第37話 王都大規模障害
巨大な都ほど、壊れる時は凄惨な連鎖を起こす。
夜明けを迎えたばかりの王都は、百万の民の悲鳴と、魔導機器が発する死の断末魔に包まれていた。
建国記念祭に向けて空を彩っていた華やかな巨大幻影は、おぞましいノイズと共に暴発し、空から赤い火の粉となって降り注いだ。
地下鉄のように区画を結んでいた大型の魔導輸送機は、魔力供給を絶たれて急ブレーキをかけ、多くの乗客を乗せたまま暗闇のトンネル内で立ち往生した。
さらに致命的だったのは、飲料水を供給する浄水系統と、魔物を弾く外縁結界の出力低下だ。水路からは泥水が逆流し、王都を囲む分厚い光の城壁は、今にも消え入りそうなほど薄く明滅し始めていた。
「だ、誰かダリウス局長に連絡を! パネルが全部真っ黒だ! どこが壊れているのかも分からない!」
「ダメです、中央通信網もダウンしています! 各区画の現場から、伝令が走ってきていますが……報告が多すぎて処理しきれません!」
地下深くの『中央魔力路・第一監視室』
正規の監視員たちは、真っ赤なエラーと真っ黒なロスト表示に染まった巨大パネルの前で、完全にパニックに陥っていた。
彼らはこれまで、ダリウスの仕込んだ「常に正常を示すフィルター」に甘やかされ、本当の障害対応を経験したことがなかった。いざシステムが崩壊を始めた時、彼らには状況を整理する能力も、決断を下す勇気もなかった。
「……どいてください。あなたたちでは、このパニックに油を注ぐだけだ」
その混乱を切り裂いたのは、地を這うように冷徹な声だった。
アシュレイ・グラン。彼は監視員たちを押しのけ、巨大パネルの真下にあるメインコンソールに陣取った。
「な、貴様! 勝手にコンソールに触るな!」
「ローデリクさん。彼らを外へ出してください。現場の悲鳴を聞き取れない人間は、邪魔なだけです」
「分かった」
監査官ローデリクが剣の峰で監視員たちを威圧し、監視室から強引に追い出す。
分厚い防音扉が閉まり、室内にはアシュレイ、エルリック、そしてローデリクの三人だけが残された。
「エルリック、各区画に散っているゲイルさんたちの『非公式監視網』の通信を、このメインコンソールに一本化しろ。……伝令の報告など待っていられない」
「は、はいっ!」
エルリックが震える手でキーボードを叩き、裏回線の通信をコンソールのスピーカーへ接続する。
『――主任! 聞こえるか!』
ノイズ混じりの通信機から、現場で奔走するゲイルの怒鳴り声が響いた。
『東区画の浄水ポンプ、完全に沈黙した! 南区画の防壁補助結界も、出力が規定値の三割を切っている! このままじゃ、あと十分で魔物が結界を破ってなだれ込んでくるぞ!』
「状況は把握しました。ゲイルさん、落ち着いて聞いてください」
アシュレイの声は、周囲の熱狂的なパニックとは対照的に、氷のように静かで安定していた。その声を聞いただけで、通信の向こう側のゲイルや、隣にいるエルリックの呼吸が少しだけ落ち着きを取り戻す。
「これより、王都魔力網の優先順位を再設定します」
「トリアージだと!? 馬鹿野郎、直すんじゃねえのか!」
「これだけの大規模連鎖遮断を、今の残存魔力で『すべて』直すことは物理的に不可能です。……いいですか。すべてを直そうとすれば、すべてを失います」
アシュレイは、辺境都市イルダンで何度も行ってきた「痛みを伴う決断」を、この王都でも下す覚悟を決めていた。
「王都の運用保守責任者の権限において命じます。……第一から第五までの全行政庁舎、および商業区画の魔導昇降機、さらに建国記念祭用のすべての装飾回路を、手動で物理遮断してください」
『なっ……!?』
通信の向こうで、現場の技師たちが息を呑む音が聞こえた。
『し、しかし主任! 行政庁舎や商業区画の機能を完全に落とせば、王都の経済と政治が完全にストップします! ダリウス局長が知ったら、俺たち全員、反逆罪で首が飛びますよ!』
若手技師の怯えた声が響く。
王都の人間にとって、「上層部の顔に泥を塗る施設の停止」は、街が壊れること以上に恐ろしいことだったのだ。
だが、アシュレイは一歩も引かなかった。
「政治も経済も、民が生きていなければ意味がない。優先すべきは『命の防波堤』です。……不要な系統を切り捨てて浮いた魔力を、外縁結界と浄水系統へ全振りする。迷うな。責任はすべて私が取ります!」
アシュレイの力強い断言。
