第40話 追放の答え
旧式安全核の再起動により、王都は最悪の完全崩壊を免れた。
結界は持ち堪え、水路は澄み、主要な行政機能には魔力が戻り始めている。
だが、王都魔導庁の最上階にある本会議室では、全く別の「火消し」が始まろうとしていた。
「……以上が、今回の局所的な障害に関する報告案だ」
長大な円卓の上座で、ダリウス局長が冷や汗を拭いながら重役たちを見渡した。彼の顔色は青白いが、その瞳には保身のための狂気じみた光が宿っていた。
「増幅器の接続による負荷は想定内であった。だが、保守部門が日頃の点検を怠った結果、管の耐圧性が低下し逆流が発生した。さらに、パニックに陥った一部の保守技師が『勝手に』増幅器を物理切断したため、混乱が拡大した。……責任はすべて、保守局の怠慢と独断にある」
会議室の重役たちは、重苦しい沈黙の中で互いに顔を見合わせた。
少しでも現場の被害を知る者からすれば、それが全くのデタラメであることは明白だった。だが、ダリウスの強大な権力を前に、誰もその「嘘の台本」に異を唱えることはできなかった。
「……これでいい。公式台帳には、我が局のシステムは最後まで正常だったと記録されている。この筋書きで上層部へ報告を上げるぞ」
ダリウスが報告書に署名しようと羽ペンを取った、その時だった。
バンッ!!
重厚なオーク材の扉が、けたたましい音を立てて開け放たれた。
「相変わらず、責任の所在を他人に書き換えることだけは天才的ですね、ダリウス局長」
会議室に踏み込んできたのは、煤と泥に汚れ、腰に使い込まれた工具入れを提げた実務者、アシュレイ・グランだった。
その後ろには、王都監査院の特別監査官ローデリク・フェインと、大量の書類を抱えた若手技師エルリックの姿がある。
「ア、アシュレイ……! 貴様、どの面下げてここへ来た! つまみ出せ!」
ダリウスが声を荒げるが、重役たちを警護していた衛兵たちは動けなかった。ローデリクが、監査院の最高権限を示す『赤の封蝋』が押された公文書を高く掲げていたからだ。
「これよりこの会議室は、王都監査院の直轄調査下に入る。……ダリウス局長。あなたの作った『嘘の台本』は、この監査院特別技術顧問アシュレイ・グランが、実務の記録をもって完全に破棄する」
ローデリクの威圧に、会議室が水を打ったように静まり返る。
アシュレイは淡々とした足取りで円卓に歩み寄り、ダリウスの目の前に立った。
「……何が実務だ! 貴様ら保守部門の点検不足が招いた事故だろうが! システムには何の警告も出ていなかったんだぞ!」
「警告なら、出ていましたよ」
アシュレイは懐から、禍々しい赤黒い光を放つ『記録結晶』を取り出し、ドンッと机に置いた。
「これは、あなたが第一監視室に仕込んだ『隠蔽フィルター』の直前から私がダウンロードした、一次ログ(生データ)です。……これを解析すれば、増幅器を繋いだ直後から、王都全域のシステムが『限界突破の致死エラー』を数百回にわたって吐き出し続けていたことが証明されます」
「なっ……! そ、それは貴様が捏造したデータだ! 公式台帳の印字記録はすべて正常だぞ!」
ダリウスが血相を変えて立ち上がる。
「公式台帳は、印字される前にプログラムで白紙に上書きされていましたね。……エルリック」
「はいっ!」
エルリックが一歩前に出て、抱えていた書類の束を机に広げた。
「これは、下級記録官たちの『インク請求伝票』と、現場の夜勤監視員たちの『手書きの引き継ぎメモ』です! 公式には何もエラーが出ていないはずの時間帯に、大量のインクが消費され、現場の機械が異常な挙動をしていた証拠です!」
「さ、さらに!」
エルリックは、アシュレイが手書きで作った『非公式監視表』の束を重ねた。
「東区画のゲイル補佐をはじめとする、王都全域の末端技師三十名が、自身の署名入りで残した『本当の計器の数字』です! これら現場の一次情報のすべてが、アシュレイ主任の持つ生ログの異常値と、一桁の狂いもなく完全に一致しています!」
現場の証言。
アナログな伝票の痕跡。
そして、改ざん前のデジタルな生ログ。
辺境都市イルダンで徹底した『原本と写しの管理』と『現場の悲鳴を上げさせる仕組み』が、巨大な王都の隠蔽工作を完全に論破した瞬間だった。
「ば、馬鹿な……。末端のゴミどもが、私に逆らってログを残していただと……!?」
ダリウスが震えながら後ずさりする。
「彼らはゴミではありません。街の限界を肌で感じ取れる、優秀なセンサーです。……あなたがそれを握り潰し、システムを死の淵まで追いやった」
アシュレイの瞳には、感情的な憎悪はない。あるのは、壊れた原因を正確に突き止めた技術者としての、氷のような冷徹さだけだった。
「……だが、増幅器を勝手に止めたのは貴様だ!」
ダリウスは最後の悪あがきとばかりに叫んだ。
「私が責任を問われるとしても、貴様も同罪だ! システムの稼働を独断で止めたことは、運用保守の越権行為だ!」
「越権ではありません」
アシュレイは、手帳の最新ページを開き、ダリウスに突きつけた。
『第一優先:外縁結界および浄水系統の維持。
第二優先:基幹通信・輸送網。
最下位:装飾用・式典用新規設備(特大増幅器を含む)』
