第10話:魔女狩り
「――ない!」
燃える村の奥から男の叫び声が響いた。
「本当に知らない! この村には魔女なんていない!」
玲が顔を上げた。
まだ、生きている人がいる。
「行くぞ!」
考えるより先に地面を蹴っていた。
「玲!」
かぐやが追う。
「ちょっと、待ちなさい!」
椎名も続いた。
村へ入った途端、丘の上とは比べものにならないほど濃い血の臭いが鼻を突いた。焼けた木材の臭いに混じって、生温い鉄の臭いが喉の奥へまとわりつく。
道の脇には何人もの人間が倒れていた。
玲は走りながら、その一人へ目を向ける。
動かない。
その先にも一人。
さらに奥にも。
足を止めたかった。
けれど、まだ声が聞こえている。
「知らないって言ってるだろ!」
玲は声のする方へ走った。
家々の間を抜けると小さな広場へと続いていた。
そこで足が止まる。
「…………」
数十人の村人が、一か所へ集められていた。
老人や幼い子供もいる。
互いに身体を寄せ合い、怯えた目で前を見ていた。
その周囲には、すでにいくつもの死体が転がっている。
そして村人たちの前に二体の悪魔が立っていた。
一体の悪魔は男の髪を掴み、その傍では小さな少年が母親に抱きしめられている。
昨日戦ったものより、遥かに人間に近い。
二本の足で立ち、綺麗な衣服を纏っている。頭部から伸びた角と、皮膚に浮かぶ黒い筋さえなければ、遠目には人間と見間違えていたかもしれない。
――強い。
得体の知れない悍ましさが玲の身体を警戒させた。
「もう一度聞く」
悪魔の声は静かだった。
「魔女はどこにいる?」
「知らない……!」
男は顔を血で濡らしながら叫んだ。
「そんな奴、この村にはいない! 見たこともない!」
「この辺りにいると聞いた」
「だったら他を探せ!」
男が悪魔を睨みつける。
「俺たちには関係ないだろ!」
悪魔は少し考えるように男を見た。
「そう」
髪から手を離す。
男が地面へ倒れ込んだ。
「なら、いらない」
悪魔の手が男の胸へ伸びる。
「やめろ!」
玲が走った。
腰の武器を掴む。
引き抜いた瞬間、黒い刀身が長剣へ姿を変えた。
右手の紋章が熱を持つ。
「そいつから離れろ!」
悪魔が玲を見る。
だが、手を止めることはない。
指先が男の胸へ触れる。
そして、そのまま――沈んだ。
「――あ」
男の身体が大きく震えた。
血は出ていない。
肉も裂けていない。
それなのに。
男の胸から、淡い光が引きずり出されていく。
「なんだ……あれ」
煙のように揺らめく光。
男は苦しそうに口を開いている。
だが、声は出ない。
「父ちゃん!」
少年が叫んだ。
「父ちゃん! やめて! 父ちゃん!」
「返せ!」
玲が走り、剣を振り上げる。
悪魔まであと少し。
届く。
そう思った。
「――がっ!」
景色が回転する。
玲の身体が家の壁へ叩きつけられた。
木板が割れ、背中に激痛が走る。
「玲!」
かぐやの声が聞こえる。
「な……に……」
顔を上げると、もう一体の悪魔がさっきまで玲がいた場所に立っていた。
その悪魔が玲を殴った。
ただそれだけだった。
――見えなかった。
悪魔が動いたことすら、わからなかった。
「邪魔」
悪魔は玲から興味を失ったように視線を戻した。
その向こう。
男の身体から、光が完全に抜け落ちる。
力を失った身体が地面へ崩れた。
悪魔は手の中の光を眺め、口を開く。
そして。
食べた。
「…………」
光が、悪魔の口の中へ消える。
喉が一度動いた。
それだけだった。
「何……したんだ」
玲が呟く。
「父ちゃん!」
少年が母親の腕を振りほどき、倒れた男へ駆け寄る。
「父ちゃん! 父ちゃん!」
身体を揺らす。
「起きてよ! 父ちゃん!」
返事はない。
「父ちゃ――」
少年の声が止まった。
「…………」
男の肩に置かれていた手が動かなくなる。
少年はしばらく、その顔を見つめていた。
「……あれ?」
首を傾げる。
頬には涙が流れている。
少年はそれを手の甲で拭った。
「なんで……俺……」
もう一度、倒れている男を見る。
「この人……誰?」
「…………え?」
玲が少年を見る。
「お前、今……」
父ちゃん。
そう叫んでいた。
何度も。
母親が少年を抱き寄せる。
だが、その女も夫だった男を見つめ、困惑したように眉を寄せていた。
