第63話 商人ギルドは、信用を守るために記録を出す
商人ギルドの会議室は、普段は仕入れ価格の交渉や配送ルートの調整に使われる場所だった。
その朝、テーブルを囲んでいるのはギルドの中堅どころが十人ほど。全員、顔に同じ色が出ていた。面倒な話に巻き込まれたくない、という色だ。
「記録を出せというのは、つまり我々を疑っているということではないか」
最初に口を開いたのは、布地の卸を仕切るトルネという五十がらみの男だった。ギルド内では古参で、商人仲間への影響力が強い。
「倉庫印が旧鉱山の資材に出た。それがどういう経路でここへ来たかを調べたい。そのために記録を出せという。……だが考えてみろ。役所に帳簿を見せれば、ギルドが怪しい取引に関わっていたと周囲はどう見る?」
「そうだ。疑惑の段階で記録を出せば、まるで我々が後ろめたいものを持っているみたいだ」
別の商人が続いた。荷運びの手配を担うクレッソという男で、物静かだが保守的な判断をすることで知られている。
「ギルドの信用というのは、一度傷ついたら戻らない。王都方面との取引もある。記録が外部に出たと知れれば、向こうの商人が何を言い出すか」
テーブルの空気は、最初から結論が見えているような重さを持っていた。
セルマは椅子の背にもたれ、腕を組んだまま聞いていた。
(分かってる。あんたたちの言いたいことは全部分かってる。)
誰かが悪いわけではない。リスクを恐れて記録を出したくないというのは、商人として自然な判断だ。ギルドの信用は、長年の実績を積み上げて守ってきたものだ。それを一枚の羊皮紙で傷つけられたくないという気持ちは、セルマ自身にもある。
ただ。
「一つ聞かせて」
セルマが口を開くと、テーブルが少し静まった。
「今、旧鉱山区画への資材搬入を調べていると、街中に話が出ている。みんな知ってるね」
何人かが頷いた。
「調査は続く。調べれば、いずれどこかの記録に行き当たる。……その時、ギルドが最初から記録を出していたのと、最後まで渋って引っ張り出されたのと、外から見てどっちが信用できる?」
トルネが眉を寄せた。
「それは……脅しかい、セルマ」
「事実を言ってる」
セルマは腕を組んだまま、テーブルの全員を順番に見た。
「記録を隠して守れるのは、後ろめたいものがある時だけよ。正規の取引しかしていないなら、出せば出すほど潔白が証明される。隠せば隠すほど、疑いが育つ。……あんたたちが怖いのは、記録を出すことじゃなくて、調べられること自体でしょ。でもそれはもう始まってる」
沈黙が続いた。
クレッソが低い声で言った。
「だとしても、全部の帳簿を出すわけにはいかない。客の情報も入っている。取引の詳細を外部に渡すことへの抵抗は、感情の問題じゃなく商慣習の問題だ」
「それはそうね。だから全部は出さない」
セルマはそこで立ち上がり、窓の外に目をやった。
「対象を絞る。それだけよ」
午後、セルマがアシュレイを呼んだのは、ギルドの小会議室だった。
ミレナとノラも同席した。ノラは受領書の束を手元に置き、ミレナは提出範囲の草案を持ってきていた。
「保守官殿」
セルマが言った。声は事務的で、感情の起伏がない。
「ギルドが記録を出す条件について、話を詰めたい。全部出すことはできない。ただ、対象を明確に絞ってもらえれば、その範囲については協力できる」
「どの範囲なら出せますか」
「それをこちらから聞いてる。あんたが何を必要としているか、最初に明確にしてくれ。範囲が曖昧なまま進めると、後から追加要求が来たり、目的外に使われたりする。そういう前例を作りたくない」
アシュレイは手帳を開いた。
「三点です。一つ目、特定の倉庫印が付いた資材の取引記録。二つ目、旧鉱山区画の方向へ向かった配送便の記録。三つ目、休眠業者名義で発注された契約の一覧。この三点に絞ります」
「期間は」
「旧鉱山区画の封鎖前、二年以内。それより古い記録は今回の対象外です」
セルマは少し考えてから、ミレナに視線を移した。
「その三点と、二年以内という条件を、今から文書にしてもらえるか」
「はい。すぐ書きます」
ミレナがペンを走らせる。アシュレイが確認し、ノラが受領書の形式に整える。三人の動きは、余計な言葉なく進んだ。
セルマはその様子を見ながら、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「……あんたたちは、毎回こういう進め方をするんだね」
「どういう意味ですか」
「対象を絞る。文書にする。記録として残す。……疑っているのではなく、照合しているという形を最初に作ってから動く」
「そうしないと、後で何がどうなったか追えなくなります」
「なるほどね」
セルマは小さく息を吐いた。
「ギルドの連中に説明する時も、同じことを言ったよ。記録を出すのは疑われているからじゃない。照合に耐える記録を持っている方が信用される、と」
「それは本当のことです」
「分かってる。……ただ、理屈は分かっても、感情がついてこない人間はいる。今日の会議でも、最後まで納得しなかった人間が何人かいた」
「全員を説得する必要はないと思います」
アシュレイが言った。
