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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第3章 再建後の初運用と、外圧の始まり 〜直した街は、まだ試運転中〜
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第29話 王都監査院の使者

 イルダンの役所最上階、市長室。


 そこでは朝から、ひりつくような緊迫した空気が流れていた。


「……間違いないよ、保守官殿。旧鉱山区画の向こう側で動いている連中は、ただの野盗じゃない」


 商人ギルドの実務責任者であるセルマが、厳しい顔つきで報告を上げていた。


「うちの若い衆に少し探りを入れさせたんだが、あいつら、荷馬車のわだちを消す偽装の術式を使っていた。それに、ただの廃墟のはずの鉱山跡地に、妙に大量の保存食や野営の道具が運び込まれている形跡がある」


 防衛隊の副隊長リオネルが、腕を組んで低く唸る。


「……何らかの組織的な部隊が、イルダンの結界のすぐ外側に潜伏し、準備を進めているということか。すぐに見回り部隊を増員し、強行偵察を――」


 リオネルが言いかけた、まさにその時だった。


 コンコン、と。


 控えめだが、一切の迷いがない硬質なノックの音が市長室の扉を叩いた。


「……失礼いたします。王都監査院より参りました、ローデリク・フェインと申します」


 扉が開き、一人の細身の男が入ってきた。


 王都の高級な官僚服を隙なく着こなし、手には分厚い革張りの書類鞄を提げている。銀縁の眼鏡の奥にある瞳は、感情を一切見せない冷徹な観察者のそれだった。


「ひぃっ……! よ、よくぞお越しくださいました、監査官殿!」


 バルガス市長が弾かれたように椅子から立ち上がり、揉み手で出迎えた。


 しかしローデリクは市長の愛想笑いを完全に無視し、室内に集まった実務者たちへ――正確には、その中心に立つ一人の男へと、真っ直ぐに視線を向けた。


「……久しぶりですね。まさか、このような辺境で再びまみえることになるとは」


「ええ。私も驚いていますよ。監査官殿」


 アシュレイとローデリク。


 二人の視線が交錯し、見えない火花が散った。


 王都魔導庁において、ローデリクは監査院の若きエースとして恐れられる存在だった。どんな巧妙な予算の誤魔化しも、彼の目から逃れることはできない。


 しかし、そんな彼が王都で唯一、「一切の不備を見つけられなかった」部門がある。


 それが、アシュレイ・グランが率いていた都市基盤保守局だった。


 派手で予算を食い潰すばかりの開発局の帳簿が常に穴だらけだったのに対し、アシュレイの提出する保守記録は、常に一銅貨の狂いもなく、完璧な理論で構築されていた。


 ローデリクは、アシュレイのその異常なまでの実務能力と、街を裏から支える誠実さを、誰よりも高く評価していたのだ。


 だからこそ、あの大規模魔力障害の責任をすべてアシュレイに押し付け、彼を辺境へ追放した王都上層部の腐敗に、ローデリクは激しい怒りと無力感を覚えていた。


「出迎えは不要です、バルガス市長。私は監査院の命を受け、この辺境都市イルダンにおける『重大な越権行為』および『不透明な資産運用』の事実確認に参りました。……直ちに、帳簿と現場の照合を開始します」


 ローデリクは鞄から、先んじてアシュレイたちが王都へ送った『統合報告書』を取り出し、机の上に重い音を立てて置いた。


「……グラン殿。私はあなたの実務能力の高さを知っている。あなたが本気で書類を作れば、どんな監査官の目も誤魔化せる完璧な代物が出来上がることも」


 ローデリクの銀縁眼鏡の奥の目が、スッと細められた。


「見事な報告書でした。書類上は、応急対応から恒久対応、そして再発防止に至るまで、完璧なプロセスを踏んでいるように見えます。……ですが、この『仮設運用』の数々と、旧式安全核マスターコアの制限解除。王都の承認を得ていない、明らかな規定外の暴走です」


「規定外の暴走ではありません。それらはすべて、期限・責任者・記録を伴った『管理された暫定措置ワークアラウンド』です」


 アシュレイが静かに反論するが、ローデリクは首を横に振った。


「グラン殿。私はあなたを信じたい。だが、監査官という立場において、この報告書は『出来過ぎ』なのです」


 ローデリクの言葉には、彼個人の苦渋が滲んでいた。


「王都の中枢機関ですら、これほど完璧な各部署の連携コンボなど実現できていない。それを、崩壊寸前だった辺境の田舎町が、たった三ヶ月で独力で行えるはずがない。……グラン殿。あなたがかつての恨みから、前任のボルトンを不当に拘束し、この街の全権を握り、自分の理想の魔力網を作るために『書類を偽装している』のではありませんか?」


