第23話:北へ集う
街へ戻った頃には、すでに日が暮れていた。
北門をくぐると昼間よりも人通りは少ない。悪魔が増えているという噂のせいか、日が落ちてから外を歩く者はほとんどいなかった。
宿の一階に併設されている小さな食堂。玲は料理が運ばれてくるなり勢いよく食べ始めた。向かいでは椎名と、足元ではかぐやが呆れた顔をしている。
美月はその隣に座っていた。
「それで?」
美月が尋ねる。
「悪魔はいた?」
「いなかった」
玲は肉を飲み込み、昼間の集落で起きていたことを話した。
殺された人間。
生き残っていた女性。
そして、夫の存在を忘れていたこと。
美月の手が止まった。
「魂を喰べられた?」
「たぶん。前の村と同じだった」
美月はしばらく黙っていた。
「……そう」
それだけだった。けれど、スプーンを持つ指が僅かに強く握られている。
「美月」
「何?」
玲は少し迷ってから、首を振った。
「なんでもねえ」
「そう」
美月もそれ以上は聞かなかった。椎名は二人を交互に見たが、何も言わずパンを千切った。
少しの沈黙。
やがて美月が口を開く。
「今日、騎士が戻ってきた」
「騎士?」
「別の組」
玲が食べる手を止める。
「北を調べてた?」
「うん」
美月は卓の上へ一枚の紙を置いた。簡単な地図だった。
街。
周辺の村。
街道。
そして、その北側。
いくつもの印が書き込まれている。
「これ、全部悪魔?」
「目撃された場所」
玲は地図へ顔を近づけた。これまで見てきたものより、明らかに数が多い。
「増えてるな」
「増えてる」
「全部北に向かってる?」
美月が地図の一点を指差した。
「この辺りから先は、もっと多い」
街道をさらに北へ進んだ場所。そこから先は、印が密集していた。
「騎士は何て?」
「しばらく北へ行くなって」
「じゃあ行くか」
「そう言うと思った」
椎名が呆れたように言う。
「ここまで増えてるなら絶対なんかあるだろ」
「あるでしょうね」
「だったら――」
「行くなとは言ってないわよ」
玲が椎名を見る。大きくため息を吐いた椎名は頬杖をついた。
「ただし明日は休む」
「え」
「私も美月も怪我人」
椎名は隣を指差す。
「私は動ける」
「それ禁止」
美月が椎名を見る。
「そう言って傷だらけになってるんでしょ」
「でも動けた」
「そういうところよ」
美月は少し考えている。
2人の様子に玲が笑った。
「美月、怒られてる」
「玲も休むのよ」
「なんで俺も!?」
「一人で行く気?」
玲は黙った。
「ほら」
椎名が勝ち誇ったように笑う。
「明日は休み」
「……分かったよ」
玲は渋々椅子へ背を預けた。
美月がその様子を見る。
「玲、言うこと聞くようになったね」
「俺だって前から聞いてたぞ」
「聞いておらんかったの」
足元からかぐやまで加わった。
「お前はどっちの味方なんだよ」
「正しい方じゃ」
椎名が吹き出した。
美月の口元も、ほんの僅かに緩んだ。
食事を終え、玲とかぐやが先に部屋へ戻ったあと。
椎名は食堂に残っていた。
「美月」
「何?」
「傷、見せて」
美月が椎名を見る。
「だいじょ——」
「それ禁止って言ったわよね」
「…………」
美月はしばらく椎名を見ていた。
やがて諦めたように外套を脱ぐ。左腕には包帯が巻かれている。
「これ、いつ替えた?」
「昼」
「薬は?」
「使った」
椎名が額を押さえる。
「ちょっと見せて」
美月は黙って従った。椎名が包帯を確認する。血は滲んでいないようだ。
「開いてはいないみたいね」
「だから大丈夫」
「そういう意味じゃないの」
椎名は包帯を戻すと、今度は美月が椎名を見つめる。
「椎名も」
「私はいいわよ」
「見せて」
「……律儀ね」
仕方なく椎名も腹の傷を確認させる。美月は包帯を見て、すぐに言った。
「少し血が出てる」
「え?」
「ここ」
指差された場所を見ると僅かに赤い。
「……本当だ」
「替えた方がいい」
「分かったわよ」
椎名が息を吐いた。
「椎名」
「何?」
「今日はありがとう」
椎名が瞬きをした。
「何が?」
「玲と行ってくれて」
「…………」
「一人だったら、たぶん無茶してた」
椎名は少し考える。
「それは否定できないわね」
「うん」
「本人の前で言いなさいよ」
「怒るから」
椎名が笑った。
美月もほんの少しだけ口元を緩める。
「でも」
椎名は椅子から立ち上がった。
「次はあんたも一緒に行くんでしょ?」
「うん」
「ならちゃんと治しなさいよ」
「椎名もね」
椎名は美月を見る。美月の表情はいつもとほとんど変わらなかった。
*
翌日、玲は朝から宿の窓辺にいた。
「暇だ」
「昨日休むと言ったばかりじゃろう」
「何もしないの暇だ」
かぐやは玲を無視して丸くなる。窓の外には、いつもと変わらない街並みが広がっていた。
人が歩き。
店が開き。
荷車が通る。
それだけを見れば、悪魔が増えていることなど忘れてしまいそうだった。
玲は右手を見る。黒い手袋の、その下にある紋章。
「…………」
ふと、視線を街の北へ向ける。
昨日見た地図は北へ行くほど印が増えていた。そのさらに先に何があるのかは分からない。それでも、悪魔たちはそちらへ向かっている。
「玲」
扉の前に立っていたのは美月だった。
「来て」
「どこに?」
「騎士のところ」
玲が眉を寄せる。
「なんで?」
「北から人が来た」
美月の声はいつもと変わらない。けれど、その手には一枚の紙が握られていた。
「村が一つ、なくなった」
玲の表情が変わる。
「悪魔に?」
美月が頷いたのを見て、玲は立ち上がった。持っていた紙を受け取ると、そこには村の名前と簡単な報告だけが記されていた。
生存者。
数名。
死者。
不明。
そして、その下で玲の視線が止まる。
村を襲った悪魔は一体ではない。確認されただけで、十数体。
「…………」
玲は再び窓の外を見る。
北。
昨日よりもずっと遠く感じるその先へ、悪魔たちは集まり続けていた。




