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転生したおじさん、目立ちたくないけど傾聴スキルでモテまくる  作者: なごやかたろう
娼館編

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第25話 疲れた夜

 夜の街は、昼間とは違う顔を見せる。

 酒場から聞こえる笑い声。

 酔っ払いの歌声。

 どこか遠くから響く楽器の音。

 そんな街の一角に、アルベルトは足を止めた。

 目の前にあるのは、上品な外観の建物。

 娼館《月の雫》。

 この街でもそれなりに名の知られた店だった。


「いらっしゃいませ」


 入口の女性に軽く挨拶を返し、アルベルトは中へ入る。

 すると。


「……あら」


 奥から、聞き慣れた声がした。


「いらっしゃい、アル」

「おう、リリア」


 現れたのは、長い黒髪をゆるく背中に流した女性だった。

 三十歳前後。

 大人びた美しい顔立ちと、女性らしい豊かな身体つき。

 娼館《月の雫》でも上位の人気を持つ娼婦、リリア。

 そしてアルベルトとは、長い付き合いだった。


「今日は来ると思ってなかったわ」

「急に時間ができたんだ」

「ふふ。じゃあ、私のところに来てくれたの?」

「そういうことにしておけ」

「何それ」


 リリアは笑った。

 いつものように。

 けれど。


「……」


 アルベルトは、その笑顔を見て少しだけ眉を動かした。


「どうしたの?」

「いや」

「何?」

「……疲れてるな」


 リリアの笑顔が、一瞬だけ止まった。


「え?」

「疲れてる」

「そんなことないわよ?」

「そうか?」

「そうよ」


 リリアはわざとらしく背筋を伸ばす。


「ほら。元気いっぱい」

「目が少し死んでるぞ」

「ひどい」

「本当のことだ」

「もう」


 リリアは困ったように笑った。

 しかし、その声にも普段ほどの張りがない。

 アルベルトはそれ以上追及しなかった。


「部屋、行くか」

「……ええ」


 リリアが頷いた。


     ◇


 部屋に入る。

 扉が閉まると、外の賑やかな音はほとんど聞こえなくなった。

 アルベルトは部屋を見回し、壁際に小さく魔法を使う。

 淡い光が一瞬だけ壁を走った。


「相変わらず便利よね、それ」

「吸音の術式だ」

「そんな魔法、普通の人は使わないと思うけど?」

「便利だぞ」

「アルくらいよ。そんなことに魔法を使うの」


 リリアは笑いながら椅子に腰を下ろした。

 そして。

 ふぅ、と小さく息を吐く。

 その瞬間。

 アルベルトは何も言わず、彼女の向かいに座った。


「……」

「……」


 少しの沈黙。

 リリアがちらりとアルベルトを見る。


「なによ」

「別に」

「何か言いたそうな顔してる」

「そうか?」

「してる」

「……」


 アルベルトは少し考えた。

 そして、いつものように言う。


「話したくなったら聞くぞ」

「……」


 リリアの表情が変わった。


「それだけ?」

「ああ」

「聞かないの?」

「無理に聞くことでもないだろ」

「……」

「疲れてる理由があるなら、話せばいい」

「話したくなければ?」

「今日は何も話さなくてもいい」


 リリアはしばらく黙っていた。

 やがて、苦笑する。


「本当に、そういうところよね」

「何が?」

「……ずるい男」

「褒めてるのか?」

「褒めてない」


 そう言いながら。

 リリアは、もう一度小さく息を吐いた。


「……最近ね」

「うん」

「ミナっていう子がいるの」

「新人か?」

「ええ。半年くらい前に入った子」


 アルベルトは頷くだけだった。

 続きを促すこともしない。

 リリアが話しやすいように、ただ待つ。


「田舎から出てきた子でね」

「へえ」

「最初は明るかったのよ」


 リリアの声が少しだけ低くなる。


「よく笑って、人と話すのが好きで」

「うん」

「少し訛りがあってね。最初は本人も気にしてたんだけど……それが可愛いって言うお客さんも多かったの」

「そうか」

「うん」


 そこで、リリアは言葉を止めた。


「……でも、少し前に」

「うん」

「酷い客を取ったの」


 アルベルトは何も言わなかった。


「その客、ミナに色々言ったみたい」

「色々?」

「つまらないとか」


 リリアの眉が少し寄る。


「こんな仕事向いてないとか」

「……」

「他の女のほうがずっといいとか」


 アルベルトは静かに聞いていた。


「最初はね。ミナも、気にしないようにしてたみたい」


 リリアは自分の手を見る。


「でも、真面目な子だから」

「自分が悪かったと思った?」

