第68話 閉鎖済み荷捌き場の鍵
停止資産台帳というのは、地味な書類だ。
ミレナはそれを承知のうえで、朝一番から棚の奥を漁った。使われなくなった施設、閉鎖された倉庫、廃止された荷捌き場。現役の台帳とは別の棚に分けて保管されているそれらの書類は、整理はされているが頻繁に参照されるものではない。
荷捌き場の項目を見つけたのは、三十分ほど経ってからだった。
正式名称は「南区画第七荷捌き場」。閉鎖日の記録あり、閉鎖理由は「需要減少に伴う運用停止」。担当者の署名は、数年前に退職した役人の名前。鍵の管理については、「市庁保管」とだけ記されていて、どの棚の何番に保管されているかは書かれていない。
(またこれか。)
台帳にはあるが、詳細が足りない。今となっては見慣れた構造だった。ミレナは台帳を抱え、ノラのいる資料室へ向かった。
ノラは既に鍵管理簿を出していた。
市庁が保管しているすべての施錠済み施設の鍵を管理する台帳で、鍵番号、対象施設、保管場所、最終開封日、開封者の署名が記録されている。分厚い冊子で、ページが手垢で薄く黄ばんでいる。
「南区画第七荷捌き場、鍵番号S-7-4。……保管棚は確認できるわ」
ノラが棚番号をメモしながら言った。
「最終開封日は、三年と四ヶ月前。その後の記録は、ない」
「ということは、台帳上では三年以上開いていないはずですね」
「台帳上では、ね」
ノラは眼鏡を押し上げ、台帳を閉じた。
「現地がどうなっているかは別の話よ。ガルドに錠前を見てもらう必要がある。それと、実際に鍵が保管棚にあるかどうかも確認して」
ミレナが保管棚へ走った。しばらくして戻ってきた顔に、微妙な表情が浮かんでいた。
「……鍵、ありました。でも」
差し出した鍵を見て、ノラの動きが止まった。鍵の表面に、薄く埃が積もっていた。ところが、鍵穴に差し込む側の金属部分だけが、埃が払われたように光っている。
「最近、使われた」
二人の間に、静かな確信が広がった。
ガルドを荷捌き場へ連れていったのは昼前のことだった。
南区画の外れ、住宅が途切れた先に、古い石造りの建物があった。扉は木製で、金属の蝶番が錆びている。入口の上に「第七荷捌き場」と彫られた石板がはめ込まれていて、その文字も経年で薄くなっていた。
ガルドは扉と錠前を順番に見た。最初に蝶番を指でなぞり、次に錠前の周囲を確認し、それから錠前そのものに顔を近づけた。
「扉は古いが、蝶番の動きが妙に滑らかだな」とガルドが言いながら扉を少し押した。「錆ついた蝶番はこんな動きをしない。最近、何度か開け閉めして動かしてやがる」
錠前については、より明確だった。鍵穴の周囲に、微細な引っかき傷が複数ついていた。
「鍵師の仕事じゃねえ。ただ差し込んで回してる痕だが、これだけの傷が付くには何十回か使わないといかん。三年以上放置してたはずの錠前にしては、使いすぎだ」
「台帳では最終開封が三年以上前になっています」
「台帳がそう言うなら、台帳が間違ってるか、誰かが使ったことを記録していないかのどっちかだ。旦那、中を見るか」
アシュレイが頷いた。
「記録してから入ります」
ミレナが開封記録の様式を取り出した。開封日時、立会人、開封理由、を記入し、全員の署名を入れる。ノラが受領確認印を押す。手順が済んでから、アシュレイが鍵を差し込んだ。
錠前は、滑らかに回った。
中は薄暗かった。
窓から差し込む光が、埃の浮いた空気を照らしていた。床は石畳で、隅に古い荷台の残骸と木箱が積まれている。使われなくなった施設特有の停滞した空気があったが、それだけではなかった。
ガルドが床を見た。
「ここだけ埃の積み方が違う。人が歩いた痕だな。一人じゃねえ、複数だ」
床の中央から奥へ向けて、埃が薄くなっている筋があった。荷台の残骸を避けるように、人が繰り返し通った経路の形だ。
ミレナは状況を手帳に書きながら、奥へ歩いた。木箱の並びが少し崩れている。元の位置から動かされて、また戻された跡だった。
「木箱が動かされています。元の位置の埃と、木箱の底面の埃の量が合っていない」
「使われてたんだな」
ガルドが短く言った。それ以上でも以下でもなかった。
アシュレイは部屋全体を見渡してから、奥の棚へ向かった。壁際に据え付けられた古い木棚で、かつて荷物の仕分けに使ったものだろう。棚の上段には何もなかった。中段も空だった。
下段に、二つの紙の束があった。
