第46話 できることを認める
マリアが冒険者ギルドで働き始めてから、半年が過ぎようとしていた。
「次の方、どうぞ」
「討伐依頼の報告ですね」
「はい。討伐証明を確認します」
かつて。
一人の冒険者を相手にするだけでも緊張していた新人受付嬢は、今では落ち着いた様子で仕事をこなしていた。
依頼の受付。
報酬の精算。
依頼達成の確認。
冒険者の状態確認。
そして。
依頼と冒険者を照らし合わせる。
誰にどの依頼を勧めるべきか。
どの依頼が危険か。
無理をしている冒険者はいないか。
マリアは少しずつ。
受付嬢として必要なものを身につけていた。
「マリアさん」
「はい」
「この書類、確認お願い」
「分かりました」
先輩受付嬢から書類を受け取る。
内容を確認する。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「この討伐依頼、報告された魔物の数と報酬計算が合っていません」
「本当?」
「はい。討伐数が一体多く計算されています」
「よく気づいたわね」
「念のため、確認した方がいいと思います」
「お願い」
「はい」
マリアは書類を持って奥へ向かった。
そんな姿を。
アルベルトが受付の前から眺めていた。
「随分、変わったな」
小さく呟く。
「何がですか?」
別の受付嬢が尋ねる。
「いや」
「新人さん」
「ああ、マリアさん?」
「ええ」
「優秀よね」
受付嬢は笑う。
「仕事を覚えるのも早いし」
「冒険者の顔も、かなり覚えてる」
「この前なんて、書類の計算ミスを見つけてたわ」
「へえ」
「最初は緊張しすぎて大丈夫かと思ったけど」
「今じゃ安心して仕事を任せられる」
「そう」
アルベルトは。
少しだけ笑った。
その日の午後。
冒険者ギルドは珍しく混乱していた。
「すみません!」
扉が開く。
一人の冒険者が飛び込んできた。
「ポーションを!」
「どうしました?」
「仲間が怪我をした!」
すぐに職員が対応する。
しかし。
それだけではなかった。
「緊急依頼です!」
別の職員が声を上げる。
「北の街道で魔物の群れが確認されました!」
「数は?」
「十体以上!」
「Cランク以上の冒険者に声をかけて!」
「はい!」
さらに。
別の受付では冒険者同士の揉め事。
「だから俺たちが先に依頼を受けた!」
「いや、報告が先だ!」
複数の問題が。
同時に起きる。
「……」
マリアは周囲を見る。
何をするべきか。
考える。
そして。
先輩受付嬢の一人が、顔色を変えた。
「ごめん……」
「え?」
「少し気分が悪い……」
「大丈夫ですか?」
「朝から少し……」
顔色が悪い。
「休憩室へ行ってください」
「でも、今は……」
「大丈夫です」
「マリアさん?」
「私がやります」
マリアは。
即座に言った。
「北の街道の緊急依頼は、Cランク以上の冒険者を集めます」
「怪我人の対応は、治癒師を呼びます」
「揉めている依頼については、依頼書の受付記録を確認します」
「……」
先輩受付嬢は。
驚いた顔をする。
「マリアさん」
「早く休んでください」
「でも……」
「今、倒れられる方が困ります」
「……」
先輩受付嬢は。
思わず笑った。
「分かったわ」
「お願いします」
マリアは頷く。
そして。
「Cランク以上の冒険者に声をかけてください!」
「はい!」
「治癒師を呼んでください!」
「分かりました!」
「依頼記録は私が確認します!」
周囲の職員が動き始める。
マリアは。
一つずつ。
問題を整理していった。
「アルベルトさん!」
「ん?」
依頼掲示板の前にいたアルベルトへ、マリアが声をかける。
「緊急依頼です」
「北の街道?」
「はい」
「魔物の群れが確認されました」
「何体?」
「十体以上」
「……」
アルベルトは少し考える。
「他のCランクは?」
「今、集めています」
「そっか」
「お願いします」
「報酬は?」
「……」
マリアは一瞬、呆れた顔をした。
「命がかかっている状況で、最初に聞くことがそれですか?」
「大事なこと」
「大事ですけど」
「ちゃんと出る?」
「出ます」
「じゃあ受ける」
「最初からそう言ってください」
「それだと交渉にならない」
「何の交渉ですか」
マリアは。
少し笑いそうになった。
しかし。
すぐに表情を戻す。
「お願いします」
「分かった」
アルベルトは依頼書を受け取った。
「マリアさん」
「はい?」
「無理しないでね」
「え?」
「今日は忙しいでしょ」
「……」
「じゃあ行ってくる」
それだけ言って。
アルベルトは他の冒険者と共に出ていった。
マリアは。
少しだけ驚いた。
自分のことを心配されるとは思っていなかった。
夕方。
北の街道の緊急依頼は無事に終了した。
魔物の群れは討伐された。
怪我人は治療された。
冒険者同士の揉め事も、記録を確認したことで解決した。
そして。
体調を崩した先輩受付嬢も、少し休んだことで回復した。
「お疲れ様」
「お疲れ様でした」
「マリアさん」
「はい?」
「助かったわ」
「……え?」
「今日、あなたがいなかったら大変だった」
「そんな」
「本当よ。ちゃんと優先順位を考えて、周りにも指示を出して、新人とは思えなかった」
「……」
マリアは。
少し困ったように笑った。
「たまたまです」
「たまたま?」
「はい」
