第9話:禁忌の子
翌朝。
宿を出た玲は、かぐやを連れて酒場へ向かっていた。
朝の街はすでに動き始めている。
通りには店先へ商品を並べる商人の姿があり、荷車が石畳を音を立てて進んでいく。どこかから漂ってきた焼きたてのパンの匂いに、玲は何度か足を止めそうになった。
「腹減ったな」
「朝飯を食ったばかりじゃろう」
「歩いたから」
「まだ大して歩いておらん」
そんなことを話しているうちに、見慣れてきた酒場へ着いた。
扉を開けると、昨日とは違って中にいる騎士は少ない。朝食を取っている者や、依頼書を眺めている者がちらほらいる程度だった。
玲は真っ先に昨日美月たちがいた場所を見る。
誰もいない。
「美月は?」
「とっくに出たぞ」
近くにいた騎士が答えた。
「いつ?」
「日の出る前」
「早えな……」
昨日、朝には出ると言っていた。
分かってはいたが、もう少しくらい話せると思っていた玲は、空になった席をしばらく眺めた。
「朝から何してんの?」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、椎名が酒場の奥から出てくるところだった。
歩き方が昨日より少しぎこちない。
悪魔に腹を殴られ、木へ叩きつけられた椎名は玲より怪我が酷く、昨夜は酒場の一室を借りて休んでいたらしい。
「まだ痛えのか?」
「痛いわよ。誰かさんと違って、こっちはまともに歩くのも大変なの」
「俺も怪我してるぞ」
「なんでそんな元気なのよ」
「知らねえ」
玲は笑った。
椎名は呆れたように息を吐き、そのまま出口へ向かう。
手には昨日の依頼書が握られていた。
「どこ行くんだ?」
「村」
「何しに?」
「報酬をもらいに行くのよ」
昨日倒した悪魔の討伐を依頼したのは、街から離れた村の住人だった。周辺で人が襲われるようになり、村人たちが金を出し合って依頼を出したらしい。
椎名は最初からそのつもりで依頼を受けている。
「俺も行く」
「来なくていい」
「なんでだよ」
「報酬を分けろって言うでしょ」
「半分でいいぞ」
「ほら!」
椎名が依頼書を胸元へ隠した。
「俺も戦っただろ」
「勝手についてきたんでしょ」
「でも面白そうだし、俺も行く」
「人が報酬もらうところの何が面白いのよ」
玲は答えず、先に扉を開けた。
「行こうぜ」
「村の場所知らないでしょ!」
結局、玲とかぐやも椎名についていくことになった。
*
街を離れるにつれ、道を歩く人間は少なくなっていった。
石畳だった道も途中から土へ変わり、左右には広い草原が続いている。
遠くには緩やかな丘が重なり、その斜面を風が渡るたびに草が波のように揺れた。
玲は最初こそ椎名の隣を歩いていたが、いつの間にか道を外れていた。少し高くなった斜面を駆け上がり、また街道へ戻る。
「元気じゃのう」
「昨日あれだけ殴られてたのにね」
椎名は腹を庇いながら歩いている。
玲は少し先から振り返った。
「遅いぞ」
「怪我人に言う台詞?」
「俺も怪我人だ」
「あんたと一緒にしないで」
玲は笑いながら道端の柵へ飛び乗った。
両腕を広げてその上を進み、途切れたところで軽く地面へ降りる。
昨日適合してから、まだ身体の感覚が少し違う。以前より身体が軽い。
だからといって調子に乗るなと美月には言われたが、試したくなるものは仕方がなかった。
村までは数時間かかるらしい。
急ぐ理由もなく、三人は時折休憩を挟みながら街道を進んだ。
昼が近づいた頃、小さな集落を通りかかる。
十軒ほどの家が並ぶだけの場所だった。
その入口に、古びた木の板が立てられている。
玲はその前を通り過ぎようとして、大きく書かれた文字に目を留めた。
――災厄の魔女。
「……魔女?」
玲が足を止める。
その下にも文章が続いていたが、玲にはほとんど読めなかった。
椎名が振り返る。
「どうしたの?」
「これ何だ?」
「何って……」
椎名は玲が指差す文字を見る。
「魔女狩りへの注意書きでしょ」
「魔女狩り?」
椎名が玲を見る。
「まさか、知らないの?」
「知らねえ」
少しの沈黙。
椎名は本気で信じられないものを見るような顔をした。
「……あんた、どんな村で育ったの?」
「普通の村」
「絶対普通じゃないわよ」
玲はもう一度、木の板を見上げる。
「で、魔女って何なんだ?」
椎名は少し考えてから答えた。
「悪魔と人間の間に生まれた子どもよ」
「悪魔と人間の?」
「そう。生まれちゃいけなかった、禁忌の子」
それが魔女。
ただし、誰もその姿を知らない。
男なのか女なのかさえ分かっていない。
どこにいるのかも、今も生きているのかも分からない。
それでも、魔女が存在することだけは世界中に知られていた。
