第41話 応急復旧は、正常運用ではない
旧式安全核を利用したコールドスタートにより、王都は最悪の完全崩壊を回避し、最低限の都市機能を取り戻していた。
結界は持ち堪え、浄水系統も稼働し、真っ暗だった王都の夜に再び生命の灯りが灯ったのだ。
ダリウス率いる新規開発局が強引に増幅器を接続し、警告を隠蔽したことで引き起こされた未曾有の危機は、アシュレイ・グランをはじめとする実務者たちの決死の応急対応によって、ひとまずの底を打った。
だが、それはあくまで「致命傷を避けた」というだけのことである。
夜が明け、太陽が昇り始めた王都魔導庁の『中央魔力路・第一監視室』は、ダリウス拘束の余波と、新たな混乱の渦中にあった。
「どういうことかね! 魔力は戻ったと聞いているぞ! なぜ第一区画の公共照明が半分しか点いていないのだ!」
「それに建国記念祭はどうなる! 他国からの要人も多数招いているのだぞ! 祭りの一部だけでも再開すべきだ!」
「もう動いているなら、早く通常運用に戻したまえ!」
監視室に押し寄せてきたのは、行政区画の高級官僚や、商業区画の元締め、そして建国記念祭の式典関係者たちだった。彼らは口々に不満をまくし立て、現場で不眠不休の復旧作業にあたっているエルリックやゲイルたち技師を怒鳴りつけていた。
「お待ちください! 今はまだ、各区画の魔力圧が安定していません!」
目の下に濃い隈を作ったエルリックが必死に説明するが、役人たちは聞く耳を持たない。
「言い訳はいい! 現にそこの巨大パネルには、緑色の光が戻っているではないか! さっさと商業リフトをフル稼働させろ!」
「そうだ! 式典用の幻影装置への魔力供給をただちに再開したまえ!」
役人たちが声を荒げるたび、エルリックは後ずさりし、ゲイルも「チッ」と舌打ちをして工具を握りしめた。
王都の人間にとって、都市インフラとは「蛇口をひねれば無限に出るもの」であり、一時的に止まったとしても、直ったのならすぐに元の100パーセントに戻るのが当たり前だと思い込んでいるのだ。
「……相変わらず、正常と異常の二極でしか物事を判断できないようですね」
その騒ぎを切り裂くように、静かで、しかし底冷えのするような冷徹な声が監視室に響いた。
人垣を割って進み出たのは、煤と油にまみれた実務的な外套を羽織るアシュレイ・グランだった。
「ア、アシュレイ……! 貴様、追放された分際で何を偉そうに!」
役人の一人が顔を真っ赤にして指を差すが、アシュレイの背後から現れたローデリク・フェインが、王都監査院の腕章を見せつけてそれを制した。
「彼は現在、監査院の特別技術顧問だ。ダリウスの不正を暴き、昨夜の崩壊からこの王都を救った最高責任者でもある。……彼に対する侮辱は、監査院が許さん」
ローデリクの静かな威圧に、役人たちは一瞬怯んだ。
アシュレイは役人たちの反論を待たず、壁一面に広がる巨大パネルの前に立った。
「皆さんは、あのパネルに緑色の光が点っているから『完治した』と勘違いしているようですが、大きな間違いです」
アシュレイは巨大パネルを指差し、現在の王都の状況を明確に言語化した。
「現在の王都は『完治した患者』ではありません。……生死の境を彷徨い、『集中治療室でようやく自力呼吸が戻っただけの患者』です」
その生々しい例えに、監視室がシンと静まり返った。
「ダリウスたちが残したダメージにより、地下魔力炉の出力は本来の半分以下にまで落ち込んでいます。ここで無理に式典設備や全商業リフトを再起動させれば、患者にフルマラソンを強要するのと同じです。数時間で再びシステムは崩壊し、今度こそ王都は死にます」
「そ、そんな……! では、いつになれば通常運用に戻るというのだ!」
青ざめた式典関係者が叫ぶ。
「炉の自己修復機能が働き、出力が戻るまで数日はかかります。それまでの間、王都の限られた魔力リソースをどう配分するか。……イルダンで行った『優先供給基準(SLA)』の考え方を、この王都の規模に合わせて再設計し、適用します」
アシュレイは手帳のページを破り、巨大パネルの下にある掲示板に貼り付けた。
そこには、王都全域の魔力供給を「三つの階層」に分類する案が記されていた。
「これより、王都全域を以下の三段階で運用管理します。
第一に『即時維持』。外縁結界、浄水系統、基幹通信、医療区画、そして食料を運ぶための物流の最低ライン。これらは市民の命に関わるため、最優先で100パーセントの供給を維持します」
アシュレイの淀みない説明に、エルリックが素早くパネルの設定を調整していく。
「第二に『制限運用』。行政機能、商業リフト、公共照明、そして交通機関。これらは都市を動かすために必要ですが、命に直結はしません。したがって、使用時間帯を制限し、本来の出力の半分でのみ稼働させます」
