第34話 最初の崩落と、止められない現場
ジリ、ジリジリッ!
地下資料室の魔導照明がけたたましいノイズと共に明滅し、ついに完全に沈黙した。暗闇に包まれた室内で、アシュレイ・グランは即座に懐の小型魔導灯を起動し、青白い光で壁の配電盤を照らし出した。
「……電圧の降下幅が、想定の倍以上です」
アシュレイの声は極めて冷静だったが、その手元のテスターが示す針は、危険水域である赤色の奥深くへと突き刺さっていた。
「単なる魔力不足じゃない。どこかの巨大な回路で『逆流』が起きて、基幹網の魔力を吸い上げている。……このままでは連鎖崩壊が起きます」
「逆流だと!? 王都の基幹網でそんなことが起きるはずが……」
ローデリクが絶句する傍らで、エルリックの携帯型通信端末が狂ったように鳴り出した。
「主任! 保守局の緊急回線からです! 王都南側の第三行政庁舎一帯で、魔力供給が完全停止しました! 結界補助と通信網もダウンし、現在、大パニックに陥っているとのことです!」
「やはり、最初の崩落が起きたか。……急ぎましょう。現場のログを見ないことには、正確な切り分けができない」
アシュレイは工具入れを締め直し、真っ暗な地下通路を駆け出した。
正常を装い続けていた王都という巨大な迷宮が、ついにその隠しきれない傷口から血を噴き出し始めたのだ。
◆◆◆
王都南区画、第三行政庁舎の地下にある『南ブロック魔力分配所』。
そこは、怒号と煙、そして魔導管の破裂する不吉な金属音に包まれていた。
「早く再起動しろ! ダリウス局長から、行政機能の停止は五分以内に復旧させろと厳命が下っているんだぞ!」
「無理です! 中央からの魔力圧が弱すぎて、起動レバーを入れても途中で安全弁が弾かれます!」
「安全弁など外してしまえ! とにかく管に魔力を流し込め!」
現場で喚き散らしているのは、新規開発局から派遣されたという肩書きばかり立派な現場監督官だった。彼は煤にまみれることもなく、安全な後方から末端の技師たちへ無茶な命令を飛ばし続けている。
「……相変わらず、地獄のような現場ですね」
分配所の入り口に辿り着いたアシュレイは、ひどい焦げ臭さに顔をしかめた。
アシュレイの目に飛び込んできたのは、赤熱した魔導管の束と、そこから漏れ出す危険な青白い火花だ。
「おい、お前ら! ここは危険だ、下がっていろ!」
アシュレイたちを見つけた白髪交じりの屈強な技師が、声を張り上げた。彼の作業着は油と煤で汚れ、手には分厚い絶縁手袋がはめられている。
その顔に、アシュレイは見覚えがあった。
「ゲイルさん。王都保守局の主任補佐……まだ現場のまとめ役をやっていたんですね」
「ん? お前……アシュレイか!? なんで追放されたお前が、こんなところにいる!」
ゲイルは驚愕に目を見開いたが、アシュレイはそれには答えず、鋭い視線で赤熱する分配盤を観察した。
「ゲイルさん、今すぐ第五系統から第八系統までのバルブを完全に閉じて、魔力網から切り離してください。再起動などしたら、逆流した魔力が中央魔力炉まで焼き尽くしますよ」
「切り離すだと!? 馬鹿なことを言うな!」
声を上げたのは、新規開発局の現場監督官だった。彼はローデリクの監査院の制服を見て一瞬怯んだものの、すぐに尊大な態度を取り戻した。
「ただの老朽化による局所的な事故だ! ここで系統を切り離せば、行政区画の半分が機能停止したままになる。明後日の建国記念祭に向けて、王都の威信に関わる大問題だぞ!」
「威信の問題ではありません。物理的な限界の話です」
アシュレイは淡々と、だが冷徹に言い放った。
「新規開発局が無理やり繋いだ増幅器群が、基幹網の魔力を吸い上げすぎて、この南ブロック一帯の圧が負に転じている。今は『水が高いところから低いところへ流れる』ように、行政庁舎の魔力が増幅器の方へ逆流して奪われている状態だ。……このまま再起動の負荷をかければ、この分配所そのものが爆発します」
「デタラメを言うな! 計器は正常だった! お前のような追放された旧式の無能が、ダリウス局長様の完璧なシステムにケチをつける気か!」
「……」
アシュレイは小さく息を吐いた。
王都は、イルダンとは違う。
辺境都市イルダンでは、アシュレイが「止める」と言えば、全員が彼を信じてシステムを止めた。街を守るためなら、一時的な不便など誰もが受け入れた。
だが、この王都では『止めること=敗北』であり、無能の証明だと信じ込まれている。見栄と体面が、物理的な安全性よりも優先される狂った組織風土が、現場の首を絞めているのだ。
「主任……どうしますか。このままじゃ本当に爆発します」
背後でエルリックが怯えた声を出した。
「止めないなら、こちらで勝手に『止まるように』物理法則を書き換えるだけです」
アシュレイは工具入れから太い魔導レンチと、絶縁用の樹脂テープを取り出し、迷いなく赤熱する分配盤の裏側へと潜り込んだ。
「なっ、おい! 何をしている! 離れろ!」
監督官が叫ぶが、ローデリクが一歩前に出てそれを制止する。
「彼は監査院の特別技術顧問だ。現在、重大なシステム異常の調査を行っている。彼の実務を妨害するなら、監査院の権限で貴様を拘束するぞ」
その隙に、アシュレイの指先が目にも留まらぬ速さで動いた。
「逆流している第五系統から第八系統への配線……。これを直接遮断する権限は私にはない。なら、逆流の経路上にある『過電圧保護リレー(安全ヒューズ)』の抵抗値を、手動で限界まで下げてやる」
アシュレイは、分配盤の奥にある旧式の制御器のカバーを開け、基盤の一部をレンチの柄で叩き割り、中の配線を直接ショートさせた。
バチバチバチッ!!
