第19話:椎名と美月
玲たちはリュネへ向けて街を出た。
昨日保護した商人は無事に治療を受け、命に別状はないらしい。出発前に礼として僅かな金を渡されたが、そのほとんどは食料と旅に必要なものへ消えた。
もっとも、椎名は最後まで使うことを渋っていた。
「三割くらい残してもよかったと思うのよ」
「飯なくなるだろ」
「二日くらいなら我慢できるでしょ」
「できねえ」
先頭を歩く玲の背には、食料を詰め込んだ袋が揺れている。
その少し後ろを美月が歩いていた。
昨日開いた左腕の傷には新しい包帯が巻かれている。今朝も荷物を持とうとしたが、玲に取り上げられた。
そのせいか、どことなく手持ち無沙汰に見える。
「美月」
椎名が隣へ並んだ。
「何?」
「傷、本当に平気?」
「うん」
「痛い?」
「痛い」
椎名は横目で美月を見る。
「それ、平気って言わないと思うけど」
「玲にも言われた」
「でしょうね」
前を歩いていた玲が振り返った。
「ほら!」
「聞いてたの?」
「聞こえた」
「前向いて歩きなさい」
玲は何か言い返そうとしたが、木の根に躓きかけて黙った。
椎名が小さく笑う。
美月も玲の背中を見ていた。
「前より少し変わった」
「玲?」
「うん」
「どこが?」
「転びそうになっても転ばなかった」
「そこ?」
椎名は思わず美月を見る。
美月は真顔だった。
冗談なのか本気なのか分からない。
少しして、椎名は吹き出した。
「何?」
「いや。美月って思ってたより面白いのね」
身の覚えのない美月が首を傾げると、その様子に椎名はまた笑った。
昼過ぎ。一行は川沿いで休憩を取ることにした。
玲とかぐやは水を汲みに行き、美月は近くの岩へ腰を下ろしている。椎名は木陰に座り、残りの食料を確認していた。
袋の中から一つずつ取り出し、残りの日数と照らし合わせていく。
「玲に持たせると全部食べそう」
「食べると思う」
少し離れたところから美月が答えた。
「やっぱり?」
「昔からよく食べてた」
「へえ」
椎名は袋を閉じる。
「昔からあんな感じ?」
「うん」
「うるさくて?」
「うん」
「人の話聞かなくて?」
「うん」
「いいところないじゃない」
美月は少し考えた。
「……あるよ」
椎名が顔を上げる。
「例えば?」
「困ってる人を放っておかない」
「それで毎回自分も困ってるけどね」
「そうだね」
美月があっさり肯定する。椎名はまた笑った。
最初に会ったときは、もっと話しづらい人間だと思っていた。無口で、表情もほとんど変わらない。何を考えているのか分からない。けれど、話しかければ普通に答える。少し変わってはいるが、嫌な感じはしなかった。
「そういう椎名は?」
「何が?」
「玲と仲いいの?」
「は?」
椎名の顔が露骨に歪んだ。
「どこを見たらそうなるのよ」
「ずっと一緒にいるから」
「たまたまよ。依頼先が一緒だっただけ」
「今も?」
「今は……」
椎名が言葉に詰まる。
いつの間にか、一緒に上級悪魔を探すことになっている。
しかも報酬の話すらまともに決まっていない。
「……なんで私ついてきてるんだろ」
「知らない」
二人の間に短い沈黙が落ちたが、それは決して気まずいものではなかった。
川の流れる音を聞きながら、椎名は何気なく美月の横顔を見る。
整った顔立ち。
長い黒髪。
感情の薄い瞳。
「美月って結構綺麗よね」
美月が椎名を見る。
「そう?」
「うん。かなり」
「ありがとう」
それだけだった。
「……照れないの?」
「なんで?」
「褒められたから」
「椎名は可愛いね」
「え」
今度は椎名が止まった。
美月は特に何も考えていないような顔をしている。
「…………」
「どうしたの?」
「いや」
椎名は顔を逸らした。
「急に返されるとは思わなかっただけ」
「照れてる?」
「照れてないから」
「分かった」
「絶対分かってないでしょ」