「……誰……?」
玲の背中に寒気が走った。
「何した」
悪魔を見る。
「お前っ、何したんだよ!」
魂を食べた悪魔が口元を拭う。
「食べた」
「何を」
「魂」
「魂……?」
悪魔は倒れている男を見た。
「魂がなくなれば、その人間もなくなる」
玲には意味が分からなかった。
死んだ。
それだけではない。
ついさっきまで家族だった人間を、残された家族が覚えていないのだ。
「なんだよ、それ……」
悪魔は答えない。
そして怯える村人たちへと視線を戻した。
「次」
その一言で、人々が震えた。
「魔女を知っている奴」
誰も答えない。
「見た奴」
沈黙。
「匿っている奴」
「いない!」
老人が叫んだ。
「何度聞かれても同じだ! この村には魔女なんぞおらん!」
「そうか」
悪魔は老人へ歩いていく。
「なら、お前もいらない」
「待て!」
玲は剣を杖代わりに立ち上がった。
「玲、動かないで!」
椎名が叫ぶ。
玲は聞かなかった。
「やめろ!」
地面を蹴る。
二体目の悪魔が消えた。
そう見えた。
次の瞬間、腹に何かがめり込んでいた。
「――っ!」
身体が宙へ浮く。
地面を何度も転がった。
胃の中のものが逆流する。
「ぐ……っ」
玲が顔を上げたときには、老人の胸から光が抜かれていた。
「やめろ……」
悪魔が魂を飲み込む。
老人が倒れる。
「やめろって……!」
椎名が動いた。
二本の短剣が飛ぶ。
鎖が悪魔の腕へ絡みついた。
「玲! 村の人たちを逃がして!」
椎名が鎖を引く。
悪魔の腕が止まった。
ほんの一瞬。
「逃げて!」
村人たちが走り出す。
玲も立ち上がる。
「こっちだ!」
だが。
椎名の身体が宙へ浮いた。
「え――」
悪魔が鎖を掴み、軽く腕を振った。
椎名の身体が地面へ叩きつけられる。
「がっ……!」
さらに一度。
反対側へ。
鈍い音が響く。
椎名の口から血が飛んだ。
「椎名!」
鎖が離されると、椎名は地面を転がりそのまま動かなくなった。
「おい! 椎名!」
「……生き、てる……」
掠れた声。
玲が息を吐く。
その間に、もう一体の悪魔が逃げる村人たちの前へ立っていた。
「逃げるな」
腕が振るわれる。
先頭を走っていた男の首が、不自然な方向へ曲がった。
「散れ! 一緒に走るな!」
玲が叫ぶ。
村人たちが四方へ逃げる。
悪魔はそれを見ていた。
そして。
笑った。
「面倒だ」
悪魔が地面を蹴る。
一人。
女の背中へ手が入る。
光が引きずり出される。
食べる。
二人。
逃げていた男が捕まる。
魂を抜く。
食べる。
三人。
四人。
「やめろ!」
玲が悪魔へ斬りかかる。
だが、刃は届かない。
腕を掴まれ、そのまま地面へ投げつけられる。
「ぐっ!」
すぐに立つ。
また走る。
今度は顔を殴られた。
視界が揺れる。
その向こうで、また一人の魂が食われた。
「やめろ……!」
悪魔へ向かう。
蹴られる。
地面を転がる。
その間に、また一人。
「やめろって言ってんだろ!」
夢中で斬りかかる。
すると今度は剣を掴まれた。
「…………え」
黒い刃を、悪魔が片手で握っている。
「ぐ……っ!」
玲は力を込めて押し返すが、剣は微動だにしない。
悪魔は玲を見た。
「弱い」
腹を蹴られた。
身体が吹き飛ぶ。
家の壁へ背中から激突した。
玲は血を吐いた。
「玲!」
かぐやが悪魔へ飛びかかる。
「来るな!」
悪魔の腕が振るわれ、かぐやの身体が弾き飛ばされた。
「かぐや!」
地面を転がり、動かなくなる。
「かぐや!」
「……生きて、おる……」
弱い声が返る。
玲は歯を食いしばった。
立ち上がるが足が震えている。
それでも。
目の前で、人が死んでいく。
悪魔は魂を食べ続けていた。
男。
女。
老人。
若者。
関係ない。
誰でもいい。
魔女について何も知らないと分かれば、殺す。
魂を抜く。
食べる。
そのたびに、残された人間の顔から何かが抜け落ちていく。
夫を。
妻を。
親を。
子を。
誰かが死ぬたびに、誰かの中からその人間が消えていく。
悲鳴を上げていた者が、突然泣き止む。
名前を叫んでいた者が、何を叫んでいたのか分からなくなる。
目の前に家族の死体があるのに、その理由さえ理解できなくなる。
「やめろ……」
玲はまた走った。
「もうやめろ!!」
届かない。
何度やっても。
