↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/30

第12話:特訓


「小夜ぉぉぉぉ!」


 森の中に玲の叫び声が響き渡った。

 木々の間を一頭の獣が駆け抜けていく。猪に似た四足の獣だった。ただし、玲が知っている猪より遥かに大きい。黒褐色の毛に覆われた巨体が木々の隙間を縫い、土を蹴り上げながら一直線に玲を追いかけている。


「こいつ全然止まんねえんだけど!」


 玲は走っていた。逃げていた。それも全力で。


「聞いてんのか!?」


 少し離れた木の下。

 小夜は幹に背を預け、本を読んでいた。


「さっき教えたでしょう?」

「お前絶対楽しんでるだろ!」

「できるまで頑張って」


 小夜がページをめくる。その足元では、かぐやが前脚の上へ顎を乗せて伏せていた。視線だけが森の奥を右から左へ移動する。

 玲が走り抜け、少し遅れて獣が通り過ぎる。かぐやの視線も左へ。しばらくすると、また右から玲が現れた。


「なんでまたこっち来るんだよ!」


 その後ろを獣が追っていく。

 かぐやは小さく息を吐いた。


「……あやつは何をしておるのじゃ」

「特訓」

「わしには追いかけっこにしか見えん」

「今のところはそうね」

「小夜ぉぉぉ!」


 遠くから声が聞こえるが、小夜は本から目を離さなかった。


「元気ね」

「昨日まで死にかけておった奴とは思えんな」

「いいことじゃない」

「限度というものがあるじゃろう」


 また玲が走っていく。


「かぐや! 見てねえで助けろ!」

「自分で何とかせい」

「薄情者!」


 玲の姿が木々の向こうへ消える。

 かぐやは鼻を鳴らした。


「まったく……」

「仲がいいのね」

「どこを見たらそう思う」

「ずっと一緒にいるでしょう?」

「腐れ縁というやつじゃ」


 小夜がページをめくる。

 かぐやはちらりと彼女を見上げた。


「おぬし、随分と落ち着いておるな」

「そう?」

「あやつがあれだけ騒いでおるのじゃぞ」

「危なくなったら止めるわ」


 疑わしそうなかぐやに、小夜は本から目を離さないまま小さく笑った。


「おぬし、意外と性格が悪いな」

「よく言われるわ」

「そうか? 昨日あやつに『いい奴』と言われておったではないか」


 ページをめくろうとしていた小夜の指が止まった。


「……聞いてたの?」

「少しな」

「そう」


 小夜は再び本へ視線を落とした。

 その横顔をかぐやがじっと見上げる。


「嬉しかったのか?」

「どうして?」

「顔が少し――」

「かぐやぁぁぁ!」


 木々の奥から玲の声が響いた。


 直後。


「うおおおおおっ!?」


 どさっ、と大きな音がした。鳥たちが一斉に枝から飛び立つ。

 小夜とかぐやは音のした方向を見る。


「今のは助けた方がよいのではないか?」

「まだ大丈夫」

「本当か?」

「たぶん」


 しばらくして。


「……いてえ」


 茂みを掻き分け、玲が戻ってきた。

 服には土と葉が付き、髪には細い枝が絡まっている。手には黒い長剣が握られていた。


「全然できねえ」

「でしょうね」

「なんでだよ!」


 玲は小夜の前まで来る。


「言われた通りやってるぞ!」

「やってないからできないのよ」


 玲は不満そうに剣を持ち上げる。


「身体に力を流せって言っただろ?」

「ええ」

「やってる」

「全部にね」

「駄目なのか?」


 小夜は本を閉じた。

 ようやく木から背を離す。


「あなたは今、紋章の力を身体中に流してる」

「うん」

「走るときも、剣を振るときも、避けるときも。ずっと全力」

「強い方がいいだろ」

「だから振り回されるのよ」


 玲が眉を寄せた。

 小夜は玲の持つ長剣を見る。


「走るだけなら、腕にまで同じだけの力はいらないでしょう?」

「あ」

「剣を振る瞬間に、脚へ全力を流し続ける必要もない」

「…………」

「必要な場所に、必要な分だけ」


 小夜は自分の腕を軽く持ち上げる。


「力を使う場所を選ぶの」

「選ぶ……」

「全部を一度に強くしようとするから、身体が力についていけなくなる」


 玲は自分の右手を見る。

 そこには黒い紋章が刻まれている。


「さっきも言ったでしょう?」

「聞いた」

「理解してなかったのね」


 玲は唸りながら剣を見た。


「どうやったら分けられるんだ?」

「感覚」

「それが分かんねえ」

「だから練習してるんでしょう?」


 玲が口を尖らせる。

 小夜は再び木へ背を預けた。


「ほら。もう一回」

「またあいつと!?」


 森の奥を見る。獣が離れた場所からこちらを睨んでいる。


「殺す必要はないわ」

「倒さなくていいのか?」

「今日の目的はそこじゃないもの」

