第43話 五年目の決断
エレナがAランク冒険者になって。
五年目。
アルベルトは。
いつもの冒険者ギルドの酒場にいた。
昼前。
依頼を終えた冒険者たちが。
ちらほら戻ってくる時間。
アルベルトは。
昼食を食べながら。
酒ではなく。
薄い果実水を飲んでいた。
「珍しいな」
隣から声がした。
「昼だから」
アルベルトは答える。
「いつも飲んでるだろ」
「今日は仕事が残ってる」
「Cランクの仕事?」
「そう」
「真面目だな」
「生活のため」
「相変わらずだな」
アルベルトは笑った。
その日。
アルベルトは。
小さな護衛依頼を終えた。
特に問題はない。
夕方。
都市へ戻る。
「……」
夕日を見る。
そして。
何となく。
ギルドの建物を見上げた。
「忙しそうだな」
最近。
ギルドの職員たちも。
どこか慌ただしい。
上の階。
ギルドマスターや。
副ギルドマスターがいる。
「……」
アルベルトには。
関係のない話。
そう思っていた。
その頃。
都市から遠く離れた街。
エレナは。
一人で宿にいた。
窓の外。
雨が降っている。
机の上には。
次の依頼書。
そして。
その次の依頼書。
「……」
エレナは。
ため息を吐いた。
「またか」
今の依頼が終われば。
次の街。
次の討伐。
次の護衛。
Aランクになってから。
ずっと。
そうだった。
最初の一年。
頑張った。
二年目。
まだ頑張れた。
三年目。
少しずつ。
嫌になってきた。
それでも。
自分が選んだ。
Aランク。
自分が望んだ場所。
だから。
文句を言う資格はない。
そう思っていた。
しかし。
五年目。
「……もう嫌」
思わず。
声が出た。
部屋には。
誰もいない。
「会いたい」
アルベルトに。
会いたい。
話を聞いてほしい。
くだらないことを話したい。
酒を飲みたい。
隣で眠りたい。
「……」
最後に。
いつ会っただろう。
一年前。
いや。
もっと前かもしれない。
「一年」
エレナは呟いた。
「一年も会ってない」
翌日。
エレナは。
依頼を終えた。
報告書を提出する。
「ありがとうございました」
「お疲れ様でした」
ギルド職員が頭を下げる。
「次の依頼ですが」
「……」
「少し待って」
「はい?」
「休む」
「え?」
「休暇」
職員が固まる。
「ですが」
「休む」
「次の依頼が」
「断る」
「……」
エレナは。
書類を机に置く。
「五年間」
「ほとんど休んでない」
「少しくらい」
「いいだろ」
職員は。
何も言えなかった。
久しぶりに。
エレナは。
故郷の都市へ戻った。
馬車を降りる。
懐かしい街並み。
「……」
五年前。
Aランクになった。
そして。
この街を出て。
何度も戻った。
しかし。
いつの間にか。
帰る回数は減っていた。
冒険者ギルドへ向かう。
建物が見える。
そして。
入口の前。
「……?」
見覚えのある男がいた。
「アル」
「……」
アルベルトが振り向く。
一瞬。
固まった。
「エレナ?」
「ただいま」
「……」
アルベルトは。
少し驚いた顔をして。
そして。
笑った。
「おかえり」
その言葉だけで。
エレナは。
泣きそうになった。
「……」
「どうした?」
「何でもない」
「疲れた?」
「うん」
「そう、話を聞く?」
「……」
「聞いて」
「いいよ」
二人は。
久しぶりに酒場へ行った。
以前。
よく座った席。
「変わってないな」
エレナが言う。
「そう?」
「酒場」
「アル」
「俺は変わらない」
「知ってる」
エレナは笑った。
「でも」
「会えて良かった」
「俺も」
食事。
酒。
そして。
話。
エレナは。
五年間のことを話した。
全部ではない。
しかし。
話せるだけ。
話した。
アルベルトは。
途中で口を挟まない。
ただ聞く。
時々。
質問する。
「その時」
「エレナはどう思った?」
「……」
答える。
「悔しかった」
「じゃあ」
「どうしたかった?」
「……」
また答える。
話しているうちに。
自分の気持ちが。
少しずつ。
整理されていく。
「……」
「疲れたな」
アルベルトが言った。
「うん。五年間、よく頑張った」
「……」
その言葉で。
エレナの目から。
涙が落ちた。
「……」
「ごめん」
「何で謝る?」
「分からない」
「じゃあ謝らなくていい」
「……」
エレナは笑った。
泣きながら。
笑った。
夜。
二人は。
アルベルトの部屋へ戻った。
以前と。
同じ部屋。
「懐かしい」
エレナが言う。
「そう?」
「前より狭く感じる」
「エレナが大きくなった?」
「身長は変わってない」
「じゃあ」
「俺の部屋が狭くなった?」
「そんなわけあるか」
エレナは笑った。
そして。
ベッドに座る。
「……」
「アル」
「何?」
「アタシ」
「もう」
「冒険者を辞めたい」
