56.男の誤算、少女の誤算
いろいろ盲点だった。
むしろ、うっかりしていた?
「「あ。」」
『人間』に奪われた地に取り残された、魔族の『神器』。神の恩寵。
神器との繋がりが強制的に途切れてしまい、弱体化した魔族。
逆に神器を有する土地を手に入れ、副産物として豊穣の恩恵を受けた『人間』。
魔族にとっては、何が何でも取り戻したい、神器…。
何がどうあっても、取り戻されたくはない、『人間』。
そして神器にある土地に魔族が入り込まない様、『人間』は厳しく規制する様になった。
…なった、訳だけど。
どういった思惑があるのか、一見魔族には見えないという屈辱的な私の特徴を利用しようとした男が居た訳で。何を企んでいるのかは知らないが、その男が『神器』を動かす為に必要としたのが私だった訳で。そんな男の言いなりに素直に従う私ではないわけで。
正体不明の得体が知れない男は、私の本名を暴き、素性を暴き。
その上、更に謎の手段でもって私の身体を操って、望む行動を取らせた。
即ち、私の手は私の意思とは裏腹に神器へと伸びていき…
そして、私にとっても男にとっても想定外の出来事が起きる。
もう一度繰り返すが、魔族は神器を失った為に弱体化した。
肉体の強度は落ち、寿命も縮み、青年期は短くなり、各種能力も低下した。
それも全て、神器を失ったことに起因している。
それ即ち、それらの問題は全て神器を奪還さえすれば元に戻るということで…
混乱している頭で、要は何が言いたいのかと言うと…
--いま、この状況の奇異さを。
私は何よりも語りたい。
本末転倒。浅慮の結果。忘却の代償。
それよりなにより、それらの招いた全ての優位性を、一瞬で台無しにする私の能力の無さ。
ええ、所詮は私は治癒術特化。
攻撃能力は皆無で、特殊技能も高性能な身体能力(運動神経は魔族の平均)も持っていない。
つまり、何を置いても独力での脱走や反抗ができる人種ではない。
だというのに、今更、得体の知れない敵の目の前で自由にされても…
どうすればいいのか、どう反応すればいいのか。
それが分からずに、私も男も互いに口を開いて固まっていた。
その視線が、台座から持ち上げられた神器に固定されていたのは無理からぬコトだろう。
私も男も、二人とも、この神器に心底驚かされていたのだから。
そう、私は自由になっていた。
驚くべきことに。
私の身体の自由は完璧に奪われ、男の眼光を前に意思も心の奥に封じられていた。
不満を持っても口には出来ず、怒りを感じても拳一つ動かせない。
今や男の自在に動かされる操り人形と化していた筈なのに。
なのに、今のこの状況。
こんな立場で、一体私にどうしろと…?