「今日は運が良かっただけです」
「……」
先輩受付嬢は。
少し眉をひそめた。
「マリアさん」
「はい」
「できたことまで否定しなくていいのよ」
「でも……」
「あなたがやったんでしょう?」
「……はい」
「じゃあ、認めなさい」
「……」
マリアは答えられなかった。
夜。
ギルドの業務が終わる。
他の職員たちが帰っていく。
マリアは。
一人で書類を整理していた。
「……」
疲れた。
今日は本当に疲れた。
しかし。
終わらせなければならない仕事がある。
「まだ帰らないの?」
「……」
声がした。
マリアが顔を上げる。
「アルベルトさん?」
「依頼の報酬を受け取りに来た」
「もう受け取ったはずでは?」
「追加分」
「……」
アルベルトは。
適当な椅子に座る。
「今日、大変だった?」
「大変でした」
「そう」
「聞かないんですか?」
「何を?」
「詳しく」
「話したい?」
「……」
マリアは少し考えた。
「……話したいです」
「じゃあ聞く」
アルベルトは。
それだけ言った。
マリアは。
今日のことを話し始める。
先輩受付嬢が体調を崩したこと。
緊急依頼が出たこと。
怪我人が運ばれてきたこと。
冒険者同士が揉めたこと。
そして。
自分がどう判断したのか。
「最初は」
マリアが言う。
「私で大丈夫なのかと思いました」
「うん」
「新人なのに周りに指示を出して、勝手に判断して間違っていたらどうしようって」
「思った?」
「はい。でも、やるしかなかったので」
「うん」
アルベルトは。
何も否定しない。
何も遮らない。
ただ。
聞いている。
「先輩たちは褒めてくれました」
「うん」
「でも、私は、運が良かっただけだと思って」
「……」
「だって、もし一つでも判断を間違えていたら、もっと大変になっていたかもしれません」
「そうかもね」
「え?」
マリアは驚く。
普通なら。
「そんなことないよ」
と言われると思っていた。
「間違える可能性はあったと思う」
「……」
「でも」
アルベルトは続ける。
「今日、ちゃんと判断したのは誰?」
「……私です」
「周りに指示したのは?」
「私です」
「問題を一つずつ整理したのは?」
「……私です」
「じゃあ、運だけじゃないでしょ」
「……」
「もちろん、運が良かった部分もあると思う。でも、マリアさんがやったことまで、運のせいにするのは違う」
マリアは。
黙った。
「反省するのはいい。次はもっと良くするために考えるのもいい。でも、できたことまで否定しなくていい」
「……」
その言葉を聞いた瞬間。
なぜか。
胸の奥が少し熱くなった。
「……」
「マリアさん」
「はい」
「今日、よくやったと思うよ」
マリアは。
顔を伏せた。
「……」
「泣いてる?」
「泣いてません」
「そう?」
「泣いてません」
「声、少し変」
「泣いてません!」
マリアは顔を上げた。
目が少し潤んでいた。
アルベルトは。
何も言わない。
ただ。
少し笑っていた。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
「私」
マリアは。
少し迷った。
「少しはできるようになったんでしょうか?」
アルベルトは。
すぐには答えなかった。
少しだけ考える。
そして。
「少しどころじゃないと思う」
「……!」
「俺は最初の頃から見てるから変化が分かる。最初は三人に同時に話しかけられて固まってた」
「言わないでください!」
「事実」
「恥ずかしいんです!」
マリアの顔が赤くなる。
アルベルトは笑った。
「でも」
続ける。
「今は違う」
「ちゃんと周りを見てる」
「自分で考えてる」
「必要なら人にも頼れる」
「だから」
「もう新人だからって遠慮する必要はないと思う」
マリアは。
言葉を失った。
そして。
小さく呟く。
「……アルベルトさんは」
「何?」
「ずるいです」
「何が?」
「そんな風に言われたら」
「……」
「頑張りたくなります」
「それはいいことじゃない?」
「そうですけど」
マリアは笑った。
「……もっと頑張ります」
「うん。でも、無理しすぎないように」
「……」
「今日みたいに、一人で全部抱え込まないで」
「分かりました」
マリアは。
素直に頷いた。
翌日。
「次の方、どうぞ」
マリアは。
いつもの受付に立っていた。
昨日の疲れは残っている。
しかし。
気持ちは不思議と軽かった。
「……」
できることを。
認める。
できなかったことは。
次に考える。
完璧でなくてもいい。
少しずつ。
前に進めばいい。
「……」
受付の扉が開く。
「おはようございます」
「おはようございます」
冒険者たちを迎える。
そして。
しばらくして。
見慣れた黒髪の男がやって来た。
「おはよう」
「おはようございます、アルベルトさん」
「今日は元気そう」
「はい」
マリアは。
少し笑う。
「昨日、褒めてもらいましたから」
「俺?」
「他に誰がいるんですか」
「そっか」
「はい」
アルベルトは。
少し気まずそうに頭をかいた。
「じゃあ、今日も頑張って」
「はい」
マリアは頷く。
その背中を見ながら。
思う。
この人は。
いつも。
自分では大したことをしていないと思っている。
けれど。
自分にとっては違う。
アルベルトがくれた言葉は。
きっと。
これからも忘れない。