「半分の稼働だと!? それでは仕事にならん!」
行政区画の役人が不満を漏らすが、アシュレイは冷ややかに一瞥した。
「仕事が遅れるか、再び完全な暗闇の中で凍えるか、どちらかを選んでください。……そして第三に『停止継続』」
アシュレイは掲示板を強く叩いた。
「建国記念祭の式典演出、装飾用の巨大幻影、および特大増幅器に関連するすべての新規設備。これらは現状、都市の生存において『一切の価値を生まない負債』です。したがって、魔力炉が完全に回復し、かつ監査院の安全承認が下りるまで、無期限で魔力供給を停止します」
「な、なんだとォッ!」
式典関係者が悲鳴のような声を上げた。
「明日は建国記念祭なのだぞ! 諸外国の賓客に、幻影の一つも見せられないというのか! 王都の威信が丸潰れだ!」
「威信で魔物は防げませんし、威信で水は浄化できません」
アシュレイは一歩も引かず、冷徹な事実だけを突きつけた。
「見栄のために基盤を削った結果が、昨夜の惨劇です。……同じ過ちを繰り返すつもりですか?」
圧倒的な正論と、実務家としての強烈な覚悟。
エルリックやゲイルたち現場の技師は、アシュレイのその言葉に深く胸を打たれていた。
これまで彼らは、上の無茶な要求に対して「できません」と断る基準を持っていなかった。だが今、アシュレイが明確な三分類を示してくれたことで、現場には「基準外だからできない」と弾き返すための強力な盾が与えられたのだ。
「……アシュレイ技術顧問の提示した三分類を、監査院として正式に承認する」
ローデリクが一歩前に出て、宣言した。
「これより王都全域に対し『応急安定状態』を布告する。通常復旧ではなく、この復旧段階を厳密に守ることを全区画に義務付ける。これに違反し、無断で制限以上の魔力を引き出した者は、国家反逆罪に準ずる処罰の対象とする!」
監査院トップの公式な布告。
もはや文句を言える者は誰もいなかった。役人や式典関係者たちは悔しそうに歯を食いしばりながらも、渋々といった様子で監視室から引き上げていった。
「……ふう。助かりました、主任」
エルリックが机に手をつき、心底安堵したように息を吐いた。
「彼らの圧力に、もう押し切られそうでした。これでようやく、私たちも安心して『守るべきもの』だけに集中できます」
「おう。やっぱり現場には、上からの無茶振りを叩き斬ってくれる明確なルールが要るな」
ゲイルもニヤリと笑って、アシュレイの肩を叩いた。
「ええ。運用フェーズを明確に分けることで、無理な再稼働による暴走を未然に防ぐ。これも保守の重要な実務です」
アシュレイは小さく頷き、手帳に『応急安定状態への移行完了』と書き込んだ。
それは、王都の巨大な狂気を、実務と制度の力で論理的に封殺した「小さな勝ち」だった。
ダリウスを拘束しただけで終わらせず、こうして一つ一つ、仕組みとルールのレベルで王都をデバッグしていく。それがアシュレイの考える「事後整理」の第一歩だった。
だが、長年染み付いた王都の「見栄と体面」を最優先する病理は、そう簡単に消え去るものではなかった。
ピーッ! ピーッ!
突然、巨大パネルの一角――第三階層に分類され、完全に遮断されているはずの『装飾用幻影設備』のエリアで、赤い警告光が点滅し始めた。
「な、なんだ!?」
ゲイルが弾かれたようにパネルを見上げる。
「主任! 王都東区画の一部で、急激な電圧降下が発生しています!」
エルリックがコンソールを叩きながら叫んだ。
「第十二エリア、式典用の大型幻影発生器です! 中央からの供給が絶たれているのを見て、現地の人間が勝手に近くの公共照明の回路から、直結バイパスを引いて再起動させようとしています!」
「……ッ、馬鹿な連中だ! 制限運用中の細い回路にそんな負荷をかければ、ショートして火災になるぞ!」
ローデリクが血相を変える。
先ほど渋々引き下がったように見えた式典関係者か、あるいは新規開発局の残党か。納得できない一部の部署が、現場の末端で勝手にスイッチを入れようと暴走を始めたのだ。
「次から次へと……。やはり、言葉で通達しただけでは末端までは止まりませんか」
アシュレイは手帳を閉じ、工具入れから最も分厚い絶縁テープとカッターを取り出した。
「ローデリクさん。監査院の権限で、あの区画の封鎖手配を。……エルリック、ゲイルさん。行きますよ」
「了解ッス!」
「おう! ぶっ壊してでも止めてやるぜ!」
「物理的に配線を切りに行きます。応急復旧は、正常運用ではないということを、その身に叩き込んでやりましょう」
アシュレイは冷徹な瞳でそう言い放ち、再び混沌の残る王都の現場へと走り出した。
仕組みを残すための戦いは、まだ始まったばかりだった。




