第65話 資材の量が、作業規模を語る
翌朝、ガルドが役所に来たのは、まだ住民のほとんどが起き出す前の時間だった。
扉を開けると、ミレナがすでに机に向かっている。昨日の台帳比較の続きを整理していたらしく、羊皮紙が何枚も並んでいた。
「グランの旦那はいるか」
「会議室にいます。昨日の凍結手続きの確認をしていて」
ガルドは廊下を進み、会議室の扉を叩かずに開けた。
アシュレイが机で書類に目を通していた。向かいにはノラが座っている。
「昨夜、考えてたんだが」
ガルドは手にした紙を机に置いた。カステル鉱山補修名義の取引一覧の写しだ。昨日アシュレイに渡したものを、自分でも手元に置いておいたらしい。
「木材が四十本、魔力樹脂が二十キロ、ランプ油が六十リットル、携帯食料が二十人分。この数字を見ながら、一晩頭の中で計算してみた」
ガルドは椅子を引いて座り、腕を組んだ。
「入口の支保工補強だけなら、木材は多くて十本だ。しっかりした坑道なら六本で済む。魔力樹脂も、出入口周辺の充填なら五キロあれば十分な。それが二十キロというのは、かなりの長さの坑道を補強するか、あるいは複数の区画に充填するかどちらかだ」
「具体的にどれくらいの距離ですか」
「木材の本数と樹脂の量から割り出すなら、最低でも二十メートル以上の補強区間が想定できる。単純な入口補強じゃなく、奥まで入り込むための通路を作った可能性が高い」
ノラがペンを走らせていた。
「ランプ油と食料については」
「そっちはもっとはっきりしてる。ランプ油六十リットルというのは、日帰り点検の量じゃない。地下でランプを一本常時つけっぱなしにすれば、一日あたり二リットル前後消費する。六十リットルなら、ランプを複数本使って、三十日は持つ量だ」
「つまり一ヶ月以上、地下に人間がいた計算になる」
「仮算出だがな。食料は二十人分として計算されているが、これも一度に二十人が入ったとは限らない。十人が交代で入れば、倍の期間対応できる」
アシュレイは手帳に書いた。
【資材量から仮算出:補強距離・二十メートル以上。滞在日数・三十日前後(ランプ油ベース)。作業人数・最低でも十人規模(食料・交代前提)。いずれも仮算出であり断定しない。】
「補強距離、滞在日数、作業人数。この三つが揃うと、作業の規模感が見えてきます」
「ああ。俺が言えるのはここまでだ。何のために入ったかは、現場を見ないと分からない。ただ」
ガルドは一覧の数字をもう一度見た。
「これだけの準備をする連中が、ただ石を盗みに入ったとは思えない。石の盗掘なら、こんなに補強材はいらない。目的のために長期間地下に留まる必要があった、ということだけは確かだ」
午前中、セルマを呼んで食料と油の確認をした。
セルマは仕入れ記録を手元に持って来ていた。カステル名義の発注の中から、食料と油に関する部分を抜き出してある。
「保守官殿から昨日言われた通り、食料と油の量を手持ちの知識で計算してみた」
セルマはガルドとほぼ同じ結論に独立して到達していた。
「成人男性が地下の重労働をするなら、一人一日あたり、通常より多めに二キロ前後の食料が必要になる。二十人分の食料が六回に分けて発注されているから、合計で五百キロ近い。単純計算で、十人が二十五日前後活動できる量だ」
「ガルドさんの試算とほぼ一致します」
「一致するのが当然でしょ。食料と油は嘘をつかないから」
セルマは腕を組んだ。
「ただ、発注が六回に分かれているのが気になる。一括でまとめて買えば安くなるのに、わざわざ分散している。目立たないようにしたかったのか、あるいは搬入のタイミングを分けたかったのか」
「どちらの可能性もあります。搬入日の記録はありますか」
「発注日はある。搬入日は……ミレナに聞いてくれ。あの子が巡回記録と突き合わせて整理すると言っていたから」
昼前、小会議室でアシュレイ、ガルド、セルマ、ミレナ、リオネルが集まった。
机の中央には、ガルドの仮算出とセルマの消費量計算がまとめられた紙が置かれている。
「仮算出の結果を整理します」
アシュレイが口を開いた。
「作業規模の推定値は、木材と樹脂から導いた補強距離が二十メートル以上、ランプ油から導いた延べ滞在日数が三十日前後、食料から導いた規模が十人程度の交代制。いずれも仮算出であり、誤差はあります。ただ、三つの数字が独立した根拠から同じ方向の結論を指しています」
「つまり」とリオネルが言った。
「小規模な盗掘ではなく、計画的な作業だった可能性が高いということか」
