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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第8章:第一坑道十メートルの作業許可〜入る前に、止まる条件を決めろ〜
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第76話 鍵記録の攪乱

 ノラが資料室を出たのは、夕方を過ぎた頃だった。

 廊下でアシュレイとすれ違った。アシュレイは測定記録の整理を終えて戻ってきたところで、手帳を持ったままだった。


「少し付き合ってもらえる」


 ノラの声が、いつもより低かった。感情ではなく、何かを確認している人間の声だった。


「どうしましたか」


「封鎖鍵の貸出記録を見ていたら、おかしなものが出てきたわ」


 二人は資料室に戻った。机の上に、封鎖鍵関係の書類が並んでいた。貸出記録票、巡回記録、入退域台帳。それぞれ別の管理体制で作られた、三種類の記録だ。

 ノラは貸出記録票を手に取り、七ページ目を開いた。


「ここを見て」


 アシュレイが覗き込んだ。確認印の欄に、印が押されている。


「日付を見て」


 アシュレイは日付を確認した。封鎖鍵そのものが存在していなかった時期の日付だった。封鎖の設定より前だ。


「この印が押された日、封鎖鍵はまだ作られていませんでした」


「そう。存在しない鍵の貸出確認が、記録に残ってる」


 ノラは拡大鏡を引き寄せ、印影をもう一度確認した。


「印そのものは本物に見えるわ。かすれ方、押す力の加減、印台のインクの種類。……偽造じゃない。本物の印鑑が使われた可能性が高い。ただし、日付が前後している」


「押し間違いということは」


「単純な間違いとは言えないわ。日付は印を押す前に欄へ書いておくもの。間違いなら、欄外に訂正が入るはずよ。それがない」


 アシュレイは手帳に書いた。


【封鎖鍵貸出記録、七ページ目。封鎖設定日より前の日付の確認印。訂正なし。】


「次を見て」


 ノラは巡回記録を引き寄せた。


「封鎖設定後の夜間巡回記録の、三日分を見比べるわ。夜間巡回は防衛隊の隊員が二名一組で行い、封鎖線の状態を確認して記録票に押印して戻る。……この三日分に、記録の空白があるの」


「空白とは」


「巡回完了の押印が入っていない日があるわ。巡回そのものは行われたと、隊員の引き継ぎ日誌には書いてある。でも、封鎖線確認の押印票には何もない」


「記録の連携が取れていない、ということですか」


「最初はそう思ったわ。記録の運用が不十分なだけかもしれないって。でも」


 ノラは入退域台帳を開いた。


「入退域台帳と照合すると、その三日分の夜間帯に、封鎖線付近の入退域記録が一件も存在しないの。巡回隊員の出入りが、入退域台帳に残っていない」


「巡回記録と入退域台帳が、同じ三日分に揃って空白になっている」


「そうよ。一方が抜けるだけなら記入漏れで済む。両方が同じ三日分に揃って抜けるなら、誰かがその時間帯の記録を意図的に消した可能性が出てくるわ」


 アシュレイは別のページに書いた。


【夜間巡回記録・封鎖線確認押印、三日分空白。入退域台帳、同三日間の夜間帯に入退域記録なし。】


「もう一点あるわ」


 ノラはもとの貸出記録票に戻り、確認印の署名欄を指した。


「この署名を照合したの。名前はイルダンの市庁職員の名義よ。ただ、この日付の時点で、この人物はイルダンにいなかった可能性があるわ」


「根拠は」


「同じ時期の別の書類に、この人物が他の都市への出張で市庁を不在にしていたことを示す記録があるの。出張届と、出張先での受領署名が残っている。……同じ人物が、二か所に同時にいることはできないわ」


 アシュレイはしばらく手帳に書き続けた。書き終えてから、一段落ちた声で言った。


「三点が重なっています。存在しない鍵の確認印。同じ時期の巡回記録と入退域台帳の空白。署名者の不在証明。……これを単純な記入ミスと判断することは、今の段階ではできません」


