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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第8章:第一坑道十メートルの作業許可〜入る前に、止まる条件を決めろ〜
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第79話 十メートルで止まる勇気

 二メートル地点で、最初の止まれが来た。

 ガルドが床の一点に視線を落とした。床面の石の継ぎ目に、細い亀裂が走っている。


「亀裂の確認。進む前に写真記録を取る」


「番号を振ります」とノラが後方から言った。


「写真記録番号、現地七番」


 ミレナが外から時刻を読み上げ、記録票に書き込む声が入口越しに聞こえた。


「確認完了。亀裂は入口からの振動によるものか、元々あったものかは判断不能。記録にそのまま残す。進んでいい」


 アシュレイは手帳に書いた。


【二メートル地点。床面亀裂を確認。原因未特定。記録番号現地七番。】


 三メートルへ進んだ。

 前回の入坑で、ガルドが外から気になると言っていた支柱がある。外からは薄暗くて形しか見えなかったが、今は手が届く距離にあった。


 ガルドは支柱の下端に手を当てた。黙って、感触を確かめている。それから顔を少し近づけ、柱の側面を見た。


「……やっぱりそうだ、旦那」


「どうですか」


「この柱、岩盤に立っていない。下に何かある。平らすぎる」


 ガルドは柱の根元付近の床面を指で示した。柱の周囲の石が、周りと質感が違う。磨耗の仕方が揃いすぎている。


「平らに整えた面の上に柱を立ててある。岩盤は下にある。間に、人が作ったものが挟まってる」


「何が挟まっているかは分かりますか」


「今は見えない。だが厚みが少しある。……隙間を通して空気の動きが感じられる。その下に空間がある可能性がある」


 アシュレイは書いた。


【三メートル地点。支柱の下端、岩盤直立ではない。人工的な構造物の上に設置されている可能性。柱根元下方に空間の気流あり。深さ不明。現時点では手を触れない。記録番号現地八番。】


「進めますか」


「支保工の鳴り、今のところ変化なし。進める」


 四メートル、五メートル。確認を続けながら進んだ。

 風の流れは入口で測った方向と違ったままだった。横から来る流れが、少しずつ感じられる場所が変わっていく。ノラが一メートルごとに風向きを確認し、番号を振って記録した。空気の反応石に変色はない。通信も切れていない。


 六メートルで二度目の止まれが来た。

 床面に、泥の跡があった。乾いているが、方向がある。奥から入口の方向へ流れてきた跡だ。


「この泥の跡、自然に流れたものじゃない可能性があるわ。流れの方向が一定すぎる。奥で何かが撹拌された後に流れ出た痕跡に見える」


「採取しますか」


「する。ただし、この場所の写真記録を先に。現地九番」


 採取が終わり、封印袋に収められた。ノラが番号の札を付ける。ミレナが外から時刻を確認した。

 七メートル、八メートル。


 空気が変わってきた。外の気温と少し違う。肌で感じる温度ではなく、空気の質感のようなものが変わっている。

 ガルドが一度立ち止まり、柱を叩いた。


「音が少し変わってきてる。坑道の形が変わる場所に近づいてる」


「支保工の停止条件には達していませんか」


「まだ。ただ、少し注意が要る」


「了解しました。一メートルの確認間隔を維持して進みます」


 九メートル地点で、全員の動きが少し遅くなった。

 意図したものではない。前が見えてきたからだ。


 十メートルの先の暗がりに、形が見える。

 光が届かない場所にあるが、入口から差し込む明かりの端が、その輪郭を薄く照らしている。壁ではない。柱でも天井でもない。何か、整えられた形をしたものがある。


「止まってください」


 アシュレイが言った。全員が止まった。


「十メートル地点の手前です。まず確認手順を完了させます」


 支保工の状態確認。ガルドが柱を叩く。

 その瞬間、ガルドの手が止まった。


「……鳴り方が変わった」


 全員が黙った。


「さっきまでと、音の返り方が違う。柱の中を伝わる振動の出方が変わってる。……止まれだ」


 アシュレイはすでに手帳を出していた。


「リオネルさん」


「退避路、確認。問題なし。全員後退できます」


「この地点で一時停止します。後退はしない。今の状態を記録します」


 アシュレイは前方に視線を向けた。九メートルを少し超えた地点。奥の形が、ここからでも見えていた。

 人工的な固定具だった。


 壁面から突き出した形で、金属製の枠組みが設置されている。腐食しているが、形は残っている。その奥、暗がりの中に細い線が走っている。壁に沿って配線されたものが、整然と並んでいる。古い制御線のような形だった。数メートル先へ延びているが、先は闇に消えている。