「これは、私が監査院のローデリク殿と合意し、システム全体に適用した『優先供給基準(SLA)』です」
アシュレイは淡々と告げた。
「この基準に基づき、王都の命を守るために、最も優先度の低い増幅器を物理切断しました。……止めたのは独断ではなく、正式な合意に基づく『正しい障害対応』です」
「承認した覚えはない!」
「あなたには承認権限がなかった。なぜなら、その時点であなたは、システムに嘘をつかせ、街を崩壊の危機に陥れた『障害の真因』そのものだったからです」
ローデリクが、重々しく宣告した。
「ダリウス局長。および、新規開発局の重役一同。システム隠蔽、公文書改ざん、および王都機能への重大な破壊行為により……監査院の権限において、貴様らを拘束する!」
「ひっ……! 待て、私はダリウスだぞ! 王都の開発を……王都の威信を……!」
衛兵たちに取り押さえられ、無様に引きずられていくダリウス。
彼がどれほどわめこうと、机の上に積み上げられた「実務の記録」は、一文字の同情も示さなかった。
数年前、アシュレイが追放された日。
あの時は、ダリウスの言葉一つでアシュレイがすべての責任を被らされた。
だが今は違う。感情や政治力ではなく、誰がログを消し、誰が止める判断を拒み、誰が監視を死なせたのか。その『物理的な痕跡』を順に突きつけることで、ダリウスの価値観は完全に破綻した。
アシュレイ・グランという実務者の追放理由は、ここに完璧に反転したのだ。
「……見事な答え合わせだったな、アシュレイ」
騒ぎが収まった会議室で、ローデリクが深く息を吐きながら言った。
「ただ事実を並べただけです。……しかし、これでようやく、王都のシステムの『一番大きな腐敗箇所』を取り除けました」
エルリックが、涙ぐみながらアシュレイに深く頭を下げた。
「主任……ありがとうございます。俺たち現場の声を、本当の数字を、拾い上げてくれて。……これでやっと、俺たちも真っ当な保守ができます」
「ええ。これからは、迷ったら上げるんです。そのための仕組みを作っていきましょう」
アシュレイは、優しくエルリックの肩を叩いた。
◆◆◆
数時間後。
ダリウス一派の拘束により、王都魔導庁は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。だが、保守部門の現場はゲイルとエルリックの指揮のもと、驚くほど整然と「残された系統の復旧作業」に取り組んでいる。
アシュレイは監視室の片隅で、ようやく冷めたコーヒーを口にし、小さく息を吐いていた。
『ピーッ、ピーッ……』
その時、アシュレイの懐で、特殊な周波数の携帯通信機が鳴った。
それは、辺境都市イルダンとの直通回線だった。
「……私です」
『あ、グランさん! 通じました!』
通信の向こうから聞こえてきたのは、事務官ミレナの明るい声と、その背後から聞こえるノラの「うるさいわよ」という小言だった。
『王都の監査院から、公式の通達が来ました。ダリウス局長の失脚と、グランさんの大規模障害阻止の功績……! もう、役所中が大騒ぎですよ!』
「大げさですね。そちらの留守番はどうですか」
『はい! ガルドさんの現場工事も順調ですし、ノラさんの予算統制もバッチリです。監視表の記録も、一時間ごとに私がちゃんとまとめています。……グランさんがいなくても、イルダンはちゃんと回っていますよ!』
誇らしげなミレナの声に、アシュレイは自然と口角が上がるのを感じた。
彼が作り上げた仕組みが、彼の手を離れても完璧に自走している。それが何よりの報酬だった。
「素晴らしい。やはり、あなたたちに任せて正解でした」
『えへへ……。あ、でも、グランさん。一つだけ、気になる報告が上がっていまして』
「気になる報告?」
アシュレイの眉がピクリと動く。
『はい。リオネル副隊長の防衛巡回ログなんですが……旧鉱山区画の外縁部で、また不審な人影と、妙な魔力反応が検出されたんです。以前、ボルトン前市長が横流しをしていたルートのさらに奥です。……結界の破綻とは違う、何か意図的な干渉の痕跡が』
アシュレイの目が、スッと細められた。
王都の腐敗は取り除いた。イルダンの基盤も安定した。
だが、この国全体を巻き込むような「本当のひずみ」は、まだ完全に修復されたわけではないらしい。
「……分かりました。ミレナさん、そのログの写しを確保し、絶対に破棄されないようノラさんの原本台帳と紐付けておいてください。……王都の事後処理が終わり次第、すぐに戻ります」
『はいっ! お待ちしています、臨時都市基盤責任者!』
通信が切れ、アシュレイは使い込まれた手帳をポンと叩いた。
王都を止め、かつての追放の答え合わせは終わった。
だが、実務者の仕事に「完全な終わり」はない。一つの障害を直せば、また次の潜在的なリスク(課題)が見えてくる。
「さて。まずはこの都の『仕組み』を、根本からデバッグしなければいけませんね」
追放された運用保守担当は、静かに立ち上がり、再び混沌とする王都の現場へと歩み出した。
辺境で証明した「保守の答え」を、王国全体へ定着させるための、新たな実務が始まろうとしていた。