「反発があることは当然です。セルマさんが、ギルドとして動ける判断を下してくれれば、それで十分です」
セルマはしばらく窓の外を見ていた。
「……保守官殿は、なかなか要領のいいことを言うね」
「要領というより、仕事の範囲の話です。私にはギルドの内部を説得する権限も立場もない。それはセルマさんの仕事で、私には私の仕事がある」
「そうだね」
セルマは立ち上がり、ミレナが書き上げた文書を手に取って確認した。
「対象期間、対象資材、対象便。この三点に絞り、無関係な取引の情報は保護する。……この条件なら、ギルド内を押し切れる」
「記録の受領書は、ノラさんが控えを持ちます。提出した記録が、この目的以外に使われた場合には、照合で確認できるようにします」
ノラが静かに付け加えた。ギルド側の情報を守るための言葉だった。
「それは助かる」
セルマは受領書に目を通し、問題がないことを確認して書類の束を持った。
「明日の午前中に、対象範囲の記録を届ける。……ただし、一つだけ条件がある」
「何ですか」
「今回の開示範囲と、目的と、使用制限を文書化して、ギルドへの写しを残す。ギルドが自主的に記録を提供したのではなく、明確な条件の下で限定開示したということを、後から証明できるようにしたい」
「当然のことです。こちらでも同じ文書を原本として保管します」
セルマは少し目を細めた。
「……話が早くて助かるよ、保守官殿」
翌朝、セルマが届けてきた記録の束は、ミレナの机の上に広げられた。
対象期間二年分の、倉庫印付き資材取引、旧鉱山方面配送便、そして休眠業者名義の契約。
ノラが受領書に日付と照合番号を振り、保管に回した。ミレナが項目ごとに仕分けを始めた。
最初の一時間は、目立った異常は見えなかった。
倉庫印付きの資材取引は数件。いずれも正規ルートの取引で、搬入先と受領者が明確に記録されている。旧鉱山方面の配送便は、直近の封鎖前後で何件か洗い出されたが、大半は鉱山区画の外側にある畑や集落への配達だった。
問題が見えたのは、休眠業者名義の契約を確認した時のことだった。
「……これ」
ノラが一枚の発注書を取り出した。
「名義は『カステル鉱山補修』。市庁の業者登録では休眠扱いになっているはずなのに、一年半前に木材と魔力樹脂の発注がある」
ミレナが手を止めた。
「廃業してるのに、発注できるんですか」
「ギルド側では取引停止の通知を受けていなかった、ということね。……問題は発注が通ったことよりも」
ノラは発注書を裏返し、受領欄を指で示した。
「受領者の署名が、ない」
ミレナが覗き込んだ。受領者の欄は確かに空白だった。発注は記録されているが、誰が受け取ったのかが残っていない。
「つまり、資材は出た。でも、誰が受け取ったかの記録がない」
「ということは、どこへ行ったかも分からない」
ミレナの声が、少し低くなった。
ノラは発注書を照合番号付きの封筒に収め、証拠品台帳に記録した。
「アシュレイに報告しましょう。それと」
ノラは別の棚から一枚の紙を取り出した。市庁の業者登録台帳の写しだった。
「カステル鉱山補修の休眠登録日と、ギルド側の最終取引停止通知を突き合わせれば、どこで情報が止まったかが分かる。……ミレナ、市庁の台帳を確認してきてもらえる?」
「分かりました」
ミレナが立ち上がりかけた時、ノラが追いかけるように言った。
「急がなくていい。記録は逃げない。正確に確認してきて」
ミレナが出ていくと、部屋には一時静寂が戻った。
ノラは発注書をもう一度見た。
廃業したはずの業者名義で、受領者不明の資材が動いている。資材は正規の倉庫から出ている。ギルド側の記録に残っているということは、少なくとも発注の段階では正規の手続きを踏んでいた。
それでいて、受け取った側の痕跡がない。
(誰かが知っていて、残さなかった。)
それが誰なのかは、まだ分からない。ただ、記録はここまで残っていた。
アシュレイへの報告は夕方に行われた。
「カステル鉱山補修」
アシュレイは名前を手帳に書き留めた。
「市庁の業者登録で休眠扱い。ギルドでは取引停止の通知を受けていなかった。発注は通っているが、受領者の署名がない」
「以上が今日分かったことです」
ノラが言った。
「断定はできません。受領者不明の発注が不正を意味するとは限らない。ただ、照合に必要な情報が足りていない。次は、市庁側の登録台帳と、ギルドへの通知記録を突き合わせます」
「ミレナさんが確認に動いています」
「受け取った記録は保全できていますか」
「照合番号を振って証拠品台帳に収めました。セルマさんへの受領書控えも手元にあります」
「分かりました」
アシュレイは手帳に一行書き加えた。
【商人ギルド記録、限定開示ルール成立。対象期間内に、休眠業者名義の発注一件を確認。受領者署名なし。市庁登録台帳との照合が次のステップ。】
セルマはその場にいなかったが、アシュレイは短く言った。
「セルマさんに伝えてください。記録を出してもらったことで、次の照合ができるようになりました、と」
「……私が言うと、素直に受け取らないかもしれないけど」
ノラが珍しく、小さく苦笑いに近い表情を作った。
「伝えます」




