第43話 公式台帳は、なぜ嘘をついたのか
ダリウス局長が拘束され、王都の応急復旧が完了したことで、最悪の事態は回避された。
だが、王都魔導庁の特別監査室には、未だに重苦しい空気が立ち込めていた。
巨大な長机の上には、うず高く積まれた書類の山がある。
アシュレイ、エルリック、ゲイル、そして王都監査院の特別監査官ローデリクの四人が、黙々と書類と睨み合い、公式台帳と生ログの差分調査を行っていた。
「……ひどい。何度見てもひどすぎます」
エルリックが、手元の『王都魔力網・公式稼働台帳』をドンッと机に叩きつけ、憤りの声を上げた。
「王都の公式台帳には、障害直前まで『正常』と記録されています! 街の半分が停電し、配管が赤熱して今にも爆発しようとしていたあの時間帯すら、すべてが青信号だったことになっているんです!」
「ダリウスの仕込んだ隠蔽フィルターが、見事に機能していた証拠だな」
ゲイルが腕を組み、忌々しげに舌打ちをした。
「現場の俺たちがどれだけ『異常だ』と叫んでも、この分厚い公式台帳には一文字も載らねえ。俺たちの悲鳴は、最初から存在しなかったことにされているんだ」
ローデリクは眉間を揉み、監査官としての厳しい顔つきで沈痛に呟いた。
「問題は、この台帳が『公式な記録』として王国の書庫に永久保存されることだ。……このままでは、後世の記録上は『原因不明の局所事故』になってしまう」
「原因不明、ですか。ふざけないでください!」
エルリックが食ってかかる。
「ダリウス局長たちが無理やり増幅器を繋いだせいで起きた、明確な人災じゃないですか!」
「我々はそう理解している。だが、後から歴史を振り返る者は、この『正常』と書かれた公式台帳だけを見て判断するのだ。ダリウス個人の責任は問えても、王都のシステムそのものが狂っていたという事実は、歴史の闇に葬られる」
ローデリクの言葉に、監査室に重い沈黙が落ちた。
書類上の真実が現実を上書きしてしまう。それが、巨大な官僚組織である王都の最も恐ろしいところだった。
「――その通り。公式な記録こそが、この王都における唯一の『真実』なのです」
不意に、監査室の重い扉が開き、嫌味な声が響いた。
高級な絹のローブを纏い、香水の匂いを漂わせた細身の男。新規開発局の補佐官、ベルマンだった。
彼はダリウスの右腕として、監査妨害や現場一次情報の軽視を担ってきた官僚型の補助敵である。ダリウスが失脚した後も、彼は自分の保身と、組織の正当性を守るために動き出していた。
ベルマン補佐官がここで本格的に前面へ出る。彼は余裕の笑みを浮かべ、アシュレイたちを見下ろした。
「フェイン特別監査官殿。無駄な粗探しはいい加減に切り上げてはいかがですか? 何度見返そうと、公式台帳に異常はない。すべては完璧な正常値を示している。システムは滞りなく稼働していたのですよ」
「ベルマン補佐官。貴様、どの口で……!」
ゲイルが怒りで前に出ようとするのを、アシュレイが手で制した。
アシュレイは淡々と、手元にあった赤黒く光る記録結晶をベルマンに見せた。
「第一監視室のフィルター直前でダウンロードした『生ログ』には、増幅器接続直後から致死的なエラーが数百回記録されています。これが何よりの証拠です」
「ふん。そんなものは証拠になりませんな」
ベルマンは鼻で笑い、扇子を広げた。
「その生ログは保守局側が持ち出した不正データにすぎない。追放された恨みを持つあなた方が、後から都合よく捏造したデータではないと、誰が証明できるのですか?」
「捏造だと!? 俺たち現場の技師が残した『非公式監視表』や、手書きの『現場日誌』もあるんだぞ!」
エルリックが、自分たちが必死に書き残したメモの束を突きつける。
しかし、ベルマンはそれを見ようともしなかった。
「現場日誌は正式記録ではない。ただの落書きだ。そんなゴミのようなメモと、魔導印字機が自動で生成する絶対的な『公式台帳』。どちらが国に信用されるか、考えるまでもないでしょう」
官僚の論理。
現場の汗と血が滲んだ一次情報を「正式ではない」という理由だけで切り捨て、自分たちに都合の良い数字だけを「真実」として強弁する。
「……なるほど。あくまで公式台帳の『数字』がすべてだと主張するわけですね」
アシュレイは、微塵も表情を変えることなく立ち上がった。
「ならば、その『絶対的な公式台帳』に嘘をつかせたのは誰なのか。物理的な現実から証明しましょう」
「物理的な現実だと? 負け惜しみを」
ベルマンが冷笑する中、アシュレイは巨大な公式台帳をベルマンの目の前に広げた。
しかし、アシュレイが指差したのは、台帳に書かれている「正常」という文字や数字ではなかった。
「私は、台帳そのものではなく、印字機のインク消費、記録紙の送り跡、記録結晶の書き込み時刻、現場日誌の時系列を突き合わせることにしました」
アシュレイは、エルリックが以前集めてきた「インク請求伝票」と、現場の「機器メンテナンス記録」を台帳の上に並べた。
「ベルマン補佐官。あなた方が管理するこの公式台帳は、魔導印字機によって自動生成されています。しかし、この三日間のインクの消費量は、通常の五倍に跳ね上がっている」
