第38話 直す前に、止める
王都魔導庁、特別地下区画。
ダリウス局長が建国記念祭のために新設した『特大魔導増幅器群』が鎮座するその巨大な空間は、今や地獄の釜の底のような様相を呈していた。
「なぜ出力が安定しない! 結界と浄水系統から魔力を回せと言ったはずだぞ!」
「だ、ダメですダリウス局長! 第一監視室からの操作を受け付けません! どこかの誰かが、基幹ルートのバイパスを勝手に切り替えて、増幅器への魔力供給を絞っています!」
コントロールルームで怒号を飛ばすダリウスの顔は、焦燥と脂汗でドロドロになっていた。
ガラス越しに見える五基の巨大な増幅器は、今にも破裂しそうなほど赤熱し、周囲の空間を歪めるほどの凄まじい熱波と異音を放っている。だが、ダリウスにはそれを「止める」という選択肢はなかった。
「ふざけるな! この増幅器の稼働こそが、我が新規開発局の最高傑作であり、明日の祭りの目玉なのだぞ! 止めれば私の経歴に傷がつく! なんとしてでも維持しろ!」
見栄。体面。そして己の権力への執着。
百万の民の命が懸かった暴走の最中においても、この男の優先順位はそこにしかなかった。
ドンッ!!
その時、コントロールルームの分厚い耐爆扉が、乱暴に蹴り開けられた。
「……相変わらず、優先順位の付け方が致命的に間違っていますね、ダリウス局長」
煤に汚れ、使い込まれた工具入れを腰に提げた男――アシュレイ・グランが、冷え切った視線を向けて立っていた。
その後ろには、王都監査院のローデリクと、若手技師のエルリックが続いている。
「ア、アシュレイ……!? なぜ追放された貴様がここにいる! いや、それよりも今の言葉……まさか、増幅器への供給を絞ったのは貴様か!」
ダリウスが血走った目で睨みつける。
「ええ。結界と水を生かすために、不要な系統を切り離しました」
アシュレイは淡々と、しかし確かな怒りを込めて一歩前へ出た。
「ダリウス局長。あなたの作った増幅器は、今すぐ完全に停止させなければなりません。これ以上の稼働は、王都の地下魔力炉そのものを爆発させます」
「黙れ無能が! 私の完璧なシステムが爆発などするはずがない! 貴様ら保守局の連中が、日頃のメンテナンスを怠ったせいで負荷に耐えられないだけだ!」
ダリウスは自身の非を一切認めず、喚き散らした。
「いいか、これは王都の『威信』の問題なのだ! 建国記念祭で、他国からの要人たちに王都の華やかな魔導技術を見せつける。そのためにこの増幅器は絶対に止められない! システムが壊れかけているなら、貴様がその古臭いスパナで今すぐ『直せ』!」
直せ。
その言葉を聞いて、アシュレイは深く、冷たい息を吐いた。
かつての彼なら、ここで理不尽に耐え、なんとかシステムを稼働させたまま火消しに奔走していただろう。上層部の「止めないで直せ」という無茶振りに応えることこそが、優秀な保守だと思い込んでいたからだ。
だが、辺境の泥の中で『本当の運用保守』を作り上げてきた今のアシュレイは違う。
「……直しませんよ。直す前に、止めます」
「なんだと!?」
「いいですか、ダリウス局長。システムには『優先供給基準(SLA)』というものがある」
アシュレイは、エルリックから受け取った王都の設計図をダリウスの足元へ叩きつけた。
「一番大事なのは、民の命を守る『結界と水』。次に、生活と物流を支える『通信と輸送』。……祭りの装飾や威信なんてものは、一番最後に回すべき『ただの遊び』です」
アシュレイの言葉は、コントロールルームにいるすべての技師たちの胸を激しく打った。
「命の危険が迫っている時に、システムの停止を『敗北』や『恥』だと勘違いするな。間違ったものを堂々と止めること。それこそが、我々実務者の『正しい仕事』です」
「き、貴様……! たかが一介の保守担当が、私に説教をする気か! 衛兵! この男を反逆罪で――」
「反逆しているのは貴様だ、ダリウス!」
一喝したのは、ローデリクだった。
彼は懐から、監査院の最高権限を示す『赤の封蝋』が押された公文書を突きつけた。
「我々監査院は、すでに第一監視室にて、貴様が致命的なエラー警告を意図的に隠蔽していた『生ログ』を確保した! そして現在、王都は大規模な連鎖崩壊の危機にある。……アシュレイ技術顧問の『増幅器停止判断』は、越権行為ではない。監査院が全面的に認める、極めて妥当にして唯一の『危機対応』だ!」
「なっ……監査院だと!? ログを……見つけただと……!?」
ダリウスの顔から、さぁっと血の気が引いていく。
「これ以上、アシュレイの保守作業を妨害するなら、この場で貴様を国家反逆罪で斬り捨てる。……退け!」
ローデリクが剣を抜き放ち、ダリウスを文字通り壁際へと追いやった。
ダリウスの威信という名のメッキが、完全に剥がれ落ちた瞬間だった。
「エルリック。メインブレーカーの物理接続を解除します。手伝え」
「はいっ!」
アシュレイは工具入れから太い魔導レンチを引き抜き、ガラス張りの向こう側――赤熱する増幅器群の根元にある、巨大な制御盤へと走った。
システム上からの操作を受け付けないなら、物理的に配線を断ち切るしかない。
「主任、ロックが掛かっています! ダリウス局長の生体認証がないと開きません!」
「認証なんて待っている暇はありません。……壊します」
アシュレイはレンチを振り被り、制御盤のロック機構そのものを全力で叩き潰した。
ガガァァンッ!! という鈍い金属音が響き、火花が散る。
開いた配電盤の中には、人間の腕ほどもある極太の魔導線が五本、脈打つように魔力を増幅器へ送り込んでいた。
「これが元凶の供給ライン。……五本同時に引き抜くぞ。タイミングを合わせろ」
「了解!」
アシュレイとエルリックが、それぞれ太い魔導線に手をかける。
莫大な魔力の熱が絶縁手袋越しに伝わり、皮膚を焼くような痛みが走る。だが、二人の手に迷いはなかった。
「……王都の狂った歩みを、ここで止める!」
「せえのっ!!」
二人の実務者が、渾身の力を込めて魔導線を巨大なソケットから引き抜いた。
バチィィィィィンッ!!!!