一つは封筒で、封が切られていない。表面に手書きで何かが書かれているが、光が足りなくて読めない。
もう一つは、薄い紙が数枚折り重ねられたもので、角が折られていた。開くと、印刷された数字と印鑑の列が並んでいた。控え札の形式だった。
「ミレナさん」
アシュレイが呼ぶと、ミレナが来た。受け取った封筒を光の当たる場所へ持っていき、表書きを確認した。
一拍、間があった。
「……グランさん。封筒の宛名が、カステル鉱山補修になっています」
休眠業者だ。受領者不明で処理されていた発注の名義と同じ。
アシュレイは控え札の方を確認した。数字と印鑑の列の上に、細かい字で発行元が記されていた。別都市の倉庫の名前だった。
(二つが、ここにある。)
一言も言わずに、ノラが証拠品管理台帳を開いた。二つの採取物に、それぞれ通し番号を振る。採取日時、採取者、発見場所、発見時の状態を記録する。封筒はそのまま封を切らず、証拠品袋に収める。控え札も同様に保管した。
「持ち帰ります」とノラが言った。
「ここで開けない。内容の確認は証拠管理の場所でやる」
「分かりました」
役所に戻ったのは午後だった。
アシュレイがバルガス市長に荷捌き場の状況を報告しようとしたところで、廊下に古参役人の姿があった。庶務を担当するドルバンという六十代の男で、市庁の建物管理全般を長年一人で取り仕切っている人物だ。
ミレナが停止資産台帳の件で確認を取りに行ったのを、どこかで聞いたらしかった。
「グラン顧問。少しよろしいですか」
声は穏やかだったが、目は穏やかではなかった。
「閉鎖済みの荷捌き場を再分類するという話を聞きました。それは、どういった根拠で」
「現地確認の結果、台帳の最終開封記録と錠前の状態が一致していませんでした。第三者が無断で使用した可能性があります」
「可能性、ですね」ドルバンはそこで一度止まった。
「現時点では確証ではない。それにもかかわらず、再分類と鍵の回収をするということは、市庁が管理している施設に問題があったと公式に認めることになります」
「そうなります」
「しかし」とドルバンは続けた。
「市内には閉鎖済みの施設が三十件以上あります。その全てを同じように確認するとなれば、今の庶務の体制では到底追いつかない。これまでも、閉鎖施設というのは問題が起きてから対処するものとして扱ってきました。さほど危険でもない倉庫の錠前の傷まで管理していたら、通常業務が回らなくなります」
廊下に、少しの間が流れた。
アシュレイは反論しなかった。ドルバンの言い分は正しい。人手と予算の制約の中で、全件を常時確認することはできない。それは事実だ。
「おっしゃる通り、全件を同時に確認することは現実的ではありません」
ドルバンが少し表情を緩めた。
「ただし、今回の件で変わったことがあります」
アシュレイは続けた。
「閉鎖済み施設が、外部からの接触の踏み台として使われた可能性が出ました。これは、施設が危険かどうかという問題ではなく、物流の接点として機能しうるかどうかという問題です。三十件を一度に確認する必要はありませんが、外部からのアクセスが可能な位置にある施設、かつて物流に使われていた施設を優先的に点検する絞り込みはできます」
「……絞り込む、ということですか」
「全件ではなく、リスクの高い順から。今の体制で一度に動かせる範囲で進めます。ドルバンさんの部署に無理な負荷をかけるつもりはありません。ただ、今回見つかった荷捌き場については、今日中に再分類と鍵の回収を行わせてください」
ドルバンは腕を組み、しばらく天井を見ていた。
「……今回の一件については、理解しました。ただ、優先点検の絞り込み基準については、こちらの庶務とも相談して決めさせてください。勝手に決められると、後で管理が煩雑になる」
「当然です。基準の策定はドルバンさんと一緒に進めます」
それだけだった。ドルバンは書類を持ち直して廊下を戻った。アシュレイはその背中を見送り、ミレナに言った。
「ドルバンさんの言った通り、絞り込み基準の草案を作ってください。物流接点になりうる施設、位置、規模の三軸で優先順位をつける形で」
「はい。今日中に出します」
夕方、セルマが役所に来た。
南区画第七荷捌き場の過去の利用契約を調べてきた、という話だった。商人ギルドの古い記録を当たり、荷捌き場が現役だった時期に誰が使っていたかを確認してきた。