 優秀すぎるがゆえの疑念。


 アシュレイがすべてを一人で抱え込み、独裁者のように現場を操り、嘘の報告書をでっち上げているのではないか。


 ローデリクのその指摘は、王都の官僚としてはあまりにも鋭く、そして妥当な推論だった。


「お、おっしゃる通りで……! アシュレイ君が、独自の判断で勝手に……!」


 市長が真っ先に責任逃れをしようとアシュレイを指差した。


 ローデリクが「やはりか」と失望の目を向けた、その瞬間だった。


「……ふざけんな、王都の優等生が」


 野太い声と共に、一人の男が前に出た。


 煤と油にまみれた作業着を着た、職人頭のガルドだった。


「誰が書類を偽装してるって? 誰が旦那の操り人形だって? ……寝言は寝て言え。俺たちを舐めるなよ」


 ガルドは懐から、ボロボロになった羊皮紙の図面の束を取り出し、ドンッ!とローデリクの胸元に突きつけた。


「俺たち職人はな、全部この図面通りに配管を繋いでる。それだけじゃねえ。作業の前には必ず、二人一組で『読み合わせ』と『指差し呼称』をやって、極性の一つまで口に出して確認してんだ。王都のへっぽこ開発局より、よっぽど手堅い仕事をしてるぜ!」


「……指差し、呼称だと?」


 ローデリクが絶句する。


 そんな面倒な安全確認のプロセスなど、王都の気位の高い魔導技師たちですら「素人のやることだ」と鼻で笑ってやらない。それを、この泥臭い辺境の職人たちが、日々の実務として徹底しているというのか。


 その隙を突き、今度は若手事務官のミレナが、自分の身体の半分ほどもある分厚いファイルの束を机の上にドサリと積み上げた。


「そのガルドさんが持っている図面が、最新の正しいものである証拠がこれです!」


 ミレナはファイルをめくり、ローデリクの目の前に突きつけた。


「すべての写しには『通し番号』と『原本更新日』、そして現場に情報を渡した際の『受領印』が押されています。現場の図面と、役所の記録に一切のズレはありません。私が、自分の足で回って集めた確かな記録です!」


「……写しの履歴管理と、受領記録の徹底……っ」


 ローデリクの目が、驚愕に見開かれた。


 書類の偽装などではない。現場と事務が、血の通った連携で情報をバケツリレーしている明確な痕跡がそこにあった。


「驚くのはまだ早いぞ、監査官殿」


 防衛隊のリオネルが、甲冑の音を鳴らして重々しい足取りで進み出る。


「君が『無秩序な暴走』と呼んだ仮設やバイパス接続は、すべて我々防衛隊と役所の間で結ばれた『優先供給基準(SLA)』に基づいている。有事の際にどこを切り離し、どこを最低保証として生かすか。軍事的な合理性を持って、事前に合意された配分だ」


「商人ギルドも同じだよ」


 セルマが、美しく整理された納品書と請求書の束を机の上に滑らせた。


「仮設に使った資材の購入履歴だ。一銅貨単位で、いつ、誰から、何を買い、どこへ使ったか。すべてこの帳簿に記録してある。前任のボルトンみたいな中抜きや横流しは、この三ヶ月間、ただの一度も起きていない。……保守官殿はね、あたしたち商人の利益とリスクまで計算に入れた上で、あの仮設を作ったんだよ」


 現場の安全確認(指差し呼称)。

 写しの履歴管理バージョンコントロール

 防衛上の優先順位設定(SLA)。

 物流と予算の透明性。


 次々と叩きつけられる「実務の証拠」の波状攻撃。


 それは、ローデリクが王都で夢見て、そして決して実現できなかった「各部署の完璧な連携」そのものだった。


 さしもの冷徹な監査官も言葉を失い、机に積み上げられた書類を震える手でなぞることしかできない。


「……グラン殿。あなたは……これを、一人でやったのではないのですね」


 ローデリクが、絞り出すような声で問う。


「当然です」


 アシュレイは、誇り高き実務家たちの顔を一人一人見渡しながら答えた。


「私一人でできることなど、たかが知れています。私はただ、彼らが元々持っていた力と誇りを、正しい『仕組み』として繋ぎ合わせただけです。……ノラさん。最後を」


「ええ」


 アシュレイに促され、事務官のノラが静かに、そして極めて重々しく『原本台帳』を開いた。


 イルダンの命そのものである、分厚い革張りのマスターデータだ。


「このイルダンにおけるすべての支出、仮設資産の撤去期限、そして……誰も使っていない旧式昇降機のような『停止資産』に至るまで。この街に存在するすべての魔力網は、この原本台帳によって完全に可視化され、管理されています」