玲は木の板に刻まれた文字を見る。
「なんで災厄なんだ?」
「魔女が生まれてから、悪魔がそいつを探してるから」
魔女を狙う悪魔たちが、人間の住む土地へ現れる。
そのたびに町や村が襲われ、大勢の人間が殺されてきた。
魔女がそこにいるのかどうかも分からないまま。
だから人間は魔女を憎んだ。
多くの人間を死なせ、悪魔を呼び寄せる存在。
いつしか誰かが、その正体不明の魔女を――『災厄の魔女』と呼び始めた。
「でも、どんな奴か分かんねえんだろ?」
「分からない」
「じゃあどうやって探すんだ?」
「だから問題なのよ」
椎名の声が少し低くなった。
魔女の顔も、性別も分からない。
そのため人間の間でも疑心が広がった。
あいつが魔女ではないか。
あの家が魔女を匿っているのではないか。
あの村に魔女がいるから、悪魔が現れたのではないか。
根拠などなくても一度疑いが広がれば止まらない。
追放だけで済むこともあれば、人間同士で殺し合いになることもある。
そしてそこへ、本当に魔女を探す悪魔まで現れる。
人間も。
悪魔も。
同じ一人を探して、人間を殺す。
それが世界各地で繰り返されてきた――魔女狩りだった。
「……変なの」
玲が呟いた。
「何が?」
「そいつが魔女か分かんねえのに殺すんだろ?」
「そうね」
「悪魔も人間も?」
「どっちも」
玲は少し考えた。
「本当に悪い奴かも分かんねえのに」
それだけ言って、木の板から離れた。
椎名は何も返さなかった。
かぐやだけが、古びた板をしばらく見つめていた。
「かぐや?」
「……いや」
かぐやは玲を追いかける。
「何でもない」
三人は再び村へ向かった。
*
太陽が少し西へ傾き始めた頃、草原が途切れ、道の周囲に畑が増え始めた。
目的の村が近いらしい。
椎名は依頼書を取り出し、書かれた場所を確認する。
「もうすぐね」
「報酬いくらだっけ?」
「教えない」
「半分でいいぞ」
「一銭もあげない」
「俺も戦ったのに」
「勝手についてきたんでしょ」
玲は不満そうに口を尖らせた。
かぐやが二人の間を歩いている。
やがて、畑の間を抜ける細い道へ入った。
「村見えてきたぞ!」
「走らないでって! まだ怪我してるんだから!」
椎名の声を背中に受けながら、玲は丘へ向かう。
だが。
途中で、その足が止まった。
「…………」
かぐやもほとんど同時に立ち止まる。
耳が立った。
鼻先がわずかに動く。
「玲?」
椎名が二人を見る。
玲は答えない。
風が吹いた。
丘の向こうから流れてきた空気が、三人の間を抜けていく。
玲の表情が消えた。
焦げた木。
煙。
その奥に混じる、血の臭い。
知っている。
忘れるはずがない。
あの日、森から村へ戻る途中で嗅いだものと同じだった。
「……まさか」
隣でかぐやが呟く。
「何なの?」
「行くぞ」
玲が走り出した。
「え?」
かぐやも地面を蹴る。
「ちょっと、待って!」
椎名には何が起きたのか分からない。それでも、二人の様子が明らかに変わったことだけは分かった。腹の痛みを堪えながら、その後を追う。
丘を駆け上がる。
玲が頂上へ辿り着いた。
その先を見た瞬間、足が止まった。
かぐやも隣で立ち尽くす。
「はぁ……っ、急に何なのよ……」
遅れて椎名が丘を登り切り、わけもわからぬまま顔を上げる。
「…………え?」
眼下にある村から、黒い煙が上がっていた。
何軒もの家が炎に包まれている。
屋根は崩れ、畑は踏み荒らされ、村を囲んでいた柵も倒れていた。
玲は何も言わず丘を駆け下りる。
村へ近づくほど、臭いは強くなっていた。
煙。
焦げた木。
そして、血。
村の入口まで来たところで、椎名も足を止めた。
地面に人が倒れている。
一人ではない。
道の脇にも。
焼けた家の前にも。
倒れた者たちの傷は、それぞれ違っていた。
刃物で裂かれた者もいれば、人の力ではつけられないような傷を負った者もいる。
「……嘘でしょ」
椎名の手から、依頼書がゆっくりと下がる。
玲は燃える村を見つめている。
「椎名」
「……何?」
「これ」
玲は目の前の光景から目を離さない。
「魔女狩りってやつか?」
椎名も村を見る。
ついさっきまで説明していた言葉。
人間も悪魔も、正体すら分からない一人の魔女を探して、人間を殺す。
その結果が目の前に広がっている。
「……たぶん」
どこかで家が崩れた。
炎が大きく揺れ、火の粉が空へ舞い上がる。
「…………」
玲は動かなかった。
炎。
煙。
血の臭い。
倒れた人間。
あの時見たものと、あまりにもよく似ている。
隣では、かぐやも村を見つめたまま動かない。
「……同じじゃ」
小さな声だった。
玲は何も答えなかった。
ただ、燃え続ける村を見つめていた。