何度立っても。
悪魔に触れることすらできない。
一人。
また一人。
村人が減っていく。
やがて、広場から声が消えた。
「…………」
玲は立ち尽くした。
誰もいない。
正確には、誰も生きていない。
ついさっきまで何十人もの人間がいた場所に、死体だけが残っている。
「……あ」
玲の手から剣が滑り落ちた。
守れなかった。
一人も。
最初に殺された男も。
その息子も。
逃げようとした人間も。
助けを求めた人間も。
誰一人。
玲は悪魔を見る。
二体は死体の間に立っていた。
「……いないね」
「うん」
「ここも違った」
それだけだった。
これだけ殺して。
それだけ。
一体の悪魔が大きく息を吐く。
「もういい」
「魔女は?」
「別の場所探す」
腹へ手を当てる。
「食べすぎた」
「俺も」
まるで食事を終えた人間のように。
腹が満たされたから店を出る。それと何ら変わらない様子で、悪魔たちは村の出口へ歩き始めた。
「……待て」
玲が呟く。
悪魔は止まらない。
「待てよ」
剣を拾う。
腕が震える。
それでも握る。
「玲……」
椎名の声が聞こえた。
「もう……」
玲は走った。
「待て!」
悪魔へ斬りかかる。
振り向いた悪魔が、玲の剣を避ける。
拳が再び玲を地面へ叩きつけた。
「…………」
悪魔は玲を見下ろした。
「まだやるの?」
「当たり前……だろ」
玲は地面へ手をつくと立ち上がる。
「お前ら……殺す……」
もう一度向かう。
今度は胸を蹴られた。
倒れる。
玲はまた立ち上がる。
「…………」
悪魔が面倒そうに眉を寄せる。
「しつこい」
「うるせえ……」
玲は口元の血を拭う。
「まだ……終わってねえ」
悪魔はもう一体を見る。
「どうする?」
「もう腹いっぱい」
「こいつは?」
玲を見る。
足は震え、まともに立っていることすらできていない。
「いらない」
悪魔が答えた。
「面倒」
踵を返す。
「待て!」
玲が追う。
二歩。
三歩。
膝が崩れた。
「くそ……!」
腕だけで身体を起こす。
「待てよ!」
二体の悪魔は歩いていく。
「逃げんな!」
返事はない。
「まだ俺は――!」
悪魔たちの姿が、煙の向こうへ消える。
玲は這おうとした。
動かない。
身体が。
言うことを聞かない。
「くそ……」
地面を殴る。
「くそっ……!」
もう一度。
拳に血が滲む。
それでも悪魔は戻ってこない。
残されたのは。
玲。
椎名。
かぐや。
そして。
村人たちの死体だけだった。
*
どれくらい経ったのか分からなかった。
玲は広場に座り込み、椎名は崩れた家の壁にもたれ腹を押さえている。
かぐやも傍で伏せていた。
玲たちは生きていた。
生かされた。
理由なんてなかった。
悪魔たちは腹がいっぱいになった。
玲の相手をするのが面倒になった。
ただ、それだけだった。
玲は右手を見る。
黒い紋章が刻まれている。
昨日、この紋章が現れた。
武器を使えるようになった。
身体が強くなった。
騎士になれるかもしれないと思った。
もっと強くなれると思った。
「…………」
地面に落ちた黒い剣を見る。
あれだけ振った。
何度も向かっていった。
一度も届かなかった。
それどころか。
悪魔は最後まで、本気ですらなかった。
「何が……」
声が震える。
「何が強くなっただよ……」
村人の声がまだ耳に残っている。
助けて。
やめて。
知らない。
父ちゃん。
全部聞いていた。
全部見ていた。
なのに何もできなかった。
玲は燃える村を見つめた。
炎。
煙。
血の臭い。
死体。
自分の村と同じだった。
けれど今回は、全部見ていた。
悪魔が来た。
魔女を探した。
知らないと言った人間を殺した。
魂を食った。
家族の記憶まで奪った。
そして、誰もいなくなった。
「災厄の魔女……」
玲が呟く。
昨日まで、その存在すら知らなかった。
顔も知らない。
名前も知らない。
男なのか女なのかも分からない。
どんな奴なのか。
本当に悪い奴なのか。
それさえ誰も知らない。
なのに。
その一人を探すために、村一つが消えた。
玲は燃え続ける家を見つめた。
「……なんで」
声が掠れる。
「会ったこともねえ奴のせいで、こんなに人が死ななきゃいけねえんだよ」
答える者はいなかった。
炎だけが、村を焼き続けていた。




