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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第8章:第一坑道十メートルの作業許可〜入る前に、止まる条件を決めろ〜
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第78話 最初の一メートル

 夜明けの少し前に、全員が揃った。

 旧鉱山区画の入口前。封鎖線の外に集まった人数は少ない。アシュレイ、ガルド、リオネル、ノラ。それぞれの担当に必要な最低限の構成だ。ミレナは封鎖線の外側、記録と通信の担当として立つ。防衛隊からリオネルの部下が二名、封鎖外の警備と退避路の確保にあたる。


 ラウルもその二名の一人だった。

 入口付近には前日に告知の掲示が出ている。初回限定調査の実施日時と対象範囲、調査中の立入禁止区域の範囲が書かれていた。夜明けの薄明かりの中で、掲示板の文字が読める。


「空気は」


 リオネルが最初に声を出した。


「入口外の反応石、変色なし。外気と変わりありません」


「温度」


「外気と同程度。変化なし」


「振動計」


「現在の値は昨日の記録と同じです。想定範囲内です」


 ミレナが答えながら、記録票に時刻を書き込んだ。

 アシュレイは入坑許可票を広げた。各担当の欄を順番に確認した。全項目に署名が入っている。空欄はない。


「許可票の確認、完了です。入坑許可の条件が整っています。これより初回入坑を開始します」


 誰も声を上げなかった。静かだった。

 封鎖線の鍵をリオネルが開けた。開封記録に時刻と担当者名を書き、ノラが確認印を押した。


 入口の前に立った。

 坑道の入口は、ガルドたちが組んだ支保工の格子越しに開いている。外からは暗くて何も見えない。格子の隙間から、ほんのわずかに空気が流れている。古い石と、長い間に堆積した何かの匂いが混じっている。土の匂いではなく、もっと乾いた、石の奥にある匂いだった。


「ガルドさん、先頭をお願いします」


「おう」


 ガルドが格子の解錠を確認し、入口の一歩手前に立った。石突を床面に当てて、地面の感触を確かめる。それから一歩踏み込んだ。

 アシュレイが続いた。


 足を踏み入れた瞬間、アシュレイは床から来る感触を意識した。振動があった。外で計測していた値より、わずかに強い。ほんのわずかだったが、靴底を通じてはっきりと伝わってくる。


「止まってください」


 アシュレイが言った。

 ガルドが動きを止めた。リオネルが後方から「全員停止」を確認した。


「今の時点で一メートルにも届いていません」


「振動があります。外部の計測値より強い。床から来ています」


 アシュレイはその場で片膝をついた。手袋越しに、床面に手を当てた。振動は確かにあった。規則的ではなく、不均一だ。揺れの間隔が一定でない。


「ガルドさん、支保工の鳴り方を確認してください」


 ガルドが入口両側の柱に手を当てた。しばらく黙っていた。


「今のところ、柱の鳴りに変化はない。ただ」


「ただ?」


「床の振動は俺も感じる。外で測ってた値より大きい。振動の出どころが、入口の真下か、入口より少し奥の方からだ。上ではない」


 アシュレイは立ち上がり、手帳を出した。


「風向きを確認します」


 格子から細い紙切れを格子の中へ差し込んでいた。その紙切れが揺れる方向を見た。坑道図によれば、入口から奥に向かって緩やかに空気が流れる想定だった。だが紙切れは、奥からではなく、横、やや右側から来る流れを示していた。


「風向きが合いません」


 アシュレイは手帳に書いた。


【入坑直後。床面振動、外部計測値より強。出所は入口直下または奥方向か。風の流れ、坑道図の想定と方向が合わない。右側から来ている。一メートル地点で停止。差分として記録する。】