アルベルトは。
驚かなかった。
「そう」
「驚かないの?」
「ずっと疲れてた」
「……」
「だから、いつか言うと思ってた」
「……」
「でも、Aランクだ。辞めるのは勿体ないって思わない?」
「思わない」
「即答。エレナが嫌なら、辞めればいい」
「……」
「何をするかは、その後考えればいい」
エレナは。
黙った。
「簡単に言うな」
「簡単じゃない」
「じゃあ、どうしてそんなに簡単そうに言える?」
アルベルトは。
少し考えた。
「俺は、無理をしてまで働くのは嫌だから」
「……」
「前からそう決めてる」
「どうして?」
「……」
アルベルトは。
一瞬だけ。
黙る。
前世。
激務。
倒れた日。
しかし。
話すことはない。
「昔から働きすぎるのは馬鹿らしいと思ってる」
「……」
「それだけ?」
「それだけ」
エレナは。
じっと見た。
「また全部は言わない」
「言ってない」
「言わない」
「……」
エレナは。
小さく笑った。
「まあいい」
「いいの?」
「いつか」
「話したくなったら聞く」
以前と。
同じ言葉。
アルベルトは。
少しだけ笑った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「でも」
エレナが続ける。
「何をするかは考えてる」
「何?」
「この街に副ギルドマスターの空きが出るらしい」
「……」
アルベルトの動きが止まる。
「へえ」
「興味なさそうだな」
「俺には関係ない」
「本当に?」
「うん」
「副ギルドマスターだぞ?」
「大変そう」
「……」
「何?」
「大変だと思う?」
「思う」
「なら」
「何でアタシがやると思う?」
「知らない」
「アルがいるから」
「……」
アルベルトが。
完全に固まった。
「それだけ?」
「それだけじゃない」
「五年間」
「色々なギルドを見た」
「良いところも」
「悪いところも」
「経験はある」
「冒険者の気持ちも分かる」
「職員のことも」
「少しは分かる」
「だから」
「できるかもしれない」
「……」
「でも」
エレナが。
アルベルトを見る。
「一番の理由は」
「アルの近くにいたい」
「……」
「何か」
「悪い?」
「いや」
「別に」
「悪くない」
「本当に?」
「うん」
「嬉しくない?」
「……」
アルベルトは。
少し困った顔をした。
「嬉しい」
「……」
エレナは。
満足そうに笑った。
「よし」
「何が?」
「決めた」
「何を?」
「副ギルドマスターになる」
「簡単だな」
「アルがいるから」
「それだけで人生決めるな」
「五年間」
「ちゃんと考えた」
「……」
「多分」
「多分?」
「八割くらい」
「二割は?」
「アル」
「……」
「八割もあるなら十分だな」
エレナは笑った。
翌日。
エレナは。
冒険者ギルドのギルドマスターを訪ねた。
「副ギルドマスターの件で」
「話があります」
一週間後。
都市の冒険者ギルドに。
一つの知らせが出た。
――Aランク冒険者エレナ。
副ギルドマスター就任。
その知らせを。
アルベルトは。
酒場で見ていた。
「……」
「早いな」
「何が?」
隣の冒険者が聞く。
「いや」
「エレナが副ギルドマスターになった」
「知ってる」
「すごいよな」
「そうだな」
「元Aランクだぞ?」
「大変そう」
「お前、夢がないな」
「現実的なんだ」
アルベルトは。
酒を飲む。
そして。
ふと。
ギルドの上階を見る。
「……」
これから。
エレナは。
この街にいる。
それだけで。
少し。
嬉しかった。
その日の夕方。
ギルドの入口で。
「アル」
声がした。
振り向く。
エレナがいた。
以前とは。
服装が違う。
冒険者の装備ではない。
しかし。
表情は。
昔と同じだった。
「仕事終わり?」
「終わった」
「どうだった?」
「書類が多い」
「大変そう」
「もう辞めたい」
「早い」
エレナは笑った。
「なあ」
「何?」
「これから」
「近くにいるから」
「うん」
「たまには」
「酒付き合えよ」
「いいよ」
「話も聞け」
「いいよ」
「……」
「何でもいいよ」
アルベルトが言う。
エレナは。
一瞬。
黙った。
そして。
笑った。
「本当に」
「ずるい」
「何が?」
「何でもない」
二人は。
並んで歩き始めた。
五年間。
遠ざかっていた距離。
それが。
ようやく。
少しずつ。
戻り始めていた。
そして。
現在。
アルベルトとエレナは。
同じ冒険者ギルドにいる。
ただし。
片方はCランク冒険者。
片方は副ギルドマスター。
立場は違う。
しかし。
二人の距離は。
かつてより。
ずっと近かった。
――そして。
この日から。
エレナは。
アルベルトの近くで。
毎日のように。
彼を困らせることになる。
それは。
また別の話である。




