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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第15章:七十年前の応急処置〜暫定に、終わりを書け〜
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第163話 街の名の欄

「空いています」


 コルトは肩の紐を下ろさなかった。


 広間は西日で埋まっている。卓は輪に組んだままで、椅子だけが半分下げてあった。開いているあいだは気づかなかったが、板の継ぎ目は窓のほうへ向かって少し反っている。


「おれが訊いたのは、そこじゃねえ」


 彼は荷を框へ下ろした。


「明日、南へ下りる。型を持ってあの男の生まれた街まで行くんだ。……着いてから訊きてえことが出たら、どこへ出せばいい」


「イルダンへお出しください」


「あんたはイルダンにいるのか」


「おりません」


「そんならイルダンじゃねえだろ」


 ノラは輪の外の卓で帳面を開いていた。頁を三枚繰って手を止める。


「聞こえたでしょう。今日のうちに埋めなさい」


 七つ目の行は罫だけが引いてある。役の名と、日付と、街の名の欄。埋まっていないのは最後の一つだけだった。


「半年空いてるのよ」


「承知しています」


「訊かれると言ったわね」


「言われました」


 ガルドが壁の側から寄ってきた。編み上げの紐を締め直している。


「イルダンって書きゃ済むだろうが」


「書けます」


「なら書けよ」


「書くと、この卓がイルダンの卓になります」


 ガルドは框へ腰を下ろした。


「なんでだ」


「私はこの卓の紙を全部読みます。常駐する街があれば、その街の紙を先に読みます。先に読むつもりが無くても、先に届くのはその街の紙です」


「王都は」


 ローデリクが柱の脇から答えた。まだ綴りを開いていない。


「同じです。もっと早く届きます」


「じゃあ書ける街がねえじゃねえか」


「ありません」


 ノラは筆の尻で欄の枠を叩いた。


「どこにもいません、と書くの」


「書けません」


「書けないわね。ここは街の名を書く欄よ」


 アシュレイの荷の口から写しが一枚出てきた。宿の柱に貼ってある紙のもので、上の隅に番号が入っている。


 アシュレイはそれをノラの手の届くところへ寄せた。


「街の名の代わりに、これを書かせてください」


 ノラは写しを引き寄せた。


「番号じゃないの」


「番号です。次に通る宿の、柱の紙の番号です」


「通ったら」


「書き換えます。その次の宿の番号へ」


「動くのね」


「動きます」


 筆が卓の上で寝かされた。


「動く欄は、うちの罫にはまだ無いわ」


「作っていただきたいのです」


「困るのはこっちよ。書き換えたら前の番号が消えるじゃないの。いつどこにいたのかが、あとから引けなくなるわ」


「消しません。下へ足します。前の番号は残したままにしてください」


 ノラは眉だけを動かした。


「量る人と同じことを言うのね」


 壁際でハーケンが一度顔を上げた。何も言わずにまた元の向きへ戻る。


 ローデリクが控えの背を立てて開いた。


「監査院の綴りには居所の欄がございます。街の名で刷ってあります」


「刷り直していただけますか」


「直します。欄の名を居所から、次に通る宿へ替えます。番号だけの欄になりますが」


「読めますか」


「読めます。番号が同じまま日が空けば、そこで止まっているということです」


「そこにいるか、着いていないかのどちらかです」


「どちらかは分かりません」


「分からなくて結構です。分からないと分かるだけで足ります」


 主人が椅子を壁際へ寄せ終えて帳場へ戻りかけた。足を止めたのは番号という言葉のところだった。


「うちの柱は、もう二枚で埋まっていますよ」


「増やしません。二枚目の紙へ列を一つ足していただきます」


「何を書きます」


「通った日です。名は要りません。日だけです」


「通らなかった日は」


「空けておいてください」


 主人は帳場の縁へ手を掛けた。


「空けたままですか」


「空いた日が続いたら、次の宿へ言づけてください」


「探しには出ますよ」


「出ないでください」


「出ませんか」


「言づけだけで結構です。人が出れば、その宿の荷が一日止まります」


 主人は糊の壺を棚から下ろして脇へ抱えた。


「言づけの先は」


「次の宿です。その先も宿です」


 ガルドが顎を上げた。


「倒れてても、その日にゃ誰も気づかねえぞ」


「気づきません」


「それでいいのか」


「よくありません」


 アシュレイは一歩だけ前へ出た。


「毎日私の顔を見る者を決めると、その者の街に私が居ることになります。欄から居場所を外すというのは、代わりを払う話です」


「払うのはあんたじゃねえ。見つけるのが遅れりゃ、困るのはこっちだ」


「困らせます」


「言い切りやがった」


 ガルドは舌を鳴らしてから立ち上がった。


「柱を見て回るのはおれだ」


「お願いします」


「日の欄が空いてりゃ、空いてたと次の宿で言う。あんたにゃ言えねえからな。居ねえやつには言えねえんだ」


 ミレナが控えの束を抱えて框の前へ来た。写しの数を数え終えた顔である。


「お荷はどちらへお送りいたしましょう」


「送らないでください」