「ええ」


 リリアは頷いた。


「それで次のお客さんを取るとき、緊張してしまった」


 笑えなくなる。

 会話が減る。

 何を話せばいいのか分からなくなる。

 すると。


「今度は別のお客さんから、暗いって言われた」

「……」

「愛想くらいよくしろって」


 リリアは苦笑した。


「それで、また落ち込む」

「悪循環だな」

「そうなの」


 リリアは疲れたように背もたれへ寄りかかった。


「一人の言葉で傷ついて」

「次の人の前で萎縮して」

「そのせいでまた傷つく」


 アルベルトが言うと、リリアは頷いた。


「最近は、仕事に出るのも怖がってる」

「……そうか」

「私も何度か話を聞いたんだけどね」


 リリアは笑う。


「上手くいかないのよ」

「リリアが?」

「私だって万能じゃないわ」

「そうだな」

「そこは否定しなさいよ」

「嘘になる」

「もう」


 少しだけ。

 本当に少しだけ、リリアが笑った。

 アルベルトも笑う。

 それからしばらく、リリアはミナの話をした。

 自分がどう励ましたか。

 ミナが何と言ったか。

 どうすればいいのか分からないこと。

 そして。


「……他の子からも、最近相談を受けることが多くて」


 最後に、そう呟いた。


「ミナのことだけじゃないのか」

「ええ」

「そりゃ疲れるな」

「……」

「聞く側だって疲れる」


 リリアが顔を上げた。

 アルベルトは続ける。


「人の悩みを聞いてたら、自分の中にも溜まる」

「……そうね」

「今日は俺が聞く側になるか?」


 その言葉に。

 リリアはしばらく何も言わなかった。

 やがて。


「……うん」


 と、小さく答えた。


     ◇


「さて」


 ひと通り話を終えたあと。

 アルベルトは立ち上がった。


「どうする?」

「どうするって?」

「今日は休むか?」


 リリアが目を瞬かせる。


「……え?」

「疲れてるんだろ」

「でも」

「無理して仕事する必要ないだろ」

「アルは?」

「俺は別に」

「……」


 リリアは黙った。

 そして、少しだけ困ったように笑う。


「せっかく来てくれたのに」

「だからだよ」

「?」

「せっかく来たから、疲れてるなら休ませる」

「……」

「今日は話だけでもいい」


 その言葉に。

 リリアは、ゆっくり視線を落とした。


「……アル」

「ん?」

「たまに思うんだけど」

「何だ?」

「あなた、客としては面倒ね」

「そうか?」

「普通は逆でしょう?」

「何が?」

「疲れてる女がいたら、休ませるなんて」

「疲れてるなら休ませるだろ」

「……」


 リリアは笑った。

 でも。

 その目が少しだけ潤んでいることに、アルベルトは気づいた。

 ただし何も言わない。

 泣くなとも言わない。

 慰める言葉も無理にかけない。


「じゃあ」


 アルベルトはリリアの後ろへ回った。


「少し肩を揉むか」

「……え?」

「かなり張ってるぞ」

「そんなことまで分かるの?」

「見れば分かる」

「怖いわね」

「今さらだろ」


 リリアが笑う。

 アルベルトは彼女の肩に手を置いた。


「痛かったら言え」

「うん」


 ゆっくりと力を入れる。


「……あ」

「痛いか?」

「違う」


 リリアの身体が少し揺れる。


「そこ……」

「ここか?」

「……うん」


 首から肩にかけて、ゆっくりとほぐしていく。

 リリアは最初こそ少し身体を強張らせていたが、やがて力を抜いた。


「……気持ちいい」

「そうか」

「アル、いつからこんなに上手くなったの?」

「冒険者を長くやってるとな」

「マッサージの技術まで必要なの?」

「疲れてる仲間は多い」

「……ああ」


 リリアが納得したように呟く。


「確かに」

「それに」


 アルベルトは小さく魔力を流した。

 淡い温かさが、リリアの肩から背中へ広がる。


「……っ」

「どうだ?」

「なに、今の」

「疲労回復の魔法」

「そんな魔法、聞いたことないわよ」

「大したものじゃない」

「またまた」

「本当だ」


 派手な光もない。

 大きな魔力も感じない。

 ただ、凝り固まっていた身体から、少しずつ重さが抜けていく。

 リリアは目を閉じた。


「……あったかい」

「効いてるか?」

「うん」


 小さな声だった。


「すごく」


 アルベルトはしばらく何も言わず、手を動かし続けた。

 しばらくして。


「……もういいぞ」

「え?」

「長くやりすぎると逆に疲れる」

「もう少し」

「まだやるのか?」

「……もう少しだけ」


 アルベルトは苦笑した。


「分かった」


 リリアは、そのまま目を閉じていた。


     ◇


