私の白い手首。
その、内側に。
皮膚の下から私の皮を押し上げて、硬いモノの形に添った膨らみ。
小さな小さな、私の指先ほどの大きさの。
硬く確かな感触が、皮膚の下にある。
私が『奴隷』として買い取られた時、私が咄嗟に隠したモノ。
妖精のおばさんから預かった、未だ生まれない妖精の子供。
植物の種という形状のそれを隠すに、私は適した隠し場所を持たなかった。
身一つで買い上げられ、衣装も同じ物を着続けられるとは思えなかった。
だから私は、自分の中に種を隠すことにしたのだ。
皮膚を切り裂き、私は咄嗟に肉の割れ目へ種をねじ込んでいた。
治癒術が得意な私なら、それでも傷を閉ざして種を隠すことができる。
種を取り込んで吸収しない様に工夫するのに骨を折ったが、成果はあった。
今も妖精の子供は死ぬことなく、私の皮膚の下に隠されている。
その、妖精の子供が。
未だ自我も定まらず、深い眠りの揺りかごで包まれている筈の。
いや、魂さえも定着せず、どのような子供として生まれるかも分からぬ種が。
生まれてすらいない現状、意識などないはずなのに。
そこに確かな温かさと、意識を持って。
妖精の種が、声とならぬ声で私に話しかけてきていた。