時は遡り、5分前。
そう、それはほんの5分前という些細な過去の話。
私は自分の意思と関わりなく身体を動かされ、神器に触れた時のこと。
内心で女の意思を封じて好きにするなんて最低と男を罵りながら、胸の痛みを感じていた。
同胞の切望する種の宝、神器。
それを悪用するかも知れない、何か企んだ男の自由にさせようとしている状況。
碌に逆らうこともできず、従わざるを得ない自分の境遇。
それら全てに絶望できていたのは、私の指がしっかりと神器に巻き付き、握るまでのこと。
私が神のもたらした剣を、持ち上げた瞬間、それは起きた。
「「え!?」」
不本意ながら、私と男の声が重なる。
それも仕方ないと思うくらい、不思議な光景。
私が手で触れたところから、淡く月の光が溢れ出したのだから。
神器に灯る、真昼の月光。
白く、銀色に。
黄色く、金色に。
ゆらゆらと揺れながら溢れる淡い光は、只の光の筈なのに、見ただけで月光と重なる。
ああ、夜と月の神の加護が、目に見える光となって立ち上っている。
光は薄く広がる薄衣の様な柔らかさで、月の光とは思えないほどの暖かさで。
ふわりと私の両手を包み込み、そこから私の身体へと伸びてくる。
やがて間をおかず、私の全身は月の光に包まれた。
今まで魔族に供給されるはずで、大部分は供給できず、神器の中に溜め込まれていた。
多分、そういうこと。
そこに本来であれば加護の力を与えるべき対象…魔族の一人が近付き、接触。
都合の良いことに、その魔族は…私は、生来与えられる筈だった加護が強い。
今までは神器との繋がりが薄かった為、加護も本来の威力を有していなかったけれど。
他の魔族より強い加護の光を受け取ることのできる受け皿を、この身に持っていて。
今まで殆ど空っぽ状態だった、加護の受け皿。
それを一気に満たす勢いで、私の身体に急激に加護の光が流れ込んできた。
それこそ、私のみに残る呪縛も束縛も、あらゆる痕跡を掻き消す勢いで。
そう、呪縛も束縛も、完璧奇麗に消し去ってしまう…そんな、勢いで。
そして私は、思いがけない状況の中、いきなり自由になってしまった。
間抜けな話ではあるのだけれど…私も男も、頭の中からすっかり抜け落ちていたのだ。
神器がないから、弱い魔族。
だけど神器をひとたび手にすれば、神のご加護で飛躍的に全能力が上がる。
それが神器に触れる様な、上位の魔族であれば尚更。
最早、相手が神でもなければ、呪術的精神支配も肉体的な影響も受けることはない。
その位、神器に触ることのできる魔族の加護は、本来ならば強いのだと言うこと。
神器を得る為に私という『駒』を手に入れた男だったけれど…
目的を達成しようとすれば、『駒』を自由に支配できなくなる。
そんな盲点に、何故か私も男も頭が回っていなかった。
…当たり前のこと過ぎて、意識していなかったせいもあるとは思うけど。
何故忘れていたのか。
そう疑問に思うくらい、当たり前のことだったはずなのに。
それに今まで思い至らなかったという事実に、私は無性に虚しくなる。
自由になった戸惑いから見つめてしまった男の顔も、どことなく唖然としていて。
私は途方に暮れながら、虚しさが強まるのを感じる。
でも、手に握った神器は離せない。
この剣が、私の縋ることができる、唯一の命綱にも感じられて。
でも一番虚しいのは、やはり自分の能力面。
幾ら能力が上乗せされ底上げされ、加護によって強力となっても。
私は本当の意味で、自由になった訳じゃない。
それも攻撃魔法を使えてからの、お話に感じられたから。
何度も言うが、所詮私は治癒術特化。
攻撃に長けた訳でもなく、独力での脱出など無謀もいいところで。
確かに私は一気に強まった加護のお陰で、男の呪縛から抜け出した。
これからも精神支配と肉体支配の術とは関わりなく居られそうではある。
だけど、それは術方面での問題が解決しただけ。
私は依然、籠の鳥。
いくら魔術の類で支配される可能性が無くなったとは言っても…
それで脅迫と暴力を防げるという訳では、ない。
このまま恐喝や暴力で押さえつけにかかられたら、抵抗する力のない私は一溜まりもなく。
結局私は、身の安全の為には男の意向にある程度は従わなくてはならない。
それが分かっているだけに、私の虚しさはいよいよ募る様だった。
ただ、自分の全能力が上昇する中で、只でさえ特化型だった私の特質も進化する。
何度も繰り返すが、私は治癒術特化。
威力の上がった治癒術を、まだ試した訳ではないけれど…
身体の中に感じる感触的には、凄いことになっていそうで。
今なら、死の淵に貧した危篤状態の老人だろうが、胴体切断で内臓を失った子供だろうが。
誰であろうと、どんな症状であろうと。
死んでさえいないのならば、問答無用で何者であろうと癒せる様な…
そんな、不思議な確信が、胸の中に満ちていた。