ちょうどそこへ玲とかぐやが戻ってきた。
「何の話?」
「何でもない!」
玲は首を傾げたが、すぐに興味を失った。
*
あたりはすっかり暗くなっていた。
街道から少し離れた森の中で野営の準備を始める。
玲が薪を集め火をおこし、椎名が食事の準備をする。
かぐやは周囲を見回っていた。
美月はというと。
「何してんの?」
椎名が尋ねる。
「見張り」
「まだ早いわよ」
「先にやっておけばいい」
美月は木の近くに立ったまま、森の奥を見ている。
「座れば?」
「大丈夫」
またそれだった。
椎名は鍋を火にかけると、美月のところまで歩いていった。
「交代でやればいいでしょ」
「三人とも疲れてる」
「美月も疲れてるでしょ」
「慣れてるから」
椎名は美月の腕を見た。
薄っすらと包帯に滲む血が痛々しい。
「じゃあ私が見張る」
「椎名は怪我してる」
「美月もね」
「私は動ける」
「私も動ける」
その言葉に、美月は一瞬言葉を詰まらせる。
「……でも私の方が強い」
「それ関係ある?」
「悪魔が来たら倒せる」
「みんなを起こせばいいでしょ」
「その間に――」
「美月」
椎名が遮った。
「一人でやるのが好きなの?」
美月が黙った。
「好き?」
「……分からない」
「じゃあ、別に一人でやらなくてもいいじゃない」
椎名はそれだけ言って、焚き火の方へ戻った。
美月はしばらくその姿を眺めていた。
やがて。
戻ってきた美月が焚き火の前へ座った。
「見張りは?」
「あとで交代する」
「そう」
椎名はそれ以上何も言わなかった。
鍋の中身を木の器へ取り分け、一つを美月へ渡す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そこに玲が戻ってきた。
両腕いっぱいに薪を抱えている。
「腹減った!」
「もうできてるわよ」
「マジ?」
玲が薪を置き、鍋へ手を伸ばす。
椎名がその手を叩いた。
「順番」
「俺が薪集めたんだけど」
「だから何よ」
「多めにくれ」
「嫌」
「なんで!」
美月が二人を見る。
「いつもこうなの?」
「だいたいな」
戻ってきたかぐやが呆れたように答える。
「大変だね」
そう言った美月の口元はほんの僅かに緩んでいた。
最初の見張りは玲が担当することになった。
美月は最後まで自分がやると言っていたが、玲と椎名に押し切られた。
焚き火から少し離れた場所。
玲は木にもたれ、暗い森を眺めている。
背後では二人と一匹が休んでいた。
しばらくして。
玲の鼻が僅かに動いた。
「…………」
風が北から吹いている。知らない匂いだった。
悪魔ではない。血でもない。
何かが燃えているような、僅かな焦げ臭さ。
けれど焚き火のものとは違う。
玲は立ち上がった。
木々の隙間から、遠くを見る。
夜空。
その一部が、微かに赤い。
「……なんだ、あれ」
「玲」
後ろから声がした。
振り返ると美月が起きていた。
「寝てなかったのか?」
「寝てた」
「じゃあなんで起きた?」
「玲が動いたから」
美月も空を見る。
僅かに赤く染まった北の空。
「火事?」
椎名も目を覚ました。
「何……?」
眠そうに身体を起こす。
玲が指差した先を見ると、その表情が変わった。
「……あっちって」
「リュネの方角」
三人の間から眠気が消えた。かぐやも起き上がり、北へ鼻を向ける。
「煙の匂いじゃ」
まさか、あれは。
「……魔女狩り?」
そう呟いた美月の声に、玲と椎名の表情が変わった。
玲はすぐに荷物へ手を伸ばした。椎名も立ち上がる。美月はすでに刀を腰へ差していた。
「行く?」
美月が尋ねる。
玲は頷いた。
「急ごう」
誰も止めなかった。
焚き火へ土を被せ、急いで荷物をまとめる。
夜の森を抜け、街道へと戻った。
遠く。
北の空が赤く染まっている。
その下にあるのは、次の目的地。
リュネの町だった。