「できないわ」


「ただ、誰が行ったかは今の段階では断定できません。確定していない部分を断定すれば、記録としての信頼性が下がります」


「同感。今断定すべきのは、誰がやったかじゃない。鍵記録が今の状態では入坑許可の根拠に使えない、ということだけよ」


「その判断で進めます」


 翌朝、役所の会議室に四人が集まった。アシュレイ、ノラ、リオネル、ミレナだ。

 アシュレイがノラの調査結果を説明した。三点の不整合。存在しない確認印、巡回記録と入退域台帳の同時空白、署名者の不在可能性。


 リオネルは最初から最後まで黙って聞いた。

 説明が終わってから、短く言った。


「……鍵の管理は、私の担当です」


「そうです」


「記録に問題が出たということは、私の管理に問題があったということでもある」


 アシュレイはリオネルを見た。責めている顔ではない。確認している顔だった。


「記録に問題が出たことは事実です。ただ、攪乱された可能性がある状況では、管理側を疑う前に、記録がどう操作されたかを確認する必要があります。リオネルさん、今の鍵の保管状況を確認させてください」


「今すぐ見ます」


 リオネルが立ち上がった。ノラとアシュレイが続いた。

 鍵の保管場所は防衛隊の詰め所の鍵棚だった。リオネルが鍵を取り出し、鍵棚の記録と照合した。本数は合っている。それぞれの鍵に名称と番号の札が付いている。


 リオネルは一本ずつ確認した。

 アシュレイとノラは黙って見ていた。


「本数は合っています。番号も一致している。ただ」


 リオネルは一本の鍵を取り出した。封鎖線の内側に入るための第二錠用の鍵だ。鍵の形そのものを見ている。


「……これ、少し確認する必要があります」


「何ですか」


「実際の錠前に差し込んで、合うか確認していません。鍵の番号と形状だけで管理していました。現物が錠前に合うかどうかの確認は、入坑許可が出た後の初回入坑時にする想定でした」


「今すぐ確認できますか」


「封鎖線の外から、錠前の位置には近づけます。全部の鍵を持って行きます」


 三人は封鎖線まで移動した。リオネルが鍵束を持ち、一本ずつ錠前に近づけて形状を確認した。ミレナが番号と鍵の形状を記録票に書き取った。

 最初の三本は問題なかった。


 四本目で、リオネルの手が止まった。


「これ」


 リオネルが鍵を錠前の前に当てた。形が合わない。錠前の穴の形と、鍵の山の形が一致していない。差し込めない形になっている。


「番号を確認してください」


「番号は第三錠用の番号が付いています。しかし錠前の形が違う」


 アシュレイは錠前と鍵を交互に見た。


「この鍵は、どこの錠前に合いますか」


「……分かりません。少なくとも封鎖線内の錠前ではない」


 ノラが手を伸ばし、鍵を受け取った。鍵の側面を確認する。かすかに加工の跡がある。


「これ、元々別の番号が振られていたものを、新しく第三錠用の番号に付け替えてあるわ」


 リオネルの顔が、少し固くなった。感情ではなく、状況を受け入れている顔だった。

 午後、アシュレイは対応方針を出した。


「三点の対応を今日から始めます。一点目、鍵記録の凍結。現在の貸出記録は、入坑許可の根拠として使わない。過去の記録は参考情報として保管します」


「告知文を作ります」とミレナが言った。


「二点目、現物鍵の再封印。現在保管されている全ての鍵を、ノラさん立ち合いで封印し直す。封印後は、二名の確認がなければ開封できない形にする」


「封印の手順は私が決めるわ。封印材と確認印の管理も私が担当する」


「三点目、封鎖線の受領印運用を今日から新しい形に変える。リオネルさん、鍵の保管を二名確認制にしてください。鍵を動かす際に、二名が別々に記録票に押印する形にする」


「了解しました。部下への説明は、私からします」


 それから少し間があって、リオネルは続けた。


「一つ確認させてください。今回の変更は、今の鍵管理担当者を疑っているということですか」


「違います。今の管理担当者の問題ではなく、一人の判断で動かせる仕組み自体を変えます。一名確認制は、担当者を信用していても、外から記録を操作されやすい。二名確認制にすれば、片方の記録を変えても、もう片方が残ります」