鼓膜を破るような放電音と共に、強烈な青白い閃光が弾ける。
直後、部屋を支配していた恐ろしい熱波と異音が、嘘のようにフッと消え去った。
赤熱していた五基の特大魔導増幅器から光が失われ、重々しい沈黙と共に、完全に機能を停止したのだ。
『……ッ! 止まりました!』
背後のコントロールルームから、残っていた技師たちから歓声が上がる。
ダリウスは床にへたり込み、完全に沈黙した増幅器を見て、亡霊のように虚ろな目で呟いた。
「あ、ああ……私の、私の傑作が……。王都の威信が……」
「威信は死にましたが、街は生きています。安い代償でしょう」
アシュレイは焦げた手袋を外し、冷たい声で見下ろした。
王都でついに、間違った系統が「正式に」止まったのだ。
止めることは敗北ではない。暴走を断ち切り、システムを正常化させるための、最も勇気ある一歩である。その事実を、王都の中枢に見せつけた瞬間だった。
「エルリック。すぐにゲイルさんたちへ連絡を。元凶は断ち切った。これで逆流は収まるはずだ。残存魔力を確認し、結界と浄水系統を完全に安定させろ」
「はいっ! ……あ、あれ?」
コンソールに戻ったエルリックが、首を傾げた。
「どうしました?」
「主任……増幅器を止めたので、吸い上げられていた魔力が基幹網に戻ってくるはずなんですが……。なぜか、基幹網の全体出力が『致命的に低いまま』です」
「なんだと?」
アシュレイがモニターを覗き込む。
確かに、逆流は止まった。だが、長時間の暴走によって王都の地下魔力炉そのものが深刻なダメージを受けており、全体の魔力圧がまるで上がってこないのだ。
「このままの出力では、結界と水を維持するだけで精一杯です! 通信も、輸送も、行政機能も……これでは、王都の半分が死んだまま立ち直れません!」
エルリックが青ざめる。
増幅器という『癌』は切り取った。
しかし、患者の体力が限界まで落ち込み、自力で呼吸(再起動)できない状態に陥ってしまったのだ。新しい魔力炉の出力が戻るまで、数日はかかる。その間、王都の機能が半分停止していれば、経済は破綻し、暴動が起きる。
「……くそっ。やはり、ダリウスの残した傷跡は深すぎたか」
ローデリクが奥歯を噛み締める。
だが、アシュレイの目は、モニターの片隅にある「一つの古い表示」に釘付けになっていた。
それは、先ほどまでダリウスのフィルターによって完全に隠蔽され、誰の目にも触れてこなかった領域。
「……アシュレイ?」
「エルリック。この、王都の最深部にある『第一層(最下層)』の反応……」
アシュレイは、モニターに映る微弱な、しかし極めて安定した「緑色の脈動」を指差した。
「ダリウスたちが『もう寿命で動かない』と切り捨て、警告フィルターすら外していた場所。……『旧式安全核』だ」
「旧式安全核……? でも、あれはもう何年も前に起動すら……」
「いいえ。死んでいません」
アシュレイの瞳に、強い光が宿った。
「王都の上層部が新しいものばかりに目を向け、完全に放置していた一番古い安全装置。それが今も、王都の地下で静かに魔力を蓄え、生き続けている」
イルダンでもそうだった。
新しく見栄えの良いものが街を救うのではない。誰も見向きもしない、泥臭くて古い『仕組み』が、最後に街を支えるのだ。
「……行きましょう。王都を再起動させるための『心臓』は、一番古い場所に残っています」
アシュレイは手帳を広げ、次のページへと書き込んだ。
追放された実務者と、時代遅れと見捨てられた旧式設備。
王都を本当に救うための、最後の蘇生作業が始まろうとしていた。




