第4話 副ギルド長の知らない顔
昨日の一件から、一夜。
リゼは朝から少し落ち着かなかった。
仕事に集中しなければと思っているのに、ふとした瞬間に昨日のことを思い出してしまう。
『全部自分のせいにするな』
あの言葉。
何度思い返しても、不思議だった。
失敗した自分を責めるのではなく、何が悪かったのかを一緒に整理してくれた。
それだけではない。
怒鳴られて動けなくなった自分を、情けないとも言わなかった。
「……アルベルトさん」
無意識に名前を呟く。
「リゼ?」
「ひゃっ!」
隣の先輩受付嬢に声をかけられ、リゼは慌てて振り向いた。
「どうしたの? ぼーっとして」
「な、なんでもありません!」
「そう?」
「はい!」
先輩は不思議そうな顔をしたものの、それ以上は聞かなかった。
リゼは小さく息を吐く。
今日はちゃんと仕事をしよう。
そう思った。
◇
「リゼさん、この書類を副ギルド長室へ持っていってくれる?」
「はい!」
昼前。
先輩から数枚の書類を受け取った。
副ギルド長室。
そこへ行くのは初めてだった。
廊下を歩いていくと、奥に重厚な扉が見えてくる。
その前で一度姿勢を正した。
「失礼します」
扉を軽く叩く。
「どうぞ」
中から、落ち着いた女性の声が返ってきた。
「失礼します」
扉を開ける。
「書類をお持ちしました」
「ありがとう。そこに置いてちょうだい」
「はい」
リゼは机の端へ書類を置いた。
顔を上げる。
そこにいるのは、エレナ副ギルド長。
長身の女性だった。
背筋が伸び、姿勢が美しい。
長い髪を整え、ギルドの制服をきちんと着こなしている。
副ギルド長という立場に相応しい、隙のない雰囲気。
「リゼさんだったわね」
「はい!」
「仕事には少し慣れてきた?」
「はい。まだまだですけど……少しずつ」
「それでいいわ。焦る必要はないもの」
「ありがとうございます」
エレナは穏やかに笑った。
「昨日は大変だったでしょう」
「……」
リゼの表情が固まる。
「ご存じなんですか?」
「副ギルド長だからね。ギルド内で起きたことくらいは耳に入るわ」
「すみません……」
「どうして謝るの?」
「……」
昨日も同じことを言われた。
アルベルトにも。
エレナにも。
「……気をつけます」
「そうね」
エレナは少し笑った。
「でも、失敗したら反省すればいい。必要以上に自分を責める必要はないわ」
「はい」
その言葉に、リゼは少しだけ安心した。
もしかすると。
アルベルトとエレナは、似ているのかもしれない。
そんなことを考えながら、副ギルド長室を出た。
◇
午後。
リゼは休憩時間に入った。
「ちょっと外の空気、吸ってこよう」
昼食を買いに行くついでに、ギルドの外へ出る。
ギルドの周辺には、冒険者向けの店が並んでいる。
武器屋。
防具屋。
道具屋。
食堂。
見慣れない店を眺めながら歩いていると――
「あれ?」
少し先に見覚えのある後ろ姿があった。
アルベルトだ。
「アルベルトさん……?」
思わず足が止まる。
声をかけようか迷う。
すると。
「アル!」
別の方向から女性の声がした。
「……?」
リゼが振り向く。
そこにいたのは、エレナだった。
「副ギルド長……?」
ギルドにいるときとは違う。
もちろん服装は仕事着のままだ。
けれど、表情が柔らかい。
「やっぱりここにいた」
「エレナか」
アルベルトが振り返る。
「昼飯か?」
「そう。アルは?」
「俺も」
「じゃあ一緒に行こうよ」
「いいぞ」
二人が並んで歩き始める。
リゼは思わず、その後ろ姿を目で追った。
そこで。
「……え?」
アルベルトが、エレナの頭に軽く手を置いた。
「髪、跳ねてるぞ」
「え? どこ?」
「ここ」
アルベルトが髪を軽く整える。
「……これでいい」
「ありがと」
エレナが笑う。
その笑顔は、ギルドで見たものとはまるで違った。
