第52話 腕の中の帰還
森の中を。
二人は走っていた。
「はっ……」
「はぁ……っ」
背後から。
盗賊たちの声が聞こえる。
「いたぞ!」
「こっちだ!」
「逃がすな!」
「……」
マリアの手を握ったまま。
アルベルトは走る。
「大丈夫?」
「……はい!」
返事はした。
しかし。
明らかに苦しそうだった。
「無理してない?」
「大丈夫です!」
「……」
声が震えている。
足も。
少しずつ遅くなっていた。
当然だ。
昼から移動し。
盗賊に襲われ。
森の中を歩かされ。
そして。
今。
全力で走っている。
身体が限界でも。
不思議ではない。
「……」
アルベルトは。
背後を見る。
盗賊たちは。
まだ距離がある。
しかし。
人数が多い。
このままでは。
追いつかれる。
「マリアさん」
「はい!」
「少しだけ」
「時間を作る」
「……?」
「先に進んで」
「え?」
「いや、一緒に来て」
アルベルトは。
周囲を見回した。
「こっち」
二人は。
少し狭い場所へ入る。
左右を大きな岩と木々に囲まれた。
追ってくる者は。
ここを通るしかない。
「……」
アルベルトは。
地面に手を触れる。
「水」
地面へ。
薄く水を広げる。
「……?」
マリアが見る。
「アルベルトさん?」
「静かに」
「はい」
水は。
土へ染み込んでいく。
一見。
何も変わらない。
「……」
アルベルトは。
さらに。
小さく魔力を流した。
「……凍れ」
夜の冷気。
水。
そして。
魔力。
地面が。
薄く凍った。
「……」
見た目では。
ほとんど分からない。
しかし。
足を乗せれば。
滑る。
「これで」
「少しは」
時間を稼げる。
「……行こう」
「はい」
二人は。
再び走り始めた。
「こっちだ!」
盗賊たちが。
二人の後を追う。
「急げ!」
「逃がすな!」
そして。
一人が。
狭い場所へ足を踏み入れた。
「……?」
次の瞬間。
「うわっ!」
足が滑る。
派手に転ぶ。
「何してる!」
「地面が!」
後ろから来た盗賊が。
その男にぶつかる。
「おい!」
「どけ!」
「うわっ!」
「くそ!」
次々に。
盗賊たちが転ぶ。
「……」
「なんだこれ!」
「誰か魔法を使ったのか!?」
「急げ!」
怒鳴り声。
しかし。
足止めには成功した。
「……っ」
マリアは。
必死に走っていた。
しかし。
身体は。
もう限界だった。
「はぁ……」
「はぁ……」
呼吸が苦しい。
足が重い。
頭が。
ぼんやりする。
「マリアさん」
「……大丈夫」
「です」
「……」
「少し休んだ方が」
「駄目です」
マリアは首を振る。
「止まったら、追いつかれます」
「……」
「だから、まだ走れます」
その直後だった。
「……っ!」
足が。
もつれた。
「あ……」
身体が前へ倒れる。
「マリアさん!」
「……っ」
地面へ。
倒れ込む。
「大丈夫!?」
「……はい」
そう答えようとした。
しかし。
立てない。
「……」
足に。
力が入らない。
「すみません」
「……」
「私、足を引っ張って」
「違う」
「でも」
「違うよ」
アルベルトは。
マリアの前にしゃがむ。
「……」
「十分頑張った」
「……」
「もう無理しなくていい」
マリアの目から。
涙が溢れた。
「……でも」
「……」
「まだ、帰らないと」
「うん、帰るよ。だから、少し失礼」
「……?」
アルベルトは。
マリアの身体を抱き上げた。
「……え?」
次の瞬間。
マリアの身体が。
宙に浮いた。
「……っ!?」
「アルベルトさん!?」
「走るより早い」
「でも!」
「落ちないように」
「掴まってて」
「……」
マリアは。
状況を理解する。
自分は今。
アルベルトの腕の中にいる。
いわゆる。
お姫様抱っこ。
「……っ!」
「ちょっと待ってください!」
