第45話 保守局は、誰の下に置くべきか
「……新規開発局が自己承認で危険設備を接続できる制度そのものを、今ここで終わらせる、だと?」
王都魔導庁の最上階、重厚なオーク材の円卓が置かれた大会議室に、ダリウスの後任として新規開発局のトップ代行に就任した重役の怒声が響き渡った。
「馬鹿を言うな! 追放された一介の実務者が、魔導庁の根幹制度にまで口を出そうというのか! これ以上の侮辱は許さんぞ!」
「そうだ! 開発の足を引っ張るだけの保守部門に、これ以上の権限を与えるなどあり得ない!」
「王都の発展は、我々新規開発局の輝かしい実績によって成り立っているのだ。それを否定する気か!」
次々と上がる重役たちの反発。
彼らはダリウスの暴走を非難しつつも、結局のところ、自分たちが握っている「予算」と「権力」を手放す気など毛頭なかった。新しいものを造り、王都を飾り立てることこそが最高の評価に繋がるという、狂った評価軸の中にどっぷりと浸かりきっているのだ。
だが、怒号が飛び交う会議室の中で、アシュレイ・グランは微塵も表情を動かすことなく、ゆっくりと円卓の中央へと歩み出た。
「開発を否定しているわけではありません。私が問題にしているのは、組織の『構造的なバグ』です」
アシュレイは手帳を開き、持参した魔導投影機を操作して、会議室の壁面に一つの図を映し出した。
それは、現在の『王都魔導庁・組織図』だった。
「皆様、この図を見てください。魔導庁という巨大な組織の中で、我々がいた『都市基盤保守局』はどこにありますか?」
図の頂点には魔導庁長官がおり、その直下に巨大な予算と権力を持つ『新規開発局』が鎮座している。
そして、『都市基盤保守局』は、新規開発局のさらに下――まるでおまけのように、末端の補助部門としてぶら下がっていた。
「……それがどうした。保守とは、我々開発局が構築したシステムを維持し、清掃するだけの裏方だろう。下に配置されて当然だ」
開発局のトップ代行が、鼻で笑うように言った。
「その『当然』という認識こそが、今回の大規模魔力障害を引き起こした真の元凶です」
アシュレイは指示棒で、新規開発局と保守局を繋ぐ線をビシッと叩いた。
「開発局は『新しい設備を導入し、稼働させること』で評価されます。対して、保守局の目的は『システムを安全に、安定して稼働させ続けること』です。……本来、この二つの目的はしばしば利益相反を起こします」
アシュレイの冷徹な声が、会議室の熱を少しずつ奪っていく。
「新しい設備を既存の魔力網に繋げば、必ず負荷がかかる。保守局が『これ以上の接続は危険だ』と警告を発したとしましょう。しかし、現在の組織図では、保守局の直属の上司は『新しい設備を繋ぎたい開発局のトップ』なのです」
アシュレイの言葉に、傍聴席にいた若手技師のエルリックが、痛いところを突かれたようにギュッと拳を握りしめた。
現場の悲鳴。握り潰された警告。
それはダリウス個人の悪意だけでなく、この逆らえない組織図そのものが生み出した悲劇だった。
「自分で作った船を、自分で安全検査して、『絶対に沈まない』と自己承認で海に出す造船所。……それが今の王都魔導庁の姿です」
アシュレイは重役たちを真っ直ぐに見据えた。
「ダリウス前局長は、建国記念祭という見栄のために、現場の保守技師たちが上げた致死的なエラー報告を権力で握り潰し、公式台帳を改ざんしました。なぜそんなことが可能だったのか? 保守局に『開発を止める権限』がなく、すべてが開発局の内部で完結する構造だったからです」
「う、ぐっ……」
「それは、ダリウス個人のモラルの問題で……!」
「いいえ、構造の欠陥です」
アシュレイは一歩も引かなかった。
「安全確認と開発を同じ権限の中に置けば、必ず『見栄』が『安全』に優先する時が来る。人間とはそういう生き物です。だからこそ、属人的な良心に頼るのではなく、組織を物理的に切り離さなければならない」
アシュレイは投影機の図を切り替えた。
そこに映し出されたのは、彼がイルダンでの実務経験を元に再設計した、新しい魔導庁の組織構造図だった。
「これより、都市基盤保守局を新規開発局の傘下から完全に切り離し、同列の独立機関として再編する案を提出します」
新しい図では、魔導庁長官の下に『新規開発局』と『都市基盤保守局』が並列に配置されている。さらにその横に、外部監視機関として『王都監査院』が独立して置かれていた。
「各機関の役割を明確に分離します。
『新規開発局』は、新しい魔導設備の設計と導入に専念する。
『都市基盤保守局』は、システムの安定運用、日常の監視、および再発防止策の徹底を担う。
そして『王都監査院』が、改ざん不可能な原本ログを管理し、両者の責任線を客観的に確認する」
アシュレイは指示棒を置き、極めて重要なポイントを宣告した。
「独立した保守局には、開発局が新設備を導入する際の『事前レビュー義務』を課します。容量設計や負荷試験の記録を保守局が審査し、安全性が担保されなければ稼働を認めない。
……さらに、緊急時には、保守局が開発局の承認を待たずに、危険な設備を『強制停止させる権限』を付与します」
「き、強制停止権限だと!?」
開発局のトップ代行が、椅子から立ち上がって叫んだ。
「我々が莫大な予算をかけて作った設備を、裏方の保守部門の独断で止められるようにするなど、絶対に認められん! そんなことをすれば、王都の発展は完全に停滞する!」
「発展を続けるためにこそ、保守が必要なのです」
アシュレイの瞳に、激しい実務者の炎が揺らめいた。