「戻ります」


「……一メートルも進んでいないぞ、旦那」


 ガルドが言った。咎めているわけではなく、状況を確認している声だった。


「そうです。差分が出ました。差分が出た時点で停止するのが手順です」


 全員が入口の外へ戻った。

 リオネルが封鎖線の鍵を閉め、再封鎖の記録を取った。ノラが封印確認印を押した。


 封鎖線の外で、ミレナが時刻を読み上げた。入口を踏んでから戻るまで、五分かかっていなかった。


「停止理由の記録を確定します。床面振動の想定外、風向き不一致、以上二点」


「はい。記録票に書きます」


 ミレナがペンを走らせた。

 リオネルの部下、ラウルが少し離れたところで封鎖外の警備に立っていた。戻ってきたアシュレイたちの様子を見て、声には出さなかったが、顔に何かが出た。


「ラウル」とリオネルが言った。


「はい」


「顔に出ている」


 ラウルが少し固まった。


「……まだ一メートルです。中を確認していません。何も分からないまま戻ってきた、と」


「そう思ったか」


「はい。正直に言えば、もう少し進めたのではないかと思いました」


 リオネルは少し間を置いた。感情的に諭すのでも、叱るのでもない顔で、ラウルを見た。


「一メートルで止まれるから、十メートルまで行ける」


「……どういう意味ですか」


「進んで何も起きなかったなら、それは止まる必要がなかったことになる。止まらなかった事実が、記録に残る。……次に差分が出たとき、今日止まらなかった記録があれば、誰かが『今日も同じように進めるはず』と言う。それは止められない」


 ラウルが黙った。


「今日、差分が出た時点で止まった。だから今日の差分は、記録に残った。次に入るとき、今日の差分を見た上で条件を見直せる。……止まることを積み上げることで、次に進める根拠ができる」


 ラウルは少し時間をかけてから、「分かりました」と言った。すぐには腑に落ちていない顔だったが、反論しなかった。

 その後、ノラが採取の準備を始めた。


 今回の入坑で進んだのはほぼ一メートルだったが、その範囲で採取できるものがある。入口の床面に付着した泥、入口の柱に残った削り粉、入口の壁面に付いた魔力樹脂の欠片。格子越しに、外側から採取できる範囲に限る。


「採取番号の発番を始めます」


 ノラが台帳を開いた。


「一番、床面の泥。採取者アシュレイ、確認者ノラ、保管者ミレナ。二番、支柱の削り粉。採取者ガルド、確認者ノラ、保管者ミレナ。三番、壁面の魔力樹脂片。採取者ノラ、確認者アシュレイ、保管者ミレナ」


「採取物の番号と採取位置を、図面上に記録します」


 ミレナが坑道入口の外形図を広げ、採取位置に番号を書き込んだ。図面は古い坑道図ではなく、先の測定で作り直した現地測定版だ。

 採取は慎重に行った。ノラが採取袋の口を持ち、ガルドとアシュレイが格子の隙間から道具を差し込んで、指定の位置の素材を掻き取った。一点ずつ袋を閉じ、番号の札を付けた。


「床面の泥の採取完了」


「確認、問題なし」


「支柱の削り粉の採取完了」


「確認、問題なし」


「壁面の魔力樹脂片の採取完了」


「確認、問題なし」


 ミレナが採取完了の時刻を記録票に書き込んだ。三点の採取物が揃い、確認者の名前と時刻が記録に入った。


「これが旧鉱山区画の現地原本記録の最初の三点です。番号の連続性は保持されています。差し替えの余地はないわ」


 アシュレイは台帳を確認した。番号、採取者、確認者、保管者、時刻、採取位置。全項目が埋まっている。


「記録、開始です」


 封鎖線の外で、ミレナが記録票を閉じた。

 採取物を保管袋に収め、場所の片付けが始まった。ガルドが入口付近の支保工の状態を最後にもう一度確認して回った。格子の左側、次に右側、上部の梁。一本ずつ手で触り、揺れや音の変化がないかを確かめている。


 入口の作業を終えてから、ガルドは格子の隙間から内側に向けて目を凝らした。外の光が差し込む範囲だけが見える。一メートル先は暗い。二メートル、三メートルと奥に行くにつれて光が届かなくなる。

 だが、三メートル付近の柱の輪郭は、薄く見えた。


 ガルドはその柱を見て、少し動きを止めた。


「旦那、少し見てくれ」


 アシュレイが近づいた。ガルドが格子の隙間から指をさした先に、三メートル付近の柱がある。


「あの支柱の立て方が気になるんだ」


「どこですか」


「柱の下端の位置だ。普通、支保工の柱は床の岩盤に直接立てる。あそこの柱は、下端が少し浮いてる。岩盤に立てていない。……何かの上に立てている」


 アシュレイは暗がりの中で三メートル付近を見た。光が足りない。


「何かの上、とは」


「別の構造物の上だ。岩盤じゃない。人が作ったものの上に、後から柱を立ててある。……あれは」


 ガルドは少し声を落とした。


「支えてるんじゃない。隠してる」


 その言葉が、入口の前の空気にそのまま残った。

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