第16話:ひとり
日が傾き始めた頃、森を抜けた玲たちの前に街が見えてきた。
最初に滞在していた街ほど大きくはない。高い外壁に囲まれ、その向こうには石造りの建物が密集している。門の前には荷車が並び、旅人や商人たちが順番を待っていた。
「やっと着いた……」
椎名が疲れ切った声を漏らす。
結局、休憩を挟みながら一日近く歩き続けた。玲はまだ元気そうだったが、傷の残る椎名にはかなり堪えたらしい。途中から口数も減り、今では歩くことだけに集中している。
「腹減ったな」
「第一声がそれか」
かぐやが呆れる。
「朝から歩いてんだから減るだろ」
「昼も食ったじゃろう」
玲は街へ続く列の最後尾に並ぶ。そこで、前にいた商人たちの会話が耳に入った。
「また出たらしいぞ」
「悪魔か?」
「ああ。北の街道だ」
最近、この辺りでは悪魔の目撃が急激に増えているらしい。旅人が襲われ、街道を避ける商人も出始めていると。
「また北……」
椎名も聞いていたらしい。
玲は遠くへ続く街道を見る。
今日倒した悪魔。
その悪魔もまた、北へ向かっていた。
きっと偶然ではない。
「やっぱなんかあるな」
「でしょうね」
椎名は腹の辺りを押さえながら息を吐く。
「だからって、今日はもう行かないわよ」
「分かってるって」
玲は不満そうだったが、さすがに椎名の顔色を見て言い返さなかった。
街へ入って最初に探したのは宿だった。ただ、どこも混んでいる。悪魔を警戒して旅を止めた商人や旅人が、街に留まっているらしい。
三軒目でようやく部屋を確保すると、椎名は荷物を置くなりベッドへ腰を下ろした。
「もう今日は動けない」
「飯は?」
「それくらいは行く」
かぐやも部屋の隅へ身体を伏せる。
「わしも疲れたぞ」
「お前ほとんど何もしてねえだろ」
「歩いておったわ!」
玲は窓を開けた。
夕方の街から様々な音が入り込んでくる。
商人の呼び声。
荷車の車輪。
どこかの店から漂ってくる肉の焼ける匂い。
「飯」
「匂いだけで動くな!」
かぐやの声を背中に受けながら、玲はもう扉へ向かっていた。
*
宿の主人に教えてもらった食堂はすぐ近くにあった。
玲たちは店の奥にある小さな卓を囲むように座っている。
玲の前には肉と野菜を煮込んだ料理。
椎名の前にはパンとスープ。
かぐやの前にも、玲が頼んだ肉が置かれている。
「これうまいな」
「ゆっくり食えと言うておるじゃろ」
「冷めるだろ」
「そんな速さで食わずとも冷めん」
玲が二皿目を頼もうと手を上げる。
「自分のお金で払いなさいよ」
椎名の一言で、その手が止まった。
「何?」
「金ねえ」
「知ってる」
「椎名」
「嫌」
「まだ何も言ってねえぞ」
玲は仕方なく残ったパンを口へ放り込んだ。
店内には旅人が多かった。そのせいか、耳に入ってくる話題も街の外についてのものばかりだった。
北の道が危険だ。
悪魔が増えている。
しばらくこの街で待った方がいい。
似た話があちこちから聞こえてくる。
その中で。
「でも、騎士が来てるんだろ?」
隣の卓から聞こえた言葉に、玲の耳が動いた。
「ああ。何人かいるらしい」
「なら、そのうち片づくだろ」
「どうだかな。結局、外に出てるのはいつも同じ奴だぞ」
「黒髪の女か?」
玲の動きが止まった。
「…………」
「どうしたの?」
椎名が尋ねる。
「今の、美月のことか?」
「……黒髪の女なんていくらでもいるでしょ」
それもそうだったと、玲は食事へ戻ろうとした。
「若いのに大したもんだよな。昨日も一人で二体倒したらしいぞ」
また声が聞こえる。
玲は再び止まった。
「一人で?」
「仲間は何してんだ?」
「知らねえよ。街で見たぞ。何人か一緒にいた」
「なら手伝ってやりゃいいのにな」
玲は椎名を見る。
椎名も今度は少し気になったらしい。
「……まさかね」
「美月、一人で悪魔倒してた」
「黒髪で強い女騎士なんて他にもいるでしょ」
「いるかな」
「たぶん」
玲は隣の卓へ顔を向けた。
「なあ」
突然話しかけられ、男たちがこちらを見る。
「その女って、刀使う?」
「あ? ああ」