「……それは、ただの機械の不調だ。よくあることだろう」
ベルマンの額に、微かな汗が滲む。
「機械の不調ではありません。インクの消費量だけではなく、『記録紙の送り跡』にも不自然な点があります」
アシュレイは台帳のページを光に透かし、紙の端にある微細な印字用の穴の摩耗具合を示した。
「『正常』という短い単語を数時間に一度印字するだけのペースなら、紙の送りギアにこれほどの摩耗は発生しません。印字機は、猛烈な速度で『何か』を印字し続けようとしていた。……しかし、紙には何も書かれていない」
アシュレイの静かな声が、監査室に冷たく響き渡る。
「つまり、公式台帳が『最初から正常だった』のではなく、異常値が印字前に白紙化されていたことが確定するのです」
「なっ……!?」
ベルマンの顔から、一気に血の気が引いた。
「システムは悲鳴を上げていた。印字機はそのエラーを忠実に紙に刻もうとした。しかし、あなた方が組み込んだ隠蔽プログラムが、印字ヘッドに『白紙のスペース』を延々と上書きさせ続けた。その結果が、異常なインク消費とギアの摩耗という『物理的な痕跡』となって残ったのです」
デジタルなデータは改ざんできても、物理的な機械の消耗までは誤魔化せない。
現場の一次情報を「ゴミ」と見下していたベルマンの足元が、その「ゴミのような物理的痕跡」によって完全に崩れ去った瞬間だった。
「さらに、生ログの記録結晶の書き込み時刻と、エルリックたちが残した現場日誌の時系列を突き合わせれば、印字機が『白紙を打ち出し続けていた時間帯』と完全に一致します」
アシュレイは手帳を閉じ、冷徹な視線でベルマンを射抜いた。
「これで、公式台帳が意図的に改ざんされた偽書であることは、物理的かつ論理的に証明されました」
「……っ!」
ベルマンは後ずさりし、机に手をついて辛うじて体を支えた。
ダリウスの単なる部下ではなく、記録改ざんを支えた実務上の補助敵として、彼は完全に追い詰められたのだ。
「見事だ、アシュレイ技術顧問」
ローデリクが、厳格な監査官の顔でベルマンに歩み寄った。
「ベルマン補佐官。公式記録の意図的な白紙化および改ざんは、国家のインフラに対する重大な背信行為だ。監査院の権限において、貴様を拘束する」
「ま、待て……! 私を責めても無駄だ!」
追い詰められたベルマンは、往生際悪く叫んだ。
「記録の形式を決めたのは私ではない。王都魔導庁の規則そのものだ!」
その言葉に、アシュレイの足がピタリと止まった。
「規則そのもの……どういうことだ?」
ローデリクが眉をひそめる。
「ふん……。新規開発局のシステムでは、一定以上のエラー警告が出た場合、自動的に『安全な数値への変換』を行うことが、長年の運用マニュアルで推奨されているのだ!」
ベルマンは血走った目で、アシュレイたちを睨みつけた。
「上層部に不安を与えず、滞りなく開発を進めるための『見栄えの良い報告書』を作ること。それが、王都の官僚に求められる最優先の仕事だからだ! 私はただ、王都が長年培ってきた『波風を立てないための規則』に従って、システムを運用したに過ぎない!」
ベルマンの叫びは、ただの負け惜しみではなかった。
それは、王都という巨大な組織が抱える、絶望的なまでの腐敗の構造を如実に表していた。
つまり、個人の不正を超えて、記録制度そのものの欠陥に話が広がるのである。
「……都合の悪いエラーをフィルタリングすることが『規則』だと?」
エルリックが、信じられないというように呟いた。
「街が吹き飛ぶかもしれないのに、見栄えの良い報告書を作ることが……王都のルールだって言うのか!?」
「そうだ! 私一人を捕まえたところで、この王都の『正常を装う規則』が変わるわけではない! お前たちのような泥臭い保守の人間が、どれだけ現場で騒ごうと、王都の評価軸は決して変わらないのだ!」
衛兵に引きずられていくベルマンの狂気じみた笑い声が、廊下の奥へと消えていった。
監査室には、再び重苦しい沈黙が降りた。
「……ベルマンの言う通りかもしれません」
ローデリクが、疲れたように息を吐いた。
「ダリウスやベルマン個人を排除しても、王都の組織図や評価制度が『開発偏重・保守軽視』のままである限り、また同じように記録は隠蔽され、新たな悲劇が繰り返される」
王都の公式台帳は、なぜ嘘をついたのか。
それは、システムを管理する人間たちが、「嘘をつくことが正しい」と評価される狂った制度の中で生きてきたからだ。
「……ならば、直すしかありませんね」
アシュレイは、机の上の書類を丁寧に揃えながら、極めて静かに言った。
「現場の機器を修理し、一時的な暴走を止めるだけでは、事後整理とは呼べません」
アシュレイは手帳の白紙ページを開き、力強い筆致で書き込んだ。
「王都の公式文書に、『保守は雑務ではなく、都市基盤を守る中核業務である』と刻ませる。……この狂った評価制度と記録のルールそのものを、根底から修理します」
物理的な障害対応は終わった。
だが、真の戦いはこれからだ。王国の制度という、最も巨大で複雑なシステムを相手にした、実務者アシュレイ・グランの最後の再建作業が幕を開けようとしていた。




