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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第8章:第一坑道十メートルの作業許可〜入る前に、止まる条件を決めろ〜
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第73話 古い坑道図は、原本ではない

 役所の資料室は、普段より狭く感じた。

 机の上に広げられた紙の枚数が多いためだ。古い坑道図、旧鉱山組合の測量写し、閉鎖記録、入坑許可票の初版が、重ならないように並べてある。ガルドが昨夕に引き寄せて気になった坑道図は、中央に置かれていた。


 ノラが窓際に立ち、光を当てながら図面の紙質を確認している。ミレナは隣の机で手帳を広げ、何かを書き留めていた。アシュレイは入口近くの椅子に座り、ガルドの話を聞いていた。


「昨日から気になってたのを整理してきた」


 ガルドは坑道図の上に測定棒を置き、入口付近の線を指で示した。


「まずここ、入口の角度だ。図面では岩盤に対してほぼ垂直に掘り込んでる形になってる。だが現地を見た感じじゃ、実際の開口部は北側に十度ほど振れてる。誤差の範囲じゃねえ。測らなくても職人の目で分かる」


「他にもありますか」


「ある。排水溝の位置が図面と全然違う。図面じゃ入口から右側に沿って流れることになってるが、現地の泥の跡は左から流れてきてる。左右逆だ。……それから支柱番号だ」


 ガルドは図面の内部図に指を移した。


「この番号の振り方を見ると、支柱が入口から奥へ向かって順番に振られてる。一番、二番、三番と。だが以前から気になってたのは、封鎖前に外側から目視できる支柱の番号が、図面と合わない。入口に一番があるはずなのに、一番が見当たらない。三番が来てる」


 ノラが図面から顔を上げた。


「番号が合わないというのは、後から支柱が差し替えられた可能性もある、ということ?」


「その可能性は捨てきれねえな。ただそっちは俺の領域じゃない。物理的な不自然さを言えるのはここまでだ」


 アシュレイは手帳に三点を書き留めた。


【入口角度偏差・約十度。排水溝位置・左右逆転。支柱番号・入口付近で不一致。】


「それを確認するために、今日ここへ呼んだ人間がいます」


 扉が開いた。

 老人が入ってきた。七十代の前半に見える。腰が少し曲がっているが、目は明るい。工具袋は持っていない。代わりに、分厚い手帳と古い測量用具の入った布袋を肩に下げていた。


 ダン・クレイという名前だった。旧鉱山区画が閉鎖される前、鉱山組合で坑道の測量を担当していた男だ。ミレナが組合の古い記録から名前を見つけ、アシュレイが面談を依頼した。


「ダン・クレイさん、来ていただいてありがとうございます」


「呼ばれりゃ来るよ」


 ダンは机の上の坑道図を一目見て、少し表情を変えた。目を細めた。懐かしさよりも先に、別の何かがその顔に出た。


「私が描いた図面だな」


「確認しました。組合の押印があります」


「……何年前のものだ」


「閉鎖記録と照合すると、十七年前です」


 ダンは布袋を床に置き、椅子を引いた。座って、図面をじっと見た。誰も急かさなかった。


「何が違う」とダンが言った。


 答えを知りたいというより、こちらが何を言い出すかを待っている口調だった。

 アシュレイはガルドを見た。ガルドが先ほどと同じ三点を説明した。入口角度、排水溝の位置、支柱番号の不一致。


 ダンは黙って聞いた。最後まで聞いてから、一度だけ深く息を吸った。


「入口の角度については」とダンは言った。


「当時、私が測った通りに描いた。十七年前の角度は、この図面が正しい」


「分かりました」


「ただ」


 ダンは図面の上で指を止めた。


「当時と今で、入口の岩盤が動いていないとは断言できん。あの坑道の入口付近は、地盤の弱い層に沿って掘ってある。年数が経てば、岩盤が数センチ単位で動くことはある。……私が描いた図面が間違っているのか、と言われれば、当時は正しかったと答える。ただ今も正しいかどうかは、私には言えん」


 アシュレイがそれを聞いて、少し間を置いてから言った。


「ありがとうございます。今おっしゃったことが、今日ここで確認したかったことです」


 ダンが目を上げた。


「……どういう意味だ」


「当時正しかった記録が、今も正しいとは限らない。それは、ダンさんの測量が悪かったという話ではありません。時間が経てば、現場は変わります。記録は変わらない。そのズレが今日の問題です」


 ダンはしばらく黙った。

 ガルドが横から口を開いた。


「俺も職人だから言うが、十七年前に正確に組んだ支保工が十七年後も同じ形で立ってると思ったら、それは別の意味で危ない。木材は動く。岩は動く。数字は動かんが、現場は動く」


「……それは分かってる」とダンは言った。


 低い声だったが、反発ではなかった。認める声だった。


「排水溝については当時の施工記録を確認すれば、どこに溝を掘ったかは出てくるはずだ。ただ、その後に排水経路を変更した記録があるかどうかは、私には分からん。閉鎖後に誰かが手を入れた可能性もある」


