第85話 採取物は、坑道のものではなかった
翌朝の最初の仕事は、採取物番号三番の変更記録を起こすことだった。
ノラが管理台帳を開き、三番の欄に向かった。採取番号、採取者、確認者、保管者、採取位置、時刻、全部記載されている。その末尾に、分類の欄がある。昨日までそこには「坑道補修材(推定)」と書いてあった。
ノラはペンを取り、「坑道補修材(推定)」の横に細い線を引いた。消すのではない。残したまま、脇に書き加える。
「変更日、今日。変更前の分類、坑道補修材(推定)。変更後の分類、用途未分類・都市基盤系素材(候補)。変更理由、分析結果による耐熱性・魔力遮断方向の特性が坑道補修材規格と一致しない。変更者、ノラ・クレメント」
一行ずつ書き、最後に日付を入れた。
台帳を閉じる前に、変更記録のページに通し番号を振った。元の分類と変更後の分類が、同じ場所に残る形になっている。後から誰が見ても、何がどう変わったかが分かる。
アシュレイが資料室に入ってきたのはその直後だった。
「変更記録、起こしたわ」
「ありがとうございます。写しを二部お願いします。一部をミレナさんへ、一部を正式照会資料に添付します」
「今日中に出すわ」
ノラは台帳から目を上げ、少しだけ間を置いた。
「アシュレイ」
「はい」
「今回の分類変更で、条件表に変更が出るわね」
「出ます。採取物の分析結果確認は、今日付で完了扱いにできます。ただし、追加照会が必要かどうかは今日の回答次第です」
「照会待ちが一つ増える形ね」
「そうなります」
ノラは台帳を棚に戻した。増えた確認事項を、怒っているでもなく、諦めているでもなく、ただ仕事として受け取る顔だった。
ミレナが掲示板の前に来たのは午前の中頃だった。
封鎖掲示板に張り出されている「第二次調査に必要な条件と現在の進み具合」の紙を、書き替えるためだ。条件の一つに「採取物の分析結果確認」とある。昨日の時点では「進行中」だったその欄を、更新する。
ただし、更新の内容はそれだけではない。
ミレナは紙を外し、資料室で書いてきた新しい版を張り出した。
変わったのは二か所だ。「採取物の分析結果確認」の横が「進行中」から「確認完了、追加照会中」に変わった。もう一か所は、掲示の一番上に一行増えた文言だ。
「調査対象の性質を確認中のため、封鎖継続。奥へ入れないのではなく、何を調べているかの確認が必要な状態です」
ミレナが張り出した直後に、近くを通っていた住民が立ち止まった。掲示を読んだ。首を少し傾けた。
「……何を調べているかの確認、というのはどういうことですか」
「これまで、旧鉱山区画の坑道の中を調べる、という形で封鎖が続いていました。今日から、坑道の中にあるものが、坑道の設備なのか別の種類の設備なのかを確認する段階に変わっています。封鎖は続きます。ただ、調べることの範囲が一段広がりました」
「……それは、前より解けにくくなったということですか」
「前より条件が増えたわけではありません。何を確認すべきかが、より正確になりました」
住民は少し黙ってから、「そうですか」とだけ言って去った。疑問が消えたわけではないが、ひとまず聞けた、という顔だった。
南区画では、同じ頃にセルマが商人ギルドの詰め所で話をしていた。
損失申告の窓口に来た商人が三人いた。その中にベルグがいた。布地を扱う商人で、封鎖の件で何度も役所に問い合わせをしてきた男だ。
セルマが申告の書類を受け取りながら、先に話しておくことがあると切り出した。
「今日から、封鎖の理由の説明が少し変わる。役所からの正式な通知は別途出るが、先に伝えておくよ」
「また何か変わるんですか」とベルグが言った。声に棘がある。
「採取物の分析結果が出た。旧鉱山区画の壁から取った素材が、坑道の補修材じゃなく、別の種類の設備の素材に近いと分かった。だから、これまで『坑道の中を調べてる』と説明してた封鎖が、今日から『何の設備があるかを確認してる』という封鎖に変わる」
