第39話 洞窟の主
洞窟の主は、ゆっくりと姿を現した。
四本の太い脚。
岩のように硬そうな黒い甲殻。
鋭い爪。
そして。
二人を見下ろすほど巨大な体。
「……」
エレナが息を呑む。
「何だ、あれ」
「分からない」
アルベルトは剣を握った。
見たことがない。
少なくとも。
自分が知っている魔物ではなかった。
しかし。
強い。
それだけは。
見れば分かる。
魔物が一歩前へ出る。
地面が揺れた。
「アル」
「何?」
「逃げるか?」
「出口が分からない」
「そうだったな」
エレナが小さく笑う。
しかし。
その目は笑っていなかった。
「なら」
剣を構える。
「やるしかない」
「そうだな」
二人は並ぶ。
洞窟の主。
そして。
アルベルトとエレナ。
静かな睨み合い。
先に動いたのは。
魔物だった。
巨大な爪が振り下ろされる。
「散れ!」
二人は左右へ飛んだ。
轟音。
地面が砕ける。
「……!」
アルベルトは距離を取る。
エレナが横から斬りかかった。
剣が甲殻に当たる。
しかし。
弾かれた。
「硬い!」
「見れば分かる!」
アルベルトが叫ぶ。
魔物がエレナへ向く。
「エレナ!」
アルベルトは手を伸ばした。
水魔法。
魔物の顔へ大量の水を叩きつける。
「ギャアアアア!」
魔物が頭を振る。
その隙に。
エレナが距離を取った。
「助かった!」
「どういたしまして!」
アルベルトは周囲を見る。
甲殻。
硬い。
正面からでは。
エレナの剣でも傷がつかない。
「弱点は?」
「探せ!」
「雑だな!」
「今忙しい!」
魔物が再び動く。
今度は。
尻尾。
太い尾が横から薙ぎ払われた。
「伏せろ!」
二人が同時に身を伏せる。
岩壁が砕ける。
砕けた岩が降ってくる。
「……危ないな」
「呑気に言うな!」
アルベルトは息を整えた。
冷静に。
見る。
魔物の動き。
攻撃。
足。
首。
腹。
甲殻の隙間。
「……」
ある。
首の下。
腹側。
甲殻が薄い。
「エレナ!」
「何!?」
「腹!」
「分かってる!」
「違う!」
「何が!?」
「首の下!」
エレナが魔物を見る。
「……なるほど」
すぐに理解した。
しかし。
「届かない!」
確かに。
正面からでは。
巨大な前脚が邪魔をする。
「俺が動きを止める」
「できるのか?」
「やってみる」
「無茶するな!」
「無茶しないと死ぬ」
「それはそうだ!」
アルベルトは魔物の正面へ出る。
「アル!」
「少しだけ引きつける!」
魔物がアルベルトを見る。
咆哮。
そして。
突進。
「……速い!」
アルベルトは横へ飛ぶ。
ぎりぎり。
避ける。
その瞬間。
手を地面へ向けた。
「水よ」
地面から水が溢れる。
魔物の足元。
一瞬。
地面がぬかるむ。
巨大な体。
勢い。
そして。
滑る。
「今だ!」
「任せろ!」
エレナが走る。
魔物の横。
前脚を避ける。
そして。
跳ぶ。
剣を両手で握る。
「――っ!」
首の下。
甲殻の隙間へ。
剣を突き刺した。
「ギャアアアアアア!」
魔物が叫ぶ。
しかし。
倒れない。
「浅い!」
エレナが叫ぶ。
魔物が暴れる。
剣を振り払う。
「エレナ!」
アルベルトが駆ける。
エレナが飛ばされた。
地面へ転がる。
「大丈夫か!?」
「大丈夫!」
立ち上がる。
しかし。
魔物は。
明らかに怒っていた。
「まずいな」
アルベルトが呟く。
「怒らせた?」
「そう見える」
「どうする?」
「……考える」
アルベルトは周囲を見る。
洞窟。
岩壁。
天井。
そして。
魔物。
巨大。
甲殻。
硬い。
だが。
「……」
アルベルトは天井を見る。
「エレナ」
「何?」
「時間を稼げる?」
「何をする気だ?」
「地味な魔法」
「嫌な予感しかしない」
「大丈夫」
「その言葉が一番信用できない!」
それでも。
エレナは魔物の前へ出た。
「おい!」
剣を振る。
魔物の注意を引く。
「こっちだ!」
魔物がエレナを見る。
アルベルトは。
洞窟の壁へ走った。
「何するんだ?」
エレナが叫ぶ。
「水を出す!」
「何で!?」
「後で説明する!」
アルベルトは壁へ手を当てる。
水魔法。
少しずつ。
岩壁の隙間へ水を流し込む。
魔物が暴れる。
エレナが避ける。
「まだか!?」
「もう少し!」
「早くしろ!」
「今やってる!」
アルベルトは。
さらに水を流す。
岩の隙間。
天井の一部。
十分。
「エレナ!」
「何!?」
「離れろ!」
エレナがすぐに飛び退く。
アルベルトは。
魔法を止めた。
そして。
剣を抜く。
「……」
「何する気だ?」
エレナが離れた場所から叫ぶ。
「地味な魔法」
「だから何だよ!」
アルベルトは。
岩壁へ手を向けた。
「凍れ」
水が。
一瞬で凍る。
岩の隙間。
内部から。
膨張する。
小さな音。
パキ。
そして。
パキパキパキ。
「……!」
エレナが目を見開く。
「まさか!」
天井に亀裂が走る。
魔物が気づく。
しかし。
遅い。
巨大な岩が。
崩れ落ちた。
「ギャアアアアア!」
