第5話 昼食を食べていない顔
昼を少し過ぎた頃。
冒険者ギルドの受付は、ようやく一段落していた。
「ふぅ……」
リゼは小さく息を吐く。
午前中は忙しかった。
依頼の受付。
報告書の処理。
新人冒険者への説明。
覚えることはまだ多い。
それでも、少しずつ慣れてきている。
「リゼ、休憩入っていいわよ」
「はい!」
先輩受付嬢に声をかけられ、リゼは時計を見る。
もう昼休みの時間だ。
「……あ」
そこで気づいた。
お昼ご飯を買っていない。
朝は寝坊しそうになって、簡単にパンを一つ食べただけだった。
「どうしよう……」
食堂へ行けば、往復するだけで時間がなくなる。
今日は午後からも忙しそうだ。
「……まあ、いいか」
リゼは席を立たなかった。
少しくらいなら大丈夫。
そう思って、机の上の書類を整理し始める。
◇
「リゼ」
「はい!」
突然、声をかけられた。
顔を上げる。
「アルベルトさん」
受付の前に、アルベルトが立っていた。
「今、休憩中か?」
「はい」
「飯は?」
「え?」
「昼飯」
「……」
リゼは一瞬、答えに詰まった。
「食べました」
「そうか」
アルベルトはそれ以上何も言わない。
そのまま受付から離れていく。
「……」
リゼは胸を撫で下ろした。
よかった。
まさか、昼食を抜いているなんて言えない。
新人なのに仕事を優先していると思われたら恥ずかしい。
ところが。
十分ほどして。
「ほら」
「……え?」
アルベルトが戻ってきた。
手には紙袋がある。
「これ」
「私に……ですか?」
「他に誰がいる」
「でも……」
「パンとスープだ」
紙袋を差し出される。
「近くの店で買ってきた。食え」
「……」
リゼは紙袋とアルベルトを交互に見る。
「どうして……?」
「食べてないだろ」
「……!」
ばれていた。
「なんで分かったんですか?」
「見れば分かる」
「そんな……」
自分では普通にしていたつもりだった。
「顔に出てたぞ」
「顔……?」
「ああ」
アルベルトは少し考えるようにリゼを見る。
「疲れてる顔してた」
「……」
「それに、昼になっても席を立たなかった」
「あ……」
そこまで見ていた。
「でも、私……大丈夫です」
「なら、食べてから大丈夫になれ」
「……」
リゼは思わず笑ってしまった。
「なんですか、それ」
「別に」
「変なの」
「よく言われる」
アルベルトはそう言って笑った。
リゼは紙袋を受け取る。
「……ありがとうございます」
「おう」
「お金……」
「いらん」
「でも!」
「新人に飯を奢るくらい、どうってことない」
「……」
リゼは少し迷ってから、頭を下げた。
「いただきます」
「ああ」
アルベルトが離れていく。
その背中を見ながら、リゼは紙袋を開けた。
温かいスープの香りがする。
パンもまだ温かい。
「……」
胸の奥が、じんわり温かくなる。
昨日もそうだった。
この人は、どうしてこんなに自然なんだろう。
助けたことを恩に着せない。
心配したことも、いちいち口にしない。
ただ、必要なことをしていく。
「……いただきます」
一口食べる。
「おいしい……」
思わず笑顔になった。
◇
「リゼ、最近アルベルトさんとよく話してるわね」
昼食を終えた頃。
マリアが声をかけてきた。
「そ、そうですか?」
「ええ」
「昨日も助けてもらったので……」
「そう」
マリアはリゼの机を見る。
「それ、アルベルトさん?」
「はい。お昼ご飯を買ってきてくれました」
「ふふ」
マリアが笑う。
「やっぱりね」
「やっぱり?」
「アルベルトさん、昔から人の食事には妙に気を遣うのよ」
「そうなんですか?」
「自分は適当に済ませるくせにね」
「……アルベルトさんらしいです」
「でしょう?」
マリアは楽しそうに笑った。
「でも、気をつけたほうがいいわよ」
「え?」
「アルベルトさん、何気なく人のことを見るから」
「……」
リゼは少しだけ考える。
確かに。
昨日も自分の状態をすぐに見抜かれた。
今日だってそう。
「……すごいですね」
「ええ」
マリアは頷いた。
「だから、あの人に話を聞いてもらうと、つい何でも話しちゃうのよ」
「……」
リゼはその言葉を聞いて、少しだけ頬を赤くした。
自分も。
もっと話してみたい。
そんな気持ちがある。
◇
午後の仕事が始まった。
リゼは先ほどより少し元気だった。
昼食を食べたからだ。
そして何より。
アルベルトが自分のことを気にかけてくれた。
そのことが嬉しかった。
「次の方、どうぞ!」
一人の女性冒険者が受付に来る。
「依頼を受けたいんですけど」
「はい。確認しますね」
リゼは笑顔で依頼書を受け取る。
以前よりも自然に声が出る。
少しだけ自信がついてきた気がする。
――でも。
仕事が終わって一人になると。
やっぱり考えてしまう。
同期の子は、自分より仕事が早い。
説明も上手い。
笑顔も自然。
それに――
自分より可愛い。
「……胸も大きいし」
鏡を見る。
自分の胸元。
同期の子たちと比べると、自分は普通だ。
別に小さいわけではない。
けれど、目立つほどでもない。
「……はぁ」
自分は何を気にしているんだろう。
受付嬢として大事なのは仕事だ。
分かっている。
分かっているけれど。
「もっと私も……」
可愛くなりたい。
仕事もできるようになりたい。
誰かに頼られる人になりたい。
そんなことを考えてしまう。
◇
翌日の昼。
リゼが受付に座っていると。
「今日は食べたか?」
「はい!」
アルベルトが受付の前から声をかけてきた。
「ちゃんと食べました!」
「ならいい」
「……」
それだけだった。
アルベルトは依頼の確認をして、いつものように帰っていく。
なのに。
リゼはしばらく、その背中を見ていた。
たった一言。
それだけなのに。
自分のことを覚えていてくれた。
昨日のことを。
ちゃんと覚えていてくれた。
「……アルベルトさんって」
リゼは小さく呟く。
「優しいな……」
その言葉を口にした瞬間。
胸が少しだけ高鳴った。
まだ、それを恋だとは思わない。
けれど。
アルベルトがギルドに来ると嬉しい。
声をかけてもらえると嬉しい。
そして。
自分のことを覚えていてくれると、もっと嬉しい。
そんな小さな変化が。
リゼの中で、確かに始まっていた。