「待てない、追手がいる」
「それはそうですけど!」
「じゃあ掴まってて」
「……っ」
マリアは。
仕方なく。
アルベルトの首へ腕を回した。
「……」
「……」
顔が。
近い。
しかし。
今は。
そんなことを気にしている場合ではない。
「……行くよ」
「はい」
アルベルトは。
走り出した。
「……」
速い。
マリアは。
思った。
速すぎる。
「……」
アルベルトは。
自分一人で走る時と。
ほとんど変わらない速度で走っている。
自分を抱えているのに。
呼吸も乱れていない。
「……アルベルトさん」
「何?」
「重くないですか?」
「大丈夫」
「本当に?」
「本当に」
「……」
マリアは。
少しだけ。
アルベルトの顔を見る。
「……」
余裕がある。
汗も。
ほとんどかいていない。
「……」
この人は。
やっぱり。
普通のCランク冒険者ではない。
そんなことを。
初めて。
はっきりと思った。
しばらくして。
木々の隙間から。
月明かりが見えた。
「……」
森が。
終わる。
「もうすぐ」
「街道」
アルベルトが言った。
「……」
マリアは。
少し安心する。
街道まで出れば。
人がいる。
盗賊たちも。
追ってくることは難しくなる。
「……」
そして。
二人は。
森を抜けた。
「……」
目の前には。
街道。
月明かりに照らされた。
見慣れた道。
「……」
アルベルトは。
ゆっくり止まる。
「大丈夫?」
「……はい」
「歩ける?」
「……たぶん」
「無理しないで」
「大丈夫です」
アルベルトは。
ゆっくりと。
マリアを地面へ下ろした。
「……」
足が。
まだ少し震えている。
しかし。
立てた。
「……」
そして。
マリアは。
今さら。
自分が。
ずっとアルベルトに抱きかかえられていたことを思い出した。
「……」
「……」
顔が。
赤くなる。
「……?」
アルベルトが見る。
「どうしたの?」
「な」
「何でもありません!」
「そう?」
「はい!」
妙に大きな声。
「……」
アルベルトは。
少し首を傾げた。
しかし。
それ以上は聞かなかった。
「……」
マリアは。
顔を背ける。
怖かった。
疲れた。
泣いた。
そして。
助けられた。
なのに。
今。
一番意識してしまっているのは。
自分が。
この人の腕の中にいたことだった。
「……」
馬鹿みたい。
そう思う。
しかし。
胸の奥が。
妙に温かい。
「……行こうか」
「はい」
二人は。
街道を歩き始めた。
その時。
遠くから。
馬車の音が聞こえた。
「……」
アルベルトが。
音の方向を見る。
「運がいい」
「乗せてもらえるかも」
「はい」
マリアは。
少し笑った。
そして。
隣を歩く。
もう。
手は繋いでいない。
けれど。
なぜか。
さっきまでより。
ずっと安心できた。
その頃。
盗賊たちの拠点。
「くそ!」
「逃げられた!」
「追え!」
「もう森を抜けてるかもしれない!」
頭領が。
苛立ったように叫ぶ。
「……」
しかし。
盗賊たちは。
気づいていなかった。
自分たちが。
一人の女を逃がしたことで。
すでに。
大きな失敗を犯していることに。
マリアは。
盗賊団の顔。
人数。
拠点の場所。
そして。
内部の様子まで。
すべて覚えていた。
彼女がギルドへ戻れば。
この盗賊団は。
いずれ。
討伐される。
そして。
アルベルト自身も。
それを。
よく分かっていた。
だから。
今夜は。
盗賊たちを追わない。
目立つ必要はない。
マリアを。
無事に帰す。
今は。
それだけでいい。
ただ。
アルベルトには。
一つだけ。
誤算があった。
この夜の出来事が。
マリアの中で。
彼という存在を。
以前とはまったく違うものに変えてしまったことを。
本人だけは。
まだ。
気づいていなかった。