「控えもでございますか」


「控えも要りません。原本はイルダンに置きます。写しは監査院と統轄部と、街に」


「お手元には何も残りませんが」


「一枚だけ作っていただけますか。どこに何の写しがあるかを書いた紙です。請求先まで入れてください」


「一枚でございますか」


「一枚です。それを失くしても、取りに行く先が変わるだけです」


 ミレナは束を框へ置き、いちばん上の紙の裏を返した。


「版のことを申し上げてもよろしゅうございますか」


「伺います」


「次の刷りから、版はうちの若い手が組みます。わたくしは見るだけにいたします」


「読み合わせは」


「二人でいたします。組んだ者と見た者の名を、下へ入れます」


「では、あなたが動けない日でも刷れますね」


「刷れます。……刷り損じは増えると思います」


「増えて結構です」


 コルトが框の端で待っていた。


「話を戻すぞ」


 アシュレイが向き直った。


「おれが訊きてえことができたら、どこへ出す」


「あなたの街からお出しください。番号に丸を付けて判を押していただければ足ります」


「あんたは出せねえのか」


「出せません」


「なんでだ」


「席がありませんので」


「不便だな」


「不便です」


「直さねえのか」


「直しません。私が出せる形にすると、急ぎの話が全部こちらへ来ます。来た話は、私のいる街で決まります」


 コルトは首の後ろを掻いた。


「面倒くせえ作りだ」


「作りは面倒です。使うほうは簡単にしてあります」


 ハーケンが壁を離れて輪のほうへ歩いてきた。輪の内側へは入らない。


「一つ伺わせてください」


「どうぞ」


「横断監査官は一人ですね」


「一人です」


「番号を書かれても、柱に日を控えさせても、その一人が居なくなれば止まります。半年前にあなたが潰した形と、同じ形です」


「同じです」


「では、どうなさいます」


 アシュレイの目がノラの帳面へ動いた。


「止め手の紙と同じ様式を、監査官の綴りへ入れていただきたいのです」


「同じ様式と申されますと」


「次に立つ者の名を二つ。役は入れません。名だけです」


「書くのは」


「私ではありません」


 ノラが顔を上げないまま言った。


「わたしが一つ書くわ」


 ローデリクが函の紐を解いた。


「もう一つは私が書きます。監査院の綴りは私の手で開けます」


「二人で相談はしないでください」


「しません」


「読み合わせも要りません」


「要りませんね」


 ハーケンが手元の綴りを起こした。


「あなたは読まれますか」


「読みません」


「なぜです」


「読めば、私が選んだことになります」


「では私が確かめます。二つ入っているかどうかだけを見ます」


「確かめてください」


 ハーケンは控えへ日付を入れた。筆を置いてから輪の外の卓のほうを見た。


「……それは、私にも同じことが言えますね」


「量る側は一人です」


「一人です。半年ごとに受け取るのも、白いままを認めないと申し上げるのも、いまは私しかおりません」


「入れられますか」


「入れます。私の綴りにも二つ。書くのは私ではない者に頼みます」


 彼はそこで一度だけ息を継いだ。


「面白くはありませんが」


「面白くありません」


 ノラは七つ目の行の下へ罫を三本引いた。


「代わりに払うものを書いておくわ。あとで同じことをやりたがる人が出るもの」


「三つあります」


「言いなさい」


「毎日私の顔を見る者がいません。原本を一枚も持ちません。卓へ議題を出せません」


 筆が三行を追った。


「三つ目は前から書いてあるわよ」


「書いてあります。消さないでください」


「消さないわ。……消したら、あなたが楽をしたことになるじゃないの」


 夏のぶんの道の割りをセルマが卓へ出した。線はもう入っている。


「遠いところから回すわ。下りの長い街は雨の前に入れておいたの」


「便のある日に合わせてください」


「合わせるわ。合わせないと宿が替われないもの」


「一巡りは」


「書かないわよ。日数を書いたら、遅れた日に嘘になるわ」


「では書かないでください」


「書かないわ。次に通る宿は、そのつど道の割りで示すわね」


 ミレナが控えを繰って番号を読み上げた。


「南へ二日の宿でございます。柱の紙は三十二番でございます」


 ノラが街の名の欄へ筆を下ろした。三十二と入れて、脇へ今日の日付を付ける。


「入れたわ」


「入りました」


「五つが四つになったわね」


「四つです」


 彼女は行の下へ細い罫をもう一本引いた。番号を継ぐための一段である。


「言っておくけれど、これは埋まったんじゃないわ。動く欄になっただけよ」


「動かなくなったら」


「そのときは誰かが訊くわ。訊く先はもうあるでしょう」


 ノラは頁を閉じた。


 主人が柱の二枚目を外して帳場へ運んでいく。列を一つ足すのだという。日の暮れる前に貼り直すと言って糊の壺を開けた。


 アシュレイは荷の紐を結び直してから、欄の番号をもう一度読んだ。


「次に通るのは」


 セルマが道の割りの上へ指を置いた。


「南へ二日よ。明るいうちに出れば、暗くなる前に着くわ」


 頁のいちばん下には、次に卓を開く日だけが先に入っていた。

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