 ノラが示した台帳のページには、先日発見されたばかりの旧市街の昇降機が「停止資産サスペンデッド・アセット」として赤字で明確に定義されていた。


「物理的には切断していても、過去の負債として存在を記録し、管理下に置く……。なんという……」


 ローデリクは眼鏡を外し、目頭を強く押さえた。


 彼もまた、王都の腐敗した制度の中で戦ってきた官僚だ。だからこそ、この帳簿が示す「真の意味」が痛いほど理解できたのだ。


 見えない負債を透明な幽霊にせず、きちんと死体として墓標を立てる。そんな地味で、だが都市の未来にとって最も重要な実務を、この辺境の街は息をするようにこなしている。


「……信じられん。辺境の街で、王都の中枢すらできていない『完全な資産管理と連携ライフサイクル・マネジメント』が実現しているというのか……」


 ローデリクは深く、深く息を吐き出した。


 そして、顔を上げ、アシュレイに向かって深く頭を下げた。


「……疑ったことを、どうかお許しください、グラン殿。そして皆様」


 ローデリクの顔から、最初に見せていた官僚的な冷たさや疑念は完全に消え去っていた。


 そこにあるのは、同じ実務に携わる者としての、純粋な敬意と、そして抑えきれない感動だった。


「これほど緻密に計算され、現場の隅々まで統制が取れた再建作業を、私は見たことがない。……グラン殿。あなたは何も変わっていなかった。いや、ついに見つけたのですね。あなたのその途方もない実務能力に、全力で応えてくれる『最高のチーム』を」


 その言葉に、ガルドは照れくさそうに鼻をこすり、ミレナは誇らしげに胸を張り、セルマとリオネルは静かに微笑んだ。


 彼らもまた、自分たちがやっていることの価値を、王都のエリート監査官の口から直接証明されたのだ。


「イルダンの再建は、間違いなく適正かつ、王国最高水準の『都市保守業務』です。監査院への報告は『一切の不正なし。極めて模範的な運用状態にある』として提出させていただきます」


「おおっ……! そ、それでは……!」


 バルガス市長が、安堵のあまりへたり込みそうになる。


 アシュレイもまた、小さく息を吐いて手帳を閉じた。


 王都からの最大の難関である「監査」という外圧を、彼らは正面からの書類と実務の殴り合いで、見事にはね除けたのだ。


 ◆◆◆


 その日の夕刻。


 監査の手続きをすべて終え、迎えの馬車に乗り込もうとしていたローデリクを、アシュレイが一人で見送っていた。


「見事な手腕でした、アシュレイ・グラン殿。あなたが王都を追放されたと聞いた時は、この国の未来を呪ったものですが……今日、この街を見て救われましたよ」


「過分な評価です。私はただ、当たり前の保守をやっているだけですから」


 ローデリクは馬車の扉に手をかけ、ふと視線を落とした。


 そして、周囲に誰もいないことを確認し、声を極限まで潜めて口を開いた。


「……グラン殿。先日、王都の南区画で小規模な障害があったと、通達が行ったはずです」


「ええ。旧式安全核マスターコアの数値を誤認させたまま、開発局が無理な接続を続けている件ですね。非常に危険な兆候です」


「さすがですね。書類の端を見ただけでそこまで見抜くとは」


 ローデリクは振り返り、夕闇に沈むアシュレイの顔を真っ直ぐに見据えた。


 その瞳には、先ほどの感動とは打って変わった、底知れぬ恐怖と焦燥が宿っていた。


「ですが、実態はさらに深刻です。王都南区画の障害は……もはや、このイルダンがかつて経験した危機の、比ではありません」


「……っ」


 アシュレイの目が、鋭く見開かれた。


「開発局は問題を隠蔽し続けていますが、監査院の我々でも全容が掴めないほど、王都の魔力網は内部から腐り落ちています。新しい設備を無秩序に繋ぎすぎた結果、全体の魔力圧力が臨界点に達している。……いずれ、遠くない未来に、あの巨大な街は自重で崩壊ブラックアウトするでしょう」


 それは、制度の番人であるトップ監査官からの、重く絶望的な内部告発だった。


「私には、帳簿の誤魔化しを指摘することはできても、技術的な崩壊を止めることはできません。……どうか、このイルダンだけは、あなたのその仕組みで守り抜いてください」


 ローデリクを乗せた馬車が、車輪の音を響かせて王都へと去っていく。


 取り残されたアシュレイの胸には、彼の一言が小さな、しかし鋭い棘として深く突き刺さっていた。


『王都南区画の障害は、イルダンの比ではない』


 ――そして。


 監査官という外圧が去り、夜の闇がイルダンを包み込んだ頃。


 役所の裏口にある、アシュレイの私書箱。


 そこに、一通の消印のない封書が密かに投函されていた。


 それは、外の闇に潜む旧鉱山側の密偵からのものではない。


 崩壊の足音が近づく王都から。


 かつてアシュレイが手塩にかけた「都市基盤保守局」に残された、たった一人の後輩技師から送られた、一筋の切実な「SOS」だった。


 イルダンの再建が軌道に乗ったその夜。


 王都崩壊のカウントダウンが、静かに、だが確実に動き始めていた。

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