「ノラさん、見えますか」


「見えるわ。……人工物ね。配線の形式は今のものと違う。古い。どれくらい古いかは、見ただけでは言えないわ」


「記録を取れますか。現物に触れずに」


「できるわ。遠目の記録になるけど、形状と位置は残せる。現地十番と十一番で振る」


 ノラは記録の準備を始めた。位置と形状を紙に書き起こし、方向と距離を番号付きで記す。現物に手を触れない。奥へ踏み込まない。見えているが、接触しない。


「ガルドさん、今の鳴り方の変化は、どの程度の変化ですか」


「軽微な変化だが、基準値から外れてる。俺の基準では停止条件に達した」


「支保工確認者の停止判断を受けます」


 アシュレイは手帳に書いた。


【十メートル手前、九メートル超地点。支保工鳴り変化確認。停止条件発動。奥に人工的固定具と制御線様の配線を視認。金属製枠組み、形状残存。配線は壁面に沿って延伸。現物への接触なし。遠目記録のみ取得。】


「記録を取り終えたら後退します」


「待て」


 ガルドの声だった。ガルドは奥の形を見たまま、少し動かなかった。


「……行けるかもしれない」


 誰も何も言わなかった。


「あと数メートルで、あれに触れる。あれが何かが分かる。手を伸ばせば届きそうな場所に、見たことのないものがある。……職人としては、触りたい。どんな作りになっているか確かめたい」


 アシュレイは黙っていた。

 しばらくして、ガルドが続けた。


「ただ」


 ガルドは手元の支保工の柱を、もう一度軽く叩いた。音を聞いた。


「鳴り方が変わってる。俺が決めた停止条件だ。……俺が止まれを出した。俺が止まれを守る」


 ガルドは視線を奥から外した。


「後退するぞ、旦那」


「はい」


 全員が出口の方向へ向き直った。リオネルが後方で退避路を確認しながら誘導した。ノラが記録の紙を抱えた。一メートルずつ確認しながら、入口へ戻っていく。

 外の光が近づいてきた。


 封鎖線の外側で、コルテが待っていた。

 市庁の補佐役の役人で、入坑許可票の会合でも顔を出していた男だ。今日の入坑を住民向けにどう説明するかの材料を得るために、朝から立ち会っていた。


 全員が外へ出るのを見届けてから、コルテが近づいてきた。


「お疲れ様でした。……それで、奥に何かが見えたと聞きましたが、採取はできましたか」


「現物には触れていません」


「……取ってこられなかったのですか。せっかくそこまで見えたのに」


「取りに行く条件が揃っていませんでした」


「でも、手が届きそうな距離だったのでは」


「手が届く距離でも、触れてよい条件が揃っていなければ触れません」


 コルテは少し顔を動かした。反論でも納得でもなく、整理している顔だった。


「……見えたものの記録は取れています。人工的な固定具と配線が存在することは確認できました。それが何かは、まだ分かっていません。ただ、存在することは今日の記録に残りました」


「それは、住民に説明できる成果ですか」


「今日分かったことを、そのまま説明できます。奥に何かある。何かは分からない。今日の段階では安全に近づける条件が揃っていないため、記録だけを取って戻った。……これが今日の事実です」


 コルテはしばらく黙った。


「……見えたものが確定していないまま説明するのは、難しいですが」


「確定していないことを確定していないまま伝えることが、説明責任です。確定していないのに確定したように伝えれば、後で食い違いが出ます」


 コルテはそれ以上言わなかった。

 ミレナが外の記録票に「調査班全員帰還」の時刻を書き込んだ。封鎖線が閉まった。再封印の確認印がノラとリオネルによって押された。


 今日の初回限定調査記録が完成した。

 役所に戻って記録を整理しているところへ、遠隔通信器から声が入ってきた。


「アシュレイ、聞こえるか」


 ゲイルだった。


「聞こえます」


「今日の記録の写しを、エルリックから受け取った。奥で見えたという固定具の形状記録だ」


「確認してもらえましたか」


「ああ。……旧式安全核の周辺部材と、形は似てるぞ」


 アシュレイは手帳にペンを当てたまま、続きを待った。


「ただ、規格が違う」


「違うとは」


「旧式安全核の周辺部材なら、枠組みの接合形式が王都標準に沿ってるはずだ。お前たちが記録した形状は、接合部の形が違う。王都標準を参照して作られたものじゃない」


「王都より古い、ということですか」


「そうとも限らねえ。別の規格で作られた可能性がある。王都より古い地方の規格か、あるいは王都とは別の系統か。……どちらにせよ、旧式安全核の部材と同じものとは断言できない。照合対象としては残すが、同一視するな」


「分かりました」


「それと」


 ゲイルの声が少し落ちた。


「規格が違うってことは、あれは誰かが作ったものだ。それも、王都とは別のところで。……それが何のために作られたかは、お前の方で調べることだろうが」


「調べます。ありがとうございます」


 通信が切れた。

 アシュレイは手帳に書いた。


【十メートル地点視認物。旧式安全核周辺部材との形状類似確認。ただし接合規格が王都標準と一致しない。同一規格の部材ではないと照合対象として保留。出所の規格、調査必要。】


 記録を閉じた。

 今日の調査記録は、「入った」という事実ではなく、「十メートルで止まった」という事実から始まる。止まる条件が機能したから、記録が生き残った。


 手帳を机の上に置いて、アシュレイは窓の外を見た。旧鉱山区画の方向に、夜が来ていた。

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