第82話 鍵記録は、誰かを罰する紙ではない
二名確認制が始まって四日が経った。
ミレナは毎朝、前日分の鍵記録を台帳と照合する作業を続けていた。二名確認制になってからの記録は、それ以前のものより項目が増えている。鍵の移動ごとに、確認者の名前が二人分と、それぞれの確認時刻が入る形になっている。
三日目の記録を見ていたとき、ミレナは手を止めた。
確認者の欄に、二名分の名前と確認時刻が記入されている。しかし確認時刻が、ほぼ同じだった。一人目が「第三刻七分」、二人目が「第三刻八分」。一分しか違わない。
次のページも確認した。別の日、別の担当者の組み合わせだが、時刻の差は二分だった。
さらに前のページに戻った。一分差、三分差、同時刻。
ミレナは全件を手帳に書き出した。二名確認制が始まってからの記録が八件ある。そのうち、二名の確認時刻の差が五分以内のものが六件だった。
ノラのところへ持っていったのは昼前のことだった。
「これを見てください」
ノラが手帳を受け取った。八件の時刻差が並んでいる。ノラはそれを一度最初から最後まで読み、もう一度最後から最初まで読んだ。
「……二名が一緒にいる場所で、まとめて押している、ということね」
「そう思います」
「二名確認の意味が伝わっていないのか、それとも楽な方法を選んでいるのか」
「どちらかは分かりません。ただ、同時刻に押すのが常態化しているなら、一名確認と変わらない状態になっています」
ノラは手帳をミレナに返した。
「アシュレイに知らせて。それと、今日の会議に出す前に、二名確認制の記録全件を三分類にしておくわ」
午後、市庁の会議室にアシュレイ、ノラ、ミレナ、リオネル、そしてコルテが集まった。
コルテは、鍵記録に関する問題が再び議題に上がると聞いて、自ら出席を申し出ていた。住民説明に関わる内容があれば、市庁側として早めに動きたいという理由からだ。
ミレナが発見の経緯を説明した。八件のうち六件で、二名の確認時刻の差が五分以内だったこと。制度の形としては整っているが、内実が一名確認に近い状態になっている可能性があること。
説明が終わった後、コルテが最初に口を開いた。
「つまり、鍵の管理担当者が手を抜いている、ということですね」
「それが原因の一つである可能性はあります。ただ、まず確認することがあります」
アシュレイが返した。
「確認、ですか。手を抜いているなら、担当者を処分すれば済む話ではないですか。記録の問題が続いているなら、市庁としても住民への説明責任があります。処分という形で対応したことを示せれば、問題が対処されたという説明が立つ」
「処分で同時押印の習慣は消えますか」
コルテが少し止まった。
「……どういう意味ですか」
「担当者を処分した後、次の担当者に引き継いだとします。新しい担当者も、同じ仕組みの中で仕事をします。二名確認制の意図が伝わっていなければ、新しい担当者もやがて同時押印をするようになる。処分は個人の問題を解決しますが、仕組みの問題は残ります」
コルテは返事をしなかった。
「今回の件は、二名確認制が何のために存在するのかが、現場に伝わっていなかったことが問題です。個人を罰することより先に、制度の意図を現場で確認する必要があります」
「……では、どうするということですか」
「今日の会議で整理します」
ノラが手帳を机に置いた。
「二名確認制が始まってからの記録を三分類にしたわ」
ノラは紙を一枚取り出した。
「一つ目は適正。二名が別々の時間に、別々の理由で確認した記録。印を押すタイミングが分かれており、それぞれの担当者が独立して鍵の状態を確認したと見なせるもの。二件あった」
「二つ目は形式的確認。二名の確認時刻が五分以内、または同時刻のもの。書式上は二名確認が成立しているが、同じ場所で一緒に押した可能性が高い。六件」
「三つ目は記録不備。確認時刻の記載がないもの。今回は一件」
コルテが眉を寄せた。「六件が形式的、というのは、六件が実質的に問題だということですか」
「問題かどうかを判断するには、現場を確認する必要があるわ。二名が本当に別々に確認したうえで、たまたま時刻が近かっただけかもしれない。ただ、六件すべてが近い時刻というのは、確認方法を統一して確かめる価値がある」
「現場を確認する、とは」
「担当者に聞く。どのように二名確認をしているか。片方が動かした後、もう片方が独立して確認しているのか、それとも一緒に動いて同時に押しているのか」
リオネルが静かに言った。
「確認します」
