第25話 増える利用者と「仮設運用」
都市の機能が回復したという噂は、風に乗って辺境一帯へと瞬く間に広まっていた。
イルダンの南門の外は、かつてないほどの喧騒に包まれていた。
行き場を失っていた行商人、仕事を求めてやってきた職人、そして噂を聞きつけて集まった流民たち。彼らの荷馬車と粗末なテントが、門外の空き地や倉庫の裏手にびっしりとひしめき合っている。
「こりゃあ、いくらなんでも人が多すぎるぜ……」
職人頭のガルドが、額の汗を拭いながら呆れたように呟いた。
「門の中の宿はもう満杯だ。だが、この人数を収容できる本設の居住区や水場を今から作れって言われても、どう考えても無理だぞ。石を切り出して基礎を打ってたら、冬が来ちまう」
ガルドの言う通り、都市の物理的なキャパシティは完全に限界を超えていた。
「それに、衛生面も心配です……」
若手事務官のミレナが、顔をしかめながらメモを取る。
「きちんとした水場や手洗い場がないせいで、あちこちで汚水が垂れ流しになりかけています。このままでは、冬を前に疫病が発生しかねません」
「治安も最悪だ」
防衛隊の副隊長リオネルが、鋭い視線でテント群を睨みつけた。
「焚き火の不始末でいつ火事が起きてもおかしくないし、身元の知れん怪しい連中も紛れ込んでいる。だが、結界の外側まで俺たち防衛隊の目を光らせるには、人員が足りん」
昨日、商人たちが口にしていた「今だけ仮に繋いでくれ」という要望。
それは単なるワガママではなく、切実な生存と生活の危機から来るものだった。
「……状況は理解しました」
三人の報告を受けたアシュレイは、手帳に現在の問題点を素早く書き出しながら、群衆を見渡した。
「本設の工事が間に合わない以上、外にいる彼らを見殺しにするか、それとも『仮設』で凌ぐかの二択しかありません」
「じゃあ旦那、やっぱりあいつらの言う通り、あり合わせの管で魔力と水を適当に引っ張ってやるしかねえのか? だが、そいつはあんたが一番嫌う『無秩序な継ぎ足し』ってやつじゃないのか?」
ガルドの問いに、アシュレイは明確に頷いた。
「ええ。私が赴任した直後に直した、あのヘドロまみれの水路と同じです。その場しのぎで適当に繋いだ配管は、誰の管理も受けず、やがて劣化して街全体に毒を撒き散らします」
王都の開発局が繰り返してきた「とりあえず動けばいい」という悪習。
それを辺境都市で再現するわけにはいかない。
「ですが、仮設そのものが悪いわけではありません」
アシュレイは手帳を閉じ、ガルドたちに向き直った。
「無秩序な継ぎ足しにするから腐るんです。私たちがやるべきは、記録され、管理され、そして『終わりが決められた』暫定措置の構築です」
アシュレイの指示のもと、即座に実務家たちのチームが動き出した。
「ガルドさん。倉庫裏の空き地を『臨時滞在区画』としてロープで区切ってください。そして、南の水路から『一本だけ』仮設の配水管を引きます。ただし、地面に埋めず、異常があれば誰でも目視できる地上配管にしてください」
「おう! 隠さず、いつでも外せるように繋ぐんだな。それなら半日で終わるぜ!」
「ミレナさんは、仮設水場と共用照明の『使用ルール』を作成し、看板にして立ててください。利用時間、ゴミの廃棄場所、そして何より『これは一時的な設備である』という事実を、利用者に徹底的に告知するんです」
「はい! 役所の正式な通達として、目立つように貼り出します!」
そこへ、荷車を引いた商人ギルドのセルマがやってきた。
荷車には、大量の空き樽と、雨風を凌ぐための厚手の布が積まれている。
「保守官殿。要求された最低限の資材を持ってきたよ。仮設水場の貯水樽と、共同テントの屋根だ。……まあ、こんなもの商人ギルドの倉庫の端材だけどね」
「助かります、セルマさん。購入代金は後日、役所から……」
「わかってるよ。キッチリ請求書は回させてもらうからね。あたしたち商人も、門の外で疫病なんか流行られたら商売あがったりだから、今回は協力するだけさ」
