第49話 帰り道の異変
隣の支部との打ち合わせから、一か月が過ぎた。
マリアが提案した危険情報の共有方法は、正式に採用されることになった。
まずは二つの支部で試験的に運用する。
問題がなければ。
周辺の支部にも広げていく予定だった。
「マリアさん」
「はい」
「隣の支部へ行ってきてもらえる?」
「私ですか?」
「ええ」
先輩受付嬢が書類を差し出す。
「前回の件で、実際の運用について確認したいことがあるらしいの」
「分かりました」
マリアは書類を受け取った。
「いつ行けば?」
「明日」
「……明日ですか?」
「急で悪いけど」
「大丈夫です」
マリアは頷いた。
前回とは違う。
今回は。
一人だ。
もちろん。
不安がないわけではない。
しかし。
隣の支部へ行く街道は。
普段から商人や旅人が利用している。
危険な場所ではない。
「一人でも大丈夫ですよね」
「そうね、日帰りで戻れる距離だし」
「はい」
マリアは笑った。
翌朝。
マリアは早くから冒険者ギルドへ来ていた。
必要な書類を確認する。
前回の打ち合わせ内容。
危険情報の一覧。
新しい運用方法。
「忘れ物は……ないですね」
鞄を閉じる。
「行ってきます」
「気をつけてね」
「はい」
職員たちに見送られ。
マリアは馬車へ向かった。
そして。
その途中。
「マリアさん」
「……あ」
声をかけられた。
「アルベルトさん」
「どこか行くの?」
「隣の支部です」
「また?」
「はい」
「今回は一人です」
「……」
アルベルトの表情が。
ほんの少しだけ変わった。
「馬車?」
「はい」
「日帰り?」
「その予定です」
「帰りも?」
「もちろんです」
「……」
「どうしました?」
「いや」
アルベルトは。
少し考えた。
「気をつけて」
「はい」
「日が暮れる前に帰ってきてね」
「分かっています」
マリアは笑った。
「子供じゃないんですから」
「そうだけど」
「……」
「本当に大丈夫ですよ」
「街道には商人もたくさんいますし」
「盗賊だってそう簡単には出ません」
「……そうだね」
アルベルトは。
それ以上何も言わなかった。
「では」
「行ってきます」
「うん」
マリアが馬車へ向かう。
その背中を。
アルベルトは。
しばらく見ていた。
「……」
嫌な予感がした。
理由はない。
ただ。
何となく。
「考えすぎか」
アルベルトは小さく呟く。
そして。
依頼掲示板へ向かった。
隣の支部での打ち合わせは。
問題なく終わった。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
「また何かあれば連絡します」
「はい」
マリアは頭を下げる。
外へ出る。
時計を見る。
予定より少し早い。
「これなら」
「夕方前には戻れますね」
馬車乗り場へ向かう。
帰りの馬車に乗る。
商人。
旅人。
そして。
数人の一般客。
前回と同じような。
普通の馬車だった。
「……」
窓の外を見る。
ゆっくりと街が遠ざかっていく。
そして。
街道へ出た。
最初の数時間は。
何も起きなかった。
馬車は順調に進む。
マリアは書類を読み返していた。
「……」
新しい運用方法。
まだ問題はある。
しかし。
少しずつ改善していけばいい。
そんなことを考えていた時だった。
「……?」
馬車の速度が落ちた。
やがて。
完全に止まる。
「どうしたんですか?」
誰かが御者に尋ねる。
「分からん」
「前に何かある」
御者の声。
乗客たちがざわつく。
「事故か?」
「馬車でも止まってるのか?」
マリアは窓から外を見る。
しかし。
前方は木々で見えなかった。
「……」
何か。
嫌な感じがする。
馬車の外。
静かすぎる。
鳥の鳴き声もない。
「……」
マリアは。
ふと。
アルベルトの言葉を思い出した。
『気をつけて』
「……」
その瞬間。
馬車の扉が開いた。
「――全員、動くな」
男の声。
剣を持った男が立っていた。
「……っ」
乗客たちが息を呑む。
「金と荷物を出せ」
「抵抗するな」
「抵抗した奴は殺す」
「……盗賊」
誰かが呟いた。
マリアの身体が固まる。
本当に。
盗賊。
そんな。
まさか。
「早くしろ!」
男が怒鳴る。
乗客たちは。
一人ずつ荷物を差し出していく。
「……」
マリアも。
鞄を握る。
中には。
ギルドの書類が入っている。
しかし。
命より大切なものではない。
「……」
鞄を差し出そうとした時。
「お前」
「……?」
盗賊の一人が。
マリアを見た。
「その服」
「ギルドの職員か?」
「……」
答えない。
「そうなのか?」
「……」
「答えろ!」
「……冒険者ギルドの職員です」
マリアは。
正直に答えた。
嘘をついても。
制服で分かる。
「へえ」
男が笑う。
「こいつは運がいい」
「……?」
「いや」
「俺たちがな」
嫌な予感がした。
「連れて行け」
「……っ!」
二人の盗賊が近づく。
「待ってください!」
マリアが声を上げる。
「私は」
「何でもしますから」
「他の人には手を出さないでください!」
「へえ」
盗賊が笑った。
「優しい受付嬢さんだな」
「でも」
「安心しろ」
「お前以外には興味ない」
「……」
マリアの腕が掴まれる。
「離してください!」
「黙れ!」
「……っ!」
抵抗する。
しかし。
力では敵わない。
「やめろ!」
乗客の一人が立ち上がった。
「女を連れていくなんて!」
「お前は黙ってろ」
盗賊が剣を向ける。
男は動けなくなった。
「……」
誰も。
助けられない。
マリアは。
理解した。
自分は。
連れて行かれる。
「……」
怖い。
身体が震える。
それでも。
泣かなかった。
「……」
マリアは。
盗賊たちの顔を見る。
人数。
武器。
服装。
特徴。
覚える。
冒険者ギルドの職員として。
少しでも。
情報を残す。
「早くしろ」
「……」
マリアは馬車から降ろされた。
そして。
森の中へ連れて行かれる。
その日の夕方。
「……遅い」
アルベルトは。
冒険者ギルドの入口を見る。
マリアは。
まだ戻っていなかった。
「日帰りの予定だったんだよな」
隣の受付嬢へ聞く。
「ええ」
「そろそろ戻ってくる頃だと思うんだけど」
「……」
アルベルトは。
時計を見る。
すでに。
予定時刻を過ぎている。
「馬車が遅れてるだけじゃない?」
「……そうかも」
しかし。
嫌な予感が消えない。
「……」
もう少し待つ。
そう思った。
しかし。
一時間。
二時間。
日が沈んでも。
マリアは戻らなかった。
「……」
アルベルトは。
静かに立ち上がった。
「アルベルトさん?」
「ちょっと」
「どこへ?」
「依頼」
「今から?」
「うん」
アルベルトは。
いつものように答えた。
「少し」
「気になることがある」
そう言って。
ギルドを出る。
夜の街道へ向かって。
黒髪の男は。
静かに歩き始めた。
その表情から。
いつもの気の抜けた雰囲気は。
消えていた。
まだ。
誰も知らない。
この夜。
盗賊たちが。
最も襲ってはいけない相手に。
手を出してしまったことを。




