第95話 だれが起動を試したか
工具痕が一つ見つかった以上、それだけのはずがないとアシュレイは考えた。
管に何かを流し込もうとしたなら、流し込むための道具も足場も、どこかにあったはずだ。一人で、手ぶらで、思いつきでできる作業ではない。
「リオネルさん」とアシュレイは言った。
「あの継ぎ目の周りを、もう一度隅まで見てもらえますか。痕跡はたぶん一つじゃない。ただし触らずに。見つけたものはその場の状態のまま、ノラさんに記録してもらう。片付けないでください」
リオネルは頷いて、封鎖線の内側へ慎重に人を入れた。
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半日かけて、痕跡はいくつも出てきた。
継ぎ目の脇の岩棚に、真新しくはないが朽ちてもいない木材が足場の形に組まれた跡。そこから管へ向けて細い溝が掘られ、何かの管か線を這わせたらしい痕。そして岩の窪みに押し込むように捨てられた、樹脂の塊。魔力を通すために使う配線用の樹脂だった。
「これは坑道の備品じゃねえ」とガルドが樹脂の塊を覗き込んで言った。
「持ち込まれたもんだ。それも、そこらで拾える代物じゃねえ。魔力樹脂ってのは安かねえし、どこでも売ってるもんでもねえ」
「つまり」とアシュレイは言った。
「誰かがこれをわざわざ仕入れて、ここまで運んで、足場を組んで、管に線を這わせた。確かめるためじゃない。動かすためにです」
ガルドは組まれた足場の跡を、しゃがんでじっくりと見ていた。
「一人じゃねえな」と彼は言った。
「この足場の組み方を見ろ。材を渡して、押さえて、縛る。一人でやるにゃ手が足りねえ。少なくとも二人。樹脂と材を運んだ手も要る。三四人で来たと見ていい。坑道の道も迷わず奥まで入ってる。場所を知ってる奴が案内したんだ」
「素人の出来心では、ない」とアシュレイは言った。
「資材を揃えて、人を集めて、道を知る者が手引きした。これは計画です。出来心で魔力樹脂は買えない」
ミレナが記録帳から、顔を上げた。
「自然な劣化ということにしておけないんですか」と彼女は慎重に聞いた。
「『古い設備がひとりでに傷んだ』。そのほうが波風は立ちません」
「立てます」とアシュレイは言った。
「劣化と人の手は、混ぜてはいけない。劣化なら点検の周期を上げれば済む。でもこれは人の手です。混ぜて『劣化』で片付けたら、同じ手がまた来る。来たときにこちらは備えがない」
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市庁の役人が報告を聞きつけて、すぐにやってきた。
「では犯人がいるということだな」と役人は勢い込んで言った。
「早く捕まえればいい。誰がやったか見当はつくのか。仮設の足場まであるなら、出入りした者を締め上げれば――」
「締め上げません」とアシュレイは静かに遮った。
「今いちばんやってはいけないのが、それです。誰かを当て推量で問い詰めれば、本当にやった者が身を隠す。それに痕跡を急いで片付ければ、証拠が消える。私たちは捕まえるより先に、積み上げます」
「積み上げるとは」と役人が聞いた。
「誰がいつ何をどこから持ち込んだか」とアシュレイは言った。
「魔力樹脂も足場の木材も、どこかで仕入れて、どこかを通ってここへ来た。物には必ず経路がある。経路は記録に残る。人を問い詰めるより、物の足取りを追うほうが確かです」
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セルマがその足取りを追う役を、引き受けた。
「魔力樹脂の出どころは限られてる」と彼女は言った。
「正規の流れなら、納品の記録が残る。問題は正規の流れに乗っていない場合。誰かが台帳に載らない形で持ち込んだなら、どこかで一度正規の経路から外れてる。その外れた継ぎ目を探す」
ノラは契約と支払いの名義を、照らし始めた。
「樹脂のような資材は、誰かの名義で仕入れられているはずよ」と彼女は言った。
「その名義と、実際に受け取った人、運んだ人。三つが食い違っていたら、そこに隠したい何かがある。私はその食い違いを探すわ」
「焦って辻褄を合わせないでください」とアシュレイはノラに念を押した。
「名義が一つ見つかっても、それが本人とは限らない。借りた名前かもしれない。一段で犯人だと決めつけず、物の流れと人の動きが両方で噛み合うところまで待つ。噛み合わない間は、誰のことも名指ししない」
「分かってるわ」とノラは言った。
「一度名指しすれば、その名前に引きずられて、合わない証拠まで合うように見えてしまう。私たちが守るのは、まだ名前のない事実のほうよ」
アシュレイは二人の仕事を、証拠台帳の枠に落とし込んだ。採取した者、確認した者、保管する者を分け、痕跡の一つひとつに通し番号を振った。後で誰が見ても、誰が触れたかが分かるようにするためだった。
「急がないでください」とアシュレイは皆に言った。
「相手が誰かより、まず何が起きたかを崩れない形で残す。それができていれば、相手は後からでも必ず辿れます」
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その夜、アシュレイは外縁補助核の保全レベルを一段引き上げた。
封鎖線を二重にし、巡回の回数を増やし、持ち込み可能な資材を細かく台帳化した。誰かがもう一度同じことを試みようとしても、今度は入った時点で記録に残る。
卓の上に、二つのものが並んでいた。一つは起動を試みた者が残した、足場と樹脂の痕跡。もう一つは昨日まとめたばかりの、街の中心へ伸びる接続線の地図。
アシュレイはその二つを、しばらく見比べていた。
「ガルドさん」と彼は言った。
「起動を試した誰かは、この核が街の中心に繋がってるかもしれないことを――知っていたと思いますか」
ガルドは腕を組んで、唸った。
「知ってたら」と彼は言った。
「あんな雑な流し込み方はしねえだろうな。街の真ん中に繋がってるかもしれねえ管に、いきなり魔力を流し込むなんて正気の沙汰じゃねえ。知らなかったと見るのが筋だ」
「私もそう思います」とアシュレイは言った。
「この人はたぶんこれを、ただの『眠ってる古い核』だと思っていた。掘り起こして起こせば、何か得られる。そう思って流し込んだ。繋がり先のことなんて、考えもしなかった」
「だとすりゃ」とガルドは言った。
「成功しなかったのが、せめてもの救いだな。流しきれなかったから、核は眠ったまんまだった。下手に上手くやってたら、今ごろ街がどうなってたか分からねえ」
「ええ」とアシュレイは言った。
「失敗が街を守った。皮肉な話です。でもそれはただ、運が良かっただけだ。次にやる者が運悪く成功しないとも限らない。だから確かめないといけない。なぜ失敗したのか。何が足りなくて流しきれなかったのか。そこにこの核を安全に扱う手がかりが、隠れているかもしれない」
アシュレイは地図の上の、街の中心へ伸びる線を指でなぞった。
「もしあのとき流し込みが成功していたら」と彼は低く言った。
「この核は街の中心ごと巻き込んで、壊れていたかもしれない。やった本人すら、何が起きるか知らないまま。――起動を試した者を、私は責める前に見つけないといけない。次にこの核に手をかける誰かが、同じことを知らずに繰り返す前に」
窓の外はもう、暗かった。街の灯りが何事もなく、いつも通りに灯っている。その灯りの下の見えない深いところで、眠った核が静かに脈を打っていた。誰にも気づかれないまま一度起こされかけたことなど、街は何も知らずに。




