第77話 十メートルの通行計画
市庁の中庭に、木の枠が並んでいた。
縦横に組まれた板材が、坑道入口を模した形に配置されている。幅は人が二人並べば詰まる程度。高さは頭をかがめずに通れる高さ。入口から出口まで、およそ十メートル。地面には石を敷き、一メートルごとに目印の杭が立っている。
本物の坑道ではない。ただし、今日の訓練のための条件は本番に近い形で整えてある。
アシュレイが入口の手前に立ち、参加者を見渡した。ガルド、リオネル、ノラ、ミレナが揃っている。今日の訓練に立ち会うため、セルマも少し離れたところで腕を組んでいた。
「今日の目的を確認します。十メートルの通行訓練です。入坑許可票の確認手順を実際に動かし、誰が何の担当で、どの条件で動作を止めるかを確かめます」
「形式的な確認でいいのか。中じゃないし、坑道の匂いも振動もないが」
「体を動かして、声を出すことが目的です。手順の形だけ確認します」
「了解だ、旦那」
「では始めます。入口から一メートルごとに確認を入れながら進みます。ガルドさんが先頭で支保工の仮設点を確認。リオネルさんが後方で退避経路を維持。ノラさんは採取ポイントの番号を振る担当として中程に入ります。私は全体を見ます」
隊員が二名、補助として加わった。ミレナが入口の外に立ち、通過時刻と確認内容を記録する準備をした。
最初の数メートルは問題なく進んだ。
ガルドが一メートルごとに仮設の確認点を手で触り、異常なしを声に出す。リオネルが後方で退避経路を確認する。ノラが採取ポイントの番号を仮の記録票に書き込む。ミレナが外から時刻を読み上げた。
混線が起きたのは、六メートル地点だった。
ガルドが仮設支保工の一本を叩き、「ここ、鳴り方が変わってる。止まれ」と言った。
同じ瞬間、リオネルが後方から「退避路の確保状況、一時確認。全員停止」と言った。
その二つの声が重なった。
動いていた補助の隊員が、どちらに従うべきか一瞬固まった。ガルドの「止まれ」はその地点での確認停止だ。リオネルの「全員停止」は退避判断の停止だ。意味が違う。どちらを先に処理するのかが、訓練の中では決まっていなかった。
二秒ほど、誰も動かなかった。
アシュレイが「止めます」と言い、訓練を一時中断した。
「今、何が起きましたか」
隊員の一人が言った。
「二か所から停止の声が重なって、どちらに従えばよいか分からなくなりました」
「その通りです。今の状態は問題ではありません。問題が出たことが成果です」
アシュレイは全員に向き直った。
「停止権限が複数あることは正しい。それぞれの担当者が自分の領域で止められなければ意味がない。ただ、二つの停止が重なったとき、優先順位がないと動けなくなる。今日の訓練で出た問題は、それです」
「順番をつけるということか、旦那」
「そうです。今から確認します。まずリオネルさん」
「はい」
「退避判断の停止は、どの条件が最上位ですか」
「退避路が塞がれた場合と、封鎖外で危険が生じた場合です。どちらも、他の全ての停止より優先します。退避路が使えない状態で内部にいれば、他の問題に関わらず全員出る必要があります」
「退避路の停止を最上位とします。他の全停止より優先。これは変わりません」
リオネルが頷いた。
「次にガルドさん」
「俺の止まれは、支保工の鳴り方が変わったとき、或いは支柱が動いた感触があるとき。退避の次に優先すべきだと思う」
「ガルドさんの支保工停止を第二位とします。リオネルさんの退避停止の直下に置く。ガルドさんの止まれが出たときは、リオネルさんの退避確認が自動で始まる。この順序でよいですか」
「それで動けるぜ」
「ノラさん」
「証拠採取の中断条件は、採取物の保全が危うくなる場合と、採取中に退避合図が出た場合よ。採取そのものの中断は、支保工か退避の判断が出た後についてくる形でいい。私の側から全体を止める場面は少ないはずだから、第三位で問題ないわ」
「証拠採取停止を第三位とします。セルマさん」
セルマが腕を組んだまま一歩前に出た。
「封鎖外の物流が詰まった場合は、私の方で担当窓口へ連絡する。退避路と封鎖外が直結している区間があれば、内部の作業に影響が出る前に知らせる。……私の止まれは内部作業そのものを止めるんじゃなく、外の状態を知らせる合図として使う」
「セルマさんの外部通知を第四位とします。ただし、外部混雑が退避路に影響する可能性が出た場合は、リオネルさんへ即座に伝える。その判断はセルマさんが行う」
「分かった」
アシュレイはミレナを見た。
「今確認した優先順位を、入坑許可票の退避欄と停止条件欄に追加してください。一から四の番号付きで、条件と担当者名を明記する形で」
「はい。今確認した内容をそのまま書き込みます」
ミレナが手帳にペンを走らせた。五分ほどで草案が揃い、アシュレイが確認した。内容に問題はなかった。
