第17話:上級悪魔
美月たちが泊まっている宿は、北門からそれほど離れていなかった。玲はその場所を聞くと、迷うことなく歩き出した。
後ろから美月がついてくる。さらに少し遅れて、椎名とかぐやも続いていた。
「玲」
美月が呼ぶ。
「何」
「怒ってる?」
「怒ってる」
「なんで?」
玲は足を止め美月を見る。
美月の左腕にはまだ血が滲んでいた。
「なんでって、その怪我見れば分かるだろ」
「これくらいなら平気」
「平気じゃねえよ」
「歩ける」
「歩けたら平気なのかよ」
美月が黙る。
玲はそれ以上何も言わず、再び歩き出した。
やがて美月が泊まっている宿へ着いた。一階は酒場になっているらしい。
扉を開けると十数人ほどの客がいた。その中に、見覚えのある男たちがいる。
以前の街で美月と一緒にいた騎士たちだった。
酒を飲んでいた男の一人が、美月に気づく。
「戻ったか」
「うん」
「どうだった?」
「三体いた。全部倒した」
「三体か」
男は驚く様子もなく頷いた。
「なら明日は東側だな。昼頃に二体見たって報告が――」
「おい」
玲の声が割り込んだ。
男が初めて玲を見る。
「お前あの時の……」
「なんで美月一人で行かせた?」
男の視線が玲から美月へ移る。
「偶然会ったのか?」
「うん」
「そうか」
それだけだった。
男は再び酒へ手を伸ばし、衝撃的な言葉を口にした。
「美月が一人で十分だからだ」
玲の眉が動いた。
「三体いたんだぞ」
「倒しただろ」
「怪我してる」
「死んでない」
玲の顔から表情が消えた。
椎名が後ろで小さく息を吐く。
美月は何も言わない。
「……死ななきゃいいのか?」
「騎士なら怪我くらいする」
男に悪びれる様子はなかった。
「こいつは俺たちの中で一番強い。下手に何人も出すより、美月一人に任せた方が早い」
「じゃあお前らは?」
「他の仕事がある」
玲は周囲を見た。
同じ紋章武器を持つ騎士が数人いる。酒を飲んでいる者。食事をしている者。地図を囲んで話している者。確かに何もしていないわけではないのだろう。
それでも。
目の前に立つ美月だけが、血まみれだった。
「美月」
「何?」
「明日も行くのか?」
「うん」
「一人で?」
「その方が早いから」
迷いのない答えだった。
「嫌じゃねえの?」
「何が?」
「一人で戦うの」
「別に」
美月は自分の左腕を見る。
「私が一番強いから、私が行く。それだけ」
玲は何も言わなかった。
美月にとって、それは当たり前なのだろう。
強いから戦う。
動けるなら次へ行く。
怪我をしても、まだ戦えるなら問題ない。
周りもそう扱っている。
美月自身も、それを疑っていない。
「……やっぱ気に入らねえ」
「何が?」
「全部」
玲は騎士たちへ向き直った。
「美月、明日は行かせねえ」
「玲が決めることじゃない」
美月は玲を見つめる。
「怪我してるだろ」
「治療すれば動ける」
「そういうところも!」
玲が声を上げると、美月が僅かに目を見開いた。
「なんで怪我してんのに次の話してんだよ。まず治せよ!」
「…………」
「お前もだよ!」
今度は騎士を指差す。
「帰ってきた美月見て、最初に言うことが明日の仕事っておかしいだろ!」
酒場の視線が集まり始める。
男は面倒そうに眉を寄せた。
「子どもが騎士の仕事に口を出すな」
「俺も紋章武器使える」
「だから何だ」
「俺も戦える」
「適合しただけのガキと美月を一緒にするな」
玲の右手が握られる。馴染み始めた手袋の感触が、小夜との特訓の日々を思い出させた。
「だったら俺が強くなればいいんだろ」
「玲」
美月が呼ぶ。
玲は聞かなかった。
「美月一人にやらせなくてもいいくらい強くなればいい」
男が鼻で笑う。
「好きにしろ」
「する」
玲は即答した。
男はもう話は終わりだとでも言うように酒へ手を伸ばす。その横で、別の騎士が地図を広げた。
「それより、北の件どうする?」
「報告が増えてるな」
玲の耳が動いた。
地図には、いくつもの印がつけられている。ここへ来るまでに見たものと同じだった。
北へ集まる悪魔。
