第42話 遠ざかる日々
エレナがAランク冒険者になってから。
三か月が過ぎた。
最初の頃は。
何も変わらなかった。
いや。
変わったことはあった。
「また指名依頼?」
冒険者ギルドの酒場。
アルベルトは。
向かいに座るエレナへ聞いた。
「そう」
「今度は?」
「北の街道」
「盗賊団の討伐」
「何日?」
「一週間くらい」
「大変だな」
「他人事だな」
「他人事だから」
「……」
エレナが睨む。
アルベルトは。
酒を一口飲んだ。
「帰ってきたら、また飲めばいい」
「そうだな」
その時は。
まだ。
そう思っていた。
三か月。
半年。
少しずつ。
エレナの仕事が増えていった。
Aランク。
それは。
自由になるという意味ではなかった。
むしろ。
逆だった。
「エレナさん」
「次の指名依頼です」
「……」
「今度は?」
「東の領地です」
「魔物の討伐」
「期間は?」
「二週間ほど」
「……」
エレナは。
書類を見る。
そして。
小さく息を吐いた。
「断れない?」
「領主からの依頼ですので」
「そう」
Aランクになれば。
国や領主から。
直接依頼が来る。
危険な魔物。
大規模な討伐。
護衛。
調査。
そして。
誰かが困っている。
エレナは。
それを断れなかった。
一年後。
エレナは。
さらに有名になっていた。
「聞いたか?」
「ああ」
「銀髪の女剣士」
「また魔物を倒したらしい」
「Aランクのエレナだろ?」
「最近すごいな」
酒場で。
そんな話を聞くことが増えた。
アルベルトは。
黙って酒を飲んでいた。
「アルさん」
隣に座った冒険者が言う。
「何?」
「エレナさんと知り合いなんですよね?」
「そう」
「すごいですよね」
「そうだな」
「昔から強かったんですか?」
「強かった」
「一緒に依頼を受けたことも?」
「何度か」
「羨ましいな」
「そう?」
「Aランクですよ?」
「俺はCランクでいい」
「また言ってる」
周囲が笑った。
アルベルトも笑う。
しかし。
少しだけ。
寂しかった。
Aランク昇格から。
二年目。
エレナは。
年に何度かしか帰ってこなくなった。
それでも。
帰ってきた時には。
アルベルトを探した。
「アル」
「おかえり」
「ただいま」
短い会話。
それだけで。
エレナの表情が変わる。
「疲れた」
「そう?」
「疲れた」
「大変だった?」
「……聞いてくれる?」
「いいよ」
酒場。
宿。
あるいは。
アルベルトの部屋。
エレナは。
仕事の話をする。
失敗。
成功。
部下。
依頼人。
愚痴。
そして。
疲れ。
アルベルトは。
ただ聞いた。
「それは大変だったな」
「うん」
「でも」
「ちゃんとやったんだろ」
「……うん」
「なら」
「それでいい」
それだけで。
エレナは。
少し笑った。
二年目の冬。
久しぶりに。
エレナが戻ってきた。
夜だった。
アルベルトの部屋。
扉を叩く音。
「……?」
アルベルトが扉を開ける。
「エレナ?」
「……」
そこには。
疲れた顔のエレナがいた。
「どうした?」
「ただいま」
「おかえり」
「……」
エレナは。
何も言わない。
「入る?」
「うん」
部屋へ入る。
椅子に座る。
そして。
しばらく。
何も話さなかった。
アルベルトは。
無理に聞かなかった。
お茶を入れる。
温かい飲み物を置く。
「……」
エレナが。
ゆっくり口を開いた。
「疲れた」
「うん」
「もう」
「何か」
「分からない」
「うん」
「毎日」
「誰かが待ってる」
「次の依頼」
「次の討伐」
「次の街」
「次の人」
「……」
アルベルトは。
何も言わない。
ただ。
聞いていた。
「みんな」
「アタシを見てる」
「Aランクだから」
「期待される」
「応えないと」
「駄目だと思う」
「……」
「でも」
エレナは。
俯いた。
「帰ってきても」
「誰も」
「アタシのことを」
「見てない気がする」
アルベルトは。
少し考えた。
「俺は見てる」
「……」
「エレナをAランクじゃなくて、エレナとして」
「……」
エレナが顔を上げる。
「ずるいな」
「何が?」
「そういうこと」
「さらっと言う」
「本当だから」
「……」
エレナは。
笑った。
しかし。
目に涙が浮かんでいた。