訓練を再開した。
六メートル地点でもう一度、ガルドが仮設支保工を叩いた。今度は「止まれ、支保工確認」と条件を声に出した。リオネルが「退避路確認、問題なし。支保工確認待ち」と返した。補助の隊員が、両方の声を聞いた上で、ガルドの確認が終わるのを待ってから動いた。
重複したが、今度は誰も固まらなかった。
「よし、続ける」
ガルドが言い、訓練が再開した。
十メートル地点まで到達して、訓練が終わった。
訓練の記録をミレナがまとめている最中、中庭の端にウォンが立っているのに気がついた。
南区画の商店主で、封鎖の状況を定期的に確認しに来る住民代表だ。今日の訓練の話が届いたのか、封鎖線の様子を見るついでに立ち寄ったらしい。
「ウォンさん、見ていましたか」
「少しだけ。……一つ聞かせてください」
「どうぞ」
「訓練の途中で、封鎖の外の物流が詰まったら止まる、という話が出ていました。中の調査と、外の荷馬車は関係ないのでは、と思いましたが」
「関係あります」
アシュレイはウォンに向き直った。
「旧鉱山区画の封鎖線は、入口への通路と重なっています。封鎖線の外で荷馬車が詰まれば、その通路に人と荷が溢れる。中から出てくる退避路が、外の混雑で塞がれる可能性があります」
「……なるほど」
「中で何かが起きて出てこようとしたとき、外が詰まっていれば出られない。中の安全は中だけの話ではありません。外の状態も、入坑中の安全条件の一部です」
ウォンは少し考えた。手を頬に当て、目を細める。困惑が整理されていく顔だった。
「……そういう意味では、外の物流を管理することも、調査の安全につながる」
「そうです」
「分かりました。セルマさんがその担当ですか」
「外部の物流迂回と通知は、セルマさんが担当します」
ウォンはセルマを見た。セルマが短く言った。
「商人側の当日迂回と、封鎖外への事前告知は私が出す。詰まりそうな場合は、当日の朝に迂回ルートを変更する。住民側にも前日に回覧を出すから、ウォンさんの方でも周知を頼みたいね」
「……承知しました」
ウォンは素直に頷いた。最初から反対しているわけではない。筋道が見えれば受け入れる人間だ。
午後、役所の会議室でアシュレイとミレナが入坑許可票の最終版を確認した。
ガルドの支保工確認欄、リオネルの退避欄、ノラの証拠採取欄、セルマの物流迂回欄。それぞれに担当者名、確認条件、停止条件が入っている。退避欄には今日確認した優先順位が番号付きで追加されている。
「全項目、入っています。担当者名、条件、停止順序、通知先。空欄はありません」
「現地確認が残っています」
「はい。現地最終確認が完了すれば、許可を出せる状態になります」
アシュレイはもう一度票を見た。二週間前、ほぼ空欄だった雛形が、今日の訓練で最後の空白を埋めた。
「ミレナさん、全員への写しを作ってください。各担当者が自分の停止条件と連絡先を確認できる形で」
「今日中に作ります」
ミレナが写しの作業に入った。アシュレイは手帳に書いた。
【入坑許可票、全項目確認。停止権限の優先順位を追加。現地最終確認の完了をもって許可の発効条件とする。】
その後、票の写しが全員に配られた。それぞれが自分の欄を確認し、署名を入れた。最後にアシュレイが全員の署名を確認して、票を閉じた。
夜、封鎖線の外周を担当していたリオネルの部下から、連絡が来た。
見張りの若い隊員が、封鎖線の外側の地面に落ちているものを見つけた。拾おうとして、一人では判断できないと判断して、そのまま上へ報告した。
リオネルが現場へ行き、確認した。それからアシュレイを呼んだ。
封鎖線の外、地面に一枚の木の板が置かれていた。
縦横ともに手のひらほどの大きさで、表面に文字が焼き付けられている。風雨で少し削れているが、読める。番号と、短い文字列が刻まれていた。坑道の識別に使う形式だった。
「坑道札だ。ただ、番号の形式が、今の封鎖管理で使っている形式と違う」
「古い番号形式ですか」
「旧鉱山区画が閉鎖される前の形式に見えます。今の管理番号とは体系が違う」
アシュレイは屈んで木の板を見た。触らず、目だけで見た。
「誰かが置いていった」
「わざと見つかるように置いてあるのか、落としていったのかは分かりません」
「ノラさんに連絡してください。証拠品として扱う手順で回収してもらいます。今夜触らないでください。周囲の地面の状態も記録してください」
「了解しました」
リオネルが部下に指示を出した。
アシュレイは立ち上がり、封鎖線の向こうの旧鉱山区画を見た。夜の封鎖線の向こうは暗く、何も見えない。ただ、今日の訓練で全員の停止条件が揃い、入坑許可票が完成した夜に、その板が置かれていた。
偶然の可能性は、あった。
ただ、あるとも言い切れなかった。