『責任は自分が取る』。その言葉こそが、ダリウス体制下の王都で、末端の技師たちが何年も飢え渇くように求めていたものだった。
上に責任を押し付けられ、エラーを隠すことしか許されなかった彼らに、数年ぶりに「本物の保守指揮官」の命令が下ったのだ。
『……聞いたな、お前ら!』
ゲイルの野太い声が、通信機から轟いた。
『俺たちの責任を取ってくれる馬鹿な上司が、ようやく帰ってきたんだ! ダリウスの威信なんか知るか! アシュレイの言う通りにバルブを落とせ! 俺たちの街の結界を死守しろ!』
『「「了解ッ!!」」』
王都の地下に、技師たちの力強い怒号がこだました。
それまで保身のためにすくみ上がり、パニックに陥っていた現場が、アシュレイの一言で劇的に統率された「一つの生き物」へと変わった瞬間だった。
「エルリック! 第三ルートから第七ルートのバイパスを開け! 現場が落とした魔力を、結界へ流し込むぞ!」
「はいっ! バイパス開通! 魔力流量、西と北の防壁へ転送します!」
アシュレイとエルリックの手が、コンソール上で凄まじい速度で踊る。
現場の技師たちが不要な施設を次々と物理遮断し、アシュレイがその余剰魔力を巧みに拾い上げては、死にかけの結界とポンプへと注ぎ込んでいく。
数分後。
真っ赤なエラーと真っ黒なロスト表示で埋め尽くされていた巨大パネルの端に、ポツリ、ポツリと、確かな青い光(安定稼働)が灯り始めた。
『……主任! 南の浄水ポンプ、再起動しました! 泥水が抜け、清水の供給が復活しています!』
『北の防壁結界、規定値の六十パーセントまで出力回復! これなら魔物の上級個体が来ても弾けます!』
通信機から、次々と歓喜の報告が飛び込んでくる。
王都の機能の半分は暗闇に沈んだままだが、致命傷となる「命に関わる系統」だけは、見事に死の淵から引き戻されたのだ。
「……信じられん」
背後で成り行きを見守っていたローデリクが、感嘆の息を漏らした。
「あれだけの絶望的な連鎖崩壊を、たった数分で『秩序ある停止状態』へと落ち着かせたというのか……」
「これがトリアージです。すべてを救うことはできませんが、致命傷は避けた。……現場の技師たちが、優秀に動いてくれたおかげです」
アシュレイは額の汗を拭い、小さく息を吐いた。
王都は初めて、巨大な都としての壊れ方の恐怖を味わった。だが同時に、彼らは思い出したのだ。システムを完全にコントロールし、迷いなく止める判断を下せる「本物の保守担当」がいることの心強さを。
「ふう……。とりあえず、第一波の応急処置は完了ですね」
エルリックが椅子に深くもたれかかり、安堵の笑みを浮かべた。
「いえ、まだ終わっていません。これはあくまで、出血を無理やり布で縛っただけの状態です」
アシュレイの目は、未だに赤く点滅し続けている巨大パネルの中央部分を鋭く睨みつけていた。
「系統を切り離して魔力を結界に回したのに、依然として王都の基幹網には『信じられないほどの負荷』がかかり続けている。……何かが、底なし沼のように魔力を吸い上げ続けているんです」
アシュレイは、先ほどパネルから直接「生ログ」をダウンロードした記録結晶をコンソールに接続し、そのデータを解析画面へと展開した。
画面に表示されたのは、王都の地下を這う魔力路の『熱量分布図』だった。
青や緑の安定した色の中で、ただ一箇所だけ、異常なまでの真っ赤な熱源を放ち、周囲の魔力を強引に貪り食っている巨大な『点』があった。
「……震源地が、確定しました」
アシュレイが指差したその場所を見て、エルリックが息を呑む。
そこは、王都の行政区画のさらに奥深く、新規開発局が厳重に封鎖している特別区画だった。
「ダリウス局長が、明日の建国記念祭に向けて設置した……五基の特大魔導増幅器の設置場所です」
「やはりか」
ローデリクが険しい顔で頷いた。
「あの増幅器群が、王都の魔力網を内部から食い破ろうとしているんだな」
「ええ。このままでは、応急処置で稼いだ時間もすぐに尽きます。増幅器が完全に暴走すれば、今度こそ王都の地下魔力炉そのものが吹き飛びますよ」
アシュレイは工具入れのベルトを力強く締め直し、冷徹な光を宿した瞳で扉の方へ振り返った。
「行きましょう。元凶の息の根を、直接止めに」
すべてを直すための実務の刃は、王都の腐敗の象徴である「無謀な新設備」へと向けられた。
威信と見栄で塗り固められたダリウスとの、本当の対決が始まろうとしていた。