「なあ」
「何?」
「今日は」
「ここにいていい?」
「いいよ」
「……」
「帰すの面倒だし」
「理由が雑」
「じゃあ帰る?」
「いや」
エレナは。
すぐに答えた。
「いる」
「分かった」
その夜。
エレナは。
アルベルトの部屋で眠った。
最初は。
ただ休むつもりだった。
アルベルトは床に寝具を用意する。
「アル」
「何?」
「そこで寝るの?」
「そう」
「寒いぞ」
「大丈夫」
「アタシの方が」
「大丈夫じゃない」
「……?」
「こっち」
エレナが。
ベッドの隣を叩く。
「一緒に寝ろ?」
「そう」
「狭い」
「……」
「本当に?」
「いいから」
アルベルトは。
少し考えた。
「分かった」
二人は。
同じベッドに横になる。
しかし。
何もない。
ただ。
背中を向けて。
眠ろうとする。
「……」
「……」
「アル」
「何?」
「眠れない」
「俺も」
「……」
少し沈黙。
「なあ」
「何?」
「こっち向いて」
「うん」
アルベルトが振り向く。
暗闇の中。
エレナと目が合う。
「……」
「……」
「アル」
「うん」
「抱きしめてもいい?」
「……」
「嫌?」
「嫌じゃない」
エレナが。
アルベルトへ近づく。
腕を回す。
「……」
「エレナ」
「何?」
「苦しくない?」
「大丈夫」
「そう」
アルベルトも。
そっと腕を回した。
それだけ。
それだけのはずだった。
「……」
エレナが。
アルベルトの胸に顔を埋める。
「落ち着く」
「そう?」
「うん」
「良かった」
しかし。
時間が過ぎても。
二人は離れなかった。
エレナが顔を上げる。
近い。
アルベルトを見る。
「……」
「……」
「キスしてもいい?」
アルベルトは。
少し驚いた。
「嫌?」
「いや」
「……」
「いいよ」
エレナが。
ゆっくり近づく。
唇が触れる。
一度。
短く。
そして。
もう一度。
今度は。
少し長く。
「……」
離れる。
エレナの頬が赤い。
「ごめん」
「何で?」
「分からない」
「……」
アルベルトは。
少し笑った。
「もう一回」
「……」
エレナが。
驚いた顔をする。
「いい?」
「うん」
今度は。
アルベルトから。
キスをした。
そして。
二人は。
その夜。
初めて。
恋人でもないのに。
同じベッドで。
朝まで過ごした。
翌朝。
エレナは。
先に目を覚ました。
隣には。
アルベルトがいる。
「……」
寝顔を見る。
少しだけ笑う。
「本当に」
小さく呟く。
「ずるい」
昨日。
久しぶりに会った。
話を聞いてもらった。
抱きしめてもらった。
キスをした。
そして。
同じ夜を過ごした。
何も決めていない。
何も約束していない。
それでも。
エレナの中では。
何かが変わっていた。
「……」
しかし。
数日後。
また。
指名依頼が届く。
「……」
エレナは。
書類を見る。
そして。
アルベルトを見る。
「また行くの?」
「行く」
「そっか」
「……」
「帰ってくる?」
「帰る」
「待ってる」
それだけ。
アルベルトは。
いつものように言った。
エレナは。
少し笑った。
そして。
再び。
都市を離れた。
それから。
何度か。
エレナは帰ってきた。
そして。
アルベルトの部屋を訪れる。
「疲れた」
「おかえり」
「ただいま」
話をする。
食事をする。
眠る。
時々。
キスをする。
そして。
翌朝。
何も言わず。
また。
それぞれの日常へ戻る。
それでも。
二人は。
何も決めなかった。
恋人なのか。
違うのか。
分からない。
ただ。
会える時間は。
少しずつ。
少なくなっていった。
そして。
Aランクになって三年目。
エレナが。
年に数度しか帰れなくなった。
アルベルトは。
いつもの酒場で。
一人。
酒を飲んでいた。
「……」
隣の席は。
空いている。
昔は。
よく。
そこにエレナがいた。
アルベルトは。
空いた席を見る。
「……」
そして。
酒を一口飲んだ。
「忙しいな」
誰に聞かせるでもなく。
そう呟いた。
その頃。
遠くの街で。
エレナも。
同じように。
ため息を吐いていた。
「……」
「アルに会いたい」
しかし。
次の依頼が待っていた。
二人の距離は。
少しずつ。
遠くなっていった。