「……ふぅ」


 しばらく後。

 リリアがゆっくり身体を起こした。


「どうだ?」

「軽い」

「ならよかった」

「本当に」


 肩を回す。

 さっきまであった重さが、ほとんど消えていた。

 リリアは振り返る。


「……ねえ、アル」

「ん?」

「顔、見せて」

「ここにいるぞ」

「そうじゃなくて」


 リリアが笑う。

 そして。

 アルベルトのほうへ身体を向けた。


「……ありがとう」

「気にするな」

「気にするの」


 そう言って。

 リリアはアルベルトの顔を見つめる。

 少しの沈黙。

 アルベルトが首を傾げる。


「どうした?」

「……何でもない」


 リリアは笑った。

 しかし。

 次の瞬間。

 彼女はそっとアルベルトへ近づいた。


「リリア?」

「少し、黙って」

「……」


 アルベルトが口を閉じる。

 リリアの手が、彼の頬に触れた。


「今日はね」


 静かな声。


「最初、本当に疲れてたの」

「うん」

「仕事も」

「女の子たちのことも」

「自分のことも」


 リリアは少し笑う。


「全部、ちょっと面倒になってた」

「そうか」

「でも」


 リリアは目を細めた。


「今は違う」


 そして。

 ゆっくりと距離を縮める。

 触れるだけの、優しいキスだった。

 アルベルトが一瞬驚く。

 しかし拒むことはない。

 短い口づけが終わり。

 リリアが少しだけ離れる。


「……お返し」

「何のお返しだ?」

「いっぱい」


 リリアは微笑んだ。


「話を聞いてくれたこと」

「肩を揉んでくれたこと」

「疲れを取ってくれたこと」


 そして。


「……ここにいてくれたこと」


 アルベルトは何も言わなかった。

 リリアはもう一度近づく。

 今度のキスは、先ほどより少し長かった。


「……リリア」

「ん?」

「今日は休むんじゃなかったのか?」

「休んだわ」

「そうか?」

「うん」


 リリアは笑う。


「すっかり元気になったもの」


 そしてアルベルトの肩に腕を回した。


「だから今度は」


 耳元で囁く。


「……私がアルを元気にしてあげる」

「それは休養になるのか?」

「ふふ」


 リリアは答えない。

 ただ、もう一度アルベルトに口づけた。

 部屋の灯りが、静かに揺れていた。


     ◇


 それからしばらく後。

 部屋には静かな時間が流れていた。

 リリアはアルベルトの隣で横になり、その胸元に頭を預けている。


「……」

「……」


 言葉はない。

 けれど、不思議と気まずくなかった。


「ねえ、アル」

「ん?」

「今日、来てくれてよかった」

「そうか」

「うん」


 リリアは目を閉じたまま笑った。


「話を聞いてもらえて、楽になった」

「俺は何もしてないぞ」

「したわよ」

「何を?」

「聞いてくれた」


 アルベルトは少し黙る。


「それだけか?」

「それがいいの」


 リリアは小さく答えた。


「誰かに話すだけで、楽になることもあるでしょう?」

「そうだな」

「だから」


 リリアはアルベルトを見上げる。


「ミナにも、そういう相手が必要なんだと思う」

「……」

「私じゃない誰か」


 アルベルトは考える。


「リリア」

「なに?」

「そのミナって子」

「うん」

「明日、話せるか?」


 リリアが目を瞬かせた。


「……アルが?」

「ああ」

「でも」

「本人が話したいなら」


 アルベルトは続ける。


「少し話を聞いてみたい」


 リリアはしばらくアルベルトを見つめていた。

 そして。

 ゆっくりと笑った。


「……分かった」

「頼めるか?」

「ええ」


 リリアはアルベルトの胸に、もう一度顔を埋める。


「でもね、アル」

「ん?」

「ミナは可愛いわよ」

「そうか」

「胸も大きいし」

「何の情報だ?」

「一応」

「何に必要なんだ」

「……さあ?」


 リリアが楽しそうに笑う。


「まあ」


 アルベルトも苦笑した。


「明日、会ってみればいい」

「そうね」


 リリアはそう答えた。

 そして小さく呟く。


「……アルなら、きっと大丈夫」

「何が?」

「何でもない」


 答えずに。

 リリアは目を閉じた。

 その顔には。

 先ほどまでの疲れは、もうほとんど残っていなかった。


          ◇


 翌日。

 アルベルトは、リリアから指定された時間に《月の雫》を訪れることになった。

 そこで待っているのは。

 名前は――ミナ。

 田舎から都会へ出てきた、一人の若い娼婦。

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