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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第7章:別都市倉庫印と消えた資材台帳〜黒幕ではなく、経路を洗え〜
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第67話 捕まえるな、接触点を残せ

 朝の巡回が戻ってきた直後だった。

 役所の詰め所に駆け込んできたサルスは、扉を開ける前から声を上げていた。


「副隊長! 出ました、脇道に荷馬車です!」


 リオネルは書類から目を上げた。机の向かいに座っていた当直の隊員も立ち上がる。サルスは息を整えながら続けた。


「北西の脇道、封鎖線から二百メートルほど手前です。荷台を幌で覆った中型の荷馬車が一台、脇道に入ってきた。馬は二頭立て。御者は一人で、他に人影があったかどうかは確認できませんでした」


「現在の位置は」


「止まっています。封鎖線の方向をしばらく眺めていた、と巡回員が報告しています。まだ動いていないはずです」


 リオネルは立ち上がりながら言った。「今すぐ俺が行く。お前はここで待て」


「副隊長、追いかけるなら今です。捕まえられます」


「待てと言った」


 短く、しかし議論を打ち切るには十分な声だった。サルスが口を閉じる。

 リオネルは腰に剣を帯びた。ただし、剣を抜く意図ではない。外に出る時の習慣だ。


「お前が巡回員から聞いた内容を、今すぐ紙に書け。時刻、場所、馬の頭数、御者の人相、幌の色、車輪の幅。覚えている限り全部だ」


「それより先に追いかけた方が」


「書け、サルス」


 それだけだった。サルスは黙って羊皮紙を引き寄せた。

 脇道へ向かうリオネルの後ろに、別の隊員が三名続いた。全員、追跡ではなく観察のために連れた面子だ。


 脇道の入口で合流した巡回員が、指で奥を示した。荷馬車はまだそこにあった。幌張りの中型馬車で、御者台に一人座っている。二百メートル先の封鎖線を、じっと見ている。動く気配がない。

 リオネルは部下を手で制して、木立の陰に入った。


 荷馬車は封鎖線に近づかなかった。掲示板を遠目に読もうとしているのか、それとも封鎖線の様子を確認しているだけなのか、判断できない。御者が何かを手帳に書き付けている動作が見えた。

 一人の隊員が小声で言った。「捕まえに行きますか」


「動くな」


 荷馬車はそのまま、五分ほどで来た道を引き返した。車輪の音が遠ざかり、見えなくなった。

 リオネルはしばらく、荷馬車が消えた方向を見ていた。それから部下に言った。


「車輪跡を踏むな。写しを取れ。幅、深さ、轍の間隔。全部記録しろ」


 詰め所に戻ると、サルスが書き終えた目撃記録を持って待っていた。リオネルはそれを受け取り、一通り確認してから机に置いた。

 サルスは言いたいことがある顔をしていた。リオネルはそれが分かっていたが、先に言わせた。


「逃がしましたよね」


「そうなる」


「分かっていて、なぜ動かなかったんですか。封鎖線を突破しなくても、怪しい荷馬車が来たなら止めて話を聞くくらいはできたはずです」


 リオネルは椅子を引いて座った。部下を立たせたまま、正面から話す姿勢だった。


「捕まえて、それからどうする」


「事情を聞きます。何しに来たのかを確認して、必要なら拘束します」


「何しに来たか、と聞かれて正直に答えるか」


 サルスが言葉に詰まった。


「怪しい目的で来た相手なら、絶対に答えない。正規の用事があった相手なら、そもそも怪しむ必要がなかった。どちらにしても、捕まえた時点で相手に警戒させることになる。こちらが動いたと知られる」


「でも、何もしなければ相手は何度でも来ます」


「来ていい。来るたびに記録が積み上がる」


 サルスはすぐには答えなかった。リオネルは続けた。


「今日記録できたのは、来た時刻、止まった場所、封鎖線との距離、馬の数、御者の人相、引き返した方向、車輪跡の幅。これだけある。次に来たら、また同じだけ積み上がる。何度か記録が揃えば、どこから来てどこへ帰るか、だいたいの行動パターンが見えてくる」


「それが分かれば、どうするんですか」


「それはアシュレイとノラが判断する」


 短い答えだった。しかし、その短さの中に役割の分担がある。リオネルは感情でそう言っているのではなく、誰が何をするかが整理されているから、そう言えるのだ。

 サルスはしばらく考えていた。それから言った。


「……捕まえなかったのは、逃がしたんじゃなくて、次の記録を取るために残した、ということですか」


「そういうことだ」


 その午後、アシュレイへの報告は詰め所でまとめて行われた。

 リオネルが車輪跡の記録と目撃報告を持参し、サルスの手書きメモも添えた。ミレナが同席していたのは、今後の目撃記録の様式を確定するためだ。


 アシュレイは車輪跡のスケッチと、御者の人相のメモを順に見ていた。


「荷馬車は封鎖線を突破しなかった。御者は手帳に何かを書いていた。引き返した」


「そういう動きでした」


「封鎖の状況を確認しに来た可能性があります。封鎖が成立しているかどうかを把握しようとしている。あるいは、封鎖線の外から何かを確認しようとしていたか」


「どちらにしても、突破は諦めた、ということですね」


「今のところは。ただ」アシュレイは車輪跡のスケッチに目を戻した。


「引き返した先が気になります。脇道から出た後、どちらへ向かったか追えましたか」


「巡回員が少し先まで目で追った。街の方向へ戻った、とだけ分かっています。どこへ消えたかは確認できませんでした」


「次の接近があった時に、追跡班と記録班を分けてください。追跡班は荷馬車の行き先を一定距離まで追う。記録班は現場に残って車輪跡と接触点を記録する。捕まえようとしないこと、これを徹底してください」