魔物の背中へ。
岩が落ちる。
完全には潰れない。
だが。
動きが止まる。
「今だ!」
アルベルトが叫ぶ。
エレナが走る。
魔物の前脚を越える。
そして。
再び跳ぶ。
「これで!」
剣を振り下ろす。
首の下。
先ほど傷つけた場所。
そこへ。
全力で突き刺す。
「――っ!」
深く。
剣が入る。
魔物の動きが止まった。
「……」
数秒。
静寂。
そして。
巨大な体が。
ゆっくりと倒れた。
轟音。
洞窟が揺れる。
「……終わった?」
エレナが呟く。
「多分」
「確認しろ」
「エレナが」
「お前がやれ」
「強い方がやった方が安全」
「お前な……」
それでも。
二人で慎重に近づく。
魔物は動かない。
完全に絶命していた。
「終わったな」
エレナが大きく息を吐いた。
「終わった」
アルベルトも座り込む。
「疲れた」
「お前」
「何?」
「さっきの魔法」
「水魔法と氷魔法」
「それだけ?」
「それだけ」
「……普通、あんな使い方するか?」
「地味だろ」
「地味じゃない」
エレナは笑った。
「派手じゃないだけだ」
「同じだろ」
「違う」
二人は。
しばらく笑った。
しかし。
戦闘が終わって。
アルベルトの表情が変わった。
「どうした?」
エレナが聞く。
「問題がある」
「何?」
「帰り道」
「……」
二人とも。
黙った。
そう。
魔物を倒しても。
脱出できたわけではない。
むしろ。
ここは洞窟の深部。
どこへ行けば出口なのか。
全く分からない。
「……とりあえず」
エレナが言った。
「休む?」
「そうだな」
「戦闘でかなり疲れた」
「無理に動くよりいい」
二人は。
魔物から少し離れた場所へ移動した。
比較的安全な場所。
アルベルトが簡易寝具を取り出す。
「持ってたのか?」
「持ってきた」
「二人分?」
「一人分」
「……」
「どうする?」
「アタシが見張る」
「それは駄目」
「何で?」
「交代制」
「でも」
「エレナも休め」
エレナは少し黙った。
そして。
「……分かった」
アルベルトが保存食を取り出す。
「食べる?」
「さっき食べたばかりだ」
「戦闘した」
「それでも」
しかし。
エレナの腹が鳴った。
「……」
「……」
アルベルトは何も言わない。
ただ。
保存食を渡した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
エレナは受け取る。
「なあ」
「何?」
「これ、まだどのくらいある?」
「……」
アルベルトは袋を見る。
少し考える。
「節約すれば」
「うん」
「何とかなる」
「具体的には?」
「……」
「アル?」
「具体的な数字を言うと不安になる」
「なるほど」
エレナは笑った。
「じゃあ聞かない」
「助かる」
二人は。
硬い保存食を食べる。
洞窟の中。
静かな食事。
「なあ」
エレナが言った。
「何?」
「アタシたち」
「うん」
「ちゃんと帰れると思う?」
アルベルトは。
すぐには答えなかった。
適当なことは言いたくない。
「帰る」
やがて。
そう言った。
「根拠は?」
「ない」
「……」
「でも」
アルベルトはエレナを見る。
「帰る方法を探す」
「見つからなかったら?」
「探し続ける」
「それでも駄目だったら?」
「その時に考える」
エレナは少し黙った。
そして。
笑った。
「本当に変な奴だな」
「また言った」
「褒めてる」
「なら受け取っておく」
その夜。
二人は洞窟で休むことになった。
アルベルトが最初の見張り。
エレナが寝る。
「寝られるか?」
「無理かも」
「目を閉じてるだけでも違う」
「経験者?」
「農作業は朝早かったから」
「そういう意味じゃない」
エレナが寝具に横になる。
「アル」
「何?」
「さっき」
「うん?」
「助けてくれてありがとう」
「俺?」
「水を出したり、岩を落としたり」
「……」
アルベルトは少し考える。
「エレナが倒した」
「でも」
「俺一人じゃ無理だった」
「……アタシも」
エレナは少し笑う。
「お前がいなかったら無理だった」
「じゃあ」
「引き分けだな」
「何の?」
「分からない」
エレナは笑った。
そして。
目を閉じた。
「おやすみ」
「おやすみ」
少しして。
寝息が聞こえ始めた。
アルベルトは。
火を小さく保ちながら。
洞窟の奥を見ていた。
魔物は倒した。
しかし。
問題は何も解決していない。
出口。
食料。
水。
そして。
他の調査隊。
「……」
アルベルトは荷物を見る。
保存食。
通常より多く持ってきた。
それでも。
二人で何日も過ごすには心許ない。
「……一週間は」
持たせたい。
何となく。
そんな予感がした。
アルベルトは小さく息を吐く。
「本当に」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
「嫌な予感しかしなかったんだよな」
洞窟の奥から。
冷たい風が吹いた。
出口は。
まだ遠かった。




