第69話 原本を消す前に、写しが残っていた
封書は、朝の早いうちに届いた。
差し出し人は別都市の倉庫管理者で、ローデリク経由で出していた正式照会への回答だった。ミレナが受け取り、封を切らずにアシュレイとノラへ持参した。
「先に確認してください。私は受け取り記録を付けます」
ミレナが受領印を押してから、三人で開封した。中には丁寧に折りたたまれた羊皮紙が数枚。倉庫側の回答書と、照会対象の取引記録の写しが添付されている。
ノラが回答書を取り上げ、読み始めた。
一ページ、二ページ。三ページ目まで進んだところで、ノラは静かに手を止めた。
「……なんと書いてありますか」とミレナが聞いた。
「要約すると、こう。該当の取引番号については出荷記録を確認した。旧鉱山区画への出荷は一切なく、帳簿上も問題がない。倉庫として適切に管理されている。以上」
「問題なし、ということですか」
「書類の上では、ね」
ノラは回答書を机に置き、添付された取引記録の写しを手に取った。取引番号が印刷された行を指で押さえ、そのまま別の書類へと手を伸ばした。
「ミレナ。照会依頼を出した時の写し、持ってきてくれる?」
「はい、手元にあります」
ミレナが証拠品管理台帳から、照会依頼の写しを取り出した。照会文の右上に、通し番号と照会日が印字されている。
ノラは二枚を並べた。
照会依頼の写しに記された取引番号は、十二桁だった。
倉庫側の回答書に記された取引番号は、十一桁だった。
どちらも同じ取引を指しているはずだった。
ミレナが、声を出さずに二つの数字を見比べた。
「桁が、違います」
「違うわね」
「これは……」
「照会した取引番号と、回答された取引番号が一致していない。どちらかが間違っているか、あるいは」
ノラは回答書の余白を指でなぞった。
「回答された取引番号が、別の取引のものに差し替えられているか」
アシュレイは手帳を開き、二つの番号を書き並べた。
「採番規則の話は、以前の調査で確認しています。十二桁が現行の規則、十一桁が古い形式。照会依頼は現行規則に沿っています。倉庫側の回答は古い形式の桁数で来ている」
「つまり、倉庫が現行規則の取引番号を持っていないか、あるいは」とノラが続けた。「回答の途中で、十一桁の別の取引の記録に差し替えられた可能性がある」
「倉庫が嘘をついた、と決めつける前に確認すべきことがあります」
アシュレイが静かに言った。
「照会依頼がどういう経路で倉庫側へ届いたか。回答がどういう経路でここへ来たか。その間のどこかで差し替えが起きたのか、それとも最初から倉庫側に該当の記録がないのか。まずそこを分解します」
「三点照合、ということですね」とミレナが言った。
「ミレナの写し、ローデリクさんの監査院控え、セルマさんのギルド受領写し」
「それで始めましょう。ローデリクさんへの確認を先に入れてください」
ローデリクへの通信を取ったのはミレナだった。
事情を伝えると、ローデリクは少し間を置いてから言った。
『照会依頼の控えは、監査院側でも保管している。取引番号を確認する。少し待て』
しばらくして、通信が戻ってきた。
『確認した。監査院の控えに記録されている取引番号は、十二桁だ。ミレナ殿が保管する写しと同じ形式のはずだが、どういうことか』
「倉庫側の回答書は十一桁で来ています」
またしばらく沈黙した。
『……経路のどこかで差し替えが起きた可能性がある。私は監査院側の原本控えを持参する。そちらで照合の場を設けてくれ』
「はい。お願いします」
セルマへの連絡は午前中のうちに済ませた。
商人ギルドが受領した写しがあるかどうかの確認だ。今回の照会は監査院経由で出しているが、関連する取引については、ギルド側にも届いたはずの受領写しがある。
セルマは午後早々に、書類を持って役所へ来た。
「ギルド側の受領写しを調べてみた。十二桁の取引番号が付いているものが一件、確かに記録に残っている」
「問題ありませんでしたか」
「ギルドの受領記録は整合している。ただ」セルマは書類の一枚を机に置いた。「受領写しの日付と、倉庫側の回答書に書かれた出荷日付が、三日ズレている」
三日。ミレナがその数字を手帳に書き留めた。
「受領日が出荷日の三日後、というのは通常の輸送では起こりうる範囲ですか」
「起こりうる。ただしその場合、輸送業者の中継記録に日付の経緯が残るはず。それが確認できていなければ、三日間どこにあったかが空白になる」
