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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第3章 再建後の初運用と、外圧の始まり 〜直した街は、まだ試運転中〜
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第24話 交易再開と「優先順位の再設定」

 都市の機能が息を吹き返し、活気を取り戻し始めたイルダン。


 だが、それは同時に「新たな欲望」が可視化される過程でもあった。


 役所の一階に設けられた陳情窓口には、朝から住民や商人たちの要望書が山のように積まれていた。


 若手事務官のミレナは、その仕分け作業に追われながら悲鳴を上げている。


「ええと、商店街からは『夜間照明の完全復旧』の要望。飲食ギルドからは『食材保管用の冷却魔導具への供給拡大』の申請……。ああもう、どっちも『今すぐ頼む』って赤字で書かれてます!」


 基幹ルートが復旧し、魔力不足による絶対的な「死の危機」が去ったことで、住民たちの意識は「生存」から「生活の向上」へとシフトしていた。


 我慢していた快適さや、商売の拡大。それを求めるのは人間として当然の権利だ。


 だが、その要望書の束を横から無造作に掴み上げた男がいた。


 防衛隊の副隊長、リオネルである。


「却下だ。そんなものに回す魔力はない」


 実直な武人である彼は、厳しい顔つきでミレナの前に立った。


「結界の出力は今の強度を維持するのが最低条件だ。それに加えて、いつ魔物の大群が来ても即座に最大出力へ引き上げられる『予備魔力マージン』を常に確保しておかねばならない。街を飾る灯りのために、防衛の予備を削るなど言語道断だ」


「そいつは極論すぎるんじゃないかい、副隊長殿」


 リオネルの背後から、ヒールを鳴らして商人ギルドのセルマが現れた。


 彼女はミレナの机に新しい納品書を置きながら、切れ長な目をリオネルに向ける。


「魔物の脅威はわかる。だけどね、商いが回らなければ、結局この街は干上がって死ぬんだよ。冷却魔導具が使えなければ農村からの肉や魚は腐るし、夜の照明がなければ遠方からの隊商キャラバンは街に入れない。経済活動を後回しにすれば、街は痩せ細る一方だわ」


「命あっての商売だろう。結界が破られれば元も子もない」


「商売がなきゃ、防衛隊の武具の修繕費も出ないだろうが」


 火花を散らす武人と商人。


 防衛を最優先とするリオネルと、経済を最優先とするセルマ。どちらの言い分も、街を思えばこその正論だった。


「……困りました。私では判断できません」


 ミレナが助けを求めるように視線を向けた先。


 執務室の奥から、使い込まれた手帳を手にしたアシュレイが歩み寄ってきた。


「当然です。これは現場の事務官が判断すべき問題ではありません。……市長室へ行きましょう。方針を決めます」


 ◆◆◆


 イルダン役所、最上階の市長室。


 上座で居心地悪そうに汗を拭うバルガス市長を囲むように、アシュレイ、ミレナ、ノラ、そしてセルマとリオネルが集まっていた。


「うむ……。防衛隊の言い分も、商人ギルドの言い分もわかる。アシュレイ君、どうにか上手く、両方に少しずつ魔力を分けてやることはできんのかね?」


 決断を避け、玉虫色の解決を望むバルガス市長。


 だが、アシュレイは明確に首を横に振った。


「それが一番危険なやり方です、市長。全員に少しずつ譲歩して『なんとなく配分する』運用は、負荷の限界点を見えなくさせます。いざという時、結界も商売も両方共倒れになります」


 アシュレイは市長室の黒板の前に立ち、チョークを手にした。


「基幹ルートを再構築したあの夜。私たちは『生命、防衛、基幹生活』の維持だけを最優先とし、快適性や経済活動をすべて切り捨てました」


 非常時の判断としては、それは正しかった。誰もが生き残るために納得した。


 だが、今は違う。


「街が平時に戻りつつある今、その極端な設定のままでは立ち行きません。……本日は、この街の新しい『優先供給基準サービスレベル』を明確に再定義します」


 アシュレイは黒板に、現在のイルダンの総魔力供給量を「10」として図解した。


「ノラさん、現在の供給余力の数字を」


「ええ。基幹設備が安定したことで、街全体で使える魔力の総量は、ボルトン体制の時の約二倍に増えているわ。これが大前提ね」


 予算と数字を握るノラの裏付けに、セルマとリオネルが真剣な表情で聞き入る。


「その増えた総量に対して、明確な線引き(ボーダー)を設けます。まず第一階層は『絶対保証ライン』。これはいかなる時も絶対に魔力を落とさない領域です。……リオネルさん、防衛の結界と、ミレナさんたちの水路浄化などの基幹生活がここに入ります」


「……よし。ならば文句はない」


 リオネルが深く頷く。


「ただし」と、アシュレイは続けた。


「絶対保証するのは『平時における最大防御の維持』までです。リオネルさんが求める『いつ来るかわからない大群に備えた過剰な予備魔力』は、この階層から外します」


「なっ、アシュレイ! それでは万が一の時に……!」


「第二階層の説明を聞いてください。第二階層は『調整拡張ライン』です。ここに、セルマさんたち商人ギルドの経済活動を入れます」


 アシュレイは黒板の「経済活動」の部分をチョークで丸く囲んだ。


「夜間照明や冷却魔導具への魔力は、この第二階層から供給します。ただし条件があります。ここは『防衛に緊急事態が発生した瞬間、強制的に遮断される』ことを事前に合意していただく領域です」