「言葉を変えただけですか」
「言葉が変わったのは、調べることが変わったからだ。奥へ入れないから封鎖してるんじゃなく、何を扱ってるのかが分からないから封鎖してる。その違いを正確に伝えるよ」
ベルグが腕を組んだ。
「言葉が変わるたびに封鎖が延びる。そういうことになってきていませんか。最初は坑道を調べるから、次は記録を整理するから、次は図面が合わないから、今度は素材の種類が分からないから。……次は何か別の理由が出てくるんじゃないですか」
セルマは返事の前に一度だけ息を吸った。
「ベルグさん。正直に言う。出てくる可能性はある」
ベルグが少し驚いた顔をした。
「調べれば、新しいことが出る。出たことに対応すれば、また次が出る。それが調査ってもんだ。だから今の段階で封鎖解除の期限は言えない。……ただ、封鎖してる理由がでたらめかどうかは別の話だよ。今日の変更は、採取物の分析で実際に分かったことを正確に反映した結果だ。理由を作って延ばしてるのとは違う」
「その違いを、どうやって確認するんですか。住民は専門的なことは分からないのに」
「掲示に出してる条件一覧を見てほしい。何が揃えば次へ進むかが書いてある。条件が増えたなら増えた理由が書いてある。減ったなら減ったと書いてある。……今日の変更も、なぜ変わったかを一行入れた」
ベルグは黙った。完全に納得した顔ではなかった。ただ、反論する言葉も出てこなかった。
他の商人の一人が、小声で「まあ、嘘はついてないっぽいな」と言った。
ベルグは短く言った。
「次に言葉が変わるときも、その理由を書いてくれますか」
「書くよ」
セルマは間を置かずに返した。
同じ時間、封鎖掲示板の前にウォンがいた。
ミレナが更新した掲示を読んでいた。それほど長い時間ではなかったが、途中で一度立ち止まって、また読み直していた。
ミレナが声をかけた。
「ウォンさん、何か」
「いえ。……今日の文言が変わっていたので」
「説明させてもらえますか」
「お願いできますか」
ミレナは短く説明した。採取物の分析結果が出たこと、一番から三番のうち三番だけが想定と違う性質だったこと、その結果として調査の対象の分類が変わったこと。
ウォンは話を聞きながら、掲示の一番上の一行を指した。
「調査対象の性質を確認中のため、という言葉です。……これは、今まで言っていなかったことですね」
「はい。今日から言えるようになったことです」
「言えるようになった、というのは」
「今まで、坑道の中を調べることが目的でした。今日の分析で、坑道の中にあるものが何かを確認することが必要だと分かりました。目的が一段変わったので、説明の言葉も変えました」
ウォンは少しの間、考えるような顔をした。
「封鎖が続く理由が、一段深くなった、ということですね」
「そう言えます」
「……深くなるのは、困ります」
ウォンの声は静かだった。感情的に責めているわけではない。ただ、本当に困っている。
「その点は、すみません」
「ただ」とウォンは続けた。
「言葉が変わった理由が分かるのと、ただ変わったと告げられるのは違います。今日の説明は、理由が分かりました。それは前よりいい」
ミレナはそれを聞いて、少し何かを言いかけたが、言わなかった。ただ「ありがとうございます」と返した。
ウォンは掲示をもう一度見てから、帰っていった。
市庁に戻ったアシュレイは、採取物の分類変更を正式な調査記録に反映する作業をしていた。
第二次調査の条件表を開いた。四条件のうち「採取物の分析結果確認」の欄を「完了、追加照会待ち」に更新した。完了した条件が一つ増え、照会待ちの条件が一つ増えた。前進しているのか止まっているのか、数だけ見れば変わらない。ただ、問いの種類が変わっている。
ノラが写しを持ってきた。