 リオネルが頷いた。

 ミレナが手帳を開いた。


「目撃記録の様式を作ります。時刻、場所、車両の種別と特徴、人物の人相、動きの概要、引き返した方向の六項目でいいですか」


「それで始めてください。記録した担当者の名前と、確認した時刻も入れてもらえると後でたどれます」


「分かりました。今日中に様式を各詰め所に配ります」


 セルマが呼ばれたのはその翌朝だった。

 車輪跡のスケッチと、御者の人相のメモを見せると、セルマはスケッチの方を先に手に取った。


「車輪の幅が分かるの?」


「轍の間隔から割り出しました。巡回員の記録では、内側の間隔がだいたい九十センチ前後とのことです」


 セルマはしばらく考える顔をした。それから言った。


「それは農村向けの重荷用じゃない。街中の路地も通れる中型の商用荷台ね。荷を積んで動く用途じゃなく、人か小荷物を運ぶ用途の車輪幅だ」


「登録のある業者で絞れますか」


「その幅と二頭立てという条件で絞ると、イルダンの正規登録内なら四軒か五軒になる。ただ、それ以外に届け出のない運送業者がいれば話は別で、そっちは商人ギルドの台帳には載っていない」


「正規登録内の業者については確認を取れますか」


「出入り記録を照会すればいい。ただし時間がかかる。三日は見てくれ」


「お願いします」アシュレイは手帳に書き込んだ。


「正規業者に当たったとして、一致しなければ非正規の線が残ります。そちらはセルマさんの人脈でどこまで拾えるかによります」


「できる範囲でやる。ただし保証はしない」


「それで十分です」


 セルマはスケッチをアシュレイに返した。返す前に、もう一度だけ見ていた。


「この荷馬車、封鎖線の方を見ていたんでしょ」


「そうです」


「覚えに来た、ということよ。どこに封鎖線があるか、どこまで近づけるかを。……それが必要な理由がある相手だということね」


 セルマはそれだけ言い、執務室を出た。

 夕方、リオネルが戻ってきたのは、巡回員から別の報告が上がったからだった。


 荷馬車が引き返した後の脇道に、別の巡回員が車輪跡を追っていた。脇道を出てからどちらへ向かったか、砂利道に残った轍で大まかな方向を辿ったところ、街の南寄りの区画へ入った形跡があった。


「南区画のどのあたりですか」


「旧荷捌き場の通りです」リオネルは地図を広げ、指で示した。「ここに昔の荷捌き場があります。封鎖済みで、数年前から使われていない施設です」


 アシュレイは地図を見た。旧荷捌き場。封鎖済み。ただし「済み」の記録がどこまで確かなのかは、今の段階では分からない。


「轍は施設の前まで続いていましたか」


「前を通過した形跡と、施設に隣接した路地で止まったと思われる形跡の両方があります。どちらが今日の荷馬車のものかは確定できていません」


「記録として残してください。断定しなくていい、可能性として」


 アシュレイは手帳に書いた。


【荷馬車の行き先候補:南区画・旧荷捌き場周辺。轍の形跡あり(今日のものかは未確定)。封鎖済み施設への接触点として要確認。】


 ノラへの確認が必要になる、と思った。封鎖済みの荷捌き場の鍵管理記録と、現地の施錠状態。それが次に動かすべき軸だ。

 アシュレイは詰め所を出る前に、リオネルに言った。


「今日の判断は正しかったです」


「追いかけなかった話ですか」


「部下を制止した。車輪跡を踏まなかった。記録を先に取った。この順番が正しかった」


 リオネルは短く頷いた。それ以上の言葉は出なかったが、サルスが隅で聞いていた。

 サルスが詰め所に残ったのは、当直だからではなかった。


 車輪跡のスケッチと、自分が書いた目撃記録メモを並べ、もう一度見比べていた。

 今日の荷馬車が封鎖線を突破しなかったことは、捕まえられなかったという話ではなく、相手が突破を選ばなかったという話だ。封鎖の状況を確認しに来て、それを手帳に書き付けて、引き返した。


 もし追いかけていたら、車輪跡は踏み荒らされていた。引き返した先も分からなかった。


(記録が、残った。)


 それが今日の成果だ、とサルスは少しだけ分かってきた。

 次に来た時も、同じようにする。捕まえようとしない。記録を取る。轍を踏まない。


 言われた通りにやるだけではなく、なぜそうするのかが今日初めて腑に落ちていた。

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