「その確認も必要です。今の段階でダンさんに聞きたいのは、この図面を作った時の状況だけです。作った時の状況を、一番よく知っているのはダンさんだけですから」


 ダンは図面を見た。それから布袋の中から自分の古い手帳を取り出し、机の上に置いた。


「これが測量当時のメモだ。途中まで残っている。全部が揃っているわけじゃないが、角度と番号の根拠はここに書いてある。……役に立てるかどうかは分からんが、持ってきた」


 ノラが前に出た。


「見せていただけますか」


 ダンが手帳をノラの方へ押した。ノラはページを開き、測量値と日付を確認し始めた。

 少ししてから、ノラは坑道図に戻った。


「この図面を原本として扱うことは、今の段階ではできないわ。ただ、破棄も違う」


「なぜですか」とミレナが聞いた。


「参照先として使えるから。今の現地が図面とどこで、どれだけ違うかを比べるためには、この図面が必要になる。ない方が困る。ただ、作業根拠にはならない」


 ノラは坑道図の右上の余白を指で示した。


「ここに参照番号を振る。原本ではなく、参照資料として番号を付けて保管する。現地測定が終わったら、その結果と照合して差分を記録する。この順番で扱う」


「その方針で進めます。ミレナさん、現地確認用の測定票を今日中に草案を出してください。ガルドさんの指摘した三点を基点にして、入口角度・排水溝位置・支柱番号を現地で再確認する形で」


「はい。項目と測定の順番を、ガルドさんに確認しながら作ります」


 ミレナが手帳に書き始めた。ガルドがその横に椅子を引き寄せて、項目の順番について低い声で話し始めた。

 ダンは自分の古い手帳がノラの手元で参照番号付きの資料になっていくのを見ていた。その顔は、怒ってはいなかった。


「一つ聞いていいか」とダンが言った。


「どうぞ」


「私の図面は、参照情報になる。それは分かった。……だが、現地で新しい原本を作ったとして、その新しい原本は正しいと言えるのか。時間が経てば、また変わるかもしれない」


 アシュレイはすぐには答えなかった。

 少し考えてから言った。


「今日測った値は、今日の現地が正しいと言えます。それだけです。十年後にまた測れば、その時の値と今日の値が違うかもしれない。それでも、今日測ることには意味があります。何も測らなければ、いつの状態なのかも分からない記録しか残りません」


 ダンはしばらく黙った。


「……なるほどな」


 低い声で言った。それきり黙った。反論ではなかった。

 午後のうちに、坑道図には参照番号が振られた。ノラが管理台帳の一ページを開き、番号と図面の名称と参照理由を書き入れた。


 ミレナは測定票の草案を出した。ガルドが確認して、支柱番号の確認手順に一項目を足した。アシュレイが最終確認をして、測定票を入坑許可票に添付する資料として登録した。

 坑道図は作業根拠ではなく、参照資料になった。現地測定が終わるまで、その坑道図に従って入坑許可を出すことはしない。それが決まった。


 ダンは帰り際に、古い手帳をそのまま置いていった。


「ノラさんが必要なら使ってくれ。自分で持っていても今さら使い道はないから」


 ノラは受け取って「参照資料として保管する」と言った。「ありがとうございます」とは言わなかったが、声が少し柔らかかった。

 ダンが資料室を出て行くと、ガルドが伸びをした。


「旦那。今日の作業、外でも進めてよいか。測定票の項目が揃ったなら、実際に外から確認できる分だけ確かめておきたい」


「お願いします。封鎖線の内側には入らないでください」


「分かってる」


 ガルドは布袋を持ち、測定票の草案をミレナから受け取って外へ出た。

 夕方近く、アシュレイが資料室で記録をまとめていると、ガルドが戻ってきた。


 測定棒を持ったまま、少し考える顔をしていた。


「外からの確認は終わりました」


「ああ。角度の件は、現地に行ってみたらやっぱり図面と合わねえ。俺の目に狂いはなかった」


「記録してください。今日の確認分として」


「それはする」


 ガルドは測定棒を机の端に置いた。布袋の中から記録紙を取り出した。それを見ながら少し眉を寄せた。


「一個、余計なものが出た」


「何ですか」


「封鎖線の外から、坑道入口の方角に向けて測定棒を差し込んでたとき、振動を拾った。坑道から来る振動じゃない。角度が違う」


 アシュレイがペンを止めた。


「どの方角ですか」


「入口より、少し南寄りの地面だ。棒を真っ直ぐ差すと入口方向になるのに、振動の発生源は斜め下からだった。棒に伝わる振れの角度が、坑道とは合わない」


 ガルドは記録紙の上に指で方向を示した。


「真っ直ぐ下じゃない。地中の、斜め下から来てる。……何かが、あそこにある」

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