「そういうことです。目的はまだ不明ですが、準備の規模だけは資材の数字が語っています」
そこで会議室の扉が開き、若い防衛隊員が顔を覗かせた。リオネルの直属の部下で、名をサルスという。二十歳前後の、体格のいい若者だ。
「副隊長。報告があって来ました。昨日の脇道の件、地形を確認してきました」
「入れ」
サルスが入室し、全員の顔を見渡してから言った。
「報告の前に、一つ聞いてもいいですか」
「何だ」
「今の話、ここまで分かったなら、踏み込んで捕まえるべきじゃないですか。十人規模の人間が地下で作業していたなら、まだ近くにいる可能性があります。今すぐ坑道に入れば」
沈黙が続いた。
リオネルが静かに口を開いた。
「サルス。お前の言いたいことは分かる」
「副隊長、でも」
「坑道に入ったとして、誰に会う?」
サルスが止まった。
「現場に残っているのは、作業員かもしれない。指示を受けて動いた末端の人間かもしれない。その人間を捕まえても、誰が指示したかは分からない。何が目的だったかも分からない。……今の段階では、捕まえてどうする、という答えが出ない」
「ですが」とサルスが続けようとした。
「危険区域への突入は、権限と準備が必要です」
アシュレイが静かに言った。
「崩落の可能性、残留魔力、内部の気体状況、支保工の状態。これらが確認できていない状態で踏み込めば、作業員を捕まえる前に自分たちが危険にさらされます。それに、坑道内部は現在、証拠保全区域です。無許可で踏み込めば、我々が証拠を踏み荒らすことになる」
「……それは分かります。でも、指をくわえて見ているのは」
「見ているのではありません」
アシュレイは机の上の紙を指で示した。
「今、この作業をしています。帳簿から作業規模を推定し、搬入経路を特定し、関係者を絞り込む。相手が誰かを確かめるための材料を積み上げている最中です。それが揃えば、捕まえる意味が生まれる。今踏み込んでも、意味のある捕縛にはなりません」
サルスは少し黙った。それから、リオネルを見た。
「……副隊長、俺には難しいですが、分かりました」
「お前の焦りは正しい。ただ、焦って動くことが正しいとは限らない」
リオネルが短く言った。
「サルス、地形の報告をしろ」
「はい。北西の脇道を確認しました。馬車が一台通れる幅がある古い木こり道が、封鎖線の裏側へ続いています。轍の痕が複数あります。古いものと新しいものが混じっていて、最近でも使われた形跡があります」
「写しは取れたか」
「轍の位置と向きを簡単に図に起こしてきました」
ミレナが手を出した。サルスが図を渡す。
「この轍の間隔から、使われた馬車の車幅が推定できます。荷馬車なら一般的な幅より少し広い。大量の荷物を運べるサイズです」
「脇道を監視対象に追加します」
リオネルが言った。
「巡回ルートに組み込む。一日二回、朝と夕に通過確認を入れる。ただし近づくな、と各員に指示する。確認したら記録だけ取って戻れ」
「記録の様式はこちらで用意します」
ミレナがすぐに紙を取り出してペンを走らせた。日時、確認者、轍の有無、車輪の痕跡、人の痕跡、特記事項。項目を六つに絞り、一行で書ける形にする。
「これで今日から回せます」
午後、ミレナが時系列表の更新作業を始めた。
机の上には、これまでに集まったすべての記録が並んでいる。倉庫印の照合記録、エルリックからの控え、商人ギルドの取引一覧、カステル名義の発注日、ノラが発見した欄外の数字、ローデリクへの照会依頼日、リオネルの巡回報告、脇道の轍確認記録。
そして今日、ガルドの仮算出とセルマの消費量計算から出てきた発注日の一覧。
ミレナは時系列表のフォーマットを最初から引き出した。第6章の終わり頃から使い始めた形式で、縦軸に日付、横軸にイベント種別を取る。搬入・封鎖線接近・地鳴り・魔力反応・泥水流出・発注・巡回異常の七列だ。
一件ずつ、日付を確かめながら点を打っていく。
ほとんどは既に打ち終えていた点だ。今日追加したのは、カステル名義の発注六件の日付だけだった。
しかし、その六点を打ち終えたとき、ミレナの手が止まった。
発注日の一つが、ちょうど魔力反応の強まりを記録したログの三日前に当たっている。
(一回目の発注の直後に、最初の魔力反応の強まりがある。)
ミレナはもう一度確かめた。発注日は証拠品管理台帳に照合済みの日付だ。魔力反応ログは、イルダン市庁の計器記録から転記したものだ。どちらも独立した記録だ。
