第25話:ごめんなさい
昼を過ぎた頃、玲たちは壊滅した村へたどり着いた。
村を囲っていた柵は半分ほど倒れ、入口には荷車が横転している。荷台からこぼれた荷物は道に散乱したままになっており、片方の車輪だけが不自然な方向へ折れ曲がっていた。
人の声はない。風が吹くたび、どこかの家で開きっぱなしになった扉が軋む。その音だけが静まり返った村の中に妙に大きく響いていた。
玲は入口で足を止め、鼻を動かした。
「……悪魔の匂いがする」
美月と椎名がすぐに武器へ手を掛ける。
「でも薄い。今ここにはいないと思う」
血の匂いは村中から漂っていた。それに混じって悪魔特有の匂いも残っているが、どれも古い。少なくとも近くに潜んでいる気配は感じなかった。
美月が周囲を確認してから先へ進む。
玲たちは互いの姿が見える程度に距離を取りながら村へ入った。かぐやも玲の少し前を歩き、ときおり鼻を地面へ近づけている。
道の両側には、昨日まで人が暮らしていたはずの家々が並んでいた。壁に大きな穴が開いた家。血のついた扉。窓枠ごと何かに破壊された家。そこには生活の跡だけが残されていた。
玲は道端に倒れた男の前でしゃがんだ。胸には深い傷があり、すでに息はない。その傍らには片腕の折れた小さな木彫りの人形が転がっていた。
「子どものかな」
玲がそれを拾い上げる。近くには小さな靴も片方だけ落ちていた。だが、持ち主の姿はない。
玲は人形を元の場所へ戻し、立ち上がった。
村の中央にある広場はさらに酷い有様だった。
井戸の石組みは崩れ、地面にはいくつもの深い傷が走っている。周囲の壁には刃物で斬ったような跡と、黒く変色した血が残されていた。
「騎士も戦ってたみたい」
美月が壁の傷を確認する。悪魔も一方的に人間を殺したわけではないらしい。
それでも、玲には別のことが気になった。
「……少なくないか?」
「何が?」
「死んでる人」
百人ほどいた村で、助かったのは十人にも満たない。
しかし、ここまでに見つけた遺体も二十人ほどしかいなかった。家の中をすべて確認したわけではないにしても、明らかに数が合わない。
美月も村の北へ目を向けた。
「連れていかれた可能性もある」
その方向には森へと続く道が延びている。
村の外れまで来たところで、一軒だけ周囲から離れた家を見つけた。外から見ればほとんど壊れていない。
だが、玲が近づくにつれて血の匂いが濃くなった。
美月が扉を開くと、室内には食器も家具もそのまま残っていた。床には倒れている若い女。
「……死んでる」
椎名が屈み込む。
すでに息はない。けれど、身体には命を奪うほどの大きな傷は見当たらなかった。
女の手には、小さな首飾りが強く握られていた。開いてみると中には三人の姿が描かれている。
若い男女。そして、その間で笑う幼い少女。
「家族か」
玲は絵と倒れている女を見比べる。間違いなく同じ人物だった。けれど夫と娘の姿はどこにもない。
ふと、美月が壁際で足を止めた。
「これ」
木の壁に乱れた文字が刻まれている。
『ごめんなさい』と、たったそれだけだった。
玲が女の手を見る。爪の間には細かな木屑が残っていた。おそらく彼女自身が刻んだのだろう。
何に対する『ごめんなさい』だったのか。
玲には分からなかった。
「——外に誰かおる」
かぐやの声に全員が振り返った。家を飛び出すと、森の手前で人影が動いた。
「待て!」
玲が追う。
逃げたのは悪魔ではなかった。
先ほどの絵とは違う、若い男だった。服は泥と血に汚れ、片足を引きずっている。やがて木の根に足を取られその場へ倒れ込んだ。
「来るな!」
「大丈夫だ。何もしない」
玲は剣から手を離した。
遅れてきた美月が自分は騎士だと伝える。それを聞いて、男の警戒がほんの少し緩んだ。
「あの家の女の人、知ってるか?」
玲が特徴を伝えると、男の表情が強張った。
「……姉だ」
「一緒にいた男と女の子は?」
「夫と……娘」
玲たちは顔を見合わせた。
「何があった?」
美月が静かに尋ねる。
男はしばらく俯いていたが、やがて途切れ途切れに話し始めた。
悪魔が村へ入ってきたとき、男は姉一家と一緒に森へ逃げた。
その途中。
道の先に、一体の悪魔が立っていたという。
「他の奴とは違った」
「どんな悪魔?」
「遠くて分からなかった。でも……襲ってこなかった」
ただ、逃げる四人を見ていた。
姉の夫が娘を抱き、妻の手を引く姿を。
じっと。
やがて別の悪魔が現れ、夫は家族を逃がすために拾った斧で立ち向かった。
そこから男の記憶は曖昧だった。
「最初にいた悪魔が……笑ったんだ」
その直後。
姉は突然、夫へ襲いかかった。
「泣いてた。違うって何度も言ってた。それなのに……手が止まらなくて」
夫も同じだった。
愛していたはずの妻の首へ手を伸ばし、互いに傷つけ合った。
男は二人を止めようとした。
その間で娘が泣いていた。
「それで……あの子が二人の間に入った」
男はそこで言葉を失った。
騒ぎの中で娘は姿を消した。姉が正気に戻ったときには、夫も娘もいなくなっていたという。
「悪魔は?」
美月が尋ねる。
「……いなくなってた」
男は震える手を握りしめる。
「ずっと見てただけだ」
玲は森の奥へ目を向けた。
昨日会った男は、家族だけを忘れていた。
今日の女は、愛していたはずの夫と傷つけ合った。
そして、その両方に悪魔が関わっている。
「……家族」
玲が呟く。
「何?」
「家族がいる奴ばっかりだ」
何を意味しているのかまではまだ分からない。だが偶然と考えるには、あまりにも似ていた。
その後、玲たちは村を捜索しさらに三人の生存者を見つけた。それでも行方の分からない人間はあまりにも多い。
村の北端には、森へ続く無数の足跡が残っていた。
人間のもの。
悪魔のもの。
それらが入り混じりながら、同じ方向へ続いている。
「連れていかれたのかな」
椎名が森を見る。
「かもしれない」
玲もその先を見つめた。
本当なら、今すぐ追いたい。
だが背後には怪我をした生存者たちがいる。
「一回戻ろう」
玲の言葉に椎名が少し意外そうな顔をした。
「街まで連れてく。それからまた来る」
美月が頷く。
「その方がいい」
悪魔たちは北へ向かっている。
人間まで同じ方向へ消えている。
そして、その途中で。
家族を忘れ、愛していた者同士が傷つけ合っている。
これまで戦ってきた悪魔とは何かが違う。
その感覚だけは、少しずつ確信へ変わり始めていた。