「……仕組みの問題、ということですか」


「そうです」


 リオネルは頷いた。すぐには返事をしなかったが、それから短く言った。


「分かりました。今日の夕方の引き継ぎで部下に説明します」


 しかし、夕方になって問題が起きた。

 防衛隊の詰め所で、リオネルが部下三名に方針を説明していると、一人が声を上げた。二十代の後半の隊員で、入坑許可票の仮組み訓練にも参加していた男だった。


「副隊長。つまり、俺たちの鍵管理を疑っているということじゃないですか」


「そうじゃない」


「でも、記録に問題が出て、鍵の確認制度を変えるということは、今まで俺たちがやってきたことが信用されていないということでしょう。俺たちは真面目にやってきました。誰かが怠惰だったわけじゃない」


「分かっている」


「だったら、なぜ制度を変えるんですか。俺たちがちゃんとやれば、制度を変える必要はないはずです」


 リオネルは少し間を置いた。


「お前に一つ聞く。鍵記録に、誰もそこにいなかったはずの確認印が残っていた。……それは、お前たちの誰かが怠惰だったからか」


 隊員が黙った。


「違うだろ。お前たちが真面目にやっていても、外から記録を操作される可能性がある。そこに俺は怒っている。お前たちにではなく、その穴を放置した仕組みに」


 リオネルは全員を見渡した。


「二名確認制は、お前たちを疑うためではない。お前たちが真面目にやった記録を、外から書き換えられないようにするためだ。記録が守られれば、お前たちが真面目にやったことも守られる」


 詰め所が静かになった。

 声を上げた隊員が、少し考えてから言った。


「……分かりました。今日から、やります」


 夜、ノラが全ての鍵の再封印を終えた。封印材で鍵束ごと束ねた上から、ノラとリオネルの二名の確認印を押した。封印の番号と日付と確認者名を台帳に記録した。

 ミレナが告知文の草案を仕上げた。「封鎖鍵記録の更新について」と題した一枚で、現行の記録を参考情報に格下げすること、今後の鍵の貸出と返却は二名確認制で行うことを書いてある。


「確認してください」とミレナがアシュレイに渡した。


 アシュレイは読んだ。


「問題ありません。配布してください。リオネルさんの部下全員と、市庁の担当者にも写しを出す」


「はい」


 ミレナが告知文を折りたたんだ。

 封印された鍵束が、台帳の管理番号と一致していることをノラがもう一度確認した。全ての本数が合っている。封印に問題はない。


 アシュレイは手帳に書いた。


【鍵記録凍結。現物鍵再封印完了。二名確認制開始。鍵記録は入坑許可の根拠から除外。封印番号と台帳番号、確認済み。】


 記録を書き終えてから、アシュレイはノラを見た。


「封印した鍵束の中の、錠前と噛み合わない鍵。あれは今どこにありますか」


「封印の中に入れてあるわ。ただし、別の封印袋に分けて、用途不明の鍵として番号を振ってある。処分は保留にしてるわよ」


「どの錠前に合うか、確認する必要があります。封鎖線内の錠前ではなかった。では、どこの錠前に合うのか」


 ノラは少し考えた。


「封鎖線外の旧鉱山区画の関連施設か、あるいは別の場所の錠前か。……確認するには、一本ずつ当てていくしかないわ」


「そこから始めます。明日の作業として入れてください」


「台帳に追加する」


 その夜、封印された鍵束の台帳が、ノラの手元に残った。

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