副ギルド長としての厳格さもない。
年下の職員に見せる優しい笑顔とも違う。
もっと自然で。
気を許した人にだけ見せるような表情だった。
「アル、今日仕事終わったら飲みに行かない?」
「またか?」
「いいじゃん。久しぶりなんだから」
「昨日も飲んだだろ」
「昨日は昨日。今日は今日」
「そういうものか?」
「そういうもの」
エレナが楽しそうに笑う。
アルベルトも苦笑する。
「分かったよ」
「やった」
そのやり取りを見て、リゼは呆然とした。
「……仲、いいんだ」
思わず声が漏れる。
二人は長い付き合いなのだろう。
単に副ギルド長と一冒険者という関係ではない。
もっと近い。
そんな気がした。
◇
その日の夕方。
リゼが受付へ戻ると、マリアが書類を整理していた。
「あ、マリアさん」
「どうしたの?」
「今日、外でアルベルトさんとエレナ副ギルド長を見かけました」
「そう」
「すごく仲がいいんですね」
マリアの手が、一瞬だけ止まった。
「……ええ」
「昔からなんですか?」
「そうね」
マリアは少し考えてから答える。
「エレナさんとアルベルトは、昔からの仲だから」
「昔から……」
「二人とも、昔は冒険者だったのよ」
「えっ?」
リゼは驚いた。
「エレナさんも?」
「ええ」
「今の副ギルド長が……?」
「元Aランク冒険者よ」
「Aランク……」
リゼは目を丸くした。
Aランク。
それは、この街にいる冒険者の中でもほんの一握り。
そんな人が、今は副ギルド長をしている。
「アルベルトさんも、昔から冒険者だったんですよね」
「そう」
「じゃあ……二人は昔から一緒に冒険してたんですか?」
「そういう時期もあったらしいわ」
マリアはそれ以上詳しくは話さなかった。
ただ。
「だから、エレナ副ギルド長がアルベルトにあんなに気安いのも無理ないわ」
「なるほど……」
リゼは納得した。
そう考えれば、あの距離感も分かる。
長い年月を一緒に過ごした仲間。
きっと、普通の冒険者と副ギルド長とは違うのだろう。
「……でも」
「ん?」
「アルベルトさんって、すごい人なんですね」
リゼがそう言うと、マリアは少しだけ笑った。
「どうして?」
「だって、エレナ副ギルド長とあんなに仲がいいから」
「それだけ?」
「それだけ……?」
「アルベルトさんはね」
マリアは書類を整理しながら言った。
「昔から、人のことをよく見てるのよ」
「……」
「だから、あの人と話してると、自分のことをちゃんと分かってもらえてるような気がする」
リゼは黙って聞いていた。
「エレナさんもそうだと思うわ」
「……私も」
気づけば、リゼはそう口にしていた。
「え?」
「あ……」
自分でも驚いた。
「私も、昨日……そんな感じがしました」
アルベルトと話していると。
自分の弱いところを見られても、恥ずかしくなかった。
失敗しても、全部を否定された気がしなかった。
むしろ。
ちゃんと自分を見てもらえた。
そんな感じがした。
「そう」
マリアは穏やかに笑った。
「なら、よかったわね」
「……はい」
リゼも笑った。
その日の仕事が終わる。
ギルドを出る前、リゼはふと空を見上げた。
夕暮れの空。
今日、外で見たアルベルトとエレナの姿を思い出す。
ギルドの中では、ただのCランク冒険者。
でも。
ギルドの外では、昔からの仲間と笑っている。
そして。
自分には見せていない、いろんな顔がある。
「……もっと知りたいな」
ぽつりと呟く。
アルベルトという人のことを。
どんな冒険をしてきたのか。
どんな人たちと付き合ってきたのか。
どうして、あんなふうに人の話を聞けるのか。
知りたい。
そう思った。
昨日までは、ただ「助けてくれた人」だった。
今日は少し違う。
――もっと話してみたい人。
リゼの中で、アルベルトの存在が少しずつ大きくなっていた。