玲の目が僅かに大きくなる。
「黒い髪、長い?」
「そうだったと思うけど」
「無愛想?」
「そこまでは知らねえよ」
玲は椎名へ向き直った。
「美月だ」
「……かなりそれっぽくはなったわね」
「どこにいるか知ってるか?」
今度は男へ尋ねる。
「さあな。朝から外に出てるんじゃないか?」
「どこ?」
「北の街道だったか?」
玲が立ち上がる。
椎名がすぐに腕を掴んだ。
「どこ行く気?」
「美月探しに」
「もう暗くなるわよ」
「でも――」
「場所も分からないんでしょ。闇雲に探してどうするのよ」
玲は窓の外を見る。日はかなり傾いていた。北門まで行き、そこから美月を探すとなれば暗くなる。
それに椎名の傷もある。
「…………」
玲は渋々椅子へ座った。
「明日な」
「そうしなさい」
そう答えながら、椎名は少し意外そうに玲を見ていた。
数日前なら、もう店から飛び出していたかもしれない。
少しだけ。
本当に少しだけ、考えて動くようにはなったらしい。
食堂を出る頃には空はすっかり暗くなっていた。通りには灯りが点り始めている。
玲は宿へ戻りながら、何度も北の方を見ていた。
「明日の朝、一番に探す」
「分かったから前見て歩きなさい」
「美月ならなんでここにいるんだろうな」
「仕事じゃろう」
かぐやが答える。
「次の街までに二つ仕事があるって言ってた」
酒場で聞いた言葉を玲は覚えていた。
「……やっぱ美月じゃん」
「そうかもしれんの」
玲は少し足を速めた。
そのとき。
街の北側が騒がしくなった。
門の方から人の声が聞こえてくる。
「なんだ?」
玲が足を止める。
数人の人間が、同じ方向へ顔を向けていた。
「騎士が戻ってきたらしいぞ」
「また一人か?」
「怪我してるって」
玲の表情が変わる。
考えるより先に走り出した。
「玲!」
椎名の声が背後から飛ぶ。
玲は人混みを縫う。
北門へ近づくほど人が増えていた。
「通して!」
肩をぶつけながら前へ出る。
門の向こうから、一人の人影が歩いてくる。
黒く長い髪が風に揺れている。
伏せられた青い瞳に、腰には刀。
「…………」
玲の足が止まった。
「美月」
間違いなかった。
美月は一人だった。
いつものように表情はほとんど変わっていない。歩き方も乱れてはいない。
けれど。
左腕から血が流れていた。服の脇腹は裂け、そこにも赤い染みが広がっている。頬にも浅い傷があり、黒い髪の一部が乾いた血で張りついていた。
それでも、美月は一人で歩いている。
その後ろに仲間はいない。
「…………」
玲は動けなかった。
あれだけ強かった美月が。
自分たちを一撃で救った美月が。
傷だらけになっている。
やがて美月も玲に気がつき足を止める。
「……玲?」
いつもと変わらない声だった。
玲は美月の傷を見ていた。
そして思い出す。
『この程度の悪魔なら、一人で十分だ』
『倒せる奴が倒した方が効率いいだろ』
『こいつなら問題ない』
酒場で聞いた言葉。
あのとき感じた違和感が、今になって形を持つ。
美月の後ろには、誰もいない。
「……一人で行ったのか?」
「そう」
「仲間は?」
「街にいる」
玲の眉が寄った。
「……いるのか?」
「うん」
美月はそれだけ答えると、玲の横を通り過ぎようとする。
「待てよ」
玲が呼び止める。
美月が振り返った。
「その怪我」
「大丈夫」
「大丈夫じゃねえだろ」
「このくらいなら動ける」
その答えを聞いた瞬間、玲の中で何かが引っかかった。
動ける。だから大丈夫。
美月自身までそう思っている。
「…………」
玲は拳を握った。
黒い手袋が耳障りな音を立てる。
「そいつら、どこにいる?」
「誰?」
「美月の仲間」
美月は玲を見た。
「宿」
「分かった」
玲は歩き出す。
「玲?」
声をかけられても止まらない。
ちょうど追いついてきた椎名とかぐやが、玲の表情を見て足を止めた。
「……どうしたの?」
玲は答えなかった。
あれだけ強い美月が傷だらけになるまで一人で戦わせ、その間仲間はこの街にいた。
理由が何であろうと。
玲には、それが気に入らなかった。