「じゃあ何を——」

「一度も吹き飛ばされずに、私のところまで戻ってきて」


 獣は地面を前脚で掻き、今にも突進してきそうだった。


「……それだけ?」

「剣も使わない」

「は?」


 小夜が玲の長剣を指差す。


「置いていって」

「……あいつめちゃくちゃでかいぞ」

「知ってるわ」

「角もある」

「避ければいいでしょう?」


 玲が騒いでいる間に、獣が地面を蹴った。


「あ」


 巨体が迫る。


「うおっ!」


 玲は横へ飛んだ。勢い余って、そのまま地面を転がる。


「今の」


 小夜が言った。


「脚に力を入れすぎ」

「今ので分かんの!?」

「ほら、来るわよ」

「——うわっ!」


 玲が再び走り出す。

 かぐやはその背中を見送った。


「……本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫よ」

「随分と信用しておるのじゃな」


 小夜は答えなかった。


 再び本を開く。

 けれど、視線は文字ではなく、時折玲へ向けられていた。


 

 *


 

 何度目か分からなくなった。


「ぐあっ!」


 玲の身体が地面を転がる。


「また!」


 すぐに起き上がる。


 獣が振り向く。

 玲は構えた。


「全部じゃない……」


 右手の紋章が熱を持つ。


「必要なところだけ……」


 獣が突進する。


 今までなら、玲は全身へ一気に力を巡らせていた。

 速く。強く。とにかく全部。

 だから身体が自分の想像以上に動き、止まれなくなる。


 今度は違う。

 玲は脚へ意識を向けた。


「ここ!」


 地面を蹴る。


「うおっ!?」


 また飛びすぎた。木の幹が迫る。


「やべ——」


 咄嗟に身体を捻ると、肩から地面へ落ち転がった。

 獣がその横を通過する。


「……今の」


 玲が起き上がる。


 少し違った。

 飛びすぎた。けれど、さっきまでとは違う。

 自分で動かした感覚があった。


「もう一回!」


 獣へ向き直る。


 今度は、ほんの少しだけ。

 必要な分だけ、地面を蹴る。


 身体が横へずれた。

 獣の角が、玲の服すれすれを通過する。


「……お」


 玲の目が輝く。


「できた!」

「前」


 遠くから小夜の声。


「え?」


 木があった。


「ぐえっ!」


 正面から激突する。かぐやが前脚で顔を覆った。


「馬鹿者……」


 小夜は口元を僅かに緩めていた。


 


 やがて、太陽が高く昇る頃。

 玲は仰向けになって地面へ転がっていた。


「もう無理……」

「まだ午前中よ」

「嘘だろ……三日くらいやった気がする」


 身体中が痛い。それでも、朝とは明らかに違っていた。

 最後の数回は、獣の突進をまともに受けていない。まだ思った場所へ正確に動けるわけではない。それでも、最初のように力に身体を引っ張られることは減っていた。


「なあ」


 玲は小夜を見る。


「次、剣使っていい?」

「駄目」

「なんで!」

「まだできてないから」

「できただろ!」

「十回に一回くらいね」


 玲は反論できなかった。

 小夜は本を閉じる。


「でも」


 立ち上がった。


「思っていたより早いわね」

「だろ?」


 玲が得意げに笑う。


「俺、こういうの得意だからな」

「さっきまで追い回されてた奴が何を言っておる」

「もうできるからいいんだよ」

「できてないじゃろ」


 玲とかぐやが言い合う。その横で、小夜は玲の右手を見ていた。


 黒い紋章。

 そして、その傍らに置かれた黒い長剣。


「…………」


 小夜は目を細めた。教えたのは、力を身体の一部へ寄せる感覚だけだった。普通ならまず感じ取るところから時間がかかる。

 ましてや、適合して数日。それを玲は、失敗を繰り返しながらも僅かな時間で掴み始めている。


「小夜?」


 玲がこちらを見ていた。


「どうした?」

「別に」

「またそれかよ」


 小夜は玲から視線を外した。


「休憩は終わり」

「今始まったばっかだろ!」

「立って」

「鬼!」


 小夜の口角がわずかに上がる。

 

「悪い奴の匂いがする?」

「……しねえ」

「なら問題ないわね」

「そういう使い方すんなよ」


 小夜が歩き出す。玲は文句を言いながらもその後を追った。

 かぐやはその場から動かない。


「かぐや」

「わしは休憩じゃ」

「お前何もしてねえだろ!」

「精神的に疲れたのじゃ!」


 二人の声が森に響く。


 小夜は振り返らなかった。


 ただ、その表情はどこか楽しそうに緩められている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。