「ひっ!?」
青白い閃光が弾け、監督官が腰を抜かして悲鳴を上げた。
直後。
ガコンッ!! という重々しい音と共に、分配盤の巨大なレバーが四つ、自動的に『遮断』の位置へと跳ね上がった。
「な……安全弁が、強制的に落ちただと……!?」
「ええ。保護リレーの感度を無理やり上げたので、少しでも逆流の負荷がかかれば、システムが勝手に『危険』と判断して接続を切り離すようにしました。……これで、いくらあなたが再起動レバーを入れようと、一秒で自動停止します」
アシュレイは煤で汚れた手でレンチを仕舞い、平然と立ち上がった。
現場監督官の命令に背いたわけではない。あくまで「システムが自動で停止した」という状況を作り出し、致命的な爆発と延焼だけを物理的に防いだのだ。
赤熱していた魔導管の温度が、見る見るうちに下がっていく。
最悪の事態は、回避された。
「き、貴様ぁ! システムの安全弁を勝手にいじりやがって! ダリウス局長に報告して、お前を反逆罪で――」
「黙れ!!」
怒声が響いた。
それは、アシュレイでもローデリクでもなく、これまで黙って作業をしていたベテラン技師、ゲイルの声だった。
「ゲ、ゲイル……? 貴様、私に逆らう気か!」
「うるせえ! 俺たち現場の人間が、何度再起動レバーを入れても弾かれてた理由が分からねえのか! 俺たちは今、こいつに命を救われたんだよ!」
ゲイルは分厚い手袋を床に叩きつけ、監督官を恐ろしい形相で睨みつけた。
「少しでも魔力の流れが分かる奴なら、今の異常な逆流の恐ろしさが分かるはずだ。あのまま無理やり起動してたら、ここにいる全員、炭の塊になってたんだぞ!」
「ひっ……!」
ゲイルの気迫に押され、監督官は青ざめた顔で後退りし、逃げるように分配所の外へと走り去っていった。
静まり返った分配所で、ゲイルは大きくため息をつき、アシュレイの方を向いた。
「……相変わらず、無茶苦茶な荒療治をしやがるな、アシュレイ。おかげで助かった」
「お久しぶりです、ゲイルさん。荒療治になったのは、上層部が『止める判断』をしてくれないからです」
アシュレイが答えると、ゲイルは苦々しい顔で頷いた。
「ああ。王都は狂っちまった。ダリウスが実権を握ってから、俺たち保守の人間はただの『都合の悪いエラーを消すだけの機械』扱いだ。……お前が追放された後、まともに現場の悲鳴を聞ける責任者は、もう一人もいなくなっちまった」
ゲイルは、王都に残った数少ない「現場を愛する職人」だった。彼のような実務者が、上層部の見栄の犠牲になりかけている。その事実に、アシュレイは静かな怒りを覚えた。
「ゲイルさん。この第三行政庁舎の停止は、あくまで兆候にすぎません。本当の致命傷は、王都全域に繋がれた巨大増幅器群にある。……私に、現場の一次情報を回してもらえませんか」
アシュレイが真っ直ぐに見据えると、ゲイルはニヤリと笑った。
「……お前が監査院の技術顧問として戻ってきたってのは、冗談じゃなかったようだな。いいぜ。俺たち現場の職人も、これ以上ダリウスの道楽で死にたくねえ。俺の派閥の連中には、嘘の正常ログじゃなく、本当の生データを裏ルートでお前に流すよう手配してやる」
「ありがとうございます。助かります」
王都の腐りきったシステムの中で。
アシュレイの「実務」という確かな腕が、現場のベテランの心を動かし、強固な味方を一人引き入れた瞬間だった。
だが、安堵する暇はなかった。
ゲイルが周囲を警戒しながら、声を潜めて告げた。
「だが、急げよアシュレイ。……明日の朝、ダリウスの奴は、建国記念祭の予行演習として『五基の特大魔導増幅器の全接続・同時出力試験』を強行するつもりだ」
「全接続……!? 馬鹿な、今でさえ逆流が起きているのに、これ以上の負荷をかければ……!」
エルリックが絶望的な声を上げた。
「ダリウスは、今回の停電を『局所的な設備の老朽化』として片付けた。自分の増幅器が原因だとは絶対に認めねえだろうよ。……明日の朝、王都の魔力網は本気で吹き飛ぶぞ」
王都の「見栄」が、いよいよその狂気の牙を剥こうとしている。
アシュレイは手帳を開き、新しいページに『巨大増幅器群・同時接続試験の阻止』と書き込んだ。
「……直す前に、まずは止めなければなりませんね。王都の狂った歩みを」
反撃の準備は整いつつあった。
辺境で培った実務の力で、暴走する巨大都市の息の根を止めるための、決死の保守作業が幕を開けようとしていた。