「壊れた時に止められない開発は、発展ではありません。『自爆』です」
その言葉の重みに、会議室の空気が完全に凍りついた。
つい先日、その「止められなかった開発」のせいで、王都南区画が実際に吹き飛びかけ、彼ら自身も命の危険に晒されたばかりなのだ。
「……アシュレイ技術顧問の提案を、王都監査院としても全面的に支持する」
ローデリクが、監査院の重みを背負って静かに口を開いた。
「皆様。ダリウスの失態により、王家の皆様も今回の魔導庁の隠蔽体質に強い疑念を抱いておられる。もしこの期に及んで、自浄作用を示すような抜本的な組織改革を拒むというのであれば……監査院としては、魔導庁全体にメスを入れ、予算を完全凍結するよう王家に上奏する用意がある」
「なっ……!」
「予算の、完全凍結……!?」
重役たちの顔から、一気に血の気が引いていく。
予算が凍結されれば、彼らの地位も名誉もすべて失われる。アシュレイの突きつけた論理的必然性と、ローデリクが突きつけた政治的圧力。
その完璧な挟み撃ちの前に、開発至上主義に凝り固まっていた重役たちは、もはや白旗を上げるしかなかった。
「……わ、わかった……」
開発局のトップ代行が、力なく椅子に崩れ落ちた。
「保守局の独立と、緊急停止権限の付与……および、事前レビューの義務化。……暫定規程として、承認しよう……」
「ありがとうございます。賢明なご判断です」
アシュレイは深く一礼し、投影機の電源を落とした。
傍聴席にいたエルリックとゲイルが、信じられないものを見るような目で、震える拳を強く握りしめていた。
何十年も変わらなかった、現場を苦しめ続けてきた王都の腐った組織図が。
追放された一人の実務者の手によって、今、論理と証拠の力で完全に書き換えられたのだ。
「保守は、ただの雑務ではありません。壊れる前から街を守り続ける、最も重要な盾です。……これでようやく、王都のシステムは正しいスタートラインに立ちました」
アシュレイが手帳に『保守局独立案・承認』と書き込み、小さく息を吐いた時だった。
「……相変わらず、見事な手腕だ、アシュレイ・グラン君」
ずっと黙って議論を聞いていた魔導庁長官が、ゆっくりと口を開いた。
彼は白髪交じりの顎髭を撫でながら、アシュレイを興味深そうに見つめている。
「君の言う通り、我々は新しいものを追い求めるあまり、足元の基礎を見失っていたようだ。今回の組織改編、私からも全面的に推進させてもらおう」
長官は立ち上がり、会議室に響き渡る声で宣言した。
「独立した新たな『王都都市基盤保守局』。その権限と責任は極めて重い。現場の悲鳴を正しく拾い上げ、時には開発局と真っ向から対立してでもシステムを守り抜く、強靭な実務能力と胆力が求められる」
長官の視線が、真っ直ぐにアシュレイへと向けられる。
エルリックたちが息を呑み、ローデリクもまた、期待を込めた目で見守った。
「その新・保守局の『初代局長』には……この王都の危機を救い、正しい運用保守のあり方を示してくれた君、アシュレイ・グランが就くべきだろう。……どうだ、受けてくれるか?」
王都魔導庁、保守局トップへの特例での大抜擢。
それは、かつて濡れ衣を着せられて辺境へ追放された男に対する、これ以上ない完全な名誉挽回であり、最大の「評価逆転」の瞬間だった。
彼が頷きさえすれば、王都の実権を握り、彼自身の理想の保守体制をいくらでも構築できるようになる。
会議室の全員が、アシュレイの歓喜の承諾を疑わなかった。
――しかし。
アシュレイの表情は、全権を提示されたイルダンの市長室にいた時と同じように、一切の揺らぎを見せなかった。
「……過分な評価、光栄に存じます、長官」
アシュレイは一歩前に出ると、静かに、だが明確に首を横に振った。
「ですが、そのお話はお断りします」
「……なに?」
長官が眉をひそめ、重役たちもざわめき始める。
「なぜだ? 君が望んだ独立機関だぞ。不満があるなら予算の枠もさらに広げよう」
「そういう問題ではありません」
アシュレイは手帳をポケットにしまい、背筋を伸ばして答えた。
「私一人の有能さや経験に依存して組織を立ち上げれば、私が病気で倒れたり、いなくなったりした瞬間に、その組織は再び機能不全に陥ります。……システムにおいて最も危険なのは、特定の人間に依存する『属人化』です」
アシュレイは傍聴席にいるエルリックとゲイルを振り返った。
「王都には、ダリウスの隠蔽下でも現場の一次ログを必死に守り抜こうとした優秀な技師たちがいます。彼らこそが、この王都の魔力網の痛みを一番よく知っている。局長には、現場を知り、王都の土壌で汗を流してきた人間が就くべきです」
「だが、彼らだけでは……!」
「ええ。だからこそ、私一人が偉くなるのではなく、王国全体で共有できる『仕組み』と『ルール』を残さなければならないのです」
アシュレイは長官に向き直り、実務家としての究極の提案を突きつけた。
「一人を据えれば済む問題ではありません。……私は、王都だけでなく、イルダンを含むすべての都市で共通して使える『王国標準運用保守規程』の第一版を作成します。私に用意していただきたいのは、その規程を王国全体に監査・定着させるための、現場と制度を繋ぐ役職です」
ただの英雄として王都に縛られるのではなく。
直した都に、二度と壊れない「仕組み」を永遠のルールとして残すため。
追放された実務者の最後の大仕事は、王国全土を巻き込む制度化へと、その規模を究極まで押し広げようとしていた。




