第26話 王都からの問い合わせと「報告書の形式」
その日、イルダンの役所最上階にある市長室には、これまでで最も重苦しい空気が立ち込めていた。
「お、終わりだ……。王都の監査院に目をつけられた。我々は全員、反逆罪で処刑されるかもしれん……っ!」
バルガス市長が、顔を真っ青にして頭を抱えている。
彼の机の上に置かれているのは、王都の紋章が封蝋された一通の分厚い書状だった。
呼び出されたアシュレイは、若手事務官のミレナと共にその書状に目を通した。
文面自体は、極めて礼儀正しいお役所言葉で綴られている。
だが、その内容は実質的な「尋問」だった。
『辺境都市イルダンにおける、前保守責任者ボルトンの解任、および監査官キーツの拘束に関する経緯の照会』
『差し押さえられた旧ボルトン派の資材の流用状況、および現在の都市基盤の改修権限の所在について』
『監査院からの正式な使者派遣に伴う、全面的な協力要請』
「要するに、『辺境の田舎町で、今、誰が、何の権限で、勝手に街の魔力網をいじっているのか説明しろ』ということですね」
アシュレイが淡々と読み上げると、市長はビクッと肩を跳ねさせた。
「そ、そうとも! 君が赴任してからの行動は、結果的に街を救ったとはいえ、王都の承認を得たものではない! ボルトンを拘束し、資材を奪い、基幹ルートまで勝手に書き換えた。……王都から見れば、これは単なる『辺境の暴走』だ!」
「市長の言う通りです」
アシュレイは書状を机に戻し、冷静に同意した。
「私たちは現場の危機を救うために『正しいこと』をしました。ですが、遠く離れた王都の役人にとって、現場の苦労や正義などどうでもいい。彼らが気にするのは、手続きと権限だけです」
「だ、だから終わりだと言っているんだ! どう言い訳すればいいんだ!」
「言い訳はしません。事実を伝えます」
アシュレイは手帳を取り出し、市長に向かって力強く言った。
「ただし、『制度の言葉』に翻訳して伝えます。彼らが反論できない完璧な形式の報告書を作り、王都へ叩きつけるんです。……ミレナさん、皆を地下の執務室へ」
◆◆◆
役所地下の執務室に、イルダン再建を担う実務のトップたちが集結した。
予算と台帳を握るノラ。防衛隊副隊長のリオネル。職人頭のガルド。そして商人ギルドのセルマ。
アシュレイから王都の照会内容を聞かされた彼らは、一様に顔をしかめた。
「ふざけんな。俺たちが泥水すすって、必死こいて配管繋ぎ直したのを『勝手な暴走』扱いだと?」
ガルドが忌々しげに作業机を叩く。
「王都の連中はずっとこの街を放置していたくせに、今更しゃしゃり出てきて何のつもりだい」
セルマも腕を組み、不快感を隠そうとしない。
「お気持ちはわかります。ですが、感情で反論しても『辺境の反乱』として鎮圧の口実を与えかねません」
アシュレイは机に大きな羊皮紙を広げ、羽ペンを手にした。
「王都が問うているのは『正当性』です。ですから、私たちがやってきた再建作業が、単なる思いつきの継ぎ足しではなく、明確な実務手順に沿った『都市保守の正規プロセス』であることを証明します」
アシュレイは広げた羊皮紙を指差した。
「全員の力が必要です。この街のすべてのアクションを、裏付けのあるデータとして提出してください。……ノラさん」
「ええ。前任のボルトンが行っていた不正な資材隠しの証拠、そして私たちが差し押さえた資材の『一銅貨単位での支出明細』と『原本台帳』はすべて揃っているわ。私的流用が一切ないことを証明できる」
ノラが、分厚い台帳をドンと机に置く。
「ミレナさん」
「はい! 住民や商人ギルドへ出した『仮設運用の告知』、現場から上がってきた『毎日の監視表』、そして情報を共有した『写しの受領記録』。すべて日付入りで整理してあります!」
ミレナが、誇らしげに記録の束を提出する。
「リオネルさん」
「防衛隊の視点から、『当時の結界が崩壊寸前であり、一刻の猶予もなかった』という軍事的な緊急事態の証明書を切ろう。防衛上の緊急措置権限を適用すれば、事後報告は合法のはずだ」
「ガルドさん、セルマさん」
「おう! 古い配管がどれだけ腐ってたか、俺たち職人の署名入りの『老朽化報告書』を出してやる。あんなもん、あの日に直さなきゃ全員死んでたってな」
「商人ギルドからは、ボルトン時代からの『魔力不足による経済損失額』と、再建後の『正規の納品契約書』を出すよ。保守官殿の工事が、どれだけこの街の税収回復に貢献したか、数字で見せつけてやるさ」
次々と机の上に積み上げられていく、圧倒的なデータの山。