「三年以上前、正式に閉鎖される半年ほど前まで、小口の荷の一時保管に使っていた業者が二軒あった。どちらも今は別の施設に移っていて、今回の件とは関係ないと思う」
「閉鎖後の記録は」
「ギルド側にはない。閉鎖された施設を使う契約はできないから、正規の記録が残るはずがない。ただ」セルマは少し間を置いた。「荷捌き場の近くを通る配送ルートを使っていた業者から、一つ気になる話を聞いた」
「どんな話ですか」
「夜間に、あの施設の近くで荷馬車を見たことがある、と。明かりを消したまま動いていたから不審だったが、正規の施設があの辺には何もないので、誰も気にしなかったらしい」
「時期は」
「去年の秋から冬にかけて、複数回。具体的な日付は覚えていないが、寒くなってからだと言っていた」
アシュレイは手帳に書いた。去年の秋から冬。カステル鉱山補修名義の発注の時期と重なる。
「記録に残せますか。見聞きした内容だけで構いません」
「業者に確認してから提出する。証言の形式でいいなら、明日中に持ってくるよ」
「ありがとうございます」
セルマは出口へ向かいかけて、立ち止まった。
「保守官殿。荷捌き場から出てきたものは何だったの」
「休眠業者名義の封筒と、別都市の倉庫の控え札です。まだ中身は確認中です」
セルマは特に表情を変えなかったが、少し間があった。
「……旧鉱山区画だけの話じゃなかったということね」
「そうなりつつあります」
「分かった」
それだけ言って、セルマは廊下へ出た。
夜、証拠管理の場所で封筒を開けた。
ノラが開封し、ミレナが内容を記録し、アシュレイが確認した。封筒の中には、折り畳まれた一枚の紙があった。手書きで数字と記号が並んでいて、一見すると何かの品目リストのように見えた。
「品目と数量の書き方は、資材発注書に似ています」ミレナが言った。
「ただ、品目名が略号で書かれていて、何を指しているかすぐには分からない」
「略号は専門的なものね」ノラが拡大鏡を使いながら言った。
「鉱山関係の専門用語か、特定の業界内の符丁か。どちらかは判断できないけど、一般的な荷物の書き方じゃない」
「控え札の方は」
別都市の倉庫名と、発行日、取引番号が印刷されていた。取引番号の桁数をノラが確認した。
「十一桁」と彼女は静かに言った。
「採番規則のズレがある桁数と、同じ形式ね」
旧都市復旧資材調達記録の欄外で見つけた消された番号と、エルリックの控えの取引番号。それらと同じ桁数のものが、閉鎖済みの荷捌き場から出てきた。
アシュレイは手帳に書いた。
【荷捌き場採取物:休眠業者名義封筒(内容は品目リスト形式、品目略号は未解読)。別都市倉庫控え札(取引番号:十一桁)。いずれも照合継続が必要。】
「解読できる人間を探す必要があります。品目の略号については、ガルドさんに見てもらえるか確認してください」
「明日、頼みます」とミレナが手帳に書き込んだ。
ノラは採取物を証拠品袋に戻し、番号を確定させた。それが今夜の作業の終わりだった。
翌朝、停止資産台帳の優先点検対象一覧の草案をミレナが持ってきた。
物流に使われていた施設、外部からのアクセスが可能な位置にある施設、閉鎖後の鍵記録に不備がある施設の三条件で絞り込んだ結果、三十件のうち九件が優先候補として上がった。
アシュレイはその一覧をドルバンへ持参した。
ドルバンは一件ずつ確認し、二件について「すでに別の用途で再利用が決まっている」と修正を入れた。残り七件を優先点検対象として正式に追加することで、二人の間で合意が取れた。
「鍵の回収と台帳の再分類は、今週中に順次進めます」ドルバンが言った。「点検には職人の立会いが必要な場合もあるので、ガルドさんの工房へも連絡を入れさせてください」
「お願いします」
簡単な取り決めだった。ただ、閉鎖済み荷捌き場が「危険でない施設」から「点検が必要な施設」へと分類を変えたことは、それなりの変化だった。旧鉱山区画の問題を追ううちに、市内の停止資産にも管理の網を広げる必要が出てきた。
問題は外にあると思っていたのが、内側にも同じ穴があったということだ。
アシュレイはドルバンの部屋を出て、廊下を歩きながら手帳を開いた。
【南区画第七荷捌き場:閉鎖済みから「要点検停止資産」へ再分類。鍵回収済み。採取物は証拠品台帳収録済み。市内優先点検対象:七件追加。】
その下に、一行追加した。
【次の照合:品目略号の解読。取引番号の桁数と倉庫控えの照合。】