「照会用の添付資料、できたわ。採取物番号三番の分析値、分類変更記録、変更理由の三点をまとめた一枚よ。王都への照会文に添付できる」
「ありがとうございます。照会文は今日付で出します」
「もう一点。採取物三番の素材については、ローデリクさんにも知らせる必要があるわ。監査院の第二次調査承認の前提条件に、採取物分析が入っていたから」
「連絡してください。今日の変更記録の写しと一緒に」
「分かった」
ノラが資料を整えていると、廊下から通信器の音が聞こえた。遠隔通信だ。
ミレナが受けた。
「アシュレイさん。王都から通信が来ています。エルリックさんです」
アシュレイが通信室へ移動した。通信器の前に座ると、ミレナが繋ぎを確認した。
「エルリック、聞こえますか」
「聞こえます。グラン主任」
エルリックの声は変わらず丁寧だったが、少し早口だった。何かを急いで伝えようとしている気配がある。
「照会回答が出ました。採取物の素材についてです」
「はい、聞かせてください」
「採取物番号三番の特性、耐熱性と一方向の魔力遮断性についてです。王都の旧式安全核の周辺素材と比較しました。……一致しません」
「一致しない、というのは」
「旧式安全核に使われる絶縁素材は、遮断方向が多方向に分散する構造です。一方向に遮断する素材は、旧式安全核の設計思想とは違います。……ただ」
エルリックが少し間を置いた。
「地方都市規格書の写しを、ゲイルさんが倉庫から引っ張り出してきまして。そこに、似た素材の記載があります」
「どういう記載ですか」
「補助基盤の外装素材として使うものです。主基盤から補助基盤へ向かう魔力の流れを、外部に漏らさないように包む素材です。流れの方向が決まっているから、遮断方向も一方向になる。……王都の旧式安全核とは別の系統ですが、地方都市規格の補助基盤と呼ばれる設備の素材なら、こういう特性が出ます」
アシュレイはペンを走らせた。
「主基盤と補助基盤、というのはどういう関係ですか」
「規格書の説明では、主基盤が都市の中央にある中核設備で、補助基盤はそこから一定距離を置いた外縁部に設置する従属設備です。主基盤単独でも動くんですが、補助基盤は主基盤なしには機能しない。……規格書には、補助基盤単体での稼働は禁止、という注記があります」
「単独稼働禁止」
「はい。主基盤と接続されていない状態で補助基盤を動かすと、出力が制御不能になる可能性があるためです。規格書の記載はそれだけで、詳しい理由は書いていませんでした」
「分かりました。規格書の写しを送ってもらえますか」
「今日中に送ります。ゲイルさんが補足を入れてくれると言っていました」
「ゲイルさんに伝えてください。助かります」
「あの、グラン主任」
「はい」
「……採取物が補助基盤の素材だとすれば、旧鉱山区画の中に補助基盤がある可能性があります。それが今も何かとつながっていれば、触れ方を間違えると……主基盤側にも影響が出るかもしれません。主基盤がどこにあるかは、今の時点では分かりません」
エルリックの声が、少し慎重になっていた。報告というより、心配している声だった。
「分かりました。その点も記録に入れます」
「お願いします」
通信が切れた。
アシュレイは手帳に書いた。
【採取物番号三番。王都旧式安全核の素材とは一致せず。地方都市規格の補助基盤外装素材の特性と一致。補助基盤は主基盤従属設備。単独稼働禁止の注記あり。主基盤の所在は未確認。補助基盤と主基盤の接続状況は未確認。】
机の上に差分表の版三がある。帯状の空隙の位置を示した線がある。今日のエルリックの報告を重ねると、その帯状の空隙は補助基盤の素材を包んでいた可能性がある。
補助基盤。主基盤。単独稼働禁止。
問いが変わった。旧鉱山区画の中に何かがある、という問いではなくなった。
その何かは、どこかとつながっているかもしれない。