セルマはそう言って笑うと、商人たちに指示を出して、ガルドの作業の支援に回った。
そして最後は、役所の裏方であるノラの出番だった。
彼女は新しい、薄い羊皮紙の束を持ってアシュレイの前に立った。
いつもの重厚な『原本台帳』ではない。
「アシュレイ。言われた通り、『仮設資産専用』の簡易帳簿を作ったわ。ガルドが引いた配管も、セルマから買った樽も、すべて本設の台帳とは分けてここに記録する」
「ありがとうございます、ノラさん。その帳簿には必ず『撤去予定日』の欄を設けてください」
「ええ、もう作ってあるわ。……期限と支出を残さなければ、ただの野放しと同じだものね」
ノラは冷徹な事務官の顔で、ガルドが打ち込んだ仮設の杭の数を数え、次々と帳簿に書き込んでいく。
夕暮れ時。
わずか半日の突貫作業で、南門の外には「ルールと期限のある仮設区画」が完成していた。
むき出しの配管からは、決められた時間だけ清潔な水が樽に注がれる。
ミレナが立てた大きな看板の前では、流民たちが利用ルールを読み合わせ、秩序を守って列を作っていた。
そして、一定の区画ごとに配置された仮設の魔導照明が、夜の闇から人々を安全に守り、リオネルたち防衛隊の監視の目を行き届かせていた。
「……驚いたな」
リオネルが、整然と機能し始めた仮設区画を見下ろして呟いた。
「ただの難民キャンプになるかと思っていたが、まるで一つの小さな街のように回っている」
「すごいですね、グランさん……。誰も適当に水を汚したり、勝手に配線をいじったりしていません」
ミレナもまた、安堵の息を漏らす。
アシュレイは、ノラが作成した仮設帳簿の控えをパラパラとめくりながら、静かに言った。
「仮設は、悪じゃないんです」
その言葉には、王都で冷遇され続けてきた「保守」という仕事の、確かな誇りが込められていた。
「問題が起きた時、完璧な解決策(本設)が間に合わないことは現場ではよくあります。その時、一時的な止血として仮設を組むのは、実務として正しい判断です」
アシュレイは、地上を這う真新しい仮設配管を見つめた。
「悪いのは、仮設を記録せず、期限を設けず、そのまま永遠に残すことです。……いつか誰かが直すだろうと放置された仮設は、やがてブラックボックス化し、街の首を絞める負債に変わる」
だからこそ、記録を残す。
だからこそ、ルールを明記する。
だからこそ、撤去する日を全員で共有する。
「この仮設区画は、三ヶ月後の雪が降る前には完全に撤去し、彼らを街の中の新しい居住区へ移します。……それまで、この『正しい仮設』を維持し続けましょう」
アシュレイの宣言に、ガルドも、ミレナも、ノラも、力強く頷いた。
イルダンの再建は、ただ壊れたものを直す段階から、未来の負債を作らない「正しい運用」の段階へと、完全に歩みを進めていた。
◆◆◆
夜の帳が下りた頃。
アシュレイたちが役所へ戻った後も、リオネルは一人、南門の城壁の上から仮設区画の監視を続けていた。
治安は保たれている。
照明のおかげで、不審な動きがあればすぐにわかるはずだった。
「……ん?」
リオネルの武人としての鋭い目が、テントの影を縫うように動く一つの影を捉えた。
流民ではない。商人でもない。
その影は、イルダンの新しい外縁結界の魔力光を忌々しげに見上げ、手元の小さな羊皮紙に何かを書き留めている。
そして、仮設区画の警備の隙間をすり抜け、音もなく街道の暗闇へと消えていった。
「……伝令か。あるいは、密偵か」
リオネルは剣の柄に手を当て、油断なく目を細めた。
あの身のこなしは、訓練を受けた者のそれだ。
誰かが、辺境の泥に沈んでいたはずのイルダンが「息を吹き返した」ことに気づき、探りを入れている。
ただの盗賊の類ではない。もっと組織的で、厄介な存在の匂いがする。
「平和な試運転は、どうやらここまでらしいな」
リオネルの呟きは、秋の冷たい夜風に溶けて消えた。
再建された街の光は、人を救うと同時に、外の世界からの「招かれざる注目」をも集め始めていた。