「……なるほどね」


 セルマが顎に手を当て、鋭い目を細めた。


「つまり、普段はあたしたち商人がたっぷり魔力を使って稼いでもいい。だけど、もし魔物の大群が来たら、問答無用で冷却器も照明もブチ切って、その魔力を全部リオネルの結界の『予備』に回す。……そういうことだね、保守官殿?」


「ご明察です、セルマさん。防衛隊が『使わないかもしれない予備』を常に抱え込むのは、平時の運用として無駄が多すぎます。平時は商売に回し、有事の際は商売を止めて防衛に回す。これが全体の利益を最大化する運用です」


 アシュレイはリオネルに向き直った。


「いざという時、数秒で商業エリアから防衛へ魔力をバイパスする回路は、すでに私が組んであります。……これで、過剰な予備を抱え込まずとも、防衛力は担保できますね?」


「……あ、ああ。いざという時に確実にこっちへ魔力が回ってくるなら、普段は商売に譲っても構わん」


 リオネルも、アシュレイの提示した合理的な仕組みに反論の余地を見出せなかった。


 そして最後に、アシュレイは黒板の最下層を叩いた。


「そして第三階層が『余剰供給ライン』。ミレナさんが持っている要望書にあるような、個人の家の強い暖房や、装飾のための過剰な光など、『快適性』に関するものです。これは、第一、第二階層に魔力を配分した上で、余った分だけを振り分けます。足りなければ止まります」


 黒板に示された、三つの階層。


 それは、感情論ではなく、明確なシステムとしての優先順位の定義だった。


「これですべての線引きが終わりました。防衛・基幹生活は『最低保証』。経済活動は『有事遮断を条件に拡張』。快適性は『余力の範囲内』です。……皆さん、よろしいですね」


 市長室に、重い沈黙が降りた。


 防衛隊としては、常に予備魔力を自分たちの手元に置いておけないことに一抹の不安が残る。


 商人ギルドとしては、有事の際にいきなり魔力を切られるリスクを抱え込むことになる。


 住民からすれば、快適性が一番後回しにされることに不平が出るだろう。


 誰も、自分の要望が「100パーセント」通ったわけではない。


 だが、全員の立場と限界の数字をオープンにした上で引かれたこの線引きは、文句のつけようがないほど公平で、現実的だった。


「……あたしは構わないよ。有事の際のリスクは、氷を常備しておくことで各自ヘッジさせる。最初から『切られる可能性がある』とわかっていれば、商人は対策できるからね」


「俺も同意する。アシュレイの引いた回路を信じよう」


 セルマとリオネルが、互いに小さく頷き合った。


 全員が完全には満足していない。しかし、全員が「納得できる不満」に着地したのだ。


 これが、運用保守の責任者が行うべき「調整」という実務だった。


「ふうむ、よくまとまったな! さすがはアシュレイ君だ。では、この方針で進めたまえ!」


 バルガス市長が、自分のお手柄のように満足げに手を叩く。


「ええ。ノラさん、ミレナさん。今の基準を文書化し、各ギルドと住民へ通達を出してください。曖昧な期待を持たせず、『ここまでしか保証しない』と明言することが、運用への信頼に繋がります」


「はいっ! すぐに作成します!」


「任せて頂戴。予算の配分もこの基準に連動させるわ」


 事務方の二人が足早に市長室を出ていく。


 大きな懸案が片付き、アシュレイも手帳に『平時SLAの合意完了』と書き込み、息を吐いた。


 ――その時だった。


「副隊長! 保守官殿! 急ぎのご報告です!」


 息を切らした防衛隊の若い隊員が、市長室に駆け込んできた。


「どうした、結界に異常か!?」


 リオネルが鋭く問い詰める。


「い、いえ、魔物ではありません! 南の街門の外に……ここ数日で、商人や職人、それに流民たちの荷馬車が溢れかえっているんです!」


「なに?」


 セルマが眉をひそめた。


「隊商が来るのはわかっていたが、門に入りきらないほどかい?」


「はい! 『イルダンが蘇った』という噂を聞きつけて、予想以上の人が押し寄せています。すでに門の外の空き地に、勝手にテントや仮設の荷捌き場が作られ始めていて……」


 若い隊員は、アシュレイの方を向いて懇願するように言った。


「それで、門外にいる連中が『暗くて仕事にならないし、危ないから、今すぐ仮設の照明と防寒用の魔力管を引いてくれ』と騒いでいます! 正式な申請は後で出すから、とにかく今だけ先に繋いでくれ、と……!」


 その言葉を聞いた瞬間。


 アシュレイの表情が、先ほどまでの冷静さから一転し、氷のように硬く冷たいものに変わった。


「……『正式な申請は後で出す』。『今だけ先に繋いでくれ』」


 アシュレイは、過去の亡霊の声をなぞるように、その言葉をゆっくりと口の中で反芻した。


 王都の開発局が、常に口にしていた言葉。


 手続きを無視し、全体の負荷計算をすっ飛ばし、その場の都合だけで継ぎ足されていく無秩序な配線。


 それが積み重なった結果が、あの王都の大規模魔力障害ブラックアウトを引き起こし、かつてのイルダンの腐敗を生んだのだ。


「保守官殿……?」


 セルマが、アシュレイのただならぬ気配に気づいて声をかける。


「……行きましょう」


 アシュレイは手帳を閉じ、工具入れのベルトをきつく締め直した。


「いつもの継ぎ足し(スパゲッティコード)の匂いがします。ここで止めなければ、街はまた、元の暗闇に逆戻りします」


 再建の噂が人を呼び、人が新たな無秩序を生む。


 直した街の試運転は、早くも「想定外の成功」による副作用という、次の障害へと突入しようとしていた。

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