第1話:騎士
「だから、お前は入れねえって言ってんだろ!」
怒鳴り声とともに酒場の扉が勢いよく開き、玲の身体が外へ放り出された。
「うおっ!」
受け身を取る暇もなく地面に尻を打ちつけ、そのまま勢い余って一度転がる。背後では大きな音を立てて扉が閉まった。
「いってぇ……」
玲は腰をさすりながら立ち上がり、恨めしそうに扉を見上げた。
ここは騎士たちが集まる酒場だった。悪魔の討伐依頼を受け、情報を交換する場所。そして玲がこの街へ来てから何度も追い出されている場所でもある。
「またか」
壁際に伏せていたかぐやが呆れたように顔を上げた。
「今日は結構粘っただろ」
「追い出されるまでの時間を競ってどうする」
「昨日より長かったぞ」
「成長するところを間違えておるわ」
かぐやは大きな欠伸をすると、もう諦めたらどうかと玲へ告げた。
しかし、玲は首を横に振る。
この土地へ来てからまだ数日しか経っていない。
村長から託された地図を頼りに塔を登り、ようやく辿り着いた先には玲の知らない世界が広がっていた。
故郷とは比べものにならないほど大きな街。見たこともない品物を並べた商店。通りを埋め尽くす大勢の人々。
何もかもが新鮮だったが、その中でも玲の目を奪ったのが騎士の存在だった。
武器を手に悪魔と戦い、人々を守る者たち。
彼らの姿を見た瞬間、玲は自分も騎士になりたいと思った。
けれど、酒場へ足を運ぶたびに追い返される。
「紋章がどうとか言ってたな」
玲は窓へ近づき店内を覗き込んだ。
鎧を着た騎士たちが酒を飲み、壁には何枚もの依頼書が貼られている。
時折騎士がその一枚を剥がして受付へ持っていく。内容を確認したあと、武器を手に店を出ていく者もいた。
あれが悪魔を討つための仕事なのだろう。
「いいよなあ……」
玲は羨ましそうに呟いた。
「俺も騎士になって、悪い奴を倒してえ」
かぐやはそれ以上何も言わなかった。
玲が一度決めたことを簡単には諦めないと知っているからだ。
その時、玲の腹が大きな音を立てた。
「……腹減った」
窓の向こうでは焼きたての肉が運ばれている。
香ばしい匂いに思わず喉が鳴った。騎士への憧れも忘れ、玲は湯気の立つ料理を目で追い始める。
——そんな時だった。
ふいに、隣に人の気配を感じた。
「ん?」
振り向くと、黒い外套をまとった女が立っていた。
深くかぶったフードに顔の上半分を隠され、表情はよく見えない。
いつからそこにいたのだろう。
足音を聞いた覚えもなかった。
女は何も言わず、ただ玲を見つめている。
「……なんだ?」
玲が首を傾げると女はその横を通り過ぎた。
酒場の扉へ手をかけたところで立ち止まり、肩越しに玲を見る。そして、くい、と指を曲げた。
手招きだった。
玲が自分を指差すと、女はもう一度だけ招きそのまま店へ入っていく。
「……行ってくる」
玲は迷わず扉へ向かった。
「待て! 知らぬ女についていくでない!」
かぐやの制止も聞かず、玲は閉まりかけた扉へ身体を滑り込ませた。
店内へ入った途端、玲は奇妙な空気を感じた。
先ほどまで騒がしかった酒場が僅かに静まり返っていた。
騎士たちの視線が黒い外套の女へ向けられている。
杯を持つ手を止める者。仲間との会話を中断する者。誰も声をかけようとはしなかったが、その目には明らかな警戒が浮かんでいた。
女は気にする様子もなく空いていたテーブルへ向かう。
玲も当然のように後を追い、向かいの椅子へ腰を下ろした。
すると、女が玲の後ろを指差した。
「おぬしという奴は……!」
かぐやが入口から歩いてきたところだった。
女は灰色の狼をじっと眺める。
「狼じゃ」
かぐやが先に口を開いた。
「喋る狼じゃ」
「……珍しいわね」
女は僅かに首を傾げたものの、それ以上驚くことはなかった。
かぐやは拍子抜けした様子だったが、女はすでに通りかかった店員へ珈琲を注文していた。
玲はその様子を眺めながら机へ身を乗り出す。
「なあ、なんで俺を呼んだんだ?」
女は玲を見た。
「お腹、空いてるんでしょう?」
ちょうどその時、玲の腹が再び鳴った。
女は口元を僅かに緩める。
「好きなものを頼んでいいわよ」
「いいのか!?」
「ええ」
玲の顔が一気に明るくなった。
「肉!」