「こいつか?」
玲が地図へ近づく。
「触るな」
騎士に手を払われるが、それでも玲は地図を覗き込んだ。
北側。
いくつもの印が集まる先に、一つの名前が記されている。
——レヴィアタン。
「誰?」
玲がそうこぼすと、騎士の一人が怪訝そうな顔をした。
「知らないのか?」
「知らねえ」
「このエリアを支配してる上級悪魔だ」
各エリアには、そこを支配する上級悪魔が存在する。他の悪魔たちとは違い、飛び抜けた知性と力を持つ。特にこのエリアを支配しているレヴィアタンは『嫉妬』を司る悪魔なのだと、美月は端的に説明した。
玲の目が僅かに見開かれる。
悪魔たちが向かっている場所。そこに、上級悪魔・レヴィアタンがいる。
「……こいつ倒せば、悪魔減るのか?」
「簡単に言うな」
男の声が低くなる。
「普通の悪魔とは違う。騎士団でもずっと居場所を探してる」
「強い?」
「当然だ」
玲は少し考えた。
——そして。
「じゃあ俺が倒す」
酒場が静かになった。
数秒遅れて、騎士の一人が笑った。
「お前が?」
「うん」
「上級悪魔を?」
「そう」
「馬鹿か」
「よく言われる」
椎名が後ろで額を押さえた。
「そこで認めないでよ……」
男は玲を相手にするのも馬鹿らしくなったのか、酒を口へ運ぶ。だが玲はまだ終わっていなかった。
「レヴィアタンを倒したら、約束しろ」
「何をだ」
玲は美月を見る。
「美月が騎士辞めるって言っても止めるな」
「玲」
今度は美月の声が少し強くなった。
「私は辞めるって言ってない」
「今はな」
「今もこれからも分からない」
「じゃあ辞めたくなったらでいい」
「…………」
美月は思わず口を閉ざした。その様子を見ていた騎士の男が、呆れたように玲へと声をかけた。
「何の話だ」
「美月が辞めたいって言ったら、ちゃんと辞めさせろ」
「お前に関係ないだろ」
「ある」
「何がある」
「美月は俺の家族だから」
美月の目が僅かに動いた。
「俺たちがレヴィアタンを倒す」
「俺たち?」
そこで初めて、男が玲の後ろを見る。椎名が嫌な予感を覚えたように一歩下がった。
「ちょっと待って」
玲は椎名を指差す。
「椎名」
「待ちなさい」
次にかぐや。
「かぐや」
「わしもか?」
「あと俺」
騎士たちから笑い声が漏れた。
一人は傷が治りきっていない少女で、一匹は狼。たった二人と一匹だ。上級悪魔を討つと言われても、冗談にしか聞こえない。
「いいぞ」
男が言った。
「本当にレヴィアタンを倒せたならな」
どうせ不可能だ。
その顔にはそう書いてあった。
「そのとき美月が辞めたいと言うなら、俺からは止めない」
「他の奴も」
「俺から上には話してやる」
「絶対だぞ」
「好きにしろ」
玲は満足そうに頷いた。
「よし」
「よし、じゃない!」
椎名が玲の後頭部を叩いた。
「いってえ!」
「なんで私まで勝手に上級悪魔と戦うことになってんのよ!」
「嫌なのか?」
「嫌に決まってるでしょ!」
いつもの調子で言い合う二人。
その横で、美月だけが黙っていた。
「美月」
玲が振り返る。
「何?」
「お前も来いよ」
「なんで私も?」
「場所知ってんだろ?」
「知らない。探してる途中」
「じゃあ一緒に探せばいい」
あまりにも当然のように言われ、美月は瞬きをした。
「でも、私は騎士団の仕事がある」
「それも仕事だろ?」
玲は地図を指差す。
「こいつ倒すの、騎士の仕事なんだろ?」
「……そうだけど」
「じゃあ一緒でいいじゃん」
美月が言葉に詰まった。
横から騎士の男が口を挟む。
「好きにしろ、美月」
美月がそちらを見る。
「俺たちもレヴィアタンを追ってる。こいつらが勝手に探すっていうなら利用すればいい」
その言い方に、玲の眉が再び寄る。
だが美月は気にした様子もなかった。
「分かった」
「美月!」
「何?」
「いや……」
玲は何か言いかけたが、やめた。
今はいい。
少なくとも、一人ではない。
「じゃあ明日から一緒な」
「うん」
美月は短く答えた。
それだけだった。
けれど玲は、ようやく少しだけ機嫌を直した。