それが、三日という間隔で連続している。
偶然かもしれない。ただの一致かもしれない。
ミレナは手帳を取り出し、観察した内容を書いた。
【カステル名義第一回発注日と、旧鉱山区画魔力反応第一回強化記録の間隔:三日。直接の因果は未確認。要・追加照合。】
それから立ち上がり、会議室へ向かった。
アシュレイが書類を確認していた。ミレナが時系列表を机に置いた。
「見てもらえますか。発注日と魔力反応の日付を同じ表に乗せたら、一つ気になる並びが出ました」
アシュレイは表に目を落とした。一分ほど、黙って見ていた。
「カステル名義の第一回発注から三日後に、最初の魔力反応強化が記録されている」
「はい。因果かどうかはまだ分かりません。ただ」
「他の発注日と、それ以降の魔力反応のログも並べてみましょう」
ミレナはすでに手元にそのデータを持っていた。
六回の発注日と、魔力反応の記録を照らし合わせると、全てで一致するわけではなかったが、発注から数日以内に魔力反応の変化が記録されているケースが三件あった。
「三件一致、三件は無関係です」
「偶然の可能性もあります」
「あります。ただ、相関の入口にはなります」
アシュレイはノラを呼んだ。
「この表に根拠資料の番号を付けてもらえますか。各点がどの記録から来ているかを確認できる形にしたい」
「分かったわ。台帳番号と原本更新日を付ける」
ノラが表を受け取り、手元の証拠品管理台帳と突き合わせながら番号を振り始めた。
作業が続く中、アシュレイは手帳に書いた。
【時系列表の暫定所見:資材発注六件のうち三件において、発注日から数日以内に旧鉱山区画の魔力反応強化が記録されている。相関は仮説段階。根拠資料番号付きで監査資料として保管。追加照合が必要。】
「次は何を照合しますか」
ミレナが聞いた。
「六回の発注のうち、一致しなかった三件の発注日に何があったか確認します。搬入が遅れたのか、記録が欠けているのか、それとも本当に無関係なのか」
「巡回記録と照らし合わせれば分かるかもしれません」
「そうです。リオネルさんに、該当日の巡回報告を確認してもらいましょう」
ミレナが立ち上がりかけた時、ノラが手を止めて言った。
「この表、正式な監査資料として採用する。原本番号を振り終えたら、証拠品台帳に収めるわ」
「ありがとうございます」
「礼はいらない。根拠のある表が一枚あるかないかで、後の照会の重みが変わるから言っているだけよ」
ノラは表に最後の番号を振り、丁寧に封筒へ収めた。
夕方、リオネルが巡回報告を持ってきた。
「該当する三日分の巡回記録を確認した。二日分は通常と変わらない報告だ。ただ一日分だけ、巡回員の記録に『封鎖線外、脇道方向で荷馬車らしき音を聞いた』という一文がある」
「その日の発注日との前後関係は」
「発注の翌日だ。つまり、発注の翌日に荷馬車の音がした可能性がある」
「記録した担当者は」
「サルスだ。当時見習いで、上官に報告したが『獣の音だろう』と処理された、と言っていた」
サルスが、さきほど「踏み込むべきだ」と言った若い防衛隊員だ。アシュレイはその名前を書き留めた。
「サルスさんに確認します。その時の詳細を教えてもらえますか、と伝えてください」
「分かった。もう一点」
リオネルが続けた。
「今日から脇道の巡回を追加した。朝と夕、各一回。最初の確認は今朝の巡回員が担当した。報告では、轍の痕に新旧の混在があることが確認されている。最新の轍は、封鎖命令が出た後のものではないかという話だ」
「封鎖後にも入っていた可能性がある」
「可能性として、だ。轍の深さや乾き方から推測した話で、確証ではない。ガルドに轍を見てもらえれば、もう少し正確なことが言えるかもしれない」
「依頼します」
その日の作業が終わる頃、ミレナは時系列表を見返した。
一日の中で、表に乗せた情報の数が増えていた。資材の仮算出、脇道の轍、巡回員の聴取記録、魔力反応との相関候補。
点と点が、少しずつ近づいていた。
ただ、線になるにはまだ足りない。
(もう少し。もう少し揃えば、バラバラだった記録が、一つの流れになる。)
ミレナは表を閉じ、台帳に戻した。
アシュレイが会議室の扉を閉める音がした。今日の作業は終わりだ。
ただ、ミレナは台帳を戻す前に、もう一度だけ発注日の列を見た。
第四回発注日と、魔力反応の記録の間隔が、他の件より短い。一日だ。
発注の翌日に、魔力反応が出ている。
(この一日は、何だったんだろう。)
それはまだ、分からなかった。