それは、アシュレイがこの辺境都市へ赴任してからの約三ヶ月間。泥臭い調査と各所への根回し、大掛かりな修繕工事、そして日々の運用ルールの徹底――季節が一つ巡る間に、彼らが地道に積み上げてきた「実務の結晶」だった。
誰か一人の英雄的行動ではなく、各部門が横断的に連携し、記録を残し、ルールを守ってきたからこそ出せる、強固な防壁だ。
「……完璧です」
アシュレイはそれらの書類を手に取り、統合報告書の執筆に取り掛かった。
「いくら王都の監査院でも、予算、現場、防衛、経済、すべての整合性が取れたこの記録を『暴走』とは呼べません」
羽ペンが走る音が、静かな地下室に響き渡る。
アシュレイは提出されたすべての証拠を、王都の官僚が読み慣れた「技術報告書」のフォーマットへと美しく再構築していく。
そして、報告書の最後。
アシュレイは全体の総括として、三つの項目を太文字で書き記した。
【1.応急対応】
結界崩壊の危機に対し、南区画の浄化魔力を防衛へ一時転用。防衛隊の緊急措置権限に基づく。
【2.恒久対応】
旧式安全核の制限解除と、基幹ルートの再構築。不正蓄蔵されていた資材を正規の予算台帳へ組み込み、適正に執行。
【3.再発防止】
各区画での監視表の導入、優先供給基準(SLA)の明確化、および仮設資産の期限付き運用ルールの制定。
書き上げられた報告書を覗き込んだノラが、ほうっと感嘆の息を漏らした。
「……見事ね。あんなに泥臭くて綱渡りだった私たちの作業が、こうして文字になると、まるで計算し尽くされた完璧な国家事業みたいに見えるわ」
「事実は何も変えていませんよ。ただ、彼らの言語に翻訳しただけです」
アシュレイは報告書に署名し、封筒に収めた。
これを読めば、監査院も理解するはずだ。辺境都市イルダンの再建は、反逆などではない。都市保守の専門家による、極めて真っ当な「業務」であることを。
「これで、王都への返答は完了です。市長に印をもらって発送しましょう」
皆が安堵し、解散の空気が流れたその時。
アシュレイは、手元に残っていた『王都からの照会文』の最後の束をめくった。
そこには、監査院からの本題とは関係のない、王都周辺の一般的な『魔力網の定期広報』が数枚添えられていた。
本来なら誰も読まずに捨てるような、形式的な通達だ。
だが、その中の一枚。
『王都南区画における、微小な障害報告について』という短い文言に目を通した瞬間、アシュレイの手がピタリと止まった。
「……グランさん?」
ミレナが、アシュレイの様子の変化に気づいて声をかける。
アシュレイの目は、紙面に書かれた小さな数字の羅列に釘付けになっていた。
『――南第三区画にて、断続的な電圧降下を確認。補助線の局所的な発熱を伴うが、中央魔力炉の旧式安全核の計器は「正常値」を示しているため、軽微なノイズとして処理。新規開発局による魔導増幅器の追加接続工事は、予定通り継続する――』
ガタッ、と。
アシュレイが勢いよく立ち上がったことで、椅子が倒れた。
「旦那、どうした? 顔色が悪いぞ」
ガルドが怪訝そうな顔をするが、アシュレイの耳には入っていなかった。
「……この症状。この、誤魔化し方……」
アシュレイの手が、微かに震えていた。
恐怖からではない。忌まわしい記憶が、生々しい現実としてフラッシュバックしたからだ。
それは、かつて彼が王都の保守主任だった頃。
大規模魔力障害が起きる直前に、彼が何度も何度も上層部に警告し、そして「問題ない」と握り潰され続けたのと同じパターンの数字だった。
「グランさん、何が書かれているんですか?」
不安そうに尋ねるミレナに、アシュレイは乾いた声で答えた。
「……王都が、壊れかけています」
「えっ……」
「見覚えがあります。末端の回路が悲鳴を上げているのに、安全装置がそれを『正常』と誤認させられている状態だ。それなのに、開発局はまだ新しい設備を繋ごうとしている……」
アシュレイは照会文を強く握りしめた。
イルダンは、約三ヶ月の期間と彼らの手によって、ようやく「壊れる前に兆候を掴む」段階にまで辿り着いた。
だが、かつてアシュレイが追放された巨大な王都は、イルダンの比ではない規模で、そしてより深い責任逃れの構造の中で、崩壊への道を突き進んでいる。
「王都からの監査官は、近いうちにこの街へ来るでしょう」
アシュレイは、北の空――遠く離れた王都の方角を見据えた。
「その時、彼らが本当に見るべきなのは、私たちの粗探しではない。……この街で私たちが作り上げた『壊させないための仕組み』の方だ」
イルダンの再建は順調に進んでいる。
だが、外の世界の破綻は、すぐそこまで迫っていた。