かぐやが遠慮を覚えろと呆れていたが、玲には聞こえていないようだった。
しばらくすると卓の上にはいくつもの皿が並んだ。
香ばしく焼かれた肉に、柔らかなパン、温かなスープ。玲は待ちきれない様子で肉へかぶりついた。
「うまっ!」
空腹だったこともあり食べる手が止まらなかった。
向かいでは女が静かに珈琲を飲んでいる。
自分は料理に手をつけず、時折玲の様子を眺めるだけだった。
玲は肉を飲み込むと、ふと思い出したように顔を上げる。
「なあ、名前は?」
女はカップを置いた。
「秘密」
「なんでだよ」
「さあ」
玲は不満そうに眉を寄せた。
騎士なのかと尋ねても否定され、何をしているのか聞いても曖昧な答えしか返ってこない。
どこから来たのかさえ教えてくれなかった。
何を考えているのか分からない女だった。
突然自分を酒場へ招き、食事まで奢ってくれたというのに名前すら明かそうとしない。
けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
少なくとも何度も自分を追い出す騎士たちよりは親切だ。
玲はそう考え、再び肉を口へ運んだ。
「おい!」
突然、聞き覚えのある怒鳴り声が響いた。
振り返ると先ほど玲を追い出した騎士が立っていた。
「またお前か! なんで戻ってきてんだよ!」
「呼ばれたんだよ」
玲が向かいの女を指差すと騎士の表情が変わった。
怒りに満ちていた顔が僅かに強張り、その視線がフードの奥へ向けられる。
「……あんたが入れたのか」
女は答えなかった。
ただ、何事もなかったかのように珈琲を口へ運ぶ。
騎士はそれ以上追及しようとせず、代わりに玲の首根っこを掴んだ。
「お前は出ろ」
「なんでだよ! まだ飯残ってる!」
玲は慌てて椅子にしがみついた。
しかし、騎士は容赦なく身体を引っ張る。
椅子の脚が床を擦り、耳障りな音を立てた。
「待て! あと一枚!」
玲は皿に残された肉へ必死に手を伸ばす。
けれど、その距離は少しずつ遠ざかっていった。
かぐやは呆れたように見ているだけで助けようとはしない。
女もまた、静かに珈琲を飲んでいた。
騒ぎの中心にいるはずなのに、その姿だけが妙に周囲から切り離されているように見えた。
「また来るからな!」
「来んな!」
扉が開き、玲は再び外へ放り出された。
*
玲が追い出されてからしばらくして、酒場には元の喧騒が戻っていた。
杯のぶつかる音と笑い声が響く中、先ほどまで玲が座っていたテーブルだけが静かだった。
やがて、扉が開いた。
短い赤茶色の髪をした男が入ってくる。
鋭い目つきに近寄りがたい雰囲気をまとった男だった。
その姿を認めた騎士たちは、さりげなく道を空けた。誰かに命じられたわけでもないのに進路を塞ごうとする者はいなかった。
男は店内を見回すとすぐに目的の人物を見つけた。
黒い外套をまとい、深くフードをかぶった女。
男は迷わずその席へ向かった。
「待たせた」
「いいえ」
男は向かいへ腰を下ろそうとして、卓の上に並ぶ大量の皿に気づいた。
ほとんど空になっているが食べかけの肉とパンが残されている。
どう見ても、目の前の女が一人で食べた量ではない。
「……なんだこれ」
「食事」
「見りゃ分かる」
男は眉をひそめた。
「さっきのガキか」
「見てたの?」
「出ていくところをな」
女は小さく頷いた。
男もそれ以上は追及しなかった。
女が誰を連れていようが、気まぐれで何をしようが、今に始まったことではない。
やがて女は店の奥へ視線を向けた。
そこには、騎士団の長が座っていた。
周囲には何人もの騎士がいたが、団長だけは先ほどから一度もこちらへ近づこうとしていない。
女と目が合った瞬間、その顔が露骨に歪む。
歓迎していないことを隠そうともしない視線だった。
それでも女は気にした様子もなく、椅子の背へ身体を預ける。
「約束通り——」
静かな声が、酒場に落ちた。
男が視線を上げる。
騎士たちの喧騒がどこか遠くなったように感じられた。
「地図をいただけるかしら?」
その言葉に、団長の顔から僅かに血の気が引いた。
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