「その三日が、差し替えの可能性のある期間になりえます」
セルマは腕を組んだ。「保守官殿。相手は記録を操作できる立場にある人間ということになるの?」
「まだ断定しません。ただ、可能性として」
「分かった。ギルド側で追加確認できることがあれば動く」
ローデリクが到着したのは昼過ぎだった。
小会議室に、アシュレイ、ノラ、ミレナ、セルマ、ローデリクの五人が集まった。
机の上に、四種類の書類が並んだ。
【一、ミレナが保管する照会依頼の写し(通し番号付き、十二桁)。
二、倉庫側から届いた回答書(添付の取引番号十一桁)。
三、ローデリクが持参した監査院側の原本控え(十二桁)。
四、セルマのギルド受領写し(十二桁、ただし日付が三日ズレ)。】
「並べると、問題が見えます」
ノラが、四枚を横に広げた。「ミレナの写し、監査院の控え、ギルドの受領写しは、いずれも十二桁で一致しています。倉庫側の回答書だけが十一桁」
「つまり、照会依頼が出た時点では十二桁だった。倉庫の回答に添付された写しが十一桁になっている。差し替えが起きたとすれば、倉庫側で回答を作る段階か、あるいは回答が倉庫を出た後からここへ届くまでの間になります」
ローデリクが控えに目を落とした。
「監査院経由での正式照会であれば、回答は密封されて届くはずだ。途中で書類が入れ替えられたとすれば、密封を破った上で入れ替えた、ということになる」
「封蝋の状態を確認しましたか」とノラがアシュレイに聞いた。
「していません。封書は今朝ミレナさんが受け取り、そのまま開封しました」
「封筒はまだある?」
「証拠品袋に入れてあります」
ノラが立ち上がった。十分もしないうちに、封筒を持って戻ってきた。
机の上にランプを引き寄せ、封蝋の周囲を拡大鏡で確認する。
ノラの指が、封蝋の縁の一部で止まった。
「ここ」と彼女は言った。
「封蝋が、二回押し直されている」
全員が覗き込んだ。ノラが示した部分を見ると、確かに封蝋の表面に微細な段差があった。一度押されたものの上に、もう一度蝋を流して押した跡だ。完全に一致はしていない。
「これは」とローデリクが低い声で言った。
「密封を破って、書類を差し替えた後に、再封印した痕跡と考えられる」
「断定はできません」とノラは言った。
「輸送中に蝋が割れて、補修のために再封印することはある。ただし、補修した場合は通常、補修者の印が押される。ここには何もない」
「無記名の再封印」
「そう。つまり、誰かが意図的に、記録を残さないまま封を開け直した可能性がある」
部屋に静かな重さが漂った。
そこへ、廊下から声が聞こえた。
「失礼。こちらに、照会の担当者がいると聞きまして」
扉が開き、四十代半ばの男が入ってきた。身なりは整っており、商人でも役人でもない、中間のような印象だった。手元に書類の束を持っている。
「どちら様ですか」
ミレナが確認した。
「私は、カステル鉱山補修の代理人を務めておりますヴェインと申します。今回の照会について、こちらで確認をされているとのことで、参りました」
カステル鉱山補修の名義代理人。
誰も口を開かなかった。アシュレイは手帳を開いたままにした。
「今回の照会について、いくつか確認させてください」
ローデリクが言った。監査院の監査官として、問いを立てる権限を持っている。
「その前に」とヴェインが遮った。
「私どもの取引については、すべて正式な書類が揃っております。倉庫側の回答書がそれを示しているはずです」
「回答書は受け取っています。ただ、照会依頼に記載した取引番号と、回答書に記された番号の形式が一致していません」
「書類の記載方法の違いでしょう。倉庫が使っている様式と、監査院の様式が異なる場合はよくあることです」
「形式の違いではなく、桁数が違います。十二桁と十一桁です」
ヴェインは少し間を置いた。
「それは……倉庫側の管理方法によるものと思われます。古い取引番号を引き継いでいる場合、桁数が変わることがある」
「現行の採番規則への移行は、数年前に完了しているはずです。今回の取引の日付はその後になります」
「詳細については、倉庫側に確認していただく必要があります。私どもの側では、正式な書類に従って動いてきただけです」
ヴェインの声は落ち着いていた。主張には表向きの筋が通っている。しかし、アシュレイは手帳に一行書いた。