「お願いします。リオネルさん、一つ先に教えてください。二名確認制の説明を部下にしたとき、どのように伝えましたか」
リオネルは少し間を置いた。
「二名で確認して、それぞれが記録票に押印する、と伝えました」
「確認のタイミングが別々であることは、伝えましたか」
「……明示はしていませんでした」
アシュレイは何も言わなかった。責める必要はない。リオネルは正確に伝えた。ただ、制度の目的まで含めて伝えていなかった。
「二名確認は、片方の記録が書き換えられても、もう片方が残ることに意味があります。同時に押せば、二人まとめて操作される余地が生まれます。別々の時間に押すことが、制度の本来の目的です。……この部分が伝わっていなかった」
「そうです」
「今日の夕方、もう一度説明をしてください。今回の話の内容を含めて」
「分かりました」
コルテが腕を組み直した。
「一つだけ、改めて確認させてください。鍵記録に問題が続いていることについて、市庁として住民に何も説明しないでいることは、説明責任上どうなのでしょうか。何も発表しないまま問題が積み重なれば、後になって大きな不信につながります」
「伝える内容を整理してから伝える、というのが今の方針です」
「ただ、それは時間がかかる。住民が何も知らないまま時間が経てば、憶測が広がります」
「今週中に、掲示板の条件一覧を更新します。鍵管理の運用を強化中であること、第二次調査の条件の現在の進捗を追記します。個別の問題の詳細は出しませんが、対応が進んでいることは示せます」
コルテはしばらく考えた。いつもの、整理している顔だった。
「……それで市庁側の説明として成立するかどうかは、私の方で確認します。問題があれば言います」
「お願いします」
コルテが退席した。
夕方、リオネルが詰め所に部下を集めた。封鎖の担当者が四名、鍵管理の担当者が二名。今日の会議で出た話を順番に伝えた。
一通り説明が終わったとき、鍵管理の担当者の一人が口を開いた。二十代の半ばの隊員で、二名確認制の運用を実際に回している男だった。
「副隊長。二名で確認する、というのは分かっていました。ただ、毎回片方が鍵を動かして、もう片方がすぐ確認する、という形でやっていました。時間を置く必要があるとは聞いていなかったので」
「そうだな。それは俺の説明が足りなかった」
リオネルは短く認めた。隊員が少し意外そうな顔をした。
「二名確認は、片方の記録が操作されたときのために、もう片方が残るようにする制度だ。同じ場所で同時に押せば、まとめて操作される余地ができる。別の時間に、別々に確認することで、二重の記録が作られる」
「……つまり、俺たちの記録を守るために、ということですか」
「そうだ。お前たちが正しく鍵を動かしたという記録が、後から書き換えられないために、二本の記録が別々に存在する必要がある」
隊員が少し考えた。それから言った。
「分かりました。次からは時間を分けます」
「今後の記録票に、確認した理由を一行書く欄を追加する。片方が確認した後、もう片方が何を確認したかを書く形にする。その欄が埋まっていれば、別々に確認したことが分かる」
「そういう欄があれば、同時に押すということはなくなりますね」
「そのための欄だ」
詰め所が静かになった。怒りでも謝罪でもない、静かな落ち着きがあった。制度を疑われていたわけではなく、制度を正しく動かすための話をしている、という空気だった。
夜、ノラが資料室で書類を閉じかけたとき、机の隅に旧坑道図の束が残っているのに気づいた。
先日から照合作業を続けている図面だ。まだ確認の終わっていないページがある。
ノラは一番上の一枚を手に取り、ランプの光に当てた。入口付近の断面図だ。版番号と日付と署名がある。
別の版と並べた。入口の角度が、わずかに違う。線の太さも違う。どちらかが補正されているか、どちらかが後から引き直されているかだ。
ノラは拡大鏡を出した。後から引き直された線は、元の線との間にわずかな段差が生じる。インクの重なり方が変わるからだ。
光を斜めから当てた。
一本の線の中に、かすかな段差があった。
ノラは紙きれに記録した。どのページの、どの線か。発見した日時と、確認した方法。
それから、部屋の入口に向かって声をかけた。
「アシュレイ。少しいいかしら」
廊下からアシュレイが顔を出した。
「鍵の話は一段落したわ。ただ」
ノラは坑道図の二枚を並べ、拡大鏡をアシュレイに渡した。
「鍵だけじゃない。図面も信用しすぎると危ないわよ」