【代理人は、差し替えの可能性に対して具体的な反論をしなかった。「倉庫に確認を」という誘導だけを繰り返した。】
「一点確認します」
アシュレイが言った。ヴェインが視線を向ける。
「カステル鉱山補修の名義で行われた発注について、受領者の署名が毎回異なっていました。これはどういう管理体制によるものですか」
「業務の分担によるものです。発注のたびに担当者が変わることはあります」
「担当者が変わるなら、担当者一覧の記録があるはずです。それを提出していただけますか」
「……確認が必要です。今すぐにはご用意できません」
「分かりました」
アシュレイはそれ以上の質問をしなかった。問い詰めることが目的ではない。何を持っていて、何を持っていないかを確認すれば十分だ。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。追加の確認が生じた際には、改めてご連絡します」
ヴェインは一礼して部屋を出た。
扉が閉まってから、ローデリクが言った。
「担当者一覧を持っていない可能性がある」
「あるいは、あっても出せない内容が含まれている可能性がある」とノラが返した。
「どちらにしても、次の照会が必要になります」
「三者の写しは揃いました。差し替えの物理的な痕跡も、封蝋の状態として記録できています。これを根拠に、倉庫側への再照会と、輸送業者への照会を正式に出せますか」
ローデリクが頷いた。「監査院の権限で出す。ただし、差し替えが意図的なものだったという証明にはまだ至っていない。輸送業者の中継記録と、倉庫側の内部台帳が出てこないと確定できない」
「その通りです。今日確定できたのは、写しの取引番号が経路の途中で変わっていること、封蝋が無記名で再封印されていること、この二点だけです」
ミレナが記録を整理しながら言った。
「二点だけ、でも、これで動けますよね」
「動けます」
アシュレイは答えた。
「単なる密輸や資材の横流しでは、これほどの手間をかけて記録を差し替えません。照会依頼の中身を把握していて、回答の内容を操作できる立場の人間が、この経路のどこかにいる」
「記録の差し替えまで含む実務知識、ということですね」
「そうなります。調達経路を隠すだけなら、はじめから記録を作らなければいい。あえて記録を作り、途中で差し替えるというのは、最初に正規の書類を持っておく必要があった理由があることを示しています」
ノラが静かに言った。
「正規の書類が必要だったのは、どこかに提出する必要があったから。内部に通すための書類として使った、ということ」
「旧鉱山区画へ資材を持ち込むための、承認の迂回経路として機能していた可能性がある」
部屋の空気が、少しだけ変わった。問題の輪郭が、また一つ鮮明になった瞬間だった。
夕方、照合結果の整理が一段落した頃、ノラが原本台帳の確認を続けていた。
今回の差し替えについて、対応する原本番号がどの台帳の何行目に当たるかを追っていた作業だ。取引番号を遡り、元の十二桁の番号が指す記録を、倉庫側の台帳ではなく、ローデリクが持参した監査院の控えから当たっていた。
番号が指す行まで辿り着いたところで、ノラは手を止めた。
ミレナが気づいて近づいた。
「どうしましたか」
ノラは答えずに、拡大鏡を引き寄せた。ランプを移動させ、台帳の該当行に光を当てる。
印刷された文字の間に、鉛筆で薄く書かれた文字の痕があった。消されているが、光の角度によって浮き上がって見える。
「品目分類名」とノラは言った。
「印刷された分類名の横に、鉛筆で別の分類名が書き込まれていた。消した形跡がある」
「何と書いてありましたか」
ノラは拡大鏡を動かし、薄れた文字を読んだ。
「……旧式安全核、関連部材」
ミレナの手が止まった。
旧式安全核。それがイルダンやかつての王都でどういう役割を持っていたか、ミレナは知っている。アシュレイが王都での障害対応で関わった、古代の重要基盤設備の名称だ。
「誰かが、この取引に旧式安全核関連部材という分類を付けた。そして、それを消した」
「消したということは」
「この分類名を残したくなかった、ということよ」
ノラはランプを引き戻し、台帳を証拠品番号の枠内に収めた。
「アシュレイを呼んで。これは今夜中に記録する必